第10話 浅倉茉莉奈の選択

 ――白き花々が咲き誇る、地上の楽園。碧き自然に彩られた、その世界の中心に――異形の者が独り、佇んでいる。


「……先生」

「……」


 エイドロンに乗り、この場所までたどり着いた2号――架は、ようやく恩師との再会を果たしていた。車から飛び降り、自身の存在を言葉少なに訴える彼を、アネモネ・ニュータントは静かに見つめている。


「……君がここを知っている、ということは。楓から聞いたのだな」

「えぇ。先生と彼女、そして勇一郎さん。家族の想い出が詰まった、希望の花園……ですよね」

「君にそこまで話すとは、楓も随分と入れ込んだものだ。……それほど真剣に想っているのであれば、私は反対などせんというのに」

「……?」

「……ふふ。君もその鈍さでよく、私を見つけられたものだな」


 楓の恋路を知らない当の本人は、恩師の言葉の意味を見出せず、小首を傾げる。そんな彼に、花の怪人は苦笑を浮かべていた。

 ――やがて架は気を取り直すように、毅然とした声色で勇介に訴える。


「……勇介先生、今からでも遅くはありません。オレの『手術』を受けて病院に帰りましょう。あなたが犠牲になるなんて、絶対に間違ってる」

「それが土台無理な話であることは、昨夜に話したはずだ。……君は必ず、世界有数の名医になれる。かけがえのないその芽を、老いた怪人の為に摘ませるわけにはいかん」


 だが、勇介の決意は変わらない。自身の「死」を以てこの件を終わらせるしか道はない、という姿勢はそのままであった。


「藍若さんは、泣いていましたよ」

「……」


 だが、架も折れはしない。家族を泣かせ、遺したまま逝くことの、何が正義だ――と、その眼が叫んでいるようだった。


「……今は、な。今は、楓も辛い時だろう。だが、生きてさえいれば……心の傷は、いずれ癒える。そのための支えこそ、あの子には必要なのだ。君という『希望』が、いつかきっと……楓を幸せにしてくれる」

「……」

「こうなることは全て、覚悟の上だった。自分自身を実験台にする以上、感染は免れん。だからこそ、誰も傷つけぬよう人里からも離れ――ジャスティスに、私の『処分』も依頼した」


 自分以上に頑固で、融通の利かない「希望」にため息をつき。勇介は苦笑いを浮かべたまま、仮面に貌を隠す架を、慈しむように見つめる。


「私にとって誤算だったのは、そのジャスティスが――神威君が、君に賭けてしまったことだ。ニュータントとあらば確実に抹殺する、白い処刑人が……自らニュートラルに感染した愚者に、情けをかけるとはな」

「あの人にとっても、あなたはまだ『怪人』ではないんです。……どうしても、『手術』を受けるつもりはないのですか」

「君の輝かしい将来を汚し、娘の未来を曇らせるくらいなら。私はこの花園で、勇一郎の魂と共に眠る」


 だが、その慈愛を帯びた眼差しは、徐々に暗く冷たい色へと淀んで行く。愛するがゆえの、心の鬼が、彼の中で目覚めようとしていた。


「……架君。私はこれまで、君には何一つ命じた・・・ことがなかった。背を押し、道を示し、選択肢を与える。それのみだった」

「……」

「だから。これが、私から君に与える、最初で最後の院長命令だ。――橋野架。私の前から、即刻立ち去れ」


 だが。その冷酷な命令を、突き刺すように告げられても。頑固で生意気な若者が、首を縦に降ることはなかった。


「御断りします。娘を泣かせたあなたに、『尊厳死』などという逃げ道は作らせない」

「自らの医師生命を、秤にかけてでもか。何が君を、そうさせるのだ!」

「この命は10年前、あなたから貰ったものです。……だから、今度はオレが」


 そして、生意気ついでに。「希望の橋」と呼ばれる、川を隔てた石橋を背にして。


「――希望の橋を、ここに架ける」


 意趣返しの如く――66mm白血砲の火を、両肩から噴かせるのだった。金色に輝く鉄仮面の両眼で、分からず屋の「患者」を射抜いて。


 ◇


 ――その頃。茉莉奈と新見刑事の2人は架の足取りを追い、この植物園まで来ていた。

 アネモネの花畑の入り口までたどり着いた彼らは、パトカーから降りてすぐにタイヤ痕を発見する。


「ここか……」

「先輩、車が通った痕跡があります!」

「橋野先生はこの先だな。急ぐぞ!」


 その痕跡から架の行方に当たりをつけた彼らは、示し合わせるように頷き合い、拳銃を構える。

 そして、入り口を抜けて花畑の奥へと進もうとした――その時だった。


「……ここから先は、通行禁止です」

「あなたは……ここの管理者か? 済まないが、我々は警視庁の者でな。この先に重要参考人が――!?」


 待ち構えていた了が、ココアを背に隠して2人の前に立ちはだかる。茉莉奈はそれでも、非常時ゆえに押し入ろうとする……のだが。

 了が見せた身分証に、思わず足を止めてしまうのだった。その反動で、Hカップの巨峰が上下に波打つ。


「――この先は、ヴィラン対策室の管轄です。対抗手段のない一般警察の方々には、お引き取り願います」

「ヴィラン……では、やはり藍若勇介と橋野架は、ニュータント犯罪に巻き込まれているのか?」

「あなた方が知る必要はありません。とにかく、この件は我々が預かります。警視庁の手出しは無用と、上にお伝えください」

「……」


 ――ヴィラン対策室。

 警察組織においても上位に位置する、対ニュータント犯罪の専門機関だ。ニュータントが関わる犯罪に関しては、捜査一課を上回る権限を持っていることで知られており……彼らが扱う事件の大半は、他の部署からは関われない「機密」とされている。

 それほどの捜査機関が自ら動いているということは――藍若勇介と橋野架が、ニュータント絡みの事件に巻き込まれていることは、間違いないと見ていい。


 ――茉莉奈は病院を去る前。父の身を案じて涙する、楓の貌を見ていた。


 帰りを待つしかない家族の苦しみを知る者として、市民を守る警官として……この場で引き下がるなど、できない。

 だが、ここで意地を張ったところで、ヴィラン対策室以上の働きなど出来ないのも事実。却って彼らの邪魔となり、救える命を殺めることにもなりかねない。


 ――成果に勝る誇りはない。それが、浅倉茉莉奈の「選択」であった。


「……仕方ない、帰るぞ」

「えっ……先輩、いいんですか?」

「その筋のプロが『任せろ』と言っている。我々に出来るのはここまでだ」

「ご理解とご協力に、感謝致します」

「……」


 拳を震わせ、唇を噛み締め。茉莉奈は戸惑う新見刑事を引き連れ、来た道を引き返していく。その背を、了は神妙に見送っていた。


 ――だが、パトカーに乗り込む直前。茉莉奈はドアに手を掛けたまま、立ち止まり……目を合わせないまま、静かに口を開く。


「……そういえば最近、ジャスティスというヒーローが話題になっているな」

「……えぇ、それが?」

「昨夜、ニュータントを人間に戻したあの赤いヒーローと。ニュータントなら容赦無く断罪するジャスティス。ヒーローという連中はなぜこうも、やり方ばかりが食い違うのだろうな?」

「……さぁ。不思議なことですね」


 そして含みを持たせた言葉を、捨て台詞のように残した後。何の話かわからず、小首を傾げる新見刑事に運転を命じて、彼女はここから立ち去っていった。


「マスター……あの人……」

「……刑事の勘も、意外とバカにならないものだな」


 そんな彼女の言動を影から見ていたココアが、不安げに呟く一方で。了は、感心したように微笑を浮かべ、「相棒」である少女の頭を撫でていた。

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