第7話 迷い人の森の霧


「すんませ~ん」


「はいはい。おやウルフ君じゃない。ローデリック様の所へ行ったんじゃなかったの?」


 夜間受付の案内人、マーゴットさんがいつものにこやかな笑顔で迎えてくれた。


 この夜間受付では俺が一番お世話になっているのでもうすっかり顔馴染みだ。


「行ったんですけどね、今度はヴァグ教授のとこに行く事になって。まだ居ますかね?」 


「いらっしゃると思うわ。あの方もローデリック教授に負けず劣らず研究好きですからね」


「そうっすか。部屋の場所、教えてもらえます?」


「自然魔法学部棟の一階の一番奥ね。あの右から二番目の通路を突き当たりまで行って、そこを左に行ったら手前から三番目のドアの先を進んで、その先の階段を一階上がったらその先の廊下の左側にある赤いドアを進んで十字路にでたら右に行って、突き当たりにある階段を一階下りたら左に進んでその途中に左側に緑のドアがあるからその先をちょっと歩いた先に自然魔法学部教師棟の入り口があって、その先に行くと道なりに歩いたらそのうち怪しい扉が見えてくるからそれがそうよ」


「相変わらず、がっつりわかりづらいな学部棟は……」


 俺が一々部屋の場所を聞きに来るのも、シルキー家妖精のマーゴットさんが夜間受付をしているのも、全部魔法学院の学部棟が迷宮並みにわかりづらい構造をしているからだ。


 もう少し考えて建てろよ。だから新入生が毎年遭難するんだぞ。


「カー!」


「え、覚えたの?」


「カ~ァ」


 任せてくださいとばかりに羽を広げる闇妖精。


「なんて頼りになる奴なんだお前は」


「お利口さんの闇妖精ねぇ」


「助かりました。それじゃまた」


「はいはい。気を付けてねぇ」


 マーゴットさんに手を振りながら、闇妖精が羽を指すほうに向かい歩き出した。




§




 ミルチルはスミューを伴ってリバーケープの社員寮へと帰ってきた。


「えーと、すいません。散らかっていますがどうぞ」


「だからそんなのは気にしないと言ってるだろミルチル。今は緊急事態なんだからね」


 スミューの言葉にははは、と乾いた笑いを返しながらミルチルは部屋の明かりをつけた。


 光妖精がピカーっと照らしだす。


 単身者用のさほど広くない部屋の中が隅々まで見えるようになった。


「さて、まだ身体に異常は出てないのだねミルチル?」


 ミルチル的には人に見られたくない程度に散らかっている部屋の中をまったく気にする様子もないスミュー。


 ミルチルはちょっと安心しつつもどこか納得いかない感情を面に出さずに答えた。


「はい。やっぱりなんともないです」

 

「そうかい。やはり瘴気を吸い込んでから症状が出るまでは数時間から半日はタイムラグがあるね」


「フューが症状が出始めたのも翌朝からでしたもんね」


 瘴気を吸い込んでしまった同僚の受付嬢が、翌朝に真っ青な顔をして助けを求めてきた時の様子を思い出して、ミルチルは思わずぶるりと身体を震わせた。


「と、とりあえず何か軽く食べませんか?」


「そうだね。せっかく屋台で沢山買ってきたご飯が冷めてしまう」


「あの、流石にお酒はダメですか?」


「ダメだよ。酔ったら身体の異変に気づきにくくなる」


「ですよねー。はい、それじゃお茶を入れる…前にちょっと片付けさせてください」


「ならお茶は私がいれるよ」


「ありがとうございます。茶葉はキッチンの机の上に置いてある銀色の缶の中です。ケトルはコンロに置いてあるのをそのまま使って下さい」


「分かったよ」


 洗い物は今朝片しておいたので比較的綺麗なキッチンにスミューを移動させると、ミルチルは部屋の中に脱ぎ散らかした服や机の上に出しっぱなしになっていた手紙や書類を片していく。


「ミルチル、この茶葉なんだがこれは紅茶じゃないんだね」


「あ、そのお茶は私の地元で飲まれているお茶なんです。いれ方は紅茶とあまり変わらないので普通にいれて下さい。ああ、ただ砂糖や蜂蜜とはあまり合わないです」


「了解。ほう、お茶も緑色なんだなぁ」


 感心した声色をあげてお茶を入れているスミューが戻ってくる前にと、何とか一通り片したミルチルは机の上に屋台で買ったあれこれを並べていく。


 体調が悪くなったら当分まともなご飯は食べられないからとあれこれ買ってしまったのでかなりの量と種類だが、夜は長いから大丈夫だよねと己を納得させる。


 ミルチルは忙しくなってからこうやって誰かとご飯を一緒に食べるのも久しぶりだなぁ~と、ちょっとテンションが上がっている自覚があった。


 以前は寮の皆と定期的に持ち回りで女子会を開いていて、ミルチルはその時間が大好きだった。


 田舎出身のミルチルは同世代が少なかったので、こうやって同じ年頃の同性と夜遅くまでおしゃべりする事に憧れていたから凄く楽しかったのだ。


 スミューは社員ではなく契約魔術師だったので店舗に常駐していなかったし、仕事が終わるとさっと帰ってしまい今まで女子会に誘う暇がなかったので、これはスミューのプライベートな部分を垣間見るチャンスではないかとミルチルは密かに心の中でこぶしをグッとする。


 見た目も綺麗でかっこよくて、性格も姉御肌でサバサバしているスミューのプライベートを知りたがる女性社員は多いのだ。


「何を考えているか知らないけれど、顔がニヤけているよ」


「ハッ!いえ、何でもないです。お茶、ありがとうございます」


「うまくいれられたか分からないけどね」


「大丈夫ですよ。このお茶は紅茶ほどいれ方を気にする必要はないですから。それじゃ、お疲れ様でーす?」


「お疲れー?と、言っていいものか分からないけどね」


 スミューは苦笑しながらお茶を飲んだ。


「へぇ、渋いね。渋いけど飲んだ後はあまり渋みが残らない。むしろスッキリする」

  

 中々美味しいじゃないかと上々の評価をもらったお茶に、ミルチルは何だか誇らしくなる。


「このお茶は地元とその周辺でしか流通してないんです。村の外でも飲まれるようになったのはここ最近なんですけど、行商人さんが売れるよっていうから外に出してみたら好評でして。健康にも良くて他種族の年配の方にも人気なんですよ~」


「確かに。分かる気がするな。ん~、私個人としては仕事中や休憩中は紅茶だけど、食事中や一仕事終えてホッと一息いれたい時に飲みたい味かな」


「私は朝晩欠かさず飲んでいるんです。お腹にも優しいから朝は特に美味しく感じます」


「これならこの辺りでも売れると思うけど」


「一応茶畑はあるんですけど森の中なのであまり広くなくて。自分達が飲む以外だと月に一度来る行商人さんに一壺か二壺売るくらいですね。それもすぐに売りきれるみたいです」


「なるほど、迷い人の森のエルフの秘蔵のお茶か」


 スミューは自らが好物だからと買ってきたモツ焼きをつまみ始めた。


 食べ物のチョイスは庶民っぽいのに、食べている姿は気品があるのはお貴族様だからかな、とミルチルは感心しながら自分も串ものに手をつける。


「しかし迷い人の森と言えばなぜミルチルは彼が召喚した妖精がコルヴスだと気づけたんだい?」


 私には極々普通の使い魔にしか見えなかった、隠蔽魔法か何かかな?とスミューは焼き鳥を片手に頭をひねった。


「あー、それはですね、理由があります。私達迷い人の森のエルフはコルヴス様を崇拝しお供えをする事で夜に寝静まった村を護って頂いているんです」 


 迷い人の森は夜になると獰猛な魔獣や悪霊が跋扈する危険な土地だ。


 本来なら寝ずの番をたてて夜通し警戒しなければならないのだが、それでも被害が多発した迷い人の森のエルフの先祖がコルヴスに貢ぎ物を納める代わりに夜の守護を願い出た。


 コルヴスはこれを了承し、迷い人の森のエルフは月に一度、お供え物を村の中に作った祭壇へと捧げる事を条件として契約がなされた。


 つまり迷い人の森のエルフは生まれた時点でコルヴスと契約している事になるのだ。


「なるほど。だからミルチルは一目でコルヴスだと分かったんだね」


「あのお姿は私も初めて見ました。コルヴス様は本来ならその翼を広げただけでうちの実家を包み込めるくらい大きな方なんです」


「となるとあの姿は彼からの召喚に応じた時のみ、なのかな」


「だと思います。でも、まさかコルヴス様と召喚契約を結んでいる人がいるなんて思いもしませんでした」


「私もだよ。まあコルヴスと直接って訳じゃないにしろあり得ないよね。最初の印象は若いのに中々優秀な冒険者、だったのに今は底が知れない召喚師、て感じだね」


 いくら契約を交わしたからと言って、大妖精相手に上位の契約を結べるなんて考えられないよ、というスミューの言葉にミルチルは完全に同意だった。


「あのコルヴス様をおしゃべりカラスって言いながらクチバシ掴んでましたもんね」


 そして驚いた事にコルヴスはそんな彼に対して怒るでもなく、むしろある程度の敬意を持って接していた。


 ウルフも二人にコルヴスの存在を口止めしてきたので、大妖精に対して何にも気を使ってないわけじゃなさそうだけどそれにしたって扱いが軽いなとミルチルは感じた。


 大妖精はそれぞれが強大な力を持った、その辺の人種とは比べ物にならないレベルの存在だ。


 彼らが頭を垂れる相手なんて神々や妖精の王族くらいのはずなのに、とミルチルとスミューは首をひねった。


「ウルフさんが只人なのは間違いないと思いますけど」


「もしかしたらやんごとなき血筋、という可能性もなくはないけど」


「でも妖精が人種の王公貴族に気を遣うでしょうか?」


「彼らは青い血にそこまで重きをおかないだろうね」


「ですよね」


「何者なんだろうね、彼は」


 飲むのが楽しみだとカラカラ笑うスミューに、ミルチルはここだ!とばかりに質問した。


「スミューさんは普段男性と二人きりで食事や飲みに行かれたりするんですか?」


「いや、行かないよ。学生時分は複数で飲み会に行ったりはしていたけど、これでも私は貴族令嬢なんでね」


 あらぬ疑いをかけられても面倒だからね、とスミューは苦笑した。


「それはつまり、ウルフさんならそうなっても気にしない、という事ですか?」


「半分当たりで半分外れ、かな。彼はとても興味深い。下らない噂を立てられても気にしない程には彼の事を知りたいって事さ」


 ミルチルは気づいていないが、スミューは彼の腰に帯びた剣が普通の剣ではない事に気づいていた。


 とスミューは内心そう考えながらお茶を飲んだ。


「それに、彼は同じ苦労教授のお世話を経験している後輩君だからね。話も弾むだろうさ」


「はぁ、そうなんですか」  


 ミルチルは落胆した表情でうなずいた。


「君は自分が思ったような理由でない事にちょっと残念に思ってるかもしれないけどね。でも、これだけは言っておこう。私は好みではない異性を飲みに誘ったりはしないよ」


「えぇ?!そ、それはもしかして」


「少なくとも顔は好み、だね」


「えぇ~!スミューさんはワイルド派なんですね。意外です。ウルフさんはけっこうイケメンでしたけどいかにも冒険者って感じでしたから。スミューさんはもっと知的なタイプが好みかと」


「ふふふ、彼は知性派だよ。とくにあの瞳がね」

 

 なんだかんだと女子トークに突入した事に歓喜するミルチルとまんざらでもないスミューの夜は更けていった。



§



「このガラスケースを見たまえ!この中でオブスキュアビートルの実験を行ったのだ!このガラスケースは完全密封されアリ一匹すら逃げ出すことはできない!このケースの中に番のオブスキュアビートルと産卵用の苗床を放ち、彼らの素晴らしい産卵行動を観察したのだよ!」


「わ、わぁ~凄いですねぇ~」


「カ、カァ~」


「うむ、凄かったぞ!今までまったくの謎とされていたオブスキュアビートルの生殖活動を、遂に!この目で!見る事が出来たのだからね!」


 ヴァグ教授はガラスケースの中で身振り手振りをしながらハイテンションで喋り続けている。


 何でこうなったんだと闇妖精と思わず顔を見合わせた。


 ヴァグ教授のやたらと怪しい虫の標本や謎の植物の鉢植えが廊下まで進出しているオフィスのドアをとりあえずノックをしたら、返事があったので中にお邪魔した。


 中で顕微鏡で何やら観察していたヴァグ教授に自己紹介をして、ローデリック教授からの紹介だと手紙を渡すまでは良かった。


 だけど手紙を一瞥した瞬間ヴァグ教授は飛び上がるように椅子から立ち上がると、『ついてきたまえ!』と言ってとある研究室まで引きずってこられた。


 中には大きなガラスケース、というかガラス部屋があり、ヴァグ教授がその脇にあった机の上から小さなタグを手に取って中に入り解説を始めて今にいたる。


 今もオブスキュアビートルの観察実験について熱く語り続けている。


「君!ウルフ君と言ったか、このガラスケースもただのガラスケースではない!なんと中からの魔力を遮断することができる素晴らしい機能を持っているのだよ!そこの入り口のドアの横についているスイッチを押してくれないかね!」


「は、はい」


 言われるがままスイッチをオンにすると、ガラスケース全体にヴンッ!と魔力が通った。


「これでこのガラスケースは魔力による干渉を受けなくなったのだよ!見てるがいい!」


 ヴァグ教授は自分の頭くらいのファイアーボールをガラスケースに打ちこんだ。


 ファイアーボールはガラスに直撃したかに見えたが、そのまま四方に拡散された。


「このようにこのガラスは全ての魔力に起因した動作を跳ね返すのだ!これならたとえどのようなスキルを持った存在でも外に出ることはできないのだよ!」


「ヴァグ教授!背中、背中が!」


「そう!背中だ!例えこの中から出られなくなろうとも産卵行動が見られなければ意味がない。だからオブスキュアビートルの背中にこのタグを取り付けたのだよ!」


「ヴァグ教授!背中が燃えています!」


「そう!このタグは燃えるような赤色の特殊な魔力を発して空気中の漂う別の魔力に反射させる事によって目に見えない魔力を可視化する事が出来る素晴らしいものなんだ!」


「教授ー!全身、全身に燃え移って!」


「そう!このタグによって写し出されたオブスキュアビートルはまさに燃えるような色でその素晴らしい産卵行動を我々に見せてくれ…パタリ」


「ヴァグ教授ー!」


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