番外編 ヒーロー2人はノーサンキュー 前編


 薄暗い倉庫の中に群れる、異形の怪人達。病魔の力を借りて人間を超えた彼らは、身の丈を凌ぐ「力」の奔流に理性を溶かされ、身も心も怪物と成り果てていた。

 人面獣心、どころか面相すらもヒトのものではなくなった彼らは、欲望を滾らせた眼で「棺」を引いている。それもまた、理性を失った先から表出した本能の一つであった。


「御苦労であったな」


 すると、その一声が倉庫の中に響き渡る。それに反応した怪人達が、顔を上げた先には――何十年という月日を生きた者だけが持ち得る年季と貫禄を漂わせる、1人の老人が立っていた。

 形容するならば、「仙人」。逞しい髭をか細い指でなぞる彼が、その手をかざすと――怪人達は服従を誓うように、「棺」を下ろし膝をつく。


 老人1人に跪く、20人余りの怪人。彼らは皆、「強者への服従」という動物的な本能に基づき、彼に頭を垂れていた。

 強気に従い、弱気を屠る。ヴィランと称される悪鬼に堕ちた彼らにとっては、それこそが真理なのだ。


「仰せのままに、イキの良い女を10人集めてきましたぜ」

「これで俺達も、『吸血夜会』の正式なメンバーに……!」


 そして彼らは、自らの働きに対する報酬に胸を高鳴らせ、主人である老人の言葉を待つ。そんな怪人達を一瞥し、皺の寄った口元を白髭で覆い隠した彼は――ゆっくりと、言葉を投げかける。


「そう、慌てるでない。約束通り、お前達は皆、仲間じゃ。儂と共にヒーローどもを屠り、我が組織の雷名を世界に轟かせる時が、ようやく来たのだ」


 その言葉に、怪人達は歓声を上げる。彼らは皆、「吸血夜会」の下請けに当たる犯罪組織の構成員なのだ。

 自分達にヴィランとしての箔を付け、さらなる高みへのし上がるため――吸血鬼達を率いる、「幹部怪人」の老人に仕えているのである。


 そんな彼らの足元に置かれた「棺」には、生きたまま・・・・・餌となるべく連れ去られた女性達が眠っている。彼女達は自分達の運命さえ知らぬまま、老人の生贄に献上されようとしていた。


「さぁ、宴を始めるぞ。今宵が我らの旅路を祝う、第一歩となる」


 ――そして、怪人達の歓声の中で。老人が大仰な言葉を並べ、両手を広げた……瞬間。


 彼らの眼に映る世界は、真紅に染まった。


「――え」


 絶命の間際。己の状況を、脳が正確に把握するより速く。意識を保っていた1人が、間抜けな声を漏らしていた。


 自分の身体が――見える。首のない、自分のカラダが。ナン、で、オれたチ、メイ、れ――


「お前達は、まごう事無き儂の仲間じゃ。この儂の血となり肉となり糧となり、『吸血夜会』の勝利にその御霊を捧げよ」


 ――それが。怪人が叫ぼうとした、最期の言葉であり。老人だった・・・者が贈った、最期の言葉だった。


 刹那。

 倉庫という閉じられた世界に真紅の花々が広がり、天を衝くほどに噴き上がる。遥か天井から滴る雫が、赤い雨となり。ただ1人生き延びた者に、降り注いだ。


「雑魚が20、女が10。計、30……く、ふふ、まずまずといったところか」


 低くくぐもった、獰猛な声が響き渡る。それはもう、老人の声ではなかった。

 土の色に塗れた肌は、筋骨逞しく膨張し。その肉体は、9mを超える巨躯へと変貌し。口元を隠した白髭だけを面影に残し、彼の姿は何もかも変わり果てていた。


 その巨人は歪に顎を開き、餌を求める雛鳥のように天を仰ぐ。彼の大口に降りしきる赤い雨が、その喉に潤いを与えていた。


「だが……まだ足りぬ。この程度の贄で、儂の渇きを癒すことなど叶わぬ。やはりこの身体に、30人は少な過ぎたか……」


 やがて、雨が止み。倉庫の中には巨人と、首を失った無数の骸が残された。先ほどまで命だった肉塊を蹴散らし、白髭の巨人は重い足取りを響かせ、倉庫を後にしていく。


「まぁ……よい。儂好みの女の血など、これから幾らでも手に入ろう。歯向かう者も皆、儂の潤いとなるがよい」


 やがて都会の闇に消えゆくその巨人は、みるみるうちに縮んで行き、再び老人の姿に戻ってゆく。

 糸のように細められた、その瞼の奥には――血に飢えた狂眼が隠されていた。


 ◇


「――神嶋港かみしまこうの倉庫内に、行方不明となっていた女性10人を含む30人の遺体を発見。現場に残されていた棺の破片から、警察は『吸血夜会』の仕業であると推定……か」


 ある昼下がりの「EAGLE CAFE」。多くの客が憩いを求めて集まったこの空間の中で、1人の男がカップを手に新聞を眺めている。

 肩まで伸びる亜麻色の長髪と、深淵の如き漆黒の瞳。しなやかでありつつも筋肉質な肉体に、すらりと伸びる長い脚。その端正な顔立ちもあってか、彼は周囲の客から少なからず注目されていた。……主に女性から。


 だが、新聞の記事を凝視する彼にとって、彼女達の眼差しなど眼中になく。その眼はただ真っ直ぐに、「吸血夜会」の名を綴る記事だけを見つめていた。

 黒のタンクトップの上に、ダークグリーンのレザージャケットをマントのように羽織った彼は、カップを唇に当てながら神妙な面持ちを浮かべている。


(「吸血夜会」にとって、逃亡者の類を除く同胞殺しは重罪。なら行方不明者以外の20人は、組織の構成員じゃなかったってことだ。……連中にとっちゃあ、自分達以外の人間は「飲み物が入った容器」でしかない。その中でも、使い走りを体良くこき使って養分にするような奴とくれば……)


 ――そこまで思考を巡らせたところで。彼の懐から、携帯の着信音が鳴り始めた。その音色から相手を悟った男はテーブルにカップを置くと、心底うんざりした様子で携帯を取る。


「……よぉ、どうした。仕事の話なら手短に済ませてくれ。せっかくのコーヒーが不味くなる」

『安心しろ、望み通り簡潔に話してやる。俺も、貴様の声を聞くだけで反吐が出る思いだ』


 第一声から、彼らは容赦無く憎まれ口を叩き合う。だが、これは当人達にとっては挨拶のようなもの。いわば、日常茶飯事なのである。


『今朝の新聞、既に読んだだろうが……今回の事件には「吸血夜会」が関与している可能性がある。元幹部候補の貴様なら、そこいらの木っ端ヒーローよりは対応しやすかろう?』

「……まァな。犯人ホシもおおよそ見当がつく。こいつをブチのめせってのが、今回の任務かい」

『そうだ。警察へのバッシングを抑えるために公表こそされていないが、すでに同様の手口で50人もの民間人と警官が殺害されている。……対策室の力を警視庁に知らしめ、無用に命を散らすバカ共を減らすいい機会だ』

「力無き警官も纏めて守ってあげましょう、ってか。さっすが、神装刑事様はお優しいこって」

『能書きを垂れる暇が1秒でもあるなら、貴様はさっさと使命を果たせ。そして、とっととくたばれ』

「憎まれっ子、世に憚るってな。青筋ピリピリでストレス抱えてそうなお前よりは、長生き出来る自信があるぜ」

『そうか。なら次は貴様を殺す前提で仕事を寄越してやる。せいぜい楽しみにしていろ』


 前もって言った通り、簡潔に任務の内容を言い渡した「神装刑事ジャスティス」こと神威了は、過激な言葉を並べながら一方的に通話を切ってしまった。そんな上司の相変わらずな態度にため息をつきつつ、男は再びカップに唇を当てる。


「……冷めちまったじゃねーか」


 そして、上司の毒舌に影響されたせいか。苦々しく表情を歪め、天を仰ぐのだった。

 ――狗殿兵汰、25歳。彼が歩む贖罪の道は、日を追うごとにその険しさを増している。


 ◇


 ――神嶋TV本社。

 市内のローカル番組を扱うこの会社には、幾人かの女性アナウンサーが勤めている。今回の件で犠牲となった10人のうちの何人かは、その女子アナであった。


(……ま、女子アナってのは見た目が大事だからな。美女の血を欲しがるあいつなら、目をつけないはずもない……か)


 そのオフィスを暫し見上げた後、兵汰は携帯に送信されてきた被害者のリストに視線を落とす。自分と同年代であろう、荒事とは無縁だった女達の末路が、その画面に淡々と映されていた。

 了から届けられたこの情報をあてにするなら、次も女子アナの中から「贄」が選ばれるだろう。そう当たりをつけた彼は、太々しい態度を隠しもせず、「見学に来た一般人の体」でオフィス内に足を踏み入れた。


「だから――は、――で――!」

「港の倉庫に行った取材班はどうした!? もう3時間も音沙汰なしだぞあいつら!」

「ダメです、もう警察がガッチリ現場を封鎖してて……! ネズミ1匹入れない状況なんすよ!」

「ちっ、そもそもはテメェらの怠慢が原因だろうに……ポリ公がッ! 警視庁のエースだか何だか知らねぇが、あの乳牛女の程度もたかが知れらァな!」

「ちょっとマイクの調子がおかしいんだけど! 音響なにしてんの!」

「うるせーな、じゃあテメェがスペア持ってこいよ!」


 その途端。耳をつんざくような喧騒がオフィス内を席巻し、兵汰は思わず眉を顰めてしまった。

 事件の影響もあってか、社内は特番の準備や取材などで慌ただしくなっている。機材や書類を手に忙しく行き交う彼らをかわしながら、兵汰は真っ直ぐに受付嬢に声を掛けた。


「よう、嬢ちゃん。ちょっと聞きたいんだが、『神嶋ステーション』のスタジオって何階だっけか?」

「えっ……け、見学の方ですか? 申し訳ありません、弊社は現在非常に立て込んでおりまして……」

「別に撮影の邪魔はしねぇよ、ちょっと一目スタジオを見てみたいってだけだ」

「は、はぁ……。そのスタジオでしたら、当ビルの6階になりますが」

「あんがとよ、助かるぜ」


 これほど混乱している中なら、入り込むのは容易い。これから多くの来客に対応しなくてはならない受付嬢としては、変な客だからと突っぱねて余計にゴネられるよりは、さっさと行き先を教えて消えてもらった方が都合がいいのだ。

 そうした受付嬢側の都合を汲んだ上で、敢えてしつこく問い掛けていた兵汰は、必要な情報だけを貰うと早々に立ち去ってしまうのだった。


(神威の情報によると……グレードの高い女子アナは、優先的に視聴率の高い番組に回される。で、この会社が扱う番組で1番の視聴率といやぁ……市内のニュースを扱う「神嶋ステーション」しかない。つまり、その番組の女子アナが狙われる確率が1番高いってことだ)


 混雑しているエレベーターを使えば、私服の自分は悪目立ちする。それを避けるべく、階段で6階を目指す兵汰は、「神嶋ステーション」の看板を黙々と探し続けていた。


 ――やがて、目当てのスタジオを発見した彼は、なるべくスタッフの視界に入らないようにスタジオに近づいていく。護衛対象となる女の貌を、ハッキリ覚えておくためだ。

 別に、他意はない。


「きゃっ!?」

「んっ?」


 そうして、スタジオにばかり注目していたためか。側面からの不意の接触を受けて、兵汰は思わずよろめいてしまう。だが、ぶつかった相手はよろめいた程度では済まず――まるで壁にでも激突したかのように、勢いよく尻餅をついてしまうのだった。

 どうやら外見から察するに、これから収録を始める女子アナらしい。兵汰は軽くため息を吐きつつも、ゆっくりと腰を下ろし手を差し伸べる。


「おいおい大丈夫かよ。忙しいのもわかるが、前ぐらい見たらどうだ」

「……うっさいわね木偶の坊! あんたこそでかい図体して、ボサッと突っ立ってんじゃないわよ!」

「あ、あァ?」


 ――が、当の彼女は乱暴に兵汰の手を払うと、辛辣な言葉をぶつけてきた。その言い草に、兵汰は思わず眼を丸くする。

 栗色のセミロングに、透き通るような柔肌。くりっとした瞳に、あどけなさを残しつつも女性らしい優美な顔立ち。豊満に飛び出した胸はノースリーブのブラウスを内側から押し上げ、その存在感を強烈に放っている。目測、Iカップ。

 確かに、スタイル抜群の美人だ。この番組のアナウンサーを務めるだけあって、その美貌は他の女子アナを圧倒している。


 ……が、その歯に絹着せない物言いに、兵汰は唖然としていた。


「……あのなぁ。ぶつかってきたのはそっちなんだぜ。もちっと言い方ってもんがあんだろが」

「ボサッとしてるあんたが悪いのよ! ああもう、邪魔よ邪魔、鬱陶しいわね!」


 それでも彼は女子アナの美貌に免じて、穏便に済まそうと心掛けていた……のだが。当の彼女は兵汰を乱暴に押し退け、さっさとスタジオに向かってしまう。


 ――そして、すれ違いざまに。

 その背に小さな発信器を取り付けた兵汰は、ため息をついて彼女を見送るのだった。


「……うっへ。最近の女子アナ、キツいや」


 ◇


 その後、ニュースの収録は滞りなく進行。10人もの女性が犠牲となった「吸血夜会」の犯行についても、より本格的に報道されるようになった。

 ――そして、この日の収録を終えた夜。本社のビルを後にした彼女の前を、1台の車が通りがかる。


ひとみさん、お待たせ」

「うん。ごめんね飛鳥、いつも乗せてもらっちゃって」

「いーよ、あたしも運転の練習しなきゃだし」


 そこから顔を覗かせたのは――人気沸騰中のグラビアアイドル・駒門飛鳥だった。彼女が運転する高級車に乗り込み、神嶋ステーションを代表する女子アナ・荻久保瞳おぎくぼひとみは、栗色のセミロングを掻き上げ、一息つくように吐息を漏らす。

 彼女達は、家が隣同士の幼馴染なのだ。帰宅のタイミングが近いということもあり、最近は飛鳥がよく車で迎えに来るのである。


 ――余談だが、彼女達は元空手部ということもあり、その「気の強さ」で業界では有名になっている。

 以前2人がバラエティで共演した際、大御所司会者がカメラに映らないところで、彼女達の臀部を撫でるというセクハラを働いたのだが――彼女達はその場で、大御所司会者の尻を全力で抓って制裁したという逸話があるのだ。無論、意趣返しの如くカメラに映らないところで。


 そんな強気な美女達を乗せた高級車は、優雅な排気音と共に、夜の街へと走り出していった。

 ――その道中、飛鳥は助手席に座る瞳を横目に見遣りながら、神妙な表情を浮かべる。


「……ニュース、見たよ。また、あいつら・・・・の仕業なんだってね……瞳さんの後輩さんを、殺したっていう……」

「……うん。ごめんね、飛鳥。ついこないだ、あんなことがあったばかりなのに」

「別に瞳さんが謝ることないじゃん。悪いのは全部、あいつらだよ」

「うん……でも、あなたのことを考えたら、事態が落ち着くまでは報道は控えた方がいいんじゃないか……って」


 今回の一件で、瞳は自分が可愛がっていた後輩を殺されていた。その傷心を気遣い、飛鳥は努めて明るく振舞っているのだが……今は、その優しさが、痛い。

 ――「吸血夜会」に傷付けられた苦しみは、その飛鳥本人も抱えているのだから。


「そのせいで、あたしみたいな目に遭う人が増えたら、それこそ堪んないよ。大丈夫、瞳さんは間違ってない」

「飛鳥……」

「……今はあたしなんかより、瞳さんだよ。ほんと、夜道には気をつけてよね。つい最近、ウチの美鳥が酷い目に遭いそうになったばかりなんだから。あたしの車が近くに来るまで、会社のビルから出ないこと! いい?」

「うん……ありがとうね」


 だが、飛鳥はそれでも気丈であり続けていた。幼馴染のために明るく笑う彼女の横顔に、瞳は心底救われたように頬を緩める。

 ――そんな彼女には、姉代わりの幼馴染として、何としても幸せを掴んでもらいたい。瞳の胸中に芽生えたその気持ちが……自然と、その唇を動かした。


「……ねぇ、飛鳥」

「うん?」

「最近どう? あなたが大好きな、東京にいる……そう、橋野先生とは」

「ぶほ!?」


 次の瞬間。飛鳥は耳まで真っ赤になりながら、勢いよく噴き出してしまった。信号が赤になったこともあり、彼女は慌ててブレーキを踏み込む。


「な、なによいきなり!」

「だって……神嶋市と東京ってなると、なかなか会えないでしょ? そこまで遠い距離じゃないけど、あなたも先生も忙しい身だし……」

「……何にもないよ。進展とかは、何も」

「そうなの? 飛鳥のことだから、そういうことはグイグイ行く方だと思ってたんだけど」

「……」


 ――飛鳥はかつてニュータントになり、その異形の力に苛まれていた。そんな彼女からニュートラルを取り除き、人としての未来を取り戻した人物こそが……飛鳥が今、想いを寄せている橋野架なのだ。

 神嶋記念病院での臨時勤務を終え、東京にある城北大学付属病院へと帰ってしまった彼とは、ここ最近全く連絡を取っていない。思えば、完全なプライベートで彼と会ったことも殆どなかった。

 本来なら、このままでは不味いと焦るところなのだが……今の飛鳥は、付き合いの長い瞳から見ても不思議なほどに、落ち着いている様子だったのだ。


「なんて言うのかな……架って、すごく背中が大きいっていうか……とにかく、とっても大事なものをたくさん背負ってる……って感じなの。使命感、っていうのかな」

「……まぁ、橋野先生って言ったら東京でもこの街でも、名医として有名だものね。こんな世の中だし、大勢の患者さんを抱えてるんだから、それはある意味当然なのかも。――あ、信号青よ」

「あ、うん。……まぁ、それはそうなんだけど。なんだか、それだけじゃないような気がするんだ。うまく言えないけど……医者としての普段のこととは別に、物凄く大きくて重たい何かを背負ってる……そんな感じがするの」

「医者とは別に、重い何か……?」

「それが何なのかは……何も知らないあたしには、わからない。でも、薄々感じてるんだ。……だから、いつかその荷が降りるまでは……邪魔しないように、そっと見守っていてあげたいの。あたしに出来ることなんて、それくらいだし」

「飛鳥……」


 遠い街の遠い病院で、自分の知らない重荷を背負い続ける医師。そんな彼に想いを馳せる、幼馴染の切なげな横顔を――瞳はただ、神妙に見つめていた。


「……っていうか、あたしばっかり弄んないでよ。瞳さんこそ、そういういい人はいないわけ?」

「えっ!? ――あ、あははやだなぁ。私まだ2年目だし、全然それどころじゃないよ。16歳からグラビアやってる飛鳥の方が、社会人としてはずっと先輩だもんね」

「嘘だー、今赤くなったもん。あたしもあんまり人のこと言えないけど、瞳さんってホント気持ち隠すの下手だよね」

「だ、だって……こんな大変な時に、そんな不謹慎なこと……!」

「……こんな時だからこそ、だと思うよ。いつまでも瞳さんを悲しませるために、後輩さんだって亡くなったわけじゃない。あたしはそう思うな」

「……飛鳥……」


 飛鳥の追及を口で否定する一方、赤面した貌ゆえに説得力を持てずにいる瞳。そんな幼馴染を慮るように、飛鳥は敢えて彼女の背中を押していた。


 ――突然知らされた後輩の死。飛鳥が「吸血夜会」に誘拐された時に匹敵するほど、激しく動揺していたあの混乱の渦中。頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、とにかくスタジオへと急いでいた、あの時。

 自分はある男性とぶつかり、失礼なことに差し伸べられた手を払い、酷い罵詈雑言をぶつけてしまった。あの直後は、何故自分があんな真似をしてしまったのか、整理がつかなかった。

 だが、一度落ち着いた今なら分かる。


 ダークグリーンのレザージャケットを羽織った、あの男性。少々アウトロー気味な雰囲気こそ漂わせているが――切れ目の鋭い顔付きや長身、しなやかで逞しい肉体。全てが、雄としての魅力に満ち溢れているようだった。

 一目惚れだった、と言っていい。手を差し伸べられた時に感じた、甘い胸の痺れは今でも鮮明に記憶している。あの時のことを思い起こすだけで、胸の先と下腹部が熱く、甘く滾り出してしまう。


 ――だが、だからこそ。後輩の死を悼むべき時に、ほんの一瞬とはいえ、名も知らぬ男にうつつを抜かそうとしていた自分が、何よりも許せなかったのだ。

 そして、その怒りは自分の心を惑わせた彼へと向かってしまった。少なくとも彼は、自分を気遣ってくれていたはずなのに。


(なんて……酷いことをしたんだろう。謝ったら、許してくれるかな……?)


 そう思えば思うほど、自己嫌悪が止まらなくなる。だが飛鳥は、そんな瞳の胸中を敢えて肯定し、背中を押すことを選んでいた。

 彼女もまた、姉のような幼馴染に、幸せになって欲しいと祈っているのである。


「……飛鳥」

「なに?」

「あなたが隣にいてくれて、よかった」

「あはは、何よそれ」


 その優しさを実感した瞳が、素直な思いを告げ、飛鳥がおどけるように笑った――その時だった。


「え……」

「飛鳥?」


 再び赤信号で停止した瞬間。飛鳥は前のめりになるように上体を倒し――眼を見張る。


 その表情は、理解の及ばない「何か」を見つけたかのように、酷く引きつっていた。


 彼女の異変から何かを感じた瞳は、幼馴染の様子を伺いながら――その視線が向かう先を、目で追う。


 そして、言葉を失った。


 暗夜に包まれ、夜景の輝きだけに照らされた神嶋市の摩天楼。その上空を跳ね回る、巨大な影。

 一見、ヒトのようなシルエットではあるが――その身の丈は、ヒトの範疇を逸脱していた。


「なに、あれ……!?」

「巨、人……!?」


 あれは果たして、ニュータントなのか。ニュータントという範疇すら超えた、何かではないのか。

 そんな不安に駆られながら、2人は後続車に煽られるまで、その巨影を見つめ続けていた。


 ――そして、確信する。今よりさらに、恐ろしい何かが始まろうとしているのだと。

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