もし野球部の女子ジャーマネがスラッガーの『アレ』に心奪われたら

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

もし野球部の女子ジャーマネがスラッガーの『アレ』に心奪われたら

 野球部に入ったのは、自分を変えたかったからだ。

 僕は昔から病弱で、ついでに弱虫だった。

 些細なことで泣いてしまったし、すぐにくじけてしまった。

 いじめられたりもした。

 そのたびに、ひとつ年上の幼馴染に助けられてしまっていた。

 彼女の名前は、花奈さんという。

 いま思えば、僕は彼女に、淡い恋心のようなものを抱いていたんだと思う。

 だから、彼女に見直してほしかったというのが、本音だったのかもしれない。

 野球部に入って、体を鍛えて、みんなに認められて。

 そして、花奈さんに少しでも恩返しをしようとか、きっとそんなことを考えていたんだ。

 だから、入部した野球部に──そもそもその学校に、彼女が在籍していたなんて、知りもしなかった。


「はーい、休憩よー! みんな水分をとってねー!」

「押忍!」


 野球部唯一のマネージャーである、花奈さんかのじょの声が響く。

 まだ入りたてで、ボール拾いしかさせてもらえない僕は、必死で先輩が外野に飛ばしたボールをかき集めていた。

 将来的にはキャッチャーになりたいと思っていた。じっさい、その自主的な練習は積んでいたつもりだし、正直先輩たちよりも、剛速球を正確に捕球できる自信はあった。

 でも、僕は万年球拾いだ。

 ハートが弱いから。

 フィジカルも弱いから。

 そんなことを考えていると、抱えていたボールを、ボロボロと地面に落ちてしまう。


「んだよ、っつかえねーなー!」


 そんな怒声が聞こえてきた。

 顔を上げると、野球部一の剛腕を誇るスラッガー先輩が、僕を見下し切った表情で睨んでいた。彼は正捕手であり、この学校で最高のスラッガーだった。


「ボールは俺たちの友達なんだぞ! 雑に扱ってんじゃねーよ! 一つ一つ丁寧に扱え!」


 彼の言い分はもっともだった。

 そのまなざしが、たとえゴミムシを見るようなもので、口調が唾棄するようなものだったとしても、その言葉には、野球に対する真摯さがにじみ出ていた。


「バツとしてグラウンド20週」


 彼は冷徹にそう呟いた。

 もちろん、キャプテンでも何でもないスラッガー先輩にそんなことを言う権利はない。

 でも、彼は野球部で一番なのだ。

 僕みたいな補欠が抗えるわけがなくて──


「ちょっと、そこまでにしときなさいよね!」


 とつぜん、可憐な声音が割って入った。

 ハッと顔を上げると、花奈さんが左手を腰に当てて、右手をまっすぐにスラッガー先輩に突き付けて、抗議をしている姿が目に入った。


「なんだよ、ジャーマネ。こんな奴の肩を持つのかよ」

「彼の野球に対する真剣さなら、あんたと同じでしょ! だったら、どっちの肩を持つなんてないわよ! それに、弱い者いじめって、あたし嫌いなの! 第一、知ってるのよ、あんたの良くない噂!」

「……ちっ」


 花奈さんにそういわれて、スラッガー先輩は露骨に鼻白んだようだった。

 そうして


「女に守られるなんて、男らしくねぇ……」


 そんな捨て台詞を残して、彼は去っていった。


「大丈夫?」


 花奈さんが、僕へとそっと手を伸ばしてくる。

 僕はその手を取りながら、自分の弱さを、ただ恥じ入った。


◎◎


 翌日、僕はまたスラッガー先輩に絡まれた。

 今度はスパイクがきちんと磨けていないという理由だった。

 そこに花奈さんが現れて、また僕を助けてくれた。

 さらに翌日、僕はどうやらスラッガー先輩に徹底的にマークされているようで、今度はグローブの手入れができていないという小言を喰らった。

 僕がぺこぺこと頭を下げていると、また花奈さんが飛び出してきて、今度はスラッガー先輩と口論になった。


「あんたが夜のグランドでナニをしてるか、あたし知ってるんだから! 監督に言いつけてもいいわ」

「はん、だったら俺も、ジャーマネの秘密を知っているぞ」


 なにか確定的な証拠を突きつけた花奈さんを、しかしスラッガー先輩は一蹴する。

 そうして、ひどくいやらしい顔をすると、彼女の耳元で、なにかをささやいた。

 とたんに、赤面する花奈さん。

 その視線が、僕のほうを向く。

 困惑と、羞恥、そしてうるんだような視線に、僕は不覚にも、何か非常に興奮してしまった。


「……お願い、黙っていて」


 押し殺した調子で、花奈さんがスラッガー先輩にそう告げる。

 先輩はにやりと笑うと、


「だったら……来いよ」


 と、言った。

 しばしの逡巡の末、花奈さんは頷いた。

 僕は、ひどく嫌な予感にさいなまれてしまった。


◎◎


 その日、僕は夜遅くまでグラウンドに残っていた。

 というのも、グローブやボール、バット、スパイクの手入れを、スラッガー先輩に申しつけられていたからだ。

 夜も20時頃を回り、いい加減、帰ろうかとしたときだった。

 物音が聞こえた。

 僕は反射的に──どうしてそうしたのかわからない──ベンチの隅へと身を隠した。

 そこから覗いていると、グラウンドへ入ってくる影が、二つあった。

 ひとつは、キャッチャーミットに防具まで完全装備したスラッガー先輩。

 そして、もうひとつは。


 ユニフォームを着て、ピッチャーグラブをはめた、花奈さんだった。


「……お願い、今日だけにして」


 遠くから、彼女たちの会話が聞こえてくる。


「おいおい、昼間の負けん気の強さはどうしたよジャーマネ。あの弱虫を助けてやりたいんじゃないのか? ええ、好きなんだろ、あいつのこと?」

「そ、そんなんじゃ……ないわ。彼とは、ただの幼馴染で……」

「へー、その幼馴染に、こんな大事なことを秘密にしてるわけか?」

「っ」


 秘密?

 花奈さんの秘密って、なんだ?

 僕は、じっと耳と目を凝らした。


「約束して! こんなこと今日だけよ! あたしが今日付き合ったら、もう彼に付きまとわないで!」

「いいぜぇー、あんなひょーろくだま、絶対に正捕手なんかなれないしな、真剣さが足りてねぇ……ジャーマネが付き合ってくれんなら、もう構わないでやんよ。今日限りだ」

「……絶対よ」

「男に二言はねーよ」


 そうして、スラッガー先輩は、おもむろに定位置につくと腰を下ろし、ミットを大きく広げた。


「どうした? お前から動くんだよ?」

「この……!」


 花奈さんはなにかを言いかけたけど、そのままマウンドに上る。

 そうして。

 そうして、僕は目を疑うことになった。

 彼女は大きく振りかぶると、高らかに足を上げ、そうしてボールを放ったのだ。

 空気を裂く苛烈な音。

 パシン! と鳴り響く快音。

 彼女の放った球は、一条のイカヅチのようにスラッガー先輩のキャッチャーミットに吸い込まれていた。


「ああん!」


 花奈さんの口唇から、官能的な吐息がもれる。

 当たり前だ。

 あんな球を放って、気持ちよくないわけがない。

 控えめに見ても140……いや、150キロ以上。

 そして、ジャイロ気味の回転がかかっている……!


「どうした! 1球だけなんて言ってねーぞ! もっと腕をふれ!」

「は、はいぃ……」


 言われるがまま、花奈さんは第2球を投げた。

 えぐりこむようなシンカーだ!

 僕は、目前の光景にひたすら困惑していた。

 なんだ、なんなんだ、これは……?

 僕の手が、気が付くと勝手に、バットへと伸びている……


「やっぱりな……キレのいい球放るじゃねーか」

「ふっ、ふっ……んふぅ……」


 花奈さんの呼気が荒い。

 でもそれは、疲れや怒りによるものではなくて、快楽によるものだった。

 あんなすごい球投げたら、誰だって興奮する! 僕も興奮している!


「草野球、不出世の名ピッチャー……うわさは聞いていたが、まさか女の身でこれだけの球を投げるとはな……」

「い、言わないでぇ……もう忘れたのぉ……」

「なにを恥じる。これは漢の世界でも十分通用する球だぞ、その指先の巧みさ、腕のキレ、どれをとっても一流だ」


 ミットを構え、スラッガー先輩が股間の部分で指先を細かく動かす。


「ひぃぃ! そんな激しいサイン……あたし、本気で投げちゃううううう!!」

「投げろ! そして俺のものになれ、ジャーマネ!」

「で、でもあたしには……」

「あんな野球の魅力が分かっていないやつの何がいいんだ? 第一、あんな奴が、おまえの球を捕れるとでも?」

「…………」


 無言で押し黙る花奈さん。

 スラッガー先輩は、わが意を得たりとうなずく。


「じゃあ、もっとだ! もっと投げ込んで来い! おまえが真正のピッチャーだってことを思い出させてやるぜ、花奈!」

「そ、そんな……いま名前でよんじゃらめぇ……あたしはもう、ただのマネージャーでぇ……」

「俺が甲子園に連れて行ってやんよ!」

「そんな卑怯……無理なはずなののぃ……こんな場面でそんなこと言われちゃ……野球……また、すきになっちゃうぅぅぅぅぅ!」


 そこで、僕は思いだした。

 花奈さんは、ずいぶんと昔に夢をあきらめたことがあると語っていたことを。

 それはつまり。

 女性だから、甲子園には行けないという、そんなことで。


「俺の力があればなんとでもなる。それに、おまえの球を捕れるのは俺だけだ。俺とおまえは運命でつながってるんだよ! 俺と夫婦バッテリーになってくれ、花奈!」


 彼女が固唾をのむのが分かった。

 そして彼女は。

 花奈さんは。

 やがて。

 ──コクリと、うなずいた。


「な、なりますぅぅぅぅぅ! あたし、スラッガーくん専属のピッチャーになるのぉぉぉぉぉうほおおおお!!」

「よし! 次はナックルを投げろ! 選手生命を気にするな! この1年で燃やし尽くすんだ!」

「んほおおおおおおおおおお! 揺れるタマァアアアアア、投げりゅのおおおおおおおおおお!!!」


 そうして。

 そのあとも、彼と彼女の夜の練習ないとれーにんぐは続いていった。

 僕はその間ずっと、狂ったようにバットを磨いていた……


◎◎


 その年、僕の所属する野球部は、甲子園に出場する。

 そこには、スラッガー先輩と(かなり魔法じみた方法で登壇した)花奈さんの、輝く雄姿があった。

 僕は思った。

 来年こそは──


「スラッガー先輩みたいに、花奈さんの球を捕れる捕手になりたい!」


 こうして、僕は本格的に野球にのめり込んでいく。

 いやぁ、やっぱりピッチャーはかっこいいなぁ……早く僕も一流になろうと、固く誓ったのだった。

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