第6話 消える魔法


 店内に戻った俺達は、念のためミルチルさんの状態を確認しようと応接室に入った。


「ミルチル、どこか痛みや違和感はないかい?」


 スミューさんが問診しながら医療魔法で体内を診たり薬草などで反応を診ているが、当の本人はこれといって何も違和感を感じておらず、ケロッとしている。


「今のところは何も。いつも通りですね」


「何か自分の精神や魂に外から働きかけてくるような感覚はあるかい?」


「いえ、特にないです」


「そうか。体内にも何かしらの呪術的な痕跡はなかった。今までの被害者同様にね」


 スミューさんはお手上げって感じで俺を見た。


「ウルフ君、君は何か感じるかい?」


「いえ、呪術も何らかの契約関係も感じません」


 腰にさげた剣の柄を触りながらそう答えると、スミューさんは俺の剣をチラッと見てからため息をついた。


「やはり何も分からない、か」


「症状が出る瞬間や出た後になんらかの魔力反応が出たりは?」


「しなかったようですな。三回目の被害者には神殿で神官につきっきりで診てもらっていたんですが、症状が出始めた前後もこれといって異常はなかった、と」


 エスト支店長の返事に俺とスミューさんは顔を見合わせた。


 形のよい眉をひそめているスミューさん。


 俺も似たような表情してんだろーな。

 

「私は念のためこのままミルチルを家に送った後に、そのまま症状が出るまで診ている事にするよ」


「ふぇ?!スミューさん、家に来るんですか?」


「当たり前だ。君の身体を経過観察してこの謎の症状を治す手立てを見つけないといけないだろう?」


「あ、その、出来ればちょっと後から来ていただけると……」


「何を言っているんだい。身体に変化が出る前に何らかの呪術的な異変が起こる可能性もあるんだ」


「あ、でも、その~」


「部屋が散らかっているのは気にしないから」


 ズバリと言われたミルチルさんはガックリと頭を垂れた。


 最近忙しかったししょうがないとエスト支店長に慰められている。


「さて、ウルフ君はどうする?一緒に来るかい?」


 ミルチルさんはガバッと顔をあげて、懇願するような潤んだ瞳で俺を見た。


 いや、さすがに今の話の流れでお邪魔するわけにはいかないです。


「俺は……手がかりがないか学院に行って調べてきます」


「学院に?一応図書館で調べたり父に今回の事を相談したりはしたよ。空振りだったけど」


「いえ、そっちではなく、名誉学長室に」


「ローデリック教授か……」


 スミューさんはマジ正気かい?といった表情になった。


「本当は行きたくないんですが、本当の本当に行きたくないんですが、他に手がかりが掴めそうなアテが……」


「いや、うん。気持ちは痛いほど分かる。分かるんだけど、手がかりを掴めそうな相手はローデリック教授以外に思い当たらないのも分かってしまうな……」


 スミューさんと俺は再び遠い目をしてため息をついた。


「まだこの時間なら教授も寝てないはずですから。もしくはまた何か変なものをゲットして寝るのを忘れているかもしれませんし」


「そうだね。あの人は熱中すると周りの人が何人倒れようとも気づかない人だからね」


「やはり、経験が?」


「最初は二回生の時、卒業式の日にお世話になった先輩を送り出す準備をしてたら教務課の課長さんに呼ばれてね。ローデリック教授が名誉学長室から出てこないし犠牲者が五人も出たって言われて。それから何度もさ。君は?」


「俺も今日早朝から早馬で拉致られて教授が入学式を壊滅させないよう警備役で参加させられました。入学してからもう何回になるか、思い出せないくらいです」 


 どうやらスミューさんは本当の意味で俺の先輩だったらしい。


「ウルフ君、今度一緒に飲まないか?美味しいモツ焼き屋を知ってるんだ」


「ええ、この依頼を完了出来たら是非」


 俺達はがっしりと握手をかわした。


 出会った最初は仕事の出来る大人の余裕を持ったお姉さんだと思ったが、それはあの名誉学長のお供教授のお守りの経験もあっての事なのだろう。


 俺達を事情が分からずに不思議そうな顔で見ていたエスト支店長に、今夜は念のため全員帰らせた方がいいと告げた。


「犯人らしき奴は逃げたとは言え、今回初めて目撃されたわけですから何か別の手をうってくる可能性もあります」


「確かに、おっしゃる通りですね。店内の者は皆帰宅させましょう」


「見張りはこのまま闇妖精に任せますので何かあればすぐ俺に連絡が来ます。エスト支店長には遠話のスクロールをお貸しします。これは俺が持っている遠話の魔道具と繋がっているので何かありましたらご連絡いたします」


「分かりました」


「スミューさんにもお渡ししておきます」


「ああ、ありがとう。私も何か分かったら連絡するよ」


 スミューさん達と別れた俺は学院へと向かうために追加で新しい妖精を召喚した。


召喚サモンウッドホース木馬


 丸の中に深緑色の菱形が描かれた魔方陣から、白木の馬が現れた。


 木製の黄色の目がこちらを向いて、物欲しげな声でヒヒーンといななく。


「分かってるよ。はいこれ」


 俺はカバンの中から布に包んだ葉っぱを取り出して、木馬の開いた口にヒョイっと投げ入れた。


 この葉っぱは自宅の庭でねーちゃんが育てている木のもので、妖精の好物だ。


 コルヴスの対価に食わせた豆もその木になったものだ。


 木馬は葉っぱを飴を舐めるように口の中でモニュモニュすると、満足したのかブルル、と声を出した。


「よし、そんじゃ失礼して」


 鐙がないので飛び乗るように背中に乗る。


 木製なので堅いし温かくもないのが難点だが、普通の馬と違い疲れを知らないからスピードが落ちないなどメリットも多い。


 ただ長距離を乗ろうとするとケツが死ぬ。


「いつものお願い」


「ブルル」


 木馬は返事をしながら口元の左右からツルを延ばした。


 俺の手元まで延びたそれの両端をキュッと結んで手綱のかわりにする。


「おーい、一羽来てくれ」


 連絡用に屋根の上の闇妖精に声をかけると、一羽が飛び立ってこちらに降りてきた。


「ありゃ?」


 肩に来るかと思ったらそのまま地面に降りて、何かをクチバシで咥えるとそのまま木馬の頭に飛び移ってきた。


「何を拾ったんだ?って……コガネムシ?」


 差し出した俺の手の平に置かれたそれは、何か動きが弱って死にかけているコガネムシだった。 


「カー」


 再び地面に飛び降りるともう一匹拾ってきた。こちらはやや小さい。


つがいなのか?」

 

「カーカー」


 そうです、と言う感じで鳴き声をあげる闇妖精。


「ミルチルさんが最近よく店の前で死んでるって言ってたのはこいつらの事か。なあ、こいつらが何か事件と関係あるのか?」


「カー!」


 そうだと思います!とばかりに羽を広げる闇妖精。もしかしたら俺達が見ていないところで何か見たのかもしれない。


「とりあえず持っていこう」


 空の布袋を取り出し、その中にコガネムシを突っ込んでカバンの中にしまう。


「よし、待たせたな。出発してくれ」


「ヒヒーン!」


 一声いななくと、木馬は普通の馬のように勢いよく走り出した。


 あっという間に学院に到着すると、顔見知りの警備員に片手で挨拶しながら騎乗したまま中庭までやってきた。


「助かった。また頼むよ」


「ブルルン」


 木馬から降りて、中庭の片隅まで移動してからお礼を言う。


 木馬は『またねー』って感じの声をあげると、シュルシュルと馬の形が崩れて一本の若木へと変化した。


 うん、大きい木の妖精を呼ぶと帰る時に妖精樹に変化してしまうのがネックだな。小さな木の妖精なら小枝や花、木の実とかなんだけど。


 すでに学院内には俺が生やした妖精樹が二桁を越えている。


 それもこれもローデリック教授が悪いんだ、俺は悪くない。




「教授ーローデリック教授ー。いらっしゃいますかー?」


 ドアをコンコンやりながら声をかけるが、中からの応答はない。


 だけどドアの横にある壁掛けプレートは在室中とある。


 また何かいじくってて外の声が聞こえてないんだろうな。


「失礼しまーすッとお!」


「カー!」


 入った瞬間、中から怨霊が何匹も襲いかかってきたためそのまま剣を抜いて切り裂いていく。


 闇妖精はいきなり怨霊が目の前に現れてびっくりしたのか『いやー!』とばかりに悲鳴をあげた。


「教授ー。夜分失礼します、ウルフですー。聞きたいことがあって来ましたー」


 怨霊を切りながら声をかけると、机の上で何かごそごそやっていたローデリック教授がこちらに気づいて振り向いた。


 その手には何か禍々しい気配を発する紅い刃のナイフがあった。見覚えがないからまたどっかから仕入れてきたな。


「おや、ウルフ君じゃないか。また魔石の事?」


「いえ、違います。ちょっと仕事関係でご意見をお聞きしたい事がありまして」


 最後の怨霊を切り終えた俺は、剣を納めて来客用ソファーに腰かけた。


「いいよ。話してごらん」


「はい。実はですね……」


 俺は簡潔に起きた事だけ説明していく。


 ローデリック教授は天才だがボケている。


 天才故に多少の部分は省いても理解してくれるが、ボケているから固有名詞は中々覚えられない。


 なのでリバーケープ商会からの依頼とかエスト支店長の名前だとかは一切出さず、唯一覚えてるだろうスミューさんの名前だけ出しておく。


「うん。コガネムシが見たいなー」


 目をパチクリしながら説明を聞いていた教授は、コガネムシのくだりで目を輝かせて、説明を終えると同時にコガネムシを見たがった。


「これです」


 バックから袋に入れたコガネムシを取り出したら、二匹ともすでに死んでいた。


「大きいねー」


「まあ、魔物じゃなければやや大きめの種類になりますかね」


「いやいや、こんな大きいオブスキュアビートルは初めて見たよ」


「このコガネムシを知ってるんですか?!」


「ウルフ君は消える魔法って知ってる?」


 質問に質問で返してくるローデリック教授。いつもの事なのでとりあえず答える。


「レンジャーやアサシンが使うような身を隠す魔術の事ですか?」


「あれは気配を抑えるだけでしょう?そうじゃなくてね、完全に消えるんだ」


「身体ごとその場から居なくなるって事ですか?転移魔術系?」


「違うよ。その場には居るんだ。でも存在が僕達の前から消えて居なくなるんだ」


「居るのに居ない?」


 何か、つい最近似たような言葉を聞いたような?


「迷い人の森の霧さ」


「迷い人の森の霧?」


「詳しくはこれを読んでみて」


 ローデリック教授が本棚を指差すと、本棚は一冊の本をこちらに向かって唾を吐くかのように投げ渡してきた。


「秘学全集一巻(著者タルデム)」


 賢者タルデムは魔法の基礎、『魔法学』を確立して魔法を一般人でも使えるレベルまで普及させた『魔法の父』だ。


 彼は魔力を色によって見分ける事が出来る特別な魔眼を持ち、その能力を生かして既存のあらゆる魔術を詳しく解明してみせた。


 しかしその溢れる才能に反して魔力量がやや乏しかった彼は、魔術をより低コストで使用出来るように改良を重ねる事によって一般人でも使える魔術を爆発的に増やす事に成功した。


 彼の弟子達が後世それを発展、体系化して『魔法学』が生まれた。

 

 魔法学は主に医療や戦闘等に使われていた魔法から職業技能や日常のちょっとした便利な小技などを編み出した。


 そのため彼は魔法だけでなく色んなジャンルでその名を残している。


 商業、工業、文学、etc。


 その中に『秘学』と言うジャンルがある。


 これは、賢者タルデムでも解き明かせなかった出来事や現象をまとめた学問で、そのほとんどはおとぎ話や伝説の類いとして現代に伝わっているものだ、と授業で習った。


 本のページをめくると、索引欄に『迷い人の森の霧』とそのままのタイトルが書かれていた。


 とりあえずそのタイトルのページを読んでいく。


 §


 迷い人の森は名前の通り足を踏み入れた者を迷わす危険な森だ。


 道標となる磁石や魔道具は用をなさず、空に登った陽や月や星さえもまるで当てにはならない。


 朝陽に向かい、月を目印に、星々の位置を確認し、真っ直ぐに歩いていたはずなのに、朝陽は知らぬまに背中から昇り、月は満月の次の夜には新月になり、星々は夏と冬の星座が入れ替わる。


 ならば地上はと言うと、どの木々も幹がうねり曲がっておりどこを向いても同じ景色に見える。


 木にナイフで印を付けたとて、一晩たてば元通り。


 紐をくくりつけたらどうか。


 朝から結び続けた紐が、次の朝には一本の木にまとめてくくりつけられているのを目にするだろう。


 ならば空を飛んで見せようとする。


 次の瞬間には逆さまで地面に埋もれている事だろう。


 そして、あの不思議な霧だ。


 迷い人の森の霧は朝だろうが昼だろうが夜だろうが唐突に現れる。


 良く晴れた日も、大雨の日も、およそ霧が出ようもない日でも気づいたら身体が霧に覆われて何も見えなくなる。


 死霊の類いが見せる幻覚かと思いどの神々に祈ろうとも霧は晴れない。


 ならば風の魔法で吹き飛ばしてやろうとビュービューと風を吹かしても霧は揺らめきもしない。


 せめて明かりをとランタンや光の魔法を使おうとも、霧の先はちいとも見えない。


 しかし唐突にフッと霧は晴れる。


 まるで霧など存在していなかったかのように。


 私はこの霧の中で初めて魔力を目にした。


 霧が発生する直前に、一瞬だが確かに幻のように揺らめく魔力が見えたのだ。


 次の瞬間には私は霧に飲まれてしまったが、今度は霧が消える直前に、なんと私の顔の中から魔力が揺らめきたったのだ。


 これはつまり、霧に乗じて何かが私の身体を通り抜けたのだ。


 だが、私は身体の中に何か異物が入った感覚はまったくなかった。


 魔力もその二度以外には何も見えなかったし感じられなかった。


 魔力を発した某かは、霧とともに現れて、霧とともに消えてしまった。確かに何かが居たはずなのに、どこにも居なかったのだ。


 まるで消える魔法だ。


 §


「なるほど。居るのに居ない、ですか。教授、これはつまりいぃぃぃ?!」


 本から顔をあげると、ローデリック教授が大きい方のコガネムシをバラバラに解体していた。


「何やってんだあんたー!」

 

 ちょっと待てそれは大事な証拠かもしれないんだぞこらぁー!!!


「えー?だって気になるじゃん。構造とか」


「あんた虫のこと詳しいのか?虫を解体したことあんのか?」


「ないよ。あまり詳しくもないかな」


「なら解体しないで下さいよ大事な証拠を!」


「はーい。うわ、変な汁ついちゃった」


「椅子で拭うなぁ!」


 ああ、また秘書さんのため息が聞こえてくる。


 ローデリック教授が座っている椅子は特別製で、最上級の職人によって作られた椅子に最高位の付与術師によってエンチャントされた一品物でかなりのお値段なのに、すぐボロボロにされたり汚されたりするとよく嘆いていたからな。


「とりあえずヴァグ教授にお話を聞きに行きなさい」


「ヴァグ教授?どの専攻の方です?」


「自然魔法だね」


「エルフの方ですか?」


「いや、只人。後このメモとコガネムシも」

 

「死体とメモを一緒の布袋に入れるな~!」


 へんな汁が着いて読みにくくなるでしょうが!


「じゃあよろしくね。あ、それと今度またお出かけに付き合ってね」


「う、分かりました…。それではありがとうございました。失礼します」


 ローデリック教授はがお出かけのお供に俺を指名する時は二パターンあるが、どちらも凄く面倒な内容だ。


 この前のジャワバラの壺レベルならまだ気が楽なんだがなぁ…。


「はぁ~、憂鬱」


 これだからローデリック教授には借りを作りたくないんだよなぁ。


 俺はため息をつきながらヴァグ教授の部屋の場所を聞きに一度受付へと戻る事にした。

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