第11話 正義よりも


 ――遊歩道から絶えず砂塵が舞い飛び、花々が乱れ飛ぶ。

 キュアセイダー2号とアネモネ・ニュータントの一騎打ちは、徐々に激しさを増しつつあった。


「はァッ!」


 その只中でも架は、白い花々を悪戯に傷つけまいと、砂利が舞い散る遊歩道だけを走りながら戦っている。白血砲も射角を高めに設定し、花畑の中に砲弾を落とさないようにしていた。


 だが、そんな悪条件ではアネモネ・ニュータントに決定打を与えることなど出来ない。

 まして相手は、2号を開発した勇介本人なのだ。こちらの性能限界など、とうに把握済みなのである。


「エイドロンでは、この道は走りにくかろう。降りたらどうかね」

「……今降りれば、先生の速さには追いつけません」

「花畑を避けながらでは、どのみち碌に走れんだろう」

「どんなに悪条件だろうと、手術は必ず完遂する。それが――医師の矜持です。10年前、あなたが死に瀕していたオレを救ったように!」


 それでも。架はあくまで、アネモネの命を散らせず戦い抜く道を選ぶ。それが優美な花々とは裏腹な、茨の道と知りながら。


「とあぁッ!」

「……!」


 やがて、花畑の中央に立つ大木を視界に捉えた瞬間。

 架は急加速を掛け、遊歩道の段差を利用して大ジャンプに出た。エイドロンの赤い車体が、曲線の軌跡を描き、花畑の上を飛び越えていく。


 そこから飛び降りた2号の腕が、アネモネ・ニュータントの肩を掴んだ。それと同時に、無人となったエイドロンは花畑を飛び越すと――慣性に導かれるまま大木に激突し、そのまま停止してしまった。


「捕まえた! これで――ッ!?」


 花を傷つけることなく間合いを詰め、エイドロンを停めた架は、「手術」を実行すべく白血砲の照準をアネモネ・ニュータントに向ける。

 そうして、ブルーハ・ニュータントの時と同様に、ゼロ距離射撃で勝負を決めようとした――その時だった。


「ぐぁ……あッ!?」

「苦しいだろう。何せ私を侵しているこのウイルスは、他の個体とは比にならんパワーだからな。2号の装甲でも、長くは持たんぞ」

「ぐ……ッ、う!」


 2号の両腕ごと、アネモネ・ニュータントの体から伸びる触手に絡め取られてしまい……あっさりと間合いを離されてしまった。

 重量級であるはずの2号の鎧は、無数の触手に縛られ軽々と持ち上げられてしまう。しかも、触手の握力も尋常ではなく――高い防御力が売りであるはずのボディに、亀裂が走り始めていた。


「だぁあッ!」

「ぬッ!?」


 だが、架はそれでも怯むことなく。締め付けられながらも白血砲を操作し、自分を絡め取る触手を砲弾の質量で切断していった。

 やがて2号を捕らえていた全ての触手が、砲撃による質量攻撃で切り裂かれ――赤い重鎧が、花畑の上に墜落する。


「あぐッ!」

「……あれほど不規則にうねる私の触手を、よくぞ正確に捉えたものだ。海外の大学では、銃火器の心得まで学んだのか?」

「……いいえ。慣れない医療器具だろうと、狙った腫瘍を切除する――という『手術』の主旨は変わらない。なら、オレが為すことは一つです」


 全身の各部に亀裂が走っている今、もはや防御力にも期待できない。落下の衝撃で、仮面も半壊している。この2号のスーツはもう、重たい鉄の棺桶に等しいだろう。

 だが、それでもなお。架は恐れを微塵も見せず、「手術」の続行を宣言した。狂気にも似たその執念に、アネモネ・ニュータント――勇介は、感嘆の息を漏らす。


「どれほど『ヴィラン』の力で抵抗されても、この戦いを『手術』と言い張るか。さすがだな、架君」

「言ったはずです、希望の橋をここに架けると。……諦めて、オレの『手術』を受ける気になりましたか?」

「……逆だ。私の命を引き換えにしてでも、君の将来を守らねばならないと……切に思ったよ。この先、君を頼るであろう未来の患者達のためにもな」

「仕方ない……荒療治になりますが。引きずってでもあなたを、病院に送り返させて頂きます」

「そうはいかん。楓のためにも……君は必ず、ここで止める」


 ――だが、不利な現状であることには変わりない。どれほど気力が充実していようと、精神が肉体を凌駕するには限界がある。

 架は自身の能力を分析しつつ、限られた僅かな時間の中で策を弄し――実行に移るのだった。


(鈍重なこの足で、あの蔓をかわして接近するのは難しい。弾速が遅い白血砲では、遠方射撃でも恐らく当たらないだろう。……ならッ!)


 意を決した2号の足が、花畑の土を踏みしめる。


「……ここで、終わらせるッ!」

「……来るかッ!」


 次の瞬間、2号の動きを封じるべく、上空から無数の触手が襲い掛かってきた。


「だァッ!」

「……逃がさん!」


 架は遊歩道の方に・・・・・・転がり、辛うじてそれをかわす。だが、勇介は攻撃の手を緩めない。さらなる触手の群れが、正面から肉迫してくる。


「今だッ!」

「……ッ!」


 ――刹那。


 足元の遊歩道目掛けて、架は至近距離で白血砲を放ち――爆音と共に、天を衝くほどの土埃を舞い上げた。

 アネモネ・ニュータントの視界は一瞬で封じられ、空に響き渡る轟音が聴覚を阻害する。


(よし……! 先生の目は眩んだ、攻めるなら今ッ――!)


 その混乱に乗じ――架は遊歩道から花畑へと踏み入り、その中心にいるアネモネ・ニュータントを目指して真っ直ぐに駆け抜けていった。

 轟音によって聴覚を乱されている今なら、2号の重量による足音も誤魔化せる。土埃で視界を封じれば、アネモネ・ニュータントも容易く触手を振るえない。


 この隙を突けば、鈍足の2号でも間合いを詰めて白血砲を撃てる。距離さえ近ければ、外されることもない。


 ――これで、決まりだ。


「がはッ!?」


 ――そう、なるはずだった。


 土埃を抜け、その先にいるアネモネ・ニュータントのシルエットを捉えた瞬間。

 自分の姿が見えていないはずの彼から、こちらに向かって伸びてきた一本の触手が――2号の装甲を破り、架の脇腹を貫いたのである。


 轟音が止み、土埃が晴れると同時に。架は歩みを止め……両膝をついた。

 脇腹から噴き出す鮮血が、白い花々を紅く染め上げていく。仮面が半壊したことで露出していた口元からも、赤い濁流が溢れ出していた。


「あっ……が……!?」

「――白血砲弾の質量を利用した、目眩し。手垢の付いた作戦だが、悪くはない」

「なん、でっ……!?」


 作戦を破られた架は、動揺を露わにしてアネモネ・ニュータントを見上げる。悠然と彼に歩み寄る異形の怪人は、露わになっている架の頬に優しく掌を添えた。


「君は私の蔓をかわしながら、遊歩道に出た。私に近づかねば白血砲が当たらんというのに、君は……わざわざ・・・・遠回りをしていた」

「……!」

「私の方へ直進しながら足元を撃てば、花畑を吹き飛ばしてしまう。……君らしい判断だったな」


 架の頬を、慈しむように撫でるアネモネ・ニュータント。

 そんな彼の身体にすがりつき、架はなおも「手術」を続行しようとしていたが……限界ゆえか。徐々にその手が、力無く滑り落ちていく。


「……私は、君をよく知っている。命あるもの全てを慈しむ、君のその優しさを」

「先、生ぇっ……! オレは、オレは、あなたをっ……!」

「だから、もう十分だ。君はよく戦った。後のことは神威君に任せて、君はもう眠りなさい。急所は外してある、君なら3ヶ月で快復出来るだろう」


 やがて、身体を掴むことすらできなくなり。架は完全に、アネモネ・ニュータントの足元に倒れ伏してしまった。


「――架君。あの事故から生き延びてくれて、医師を志してくれて、ありがとう。君が生き続けてくれたおかげで、私は……何一つ案ずることなく逝ける」

「……っ!」

「楓のことを――よろしく頼む」


 そんな彼に、労わるような言葉を残して。アネモネ・ニュータントは――勇介は、踵を返していく。


(先生……本当に、これで……!?)


 架は朦朧とする意識の中……死力を振り絞り、その背中に手を伸ばしていた。地を這い蹲り、血反吐に塗れても。


『――お願いです、橋野先生! どうか……どうか、父を助けてください!』


(藍若……さん!)


 やがて、薄れゆく彼の脳裏に。父を救いたいと願い、助けを求めてきた楓の声が過ぎる。


(そうだ……! まだ、オレは何も救えちゃいないじゃないか。あの子の幸せなんて……守れて、いないじゃないか! 今生きている人の、笑顔を!)


 ――その声が。今、生きている人の声が。笑顔にならなくてはならない、彼女の叫びが。

 消えかけていた架の心に、燻るような「希望」の明かりを灯すのだった。


 ◇


「――来たか、神威君」


 それから、ほどなくして。


 花畑の中心に佇むアネモネ・ニュータントの前に――「神装刑事ジャスティス」が現れた。その白い籠手に握られた一振りの剣が、陽射しを浴びて妖しい輝きを放っている。


「約束の時間……ですね」

「あぁ。この体が完全に、ニュートラルに支配されるまで、あと僅かだ。一思いに頼むよ」


 そんな彼のそばへ、アネモネ・ニュータント――藍若勇介は、無防備に歩み寄っていく。自ら、死を願うがゆえに。


 ――しかし。


「そうですか――では、この任務は失敗のようですね」

「……なに?」


 ジャスティスは……神威了は。手にした剣を振るうことなく、憎き仇敵であるはずのニュータントを前にして。

 得物を、腰に納めてしまった。


 その意図が読めず、勇介は訝しげな眼差しを向ける。


「あなたへの荒療治は、一思いでは終われないでしょう。――不器用な方の、『手術』なのですから」


「――!」


 その時に発した、了の言葉が答えだった。


 衝撃音。爆音。力を奪われる、感覚。全てが同時に勇介を襲い、彼の平静を一瞬で突き崩す。


「……ぐ、ぁ……!」


 何が起きたのかもわからないまま、勇介は膝から崩れ落ちていった。ジャスティスはそんな彼を、暫し見下ろした後――その後ろ・・・・へと、視線を移すのだった。


「……9分59秒。間一髪、でしたね。橋野先生」


 混濁する意識の中で、微かな気力だけを頼りに――白血砲を放った、キュアセイダー2号へと。


「架……君ッ……!」

「……はァッ、はッ……!」


 驚愕の声を上げ、後方を振り返る勇介。霞む視界の中で、恩師の貌を見つけた架。膝を着いた2人の視線が、花に包まれたこの場所で交わされる。

 朦朧とした意識の中で、なおも正確に白血砲を命中させた青年を、壮年の男は悲痛な面持ちで見つめていた。


「なぜ、だ……なぜだ、なぜ起き上がってしまったのだ! なぜっ……私を! 撃ってしまったのだ! 白血砲の威力に私が耐えられなければ――君は、君は全てを失ってしまうのだぞ!」

「……オレが、全てを失う時は。苦しむあなたを、目の前で見捨てた時です」

「どうしてこれだけは、分かってくれんのだ……! 楓には、君が必要なんだ! 君がいなければ、あの子は幸せに――!」

「――あなたがいなくなっても! それは、同じことでしょうが!」


 自分はもはや、不要な存在。そう言い切ろうとする勇介に架は初めて、烈火の如き怒号をぶつける。


 決して譲れぬ想い。それに突き動かされたがゆえに彼らは、戦いを始めるしかなくなってしまったのだ。互いを思いやるからこそ、起きてしまったこの戦いを。


「架君、君は……! 君はッ……!」

「……生きてください先生、彼女のために。耐えてください、オレの『手術』に!」


 それを制した架は、勝者の権利を振りかざし。尊厳死という逃げ道を与えず、生き抜くことを勇介に強いる。それも全ては――


「それが、あなた……のッ……」


 ――どんな正義ジャスティスよりもかけがえのない。家族の、笑顔のため。


 そう言い終える前に彼は力尽き、気を失ってしまう。糸が切れた、人形のように。

 そんな彼を、人間に戻りつつある勇介は。消え掛ける意識の中……痛ましい表情で、見下ろしていた。


(……生きてください、か)


 一方。持てる力を使い果たし、地に伏せる架を……了は、神妙に見つめている。

 憎き悪であるはずのニュータントを救おうと、命を懸けて「橋」を繋いだ彼の姿が……凍て付いた彼の心に、微かな「希望」を伝染させていた。


 それはまるで、たちの悪い呪いのように。

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