番外編 ヒーロー2人はノーサンキュー 中編

 ――翌日。朝刊の一面には、昨夜に目撃された巨人の影が報じられていた。ヒトの身の丈を逸脱した体躯を持つ、この未確認生物の出現に、神嶋市内にも動揺が広がっている。

 この巨人の正体は、ニュータントなのか。そうであったとして、警察は止められるのか。人々は街のあらゆるところで、そのような不安を口にするようになっていた。


(……事実、ここの一般警察じゃどうにもならん。そして民衆の目に付くのは、いつだって一般警察だ。損な役回りだぜ、あいつらも)


 だが。「EAGLE CAFE」でコーヒーを嗜みつつ、新聞を広げていた兵汰は――さしてたじろぐ様子もなく、普段通りに過ごしている。

 彼には、分かりきっていることなのだ。この巨影の正体も、その目的も、今後の動向も。


 ガラス壁を隔てた向こうの街道では、事態を重く見た警官隊が慌ただしく行き交っている。中には住民に外出を控えるよう呼び掛ける者もいた。

 それに素直に応じる市民もいれば、警察の頼りなさを糾弾し、怒号を上げる市民もいる。事態の把握すらままならず、板挟みの状況が続く警官隊は、誰もが苦々しい表情を浮かべていた。


「不安そうな顔を市民に見せるな! ヒーローがいつ来るかもわからん以上、我々こそが市民を守る最後の砦なんだぞ! 例え傷だらけになろうとも、人々の前で下を向くことだけは許さん!」


 ――そんな中。黒スーツに袖を通す1人の女刑事が、萎縮し始めていた警官隊に檄を飛ばしていた。タイトスカートの裾から白く肉感的な太腿を覗かせる彼女は、膨大な胸の果実を激しく揺らしながら、男共を叱咤している。


 警視庁のエースと名高く、警察用パワードスーツの優秀な装着員でもある浅倉茉莉奈だ。最近は雑誌などで取材の対象とされることも多く、グラビアアイドル顔負けの圧倒的な美貌とプロポーションゆえに、男性警官からは絶大な人気を集めているらしい。

 そんなアイドル的存在の彼女から直々に鼓舞されたこともあってか、警官隊の目から消えかけていた火が息を吹き返そうとしていた。


(あれが浅倉茉莉奈かぁ……。神威の話じゃ確か、影で2号あいつのケツを追っかけてるんだっけか? あんな美味そうなカラダしてる女に求められるなんて、羨ましいねぇ)


 その様子と、茉莉奈の豊満なHカップを暫し眺めた後。兵汰は再び視線を新聞に戻すと、スゥッと目を細めて巨影の写真を見つめる。


(……今夜にも奴は行動を起こすだろう。遅かれ早かれ、昨日の女子アナも必ず狙われるはずだ。ケリを付けるなら、今日ってとこか)


 やがて、新聞を握り締め立ち上がった彼は――鋭い眼差しで、神嶋港の方角を睨みつけた。


「……わぁあぁん!」

「げっ」


 ――の、だが。たまたまその視線の先にいた幼い少女と、目が合ってしまう。いきなり怖い顔の男に睨まれてしまった幼子は、たちどころに泣き出してしまうのだった。

 意図せぬうちに無関係な子供を泣かせてしまい、兵汰は頬をひきつらせる。


「ああ、春菜はるなちゃんどうしたの!?」

「ママぁあ! 怖ぁあい!」

「こ、怖いって何が? よ、よしよしいい子だから泣かないで!」


 そんな幼女を、側にいた母親が懸命にあやしている。その様子に他の客や店員が注目している隙に、兵汰は新聞で顔を隠しながら身を屈めると、そそくさとカフェを後にするのだった。


(……これだからガキんちょはー!)


 ◇


 ――この日の夜。

 大胆にも件の怪人は、警官隊が張っていた神嶋港で再び事件を起こしていた。港付近を警戒していたパワードスーツ隊からの通信が、突如途絶える――という事態が発生したのだ。


 この異常事態を聞きつけた警察は、直ちに応援部隊を出動。その指揮を執る浅倉茉莉奈が、現場で目撃したのは――


「なんだ、これは……!」

「隊長! 我が隊のパワードスーツだけではありません! 生身の人間も多数気絶しています!」

「見ればわかる! ――しかもこの男達は、指名手配の……!」


 ――死屍累々と辺りに広がる、激戦の跡であった。倒れている者は警官隊だけではなく、ヴィランとして指名手配されていたギャング達も含まれている。しかも倒れているギャング達は、全員生身の人間になっていた。


「息はあるか!?」

「はい! 敵も味方も……全員が気絶しています!」

「なんだ……!? いったい今、何が起きている……!? ――各員、四方を警戒しつつ索敵を始めろ! ネズミ1匹見逃すなよ!」

「りょ、了解!」


 その不可思議な状況に、目を剥きながらも。彼女は現場の情報を集めるべく、周囲に指示を送っていた。


 ――そんな彼らを、700m以上の距離からスコープ越しに眺める者がいることなど。応援部隊は、知る由も無い。

 現場にいた警官隊も、そこに攻め入ったヴィラン達も、まとめて気絶させてしまった者の……存在など。


「――さて、ここまでは予定通りってとこだな。しかしよ神威、現地で警備してた警官隊も一緒に吹っ飛ばせって……どういう了見なんだ? 今時は内ゲバが流行りなのか?」

『そんなもの流行るかバカ者が。……今回、奴が従えている下部組織のヴィラン共は、「吸血夜会」の下請けの中では比較的ランクが高い。しかも、そいつらを破ったところでその先には、強力な幹部怪人が待ち受けている。付け焼き刃のパワードスーツ隊をぶつけたところで、いたずらに殉職者を出すだけだ』

「だから両者もろともブチのめしちまえ、ってか。味方の命を守るため……とはいえ、もうちょっとやり方があるだろうに」

『矜持だ使命だと尤もらしい理屈を並べて、大した腕もないくせにノコノコと死地に赴くバカ共にはちょうどいい薬だ。……ここはヴィランを討つヒーローの戦場。市民を守る最後の砦が、がむしゃらに出張っていいようなところではない』

「……素直じゃねーなぁ」


 沖に出ていた貨物船のコンテナに腰掛け、ため息をつく1人の男。彼の全身は翡翠色の重鎧と、白十字の意匠を持つ鉄仮面で隠されていた。

 その男――「キュアセイダー3号」こと狗殿兵汰は、神威了と通信で会話しながら、右肩に載せられたロングレンジ白血砲の細長い砲身を撫でている。


 一方。現場に駆けつけた応援部隊は、最低限の人数で辺りを警戒しつつ、残りの人員で気絶者を敵味方問わず搬送し始めていた。これが、了の狙いだったのである。


「……なるほどな。敵も味方も死人じゃなく、あくまで気絶しているだけ。なら、ほっとくわけにもいかないから……そいつらを運ぶ人員が必要になる。そう仕向けることで、警官隊をこの現場から1人でも多く遠ざけてやろうって腹なのかい」

『その通り。紛争地に埋められた無数の地雷も、負傷者を救出させるよう仕向けるために、敢えて死に至らない威力に留めて作られている。貴様はいわば、彼らにとっての地雷ということだ』

「……まぁ、俺は確かに地雷だろうよ。色んな意味でな……んっ!?」


 これで、幹部怪人が従える下部組織は全滅した。あとは発信器を辿って見つけた女達が喰われる前に、すでに発見している諸悪の根源を狙撃するだけ――だったのだが。


 突如、状況が変わった。警察の装甲車に入れられる直前、元ヴィランの男達が目を覚まし暴れ出したのだ。

 周囲の警官はすぐさま取り押えようとするが――先ほどまでニュータントだった影響なのか、男達は人ならざる膂力を発揮し、警官達に噛み付き始めている。

 茉莉奈がいる以上、放っておいても最終的には鎮圧されるだろう。だがその前に、何人無駄な負傷者が出るかわからない。

 兵汰は舌打ちしながら、ロングレンジ白血砲に対人用のゴム砲弾を装填すると、素早く照準を男達に向ける。


「……野郎、もう目を覚ましやがった。やっぱこのロングレンジ砲、射程はあるが威力が少々浅いぜ!」

『問題ない。こういう時のために、保険になる男を呼んである』

「あァ!? なんだ保険って――」


 ――刹那。スコープ越しに戦況を見つめる、兵汰の眼前で。


 暴れていた男達が突如、何らかの力で地面に激しく叩きつけられてしまった。一瞬にして半殺しにされた彼らは、血だるまになりながらピクピクと痙攣している。


「な……!」


 周囲の警官隊も、駆け付けて来た茉莉奈も、何が起こったのかわからず右往左往している。――だが、優れた動体視力を持つ兵汰には、視えていた。

 白く逞しい足が、醜く足掻く悪党共を踏み付ける瞬間が。


「……!」


 その一撃で男達を黙らせた、乱入者。スコープから目を離し、夜空を仰いだ兵汰の視界には――その実態がはっきりと映されている。

 やがて彼はこの貨物船へと飛来し、兵汰の真後ろに着地した。肩越しに振り返る彼と兵汰の視線が、同時に重なる。汚れひとつ無い純白のマントが、夜風に流され優雅に靡いたのは、その直後だった。


 ――口元だけが露出した、白い覆面。全身に密着した純白のタイツスーツに、それを内側から押し上げる筋肉質な肉体。胸に刻まれた、「ML」のロゴ。


 兵汰は、この男の名を知っている。

 いや、彼を知らぬ者など、今のご時世そうはいない。何故なら彼は、正義のヒーローとして民衆から絶大な支持を集める――


「……あんたかい、神威の言う保険ってのは」

「……」


 ――マイティ・ロウなのだから。


 ◇


 荻久保瞳は、悪夢を見ていた。


 ――いや、正確には夢などではなく、現実なのだが。目の前にある景色を例えるならば、それ以外の言葉が当てはまらないのである。


「ぁ、あぁ……!」

「すまんのう、お嬢さんや。儂の連れのバカ共が騒がしいせいで、起こしてしまったようじゃなぁ」


 彼女は先ほどまで、神嶋TVの本社ビルにいたはず。少し予定より早めに仕事が終わったから、入り口の前で幼馴染の車を待っていた……はずなのだ。

 なのに気づけば、古びた棺の中にいて。何事かと飛び起きてみれば、見知らぬ倉庫の中に運び込まれていた。しかも自分のように棺に入れられている女性達が、何人も眠り続けている。


 そして眼前に突如、謎の老人が現れた瞬間。彼女は、自分が置かれている状況を悟ってしまったのだ。


 棺に入れられた女性。倉庫の中。

 ――そこから導き出される答えなど、今話題の「吸血夜会」の大規模殺人事件しかない。

 そう、自分の後輩さえ殺した悪夢の世界に、今度は彼女自身が引きずり込まれてしまったのだ。


「なぁに、もうすっかり静かになったことじゃし……奴らが警官共を始末したのじゃろう。あれでも我が組織の下請けの中では、比較的マシな方じゃからな」

「ひ、ひぃ……ぁ……!」

「じきに奴らも、ここへ帰ってくる。さすればようやく、宴を始められることじゃろう。今宵の主賓は、お前さん達じゃ。存分に楽しんで逝く・・がよいぞ」


 親しげな声色で語りかけながら、歪な嗤いを浮かべる老人。そんな彼の凶眼を間近で目の当たりにして、瞳は腰を抜かしたまま動けなくなってしまうのだった。

 その様を愉しむように一瞥し、老人は彼女の豊かな胸を無遠慮に掴む。Iカップの乳房に細い指が食い込み、その形を歪ませていた。だが、怯えきった彼女では抵抗すらできない。


「……しかし奴ら、遅いのう。どれ、ちょっと様子を見て――」


 そんな彼女の胸を一頻り揉みしだいた後。老人は瞳から離れると、ゆっくりとした足取りで、倉庫の外へと歩み出して行く。――すると、次の瞬間。


「きゃああぁあ!?」


 激しい爆音と共に、瞳の眼前で老人が吹き飛ばされてしまうのだった。思わず頭を抱えて蹲り、身を震わせる彼女は――身を震わせ、縮こまってしまう。


「な、なに……!? なにが、どうなってるのっ……!?」


 そんな彼女の股からは、暖かい液が染み出していたのだが――今は、それを気にかける余裕すらない。

 激しく地を転がされ、動かなくなっていた老人が……指先を震わせたのは、その直後であった。


 ◇


 ――その頃。荻久保瞳を怯えさせていた老人を、貨物船から狙撃していた兵汰は。マントを靡かせ、隣に立つマイティ・ロウに訝しげな視線を送っていた。


「……ゴム砲弾なら、あんな血だるまにはならなかった。手伝ってくれんのは有難いが、ちっとばかりやり過ぎじゃないのか」

「……命に別状はない。それにニュータント犯罪対策基本法に基づく限り、法に反していない民間人または警察組織の安全が、全てにおいて優先される。貴様の砲撃を待てば、罪のない警官が無用な傷を負っていた可能性がある」

「神威からあんたの話は度々聞いてるが……なるほど、確かに法でガッチガチの石頭だな」

「法とは、人類が長い歴史の中で研さんを重ね育んできた『正義』の終着点にして、最適解。それに勝る秩序はなく、ヒーローという正義の代行者がそれに背く道理もない」

「あァそうかい。あんたと飲む酒は、美味くはなさそうだな」


 口元から微かに伺える表情は、相変わらず硬い。そのどこまでも頑なな姿勢にため息をつきながら、兵汰はスコープで老人の様子を見つめ続ける。


 ――そこから一瞬で老人が消えたのは、その直後だった。


「……!」

「おわっ!」


 次の瞬間、マイティ・ロウは咄嗟に兵汰を後方に突き飛ばす。3号の鈍重なボディが容易く吹っ飛ばされ、兵汰はコンテナから転げ落ちてしまった。

 さらに、マイティ・ロウも素早くそこから飛び退く。つい先ほどまで彼ら2人が乗っていたコンテナが、老人の飛び蹴りで粉砕されたのが……その直後だった。


「ほっほう。儂の蹴りをかわすとは、さすがマイティ・ロウじゃの。鬱陶しいゴキブリだけかと思いきや、とんだ伏兵がいたもんじゃ」

「……器物損壊。貴様の罪状に、余罪がまた一つ加わったな」

「なら、そこにヒーロー殺しも加えておけい。貴様の首を取れば、晴れて儂も大悪党じゃからのう」


 粉々になったコンテナの破片をかわしながら、マイティ・ロウは床に着地する。一方、老人はもう一つのコンテナの上にふわりと着地していた。

 ――あの後。狙撃された方角から兵汰達の居場所を割り出した老人は、電光石火の如き速さで港から貨物船まで飛び移ってきたのだ。


 ようやく身を起こした3号こと兵汰は、埃を払いながらマイティ・ロウの隣に歩み寄る。


「……助けてくれたのは有難いがよぉ。もちっとスマートにこなしてくんない? 法を犯してない奴の安全は全てにおいて優先されるんじゃねーの?」

「その優先順位は救助対象の能力に比例し、ヒーローが取るべき行動も、またそれに比例して変化する。今のが貴様の能力に見合った、最適な処置だ」

「法って冷たいねぇ」

「貴様のためにある概念ではないからな」


 不遜に鼻を鳴らすマイティ・ロウは、覆面の下に隠した厳かな眼光を、頭上の老人に向ける。老人もまた、2人のヒーローを前に不敵な笑みを浮かべていた。


「いいじゃろう、いいじゃろう。裏切り者の下等人間に、法の守護神と名高い石頭。今宵の肴としては、まずまずの贄じゃろうて」

「能書きはいいから、とっとと降りてきな。『吸血夜会』幹部の1人、『吸血巨人』こと玄馬宗清げんまそうせいさんよ」

「ほっほほ。相変わらず口の利き方を知らんのう、狗殿兵汰。それが元教官の儂に対する態度か? うだつの上がらない派遣社員だったお前を、組織に引き入れてやった恩を忘れたか?」

「ニュータントだった頃の俺の能力に目を付けて、無理矢理引っ張り込んだだけだろうが。散々こき使ってくれた怨みなら、昨日のことのように覚えてるぜ」

「ならば、その怨恨の記憶を抱いて果てるがよい」


 やがて老人――玄馬宗清は、ふわりと跳び上がると兵汰達の前に優雅に着地……しなかった。


 その全身は一瞬にして、体長9mの巨人に変貌したのである。彼の巨躯が床にたどり着いた瞬間、貨物船は激しい衝撃に襲われ、荒波を立てて揺らめいていた。

 だが、2人のヒーローは全く動じることなく、この揺れの中でも仁王立ちを維持している。一方、周囲のコンテナを揺らしながら悠然と立ち上がった吸血巨人は――血走った凶眼で彼らを射抜き、その獰猛な本性を露わにしていた。


「……あれが貴様の元教官か。品のなさはしっかりと受け継いだようだな」

「……同業者の悪口も法に触れるような世の中なら、きっと平和なんだろうなァ」

「軽口、大いに結構。そのくらい肝が座ってなくば、余興にもならんからのう」


 吸血巨人への変身を遂げた玄馬宗清は、2人を喰らおうとにじり寄る。そんな彼を仮面の下から睨み付け――兵汰は、隣のマイティ・ロウに小声で話し掛けた。


「……残るは、あのジジイ1人だが……任務はあくまで生け捕りだ。幹部怪人をなんとしても捕らえたい、ってのが上の意向らしい」

「生け捕りか。……あの巨体を屠るだけなら容易いが、死なない程度に手加減するとなると……少々やりにくくなるな」

「へっ、そいつぁ頼もしいね。……ま、それなら俺に考えがある。あんたは距離を取って、遠距離からの攻撃で奴の注意を引いてくれ。その隙に、俺が奴に近づく」


 その提案に、マイティ・ロウは覆面の下で訝しげな表情を覗かせる。両者の特性を踏まえるなら、どう考えても真逆の人選だ。


「……遠距離は貴様の領分ではないか? 私は近接格闘の方が得意だが……」

「奴は耄碌してる痴呆ジジイだが、バカに成り果ててるわけでもない。あんたがそう来ると見越して、それに備えてるはずだ。だから敢えて、俺が前に出て至近距離で白血弾を叩き込む」

「神装刑事ジャスティスが言っていた、ニュートラルを破壊する砲弾か。……しかし、先ほどの狙撃では大して効いていなかったぞ」

「射程にだけ特化した仕様だから、威力はちょっと低いんだよ。だが、そいつを一気に解決してドギツい1発を叩き込む算段があるんだ。ただ近づいて撃つだけじゃ、確かに大して威力は変わらんが……このやり方なら、奴のニュートラルを殺せるだけの効果を発揮できるはずさ」

「……ニュータント犯罪対策基本法に則るならば、支援が必須であると判断出来るヒーローがいた場合、その安全を優先せねばならない。……貴様のやり方に任せるのは、私の法に反する」

「じゃあ、あんたでも難しい『それ以外の手段での生け捕り』でも試してみるか? ここで下手打って取り逃がしてみろ、俺が少々怪我する程度じゃ済まねぇぞ」

「……」


 吸血巨人はかなりの体格を持っている上、その外見に反した速さを持っている。下手に撃退して、狙いを非力な警官達に向けられるようなことになれば……さらに「面倒」な事態になることは目に見えていた。

 僅かな逡巡を経て結論を出したマイティ・ロウは、マントを翻し一歩前へと進み出る。


「……私の正義、僅か一瞬だが貴様に預けてやる。貴様の言葉が信用に値するか否かは、これから判断しよう」

「やれやれ、話が分かるんだか分からないんだか」

「やるならさっさとやれ。あの老人がさらにボケて、港にいる連中を狙いだす前にな」


 そして――彼が見せた仕草から、近接攻撃を仕掛けて来ると踏んだ吸血巨人は、髭に隠された口元を怪しく歪めていた。

 皺の寄った唇からは、数本の針がはみ出ている。


(くっくく……マイティ・ロウよ。敵と認識したニュータントの能力を無効化する、お前の【絶対神判マイティジャッジ】は、確かに脅威じゃ。しかし、儂自身の能力・・・・・・が生んだものではないこの含み針は、お前の「法」でも感知出来まい? お前の格闘能力ならば儂の体躯を押し切ることも可能じゃろうが……あいにく、こちらは力任せに戦うつもりなど毛頭なくてな)


 宗清の最大の武器は、吸血巨人としての体格やパワーだけではない。その圧倒的な巨躯を隠れ蓑にした、狡猾な戦術こそが――彼を幹部怪人にまで押し上げた長所なのである。


 彼は自分の肉体が持つ威力も、その限界も、長い能力との付き合いの中で熟知していた。だからこそ、それに頼らぬ戦法も研鑽してきたのである。

 ――口元を覆い隠す長い髭も、この含み針を隠すための布石なのだ。


(さぁ……来い! マイティ・ロウ、お前の伝説はここで終わり――!?)


 そして、マイティ・ロウが低く腰を落とし、戦闘開始の予備動作を見せる。それに応じて、吸血巨人が巨大な拳を構えた……その時だった。


 純白のヒーローは勢いよく床を蹴り、空高く跳び上がると――そのまま吸血巨人の頭上を飛び越え、後方のコンテナの上に着地したのである。

 予想だにしなかった挙動に、老人が目を剥く瞬間。彼の眼前に、一つのコンテナが投げ付けられた。


「小癪なァッ!」


 その巨大な鉄の箱を、裏拳で粉砕し。吸血巨人は自分から格闘戦に持ち込もうと、跳び上がる準備を始める。

 長年の勘が、「敵の接近」を報せたのは、その直後だった。


「ぬぅ!?」


 振り返った先には――凄まじい勢いで、真っ直ぐに突っ込んで来るキュアセイダー3号の姿があった。

 こちら側が真打ちであったこと。策を見破られ、虚を突かれたこと。その屈辱に怒り、吸血巨人は拳を振り上げる。


「あんたのお得意の含み針、わからねぇとでも思ったか! 何年の付き合いだと思ってやがる!」

「おのれ……人間に身を落とした、小汚い裏切り者風情がァア!」


 その一撃を、前方に転がり間一髪回避。懐に潜り込んだ兵汰は――ロングレンジ白血砲の長い砲身を、両手でしっかりと握り締める。


「『裏切り者』じゃねぇ。俺は、3号――キュアセイダー3号だ」


 まるで、バットを握るかのように。


「ぬぅッ……!?」


「ただデカいだけの雑兵が……『絶望』と共に、ここで淘汰してやるぜ」


 刹那。


 兵汰はその体勢で――力任せに自分の右肩から、砲身をバックパックごと引き千切ってしまう。


 残りの全弾が詰まったバックパックと、そこから白血弾を装填・発射する砲身。それらを体から切り離した兵汰は、バットを振るかのように。


 ――吸血巨人の脇腹に、フルスイングを叩き込むのだった。引き千切られた砲身とバックパックが、弧を描き巨人の急所へと激突する。


「いやそれ絶対使い方違う」


 やがて、マイティ・ロウのツッコミが虚空に漂う瞬間。

 砲身とバックパックの中に詰まった大量のワクチンが、強烈な衝撃と共に――玄馬宗清の巨体を、浄化していくのだった。


「グォアガアァアアッ!? な、なんだ……!? 狗殿兵汰、お前何をしたァア!?」

「へっ……あいにく、俺は無免許でねぇ。あいつのように、優しい『手術オペ』はできねぇんだわ」


 体から急速に力が抜けていく感覚に襲われ、吸血巨人は膝から崩れ落ちていく。その様を、2人のヒーローは汚物を見るような眼で見下ろしていた。

 ――やがて力無い老人の姿となり、ニュータントの力を失った玄馬宗清は。3号の脚を掴み、憎しみを込めた眼光を叩きつける。


「おのれ……! 幹部たる儂を消して、ただで済むと思うな! お前は必ず、組織にマークされる! 今に我が『吸血夜会』の精鋭が、お前を滅ぼして――!」

「さて。それでは私はこいつを連行していく。さらばだ」

「あぁ。うるせぇからとっとと連れてってくれ」

「ま、待て! まだ儂の話は終わっておらぬぞ! 儂の話ィィィ!」


 だが、それも長くは続かず。マイティ・ロウに首根っこを摘まれた彼は、そのまま夜空の彼方へと連れ去られてしまうのだった。

 小汚い老人を摘んだまま、月夜の空へと飛び去るヒーローを見送った後。静けさを取り戻した貨物船の中で、兵汰は一息つくように港の方へと視線を移す。


 ロングレンジ白血砲をなくしたせいで、遠くを見ることはもうできないが……どうやら、救急車が大勢集まってきたらしい。これにて、一件落着ということだ。


「ま、俺にしちゃあ上々ってとこかな」

『先ほどマイティ・ロウから連絡を受けた。どうやら、無事に任務は果たしたようだな』

「ん、まぁな。あいつがいなかったら、正直危うかったかも知れねぇ。連絡先知ってんなら、礼の一つでも言っといてくれや」

『すでに彼にも、相応の報酬は振り込んでおいた。……それで、貴様の処分だが』

「処分? なんだよ、目的のヴィランはちゃんと仕留めただろ」

『貴重なロングレンジ白血砲とバックパックを、故意に破損した件。吸血巨人を打倒した功績に免じて、始末書30枚で手を打ってやる。これ以上の譲歩はないぞ』

「……あのさぁ。せめて殺すなら戦いの場で殺せよ。なにデスクワークで過労死させようとしてんの」

『これしきで死ぬなら丁度いい、貴様を3号の座から引きずり下ろせるからな。……グダグダ抜かす暇があるなら、さっさと帰投しろ。整備班が貴様の酒を用意しているそうだ』

「へいへい、わぁったわぁったよ。……ったく、対策室はブラックだねぇ」


 ――だが、狗殿兵汰の戦いはまだまだ終わらない。償いの旅路は、始まったばかりなのだから。


 ◇


「はぁっ、はぁっ……! くそ、なんだよ……何がどうなってんだよ!」


 ――その頃。どさくさに紛れ、現場から逃げ出していた下請けのヴィランは、闇夜に紛れ逃走を図っていた。

 彼は3号の狙撃が始まってすぐに逃げ出したため、ニュートラルの力を失っていないままだ。


 人間の女を10人さらって「吸血夜会」に献上すれば、組織に入れてもらえる――そんな美味い話だったはずなのに。訳も分からないまま仲間は次々とやられ、駆け付けた警官隊もろとも、自分達のチームは壊滅してしまった。


 何がどうなっているのかはさっぱり分からないが、恐らくヒーローが待ち伏せしていたのだろう。ならば、今はとにかく逃げるしかない。

 灯の少ない道を走り、少しでも遠くに向かおうとする。――その眼前を眩い光が塞いだのは、その直後だった。


「うおッ!?」

「……『吸血夜会』に従っていた、下請けギャングの方ですね。御同行願います」


 ヴィランの眼前には、紅いオフロードバイク「TM250F」のエンジンを吹かせる、1人の青年が待ち受けていた。

 ライトを照らし、最後の生き残りを見つけた彼は――鋼鉄の強化服で全身を固めている。


 赤い胸部アーマー。手脚の白い装甲。左腕に装備された、赤い円形の盾。トサカ状の刃を備えた鉄仮面に、凸字型のバイザー。露出した口元から伺える、端正な表情。

 そして――強化服の上に羽織られた、黒い半袖パーカー。


 透き通るような声から察するに、かなりの若手なのだろう。その外見も、ヴィランには見覚えがなかった。


「ケッ……功績欲しさに首突っ込んでくる、威勢だけの新人ヒーローかよ。死にたくなきゃあ、そこを退きな! 俺ぁこれでも、元いたギャングチームじゃあ、早撃ちの名人って言われてたんだぜ!」

「……じゃあ無駄口叩かないで、さっさと撃てばいいのに」

「なッ!? こ、このクソガキッ……そんなに死にたきゃお望み通りに――!?」


 その新人らしからぬ落ち着いた物腰に、苛立ちを露わにしたヴィランは――ニュータントならではの超人的速度を武器に、腰から拳銃を引き抜く。狙うは、露出した口元。


 だが、その綺麗な顔をフッ飛ばす……ことは出来なかった。


 ニュータントの力を最大限に活かした早撃ち。それをさらに凌ぐ――光速の如き速さで。


 青年の右腕に装備された光線銃が、ヴィランの拳銃を破壊したのである。瞬く間に自慢の得物が粉砕され、彼は恐怖に失禁しながら膝をついた。


 動体視力にも自信を持っていた彼は――何をされたのかさえ、すぐには理解出来なかったのである。


「ひ、ひひ……ひはぁっ……!?」

「――早撃ち? 僕には、止まって見えたんだけどな」


 だが、青年は決して驕ることなく――この芸当を、当然のことのように認識していた。そして、ヴィランから完全に戦意が失われたことを確認した彼は……通信で、雇い主に状況を報告する。


「神威さん、逃走中の残党を確保しました。これより、対策室本部まで連行します」

『あぁ、ご苦労だった。身柄の引き渡しが完了し次第、天津市の捜査に向かってくれ。その後は、桃ノ島及びまほろば町の巡回パトロールだ。頼むぞ、キャプテン・アーヴィング』

「了解しました。……っていうか神威さん、そのむず痒い呼び名……そろそろ止めてくれません?」

『ん? ふふ、そうか済まなかったな――「レイボーグ-GMジム」』


 ――そう。

 神威了が手配していた「保険」は、マイティ・ロウだけではなかったのである。


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