花束ではなく火の束をあなたへ

 暗い大地から生える光の花。か細く咲き、にわかに消えるその花を求めて異世界へ旅立った姉のフラウは、それきり戻ってこなかった。

 帰還プログラムの有効期限は一年。期限切れになってさらに七年が経ち、城から届いたドラゴン便で、カナンは出立時の姉の年齢になったことに気がついた。

 木の皮をなめした巻き物は、身分昇格審査の願書。成人した下層身分のものに与えられる、貧しい生活から脱却する機会だ。

希望行き先世界に、カナンは迷わず、姉が日記に残した空間座標を記入して提出した。



 生い茂る竹に視界を遮られる。主要道路からそう離れていないはずなのに、エンジン音は聞こえない。ただ、延々と緑の茎が並ぶ。道は緩やかに上っていた。


 カナンは手元のタブレットで、異世界空間座標を確かめた。

姉フラウが残した数値はこの辺りのはずだ。審査対象になる「転生先で手に入れた美しいもの」として、彼女はどうあっても姉が求めていた光の花を持ち帰りたかった。


「こんなところにあるとは思えないけど」


 蒸し暑さに嫌気がさす。

転生して、こちらの世界時間で一ヶ月が経とうとしている。期限の三分の一が、なんの手がかりもなく過ぎていた。

あせりが募るばかりだ。


 行く手の地面がすっぱり切れて、竹の上部だけが見える。いまだに気を抜くと、転生した体での距離感を忘れる。

あと少しだけのつもりで崖に近づいた足が、思いのほか体から遠い地面を踏み込んでしまった。厚く積もった枯葉の下に地面はなかった。


嫌な浮遊感に襲われる。


 女子大生姿のカナンは、悲鳴をあげる余裕もなく落下した。


 怒鳴り声に目を開けると、禿げ上がった頭を汗で光らせた老人の顔があった。


「あんた、ひとんちの竹林でなにをしてる! 勝手に入りおって。どこの誰だ、警察に通報するぞ!」


 老人の手には、カナンが取り落としたタブレットが握られていた。この世界で普及している携帯通信機器に似せたものだが、内容は異なる。異世界で生活するために必要な記憶操作アプリや帰還プログラムが入っている、命の次に大切なものだ。


「か、返してください!」

「何を言うか、最近の若いものは!」


 もみあっていると、遠慮がちな声がかかった。


「どうされました?」


 竹の間からこちらを凝視している男性がいた。薄手の長袖長ズボンに首からタオルをかけ、軍手をはめた推定三十代前半。腰にさげている円盤状のものは蚊取り線香らしい。煙が鼻を刺激した。


「おお、タケ坊か。なんか知らん、この女が勝手におるから」


 警察に突き出すのだと鼻の穴を膨らませる老人に、タケ坊と呼ばれた男はあわてて手を振った。


「すみません、事前に言ってなくて。俺のツレです。姿が見えなくなって探してたところなんです」


 カナンはおもわず、老人に奪われたタブレットをみた。もしや、ロックが外されて記憶操作アプリが発動しているのかと疑った。だが、その形跡はない。


「そうか。しっかり見張っとりん」


 ぶつくさ言いながらも老人はタブレットを放るように返すと、荒い足取りで去っていった。後ろ姿が完全に竹の間に消えてから、カナンは男に頭を下げた。


「助かりました。ありがとうございます」

「気をつけりん。最近竹林に不法投棄したり筍を盗んだり、不審者が多いに」

「私が不審者だって、疑わないんですか?」


 首を傾げるカナンに、男は破顔した。


「どう見ても、そういう格好じゃないに。怪我はない?」


 カナンは自分の姿を見下ろした。

シフォンのフリルたっぷりの半袖カットソーに短パン、スニーカーという姿だ。ただし、左半分が泥だらけだった。持ち物はタブレットと財布だけ。その財布も、枯葉が混じったぬかるみの中から男性が拾ってくれた。


 二つ折りの財布が広がり、学生証が見えていた。目に入った個人情報に気まずい顔をしている男性へ、カナンは頭を下げた。


「外山架奈です。市内に下宿しています」


 名前を間違っていないか、いまだに不安になる。

 高橋健留と名乗った男性は、迷いのない足取りで竹林を進んだ。


「で、本当は架奈ちゃん、何しに来たの?」


 身分昇格審査のため、とは言えるはずもない。異世界人に正体が露見すれば、その場で失格、強制送還となる。


「高橋さんは?」


 卑怯だと自覚した上で問い返すと、健留は折りたたみ式の鋸を見せた。


「竹を切りに来た。もちろん、さっきのおじさんには許可もらってるに。手筒を作るんだ」

「手筒?」

「花火だに」

「あの、ひゅるーん、どーんって打ちあがる?」

「スターマインじゃなくて、手で持って揚げる」


 子供が夏の夜にろうそくを囲んで火花を散らす光景が浮かんだ。だがそれも、周囲の竹と結びつかない。架奈の太ももといい勝負の竹が、風にゆられて互いにこすれ、きしんでいる。


 脳内を疑問符だらけにしていると、健留はスマホで画像をみせてくれた。


 火の粉が一面に舞っている。

シルエットとなった人物が両足をふんばり、腰を落として筒状の物を体に沿わせるように抱えている。別の画像では、黒い夜を背景に、人の背丈の十倍近く噴きあがる火柱もあった。


 姉の言葉が耳の奥に聞こえた。


『緩んだ境界の向こうに見えたの。真っ暗な中、大地から光の花が噴き出るの』


「この花火、売ってください!」


 スマホを握りしめ、架奈は健留に迫った。間違いなく、姉が求め、架奈となったカナンが探しているものだ。

ところが、健留は眉尻を下げて曖昧に返した。


「売るのは、難しいなぁ」

「なんで。お金なら用意します」


 食い下がると、健留はスマホを取り返し、首をかしげて考え込んだ。


「値段のつけ方が分からない。材料費だけなら五千円くらいだけどね。手間とか、どうやって計算したらいいか」


 宙を見上げて考えた健留が立ち止まった。


「そうだ、なんなら一緒に作る?」

「つく……?」

「手筒は、揚げる人が作るのが基本だに。竹を切って乾燥させて、節削って火薬詰めて」

「やります!」


 彼は向きを変えた。

数分歩き続けると、風にゆられる幾本もの竹の中に一本だけ、白いビニール紐が巻かれている。健留は根元で鋸を開いた。


「手伝ってもらえて助かるよ。ほんとはゴールデンウィークには切らないといけなかったんだけど、一ヶ月も遅れて。じゃあ、この竹を持っていてくれる?」


 はりきって架奈は手を伸ばした。目標物をつかむ。

再び、カナンとして生まれて二十年使っていた、現実世界における体型での感覚に支配されていた。


 肘の辺りで竹をはさんだ架奈を見て、健留は盛大に笑った。


「架奈ちゃん、ドいいわ、その反応」


 架奈は首まで完熟トマト色になりながら、両手で竹を持ち直した。


 鋸の刃が、小刻みに竹の肌をこする。

繊維が詰まった円柱は滑りやすい。だが健留は手馴れた様子で切り込みを入れ、そこから鋸をひいた。振動が伝わる。

腕が痺れてきた。

青臭さと共に削りかすが飛ぶ。

 刃で竹をこする音が次第に高くなる。

風が吹くたび、竹が重くなる。やがてティン、と鳴るころには、健留の大きな手も竹をつかんで支えていた。


「ゆっくりね。ちょっとでも何かに当たるとヒビが入るから。目に見えないくらいのヒビでも暴発の原因になるもんでね」


 慎重に竹を傾けていき、分厚く積もった枯葉の上に寝かせた。今度は、背の丈ほどの長さに切っていく。


「でもなんで、この竹に目印をつけてたんですか? 他のと違うんですか?」


 ナタで落とされた葉を集めながらたずねると、健留は目を細めた。


「見てごらん、まっすぐだろ?」


 赤子を抱くように持ち上げられた竹は、断面が完全な円形だった。なおかつ、断面から断面まで、わずかな反りもない。


「太さも十分。ただ、年々いい竹が減って、竹探しも大変になってるんだよね」


 切り出した竹を抱えて竹林から出ると、現実世界よりも日差しが強い。健留が示した軽自動車のトランクに古い毛布を広げ、竹を寝かせた。


「下宿は近いの?」


 大雑把な住所を告げると、健留は腕を組んだ。


「こっからだと、山を迂回しんといかんね。送っていくよ。うちの店の近くだし」


 店の名前は、聞くまでもなかった。車体に書いてある。『夏目筆店』路面電車の電停前と記されていた。


「花火屋じゃないんですね」

「うん。幼馴染みの親父さんが作った筆を売ってるところ」


 車中で話してくれたところ、高校を卒業して働き始め、来年には店を継ぐことが決まっているらしい。


「それって、婿養子とか?」


 架奈がからかうと、健留は嬉しそうに肯定した。

商売繁盛と家内安全、婚約者の健康への感謝と祈願をこめて、地域の祭りで手筒を放揚するという。


「架奈ちゃんは、手筒揚げたいのはなんで?」


 うっかり本当のことを答えそうになって、咳き込むふりをした。健留と話していると気が緩む。人見知りが激しいカナンの性格をまだ持っているはずなのに、初対面のものと親しく話せるのは珍しかった。


「画像見て、すごいなって思って」

「去年も揚げたけど、いいよぉ。手筒が一番綺麗に見られるのって、実は揚げてる人だったりするもんね。あ、ここでいい?」


 軽自動車は大型小売店の駐車場に入った。開店後間がないとあって、アスファルトを敷き詰めた平面駐車場は空きが目立った。所在なさそうに警備員がうろついている。

 礼を言ってシートベルトをはずすと、健留が後部座席を探った。


「再来週の土曜には乾燥終わらせるから、節をぬく作業をしよう。それに、本当に揚げるなら講習を受けなくちゃ」

「そんなのがあるんですか」

「一応は火薬を扱うからね。青年会のほうで講習の日にち調べておくから、週半ばにでも店に連絡して」


 渡された冊子は『夏目筆店』の商品目録で、最後のページに住所と連絡先が書かれていた。



 一か月前にカナンは、この地球第二世界へ入った。


現実世界を出るのは初めてだった。緊張しながら案内役の死神につれられ、向かった先が架奈の下宿だった。


 この世界での外山架奈は、死に瀕していた。

両親が失業し、仕送りが途絶えた彼女は学費や生活費を払うためにバイトに励んだ。挙句、たまった疲労が急性の心不全を引き起こしていた。


 彼女の魂が抜けると同時に、魂の波長を合わせたカナンの意識と入れ替わった。個人情報や言語、文化知識のインストールが終了すると、架奈を知るものたちの記憶を操作した。

つまり、架奈が亡くなったのは五月ではなく、カナンが帰還するときだと認識させる。


『帰還期限を過ぎると』


立ち去り際に、カナンの肉体を保管袋に入れながら死神が忠告した。

『お前の意識は徐々に架奈という女のものへと変化していく。気をつけるんだな』


 カナンは、彼女と同じように学校へ行き、賄いつきのバイトに励んだ。時折、性格が変わったのではないかと問われて冷や汗をかきながら。

その合間に、健留と連絡をとって手筒作りに携わった。


 架奈の友達付き合いは少なく、休日に遊びのお誘いがはいることはない。どこまでも現実世界のカナンに似ていて悲しいことだが、動きやすかった。


 切り出した竹は燻して水分を抜いた後、ゆがみの無いのを選んで節をぬく。生えていた時根元に最も近かった節だけ残し、残りの節に切り出しナイフで穴を開け、そこからやすりで慎重に削っていく。


 内部が完璧な円筒になるよう削っていくのは根気が要った。

形がいびつでも、削り具合が悪くても、どちらも暴発の原因になる。だいたい形が整ったら、数回やすりを動かしては指の腹で削った面をなで、なめらかになっているか確認する。

もし指先にささくれが引っかかったり、わずかでも凹凸が認められると、やすりをかける。

その繰り返しだった。


「初めてなのに筋がいいねぇ。きれいに削れてるよ」


 健留は何度も褒めてくれた。

しかし、架奈は気が付いていた。彼が密かに架奈の竹を手直ししていたのを。気がついていたが、何も言えなかった。

胸の奥がほんのり温かくなるのを、黙って味わっていた。


 早朝、子供たちがまだ遊びに来ない公園でレジャーシートを敷き、雨の日はひさしの付いた東屋で、健留とふたりで作業する。慣れない手で節を削り終わる頃には、花壇のヒマワリは架奈の身長を越える高さに育っていた。


 綺麗にした竹の外にセメント袋などの紙を巻き、さらに隙間なく縄を巻きつける。縄がゆるまないよう、巻き終わりまで手の力を抜けない。そうして筒が出来上がると、いよいよ火薬を詰める。


「自分でやるんですか」


 驚く架奈に、健留は当然だとうなずいた。


「こっからは俺がやるよ。専門家の指導のもと、だけどね。山の火薬工場を借りて、少しずつ突き固めるんだ。これも、気を使う作業だに」


 コンビニで買ってきたペットボトルの麦茶を飲みながら、架奈は汗を拭った。


「休みのほとんどが、手筒作りで終わっちゃいますね」

「ま、趣味だからね。時間も手間も惜しくないよ」


 健留はケロリと言う。汗と竹の粉にまみれていても、目が活き活きとしていた。手筒に魅了されていることが素直に伝わる。


 健留のポケットで、スマホが震えた。断りを入れて立ち上がる後ろ姿から、架奈は目をそらせた。


「うん、そろそろ戻る。穂乃花はどうする? ……ん、分かった」


 架奈は残っていた麦茶を一気飲みした。

手筒を作り始めて一ヶ月。

胸に芽生え始めた感情を冷やすには、麦茶はぬるくなりすぎていた。



 健留と手筒を揚げるための講習を受けたのは、次の週末だった。


 終了後に立ち寄った大型小売店のフードコートで、架奈はぐったりとテーブルに顎を載せた。腕がぱんぱんだ。


「がんばったね。ほら、これは俺のおごり」


 差し出されたかき氷から冷気がただよう。架奈はあわてて体を起こした。


「いいですよ、私もバイトしてるんだし。健留さんだって」


 途中で、呼び方が変わってしまったことに動揺した。講習会に集まった人が口々に彼を「タケル」「タケ坊」と呼んでいたのにつられてしまった。だが、呼ばれた本人は気にする様子もなく笑っている。


「家賃とか大変でしょ。がんばってる妹におごるようなもんだに」

「いつのまに健留さんの妹なんですか」

「まあまあ。かき氷くらい、気にしんで」


 悪気が蚊ほども含まれない顔で言われると、カナンの気持ちが揺らぐ。

ずるい、心の中で健留を責める。

カナンが現実世界に戻れば、架奈は死んで、健留の中の架奈についての記憶は消去される。だが、カナンの記憶は消えない。


 結局かき氷をごちそうになる羽目になった。


「健留さんが手筒を揚げる祭りって、いつなんですか?」

「お盆前だに。手伝ってくれたから、作るの間に合ったよ。架奈ちゃんは、どこで揚げる? 祭りの実行委員に話は通せた?」

「実家の祭りで。えと、消防の人に相談しているところです」


 現実世界の役人にはまだ話していない。

帰還後すぐに、城の警備役の小鬼に書類を提出して火器使用の手続きをしなければならない。下層階級ながら一目おかれていたフラウならともかく、みそっかすのカナンの申請が通るか怪しいところだ。


 嘘がばれやしないかと冷たい汗で背中をぬらす。

目の前の健留を伺い見て、いつになく真剣な眼差しが注がれていることに気がついた。顔が火照った。


 健留は、自分用に買ったアイスコーヒーを一口すすった。


「ただ、架奈ちゃんに手筒を渡すのは、ちょっと心配じゃんね」

「え、どうして」


 予想外の言葉に、すくった赤い氷の小山がカップに戻っていった。


「今年は、だよ。来年までに腕の力つければ。ほら、今日だって点火してないのを持ち上げるのがギリだったでしょ」

「だけど、いちおう噴射時間の三十秒以上は持っておくことはできたのに」


 架奈の落胆振りに困惑した様子だが、健留は静かに説得してきた。


「火をつけて噴射してるときってね、圧力が筒の内側から外に向けてかかるじゃんね。そのとき、反対の方向、つまりは下向きに、同じだけの力がかかる。そうしたら、火をつけていない手筒の二から三倍の力、つまりは二、三十キロの重さをもちあげられる力がないと支えられない」


 火を噴いている手筒花火を取り落としたら。大惨事だ。でもどうにか鍛えるからと食い下がろうとしたとき、背後で幼い声が上がった。


「あ、しろくまさんのぬいぐるみ! ママ、あれ買って、買って!」


 フードコートの隣にあるおもちゃ屋の陳列棚を指差し、麦わら帽子を被った小さな女の子が母親にねだっている。指差した先には、大人が抱きかかえるほどの丸っこい物体があった。手足が短く、もふもふしている。


 一瞬、現実世界でのフラウがそこにいるのかと錯覚して、愕然となった。


 現実世界に転送した手筒を、あの体型でどう揚げられるというのだろう。

手筒は長さ一メートル弱、太さ直径三十センチ、噴射時体感重量三十キログラム。重力の計算をしても、張り付くのがせいぜいで、抱え込むことすらできない。


「わ、分かりました。諦めます」


 あまりの失望ぶりに、健留まで蒼白になった。


「そこまで落ち込まないで。女性でも揚げてる人はいるから。来年なら大丈夫」


 来年では、だめなのだ。


半分以上残ったかき氷は、すっかり薄い砂糖水に浸かっている。先がスプーンになったストローで意味も無くつつきまわしていると、健留が手を打った。


「ようかんなら、大丈夫だに」


 甘い餡を寒天で固めた菓子、と脳内変換した架奈に、彼は両手の親指と人差し指を丸め、さらに間を肩幅ほどに開いて見せた。


「これくらいの、ちっちゃい手筒があるに。普通は地域の祭りで小学生に体験してもらうやつなんだけど、ちゃんと最後のハネもあるだよ」


 手筒の醍醐味は、天高く噴出する火柱だけではない。

降り注ぐ火の粉に見とれている隙をついて、筒の下方が爆ぜる。足元から火の粉が巻き上がり、放揚者は一瞬炎に包まれたように見える。

これがハネだ。筒の終わりに仕込まれるハネ粉と呼ばれる特別な火薬の仕業だ。


「ハネまで?」

「迫力は本来の手筒に負けるけど、あれはあれで綺麗だに。実行委員の人に言って、分けてもらえるか聞いてみるよ」


 ね、と顔をのぞきこまれ、架奈は赤い顔でお願いしますと答えるしかできなかった。


 駐車場に出ると、梅雨明けの日差しの名残が薄暗がりによどんでいた。熱気がまとわりつく。


「祭りの前日には、ようかん渡せるようにがんばる。不安だったらまた連絡して」


 車体の横に張られた『夏目筆店』の電話番号を指差された。頷きながらも、離れた場所からこちらを見ている女性に気がついていた。


 婚約者だ、と思った瞬間、健留も彼女を認めて大きく手を振る。はしゃいだように駆けて行き、彼女が肩にかけていたエコバッグを受け取るのが見えた。

 邪魔者は退散すべしときびすを返す前に、健留に呼び止められた。


「ごめん、一人で歩いて帰れる?」

「大丈夫です」

「変な人多いから、気をつけりんよ」


 架奈に向かって会釈する女性の視線が肌を刺す。憎悪ほどではないにしても、不安と疑惑が痛かった。そのつもりはないと念じながら、世話になっている異世界の人を傷つけていることがいたたまれなかった。


 軽自動車に乗り込む女性の肩口で、籐編みの鞄につけたストラップが揺れた。

架奈は息をのんだ。

ドアが閉まる。


架奈は車が見えなくなるまで蝉時雨を聞き流していた。


 架奈の網膜に、ストラップの花が焼きついていた。

 カエシバナ。

現実世界に咲く大輪の花だ。この世界のヒマワリに似ている。咲いたとき花弁の内側は白く、外側は黄色い。だが夕方になると内が黄色、外が白に変化し、まるで裏返ったようにみえることから名がついた。

そして、花を象った木彫りは旅のお守りになっている。

カナンが旅立つ姉に贈ったものに違いない。


 空に赤く旱星が輝く。晴れ渡る夜空に反して、架奈の心にはゲリラ豪雨が吹き荒れていた。



 祭りの前日。

架奈はバイト代で買った菓子折りを手に、約束の場所へ向かった。『夏目筆店』の文字はまだ見えない。平面駐車場に生えている木の陰で待つつもりで歩いていった。


 幹の陰から、淡い色のワンピースがひらめく。

健留の婚約者だった。


もしかしたらフラウかもしれない。そう考えると、架奈の体はこわばった。


「突然ごめんなさい。健留、祭りの準備で急に来れなくなって」


 預かってきた、という紙袋には、縦笛サイズの手筒が入っていた。これなら、ふわもふぬいぐるみのような現実世界のカナンでも揚げられそうだ。

 礼を言って、架奈は菓子折りを差し出す。穂乃花と名乗った女性は受け取りながら、首をかしげた。


「架奈ちゃんって、健留とは、その、どういう……?」


 やはり、その話題になるかと、架奈の鼓動が速くなった。


「故郷で手筒を揚げたくて、高橋さんが竹を取るところに居合わせたので、それだけです。明日でもう、居なくなりますから私」


 早口になった。地面ばかり見る架奈の頭の上から、息をのむ音がした。


「架奈ちゃん、行っちゃうの? 健留、そのことを心配してたから。今日渡さないと、架奈ちゃんがどこかに行ってしまうかもしれないって」


 はじかれたように顔を上げた架奈に、穂乃花が微笑んだ。ぬけるように色が白い。日焼け止めの匂いがしていたが、それだけではない。

命の細さを感じさせる白さだった。


「あの、聞いていいですか?」


 挙げた指先が震えた。アスファルトからの熱気も、体を包む冷たい緊張に阻まれて肌に届かない。架奈は唾を乾いた喉に流し込み、声を絞り出した。


「その木彫りの花なんですけど」

「これ?」


 不思議そうに差し出された飾りは、やはりカナンが彫ったものだ。裏面に、当時のサインが見て取れた。


 クマゼミの声がシャワーのように降り注ぐ。


 祭りは見に来てねと手を振る穂乃花と別れた後、どうやって下宿にたどり着いたか、架奈は覚えていなかった。



 和太鼓の音が腹に響く。色とりどりのちょうちんが投光機と競って夜の帳を押しやっていた。屋台の前でしゃがみこむ子供たちの背中で、リボン結びの兵児帯が揺れる。


 会場となった校庭の半分を黄黒のロープで仕切り、花火放揚の準備が整っていた。暗がりに消防車が待機している。かたわらに、防火法被を着た男女の緊張した興奮が静かに溜まっていた。


校庭を囲む土手に立ち、架奈は昨日穂乃花から聞いた話を思い返していた。


『うちでの仕事振りもまじめだし愛想もよくて、父はすっかり健留が気に入ったの。体の弱い私では、店を継ぐのは難しいし。養子に来ないかって話がでても、だれも不思議がらなかった。だけど二年前、健留は事故に遭って』


 太鼓がより一層激しく打ち鳴らされた。余韻がもたらした静寂のあと、アナウンスが花火放揚の開始を告げる。


『意識を取り戻したら急に、手筒揚げたいなんていうの。かなりの剣幕で。驚いて、父が商工会の知り合いに都合してもらって、校区の祭りで放揚したわ』


 地面を埋め尽くす観客と放揚場所の境界線上に、畳一枚ほどの板が数枚立てられていた。防火板だ。


『手筒を揚げる姿を見ていたら、急に彼がどこかに行ってしまいそうな気がして。ハネるとき、思わず叫んだの。行かないで、って』


 放揚者により手筒が運び込まれた。

噴射口をまっすぐ防火板に向け、地面に寝かされる。火付け役が松明を掲げた。その手が半円を描くように噴射口へ近づく。


『その後、健留は何か悩んでいるようだった。しばらくして元気を取り戻したとき、私にこれをくれたの。大切なお守りだって』


 最初の放揚者は健留だった。

手筒の先がくすぶる。すぐさま幾本もの光が筋となって噴き出す。光線は地表をとび、激しく防火板を打った。板にはじかれた火の粉が板周辺の地面に落ちる。

観客がどよめく。


 火付け役の合図で健留が進み出た。観客に、いや、神に向かってお辞儀をする。

手筒に歩み寄ると、両手で筒を持ち、ゆっくり引き起こした。

噴射音が轟く。

筒が角度をあげるに従い、火柱も波打ちながら空へ移動する。右手を体の方へ巻き込むよう手筒を抱えると、噴射口は斜め上向きに固定された。


 四階建ての校舎より高く火柱が立ち上る。


真っ直ぐ伸ばされた背筋。右足を一歩踏み出して、全身に火の粉を浴びている。輝く紅葉のごとき光と熱の中で、健留は微笑んでいるのだろう。

架奈にはそのように思えた。


 架奈の手元でタブレットが光った。帰還期限が来たことを知らすアラームが点滅する。


「フラウ」


 口からこぼれた声は、轟音にかき消された。この世界時間で二年前といえば、現実世界の八年前。まさに、フラウが旅立った年だ。


 もしかしたら彼の中にまだフラウの意識が残っていて、帰還できるかもしれない。

カナンの代わりにプログラムを使って現実世界に戻れるかもしれない。周囲に期待されていた姉が戻った方が、家族も嬉しいだろう。


だが、可能性は限りなく低い。戻らなければ、審査に失格したカナンと家族は一生泥をなめて暮らさねばならない。それならいっそ自分も外山架奈としてこの世界で……。


 次の手筒にも火がつけられ、火柱は数を増した。炎の色が目にしみる。


視野がにじんだ。


アラームが鳴る。架奈は親指をタブレットの表面に滑らせた。


 記憶操作アプリが起動する。続いて、帰還プログラム実行。


「この世界で、幸せになって!」


 最初の手筒がハネた。


架奈が消えた会場に、ひときわ大きな爆音が響く。放揚者の度胸をたたえる拍手が、夜空に吸い込まれていった。

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