第4話 CURE-SADER
「院長、お話があるのですが……この後少し、お時間を頂けませんか」
――翌日。
休憩時間を利用して、架は院長室に訪れていた。整然とした一室の中で、2人の医師が顔を突き合わせる。
悠然と椅子に腰掛けていた勇介は、10年の時を経て「天才」と呼ばれるほどの医師に成長した青年の貌を、感慨深げに見上げていた。物憂つげに俯いていた、か弱い少年の面影はもう、どこにもない。
「どうしたんだ、橋野君。随分と改まって」
「院長――いえ、
「……娘から何か聞いたのか。
やがて――勤務医と院長という関係ではなく。10年の時を経て再会した私人として。架は勇介に、毅然とした表情で問い詰める。一方の勇介も彼の言葉からその用件を察し、剣呑な面持ちを浮かべていた。
「ここ最近、勇介先生は酷く何かを思い詰めている様子だと……彼女から」
「……全く、心配性な上にそそっかしい娘だ」
「あなたの誘いで、オレがこの病院に来てから半年になります。わざわざ海外にいたオレを、名指しで呼んだのは訳あってのことでしょう」
「そうだな」
「だが今日に至るまで、あなたはまだ何も話されていない。……ここ最近のあなたの体調と、何か関連があるのでは?」
目を細め、見透かすような眼差しで、架は勇介の瞳を射抜く。そんな彼を見据える勇介もまた、毅然とした眼差しで彼の視線を受け止めていた。
「……今はまだ、話せる時ではない」
「あなたは何度もそう仰って来た、そしてオレは待ち続けた。……ですが、もう限界です」
「今までならあっさり引き下がったのに、今日はやけに食い下がるな。……楓に何としても、と頼まれたのか」
やがて、勇介の言葉を受けて。架は絞り出すように、呟く。
「泣いていました」
「……」
架の言葉を耳にして、勇介は暫し目を伏せる。居た堪れない彼の胸中が、その皺の寄った貌に滲み出ているようだった。
「オレに話した時の彼女は、少しだけですが。泣いたんです、あなたの為に」
「……そうか」
やがて、勇介は観念した表情で架の貌を見上げると――絞り出すように呟いく。
「……これ以上は、もう、無理か」
「何の話、ですか」
その真意を問う架に対し、勇介は厳かに口を開いた。彼の眼差しに秘められた、真摯な想いを感じて――架も、目の色を変える。
「今夜、私に付き合ってくれ。見せねばならないものがある」
◇
「架君。君は、ニュータントをどう見る?」
――その日の夜。
1日の勤務を終えた2人は、薄暗い病棟の中を静かに歩む。彼らの足音と勇介の呟きだけが、廊下に響いていた。
「どう、とは?」
「欲望のままに力を降りかざす悪鬼か。異形の力という病に囚われた、患者か」
「……世間一般に浸透している認識からは外れた見解ですが。オレは、後者です」
「そうか、それなら私も
架は勇介に導かれるまま、地下に繋がる階段を降りていく。他の職員には解放されていない、普段は立ち入り禁止となっている区画の――さらに、奥深くへと。
「勇介先生。あなたが隠して来たことというのは……ニュータントに関係することなのですか」
「そうだ。……平たく言うなら、ニュートラルから患者を分離する研究……と言ったところか」
「患者からニュートラルを分離……?」
これほど、地上から遠く離れた先に何があるというのか。そう思案する架の耳に、「ニュートラル」という名が突き刺さった。
――ニュートラル・ウイルス。原因も対処法も不明な、未知の病原体にして、医学界にとっての最大の脅威。その存在が勇介の口から語られたことに、架は静かに瞠目する。
「――政府は現在、人間を
「……」
「私もその研究チームに加わり、対ニュータント用のパワードスーツの開発に携わっていた。私の研究を活かすには、その技術が不可欠だったからな」
「先生はここで、ニュータントに対抗するためのパワードスーツを造っていた……のですか? 感染者から、ニュートラルを切除するために……?」
「そうだ。人類を脅かす悪しき病魔から、罪なき感染者を救うために……な」
政府に与する研究員として、パワードスーツの開発に関わっていたという勇介。遠い過去を見つめるような、彼の眼差しを横目に見遣り――架は目を細める。
「私には、ニュータント達を『怪人』だと……人間ではない害獣だと、断じることは出来なかった。その道に踏み切ってしまえば、私は――」
「――
「……知っていたのか」
「彼女から聞きました。……10年前ニュートラルに感染し、幼さゆえにウイルスに体が耐え切れず、亡くなった御子息がいらしたと……」
ニュートラル・ウイルスに蝕まれ、人にも化け物にもなれずこの世を去った長男。その面影を架に重ね、勇介は彼に温もりを帯びた眼差しを向けていた。
そんな彼と視線を交わす、架の脳裏に――10年前の恩師の言葉が過ぎる。
『……そう、今は分からなくてもいい。だが
(……勇一郎さんには、その
その意味を今になって理解した架を、勇介は静かに横目で見つめていた。
「あの子はあれ以来、身近な誰かが傷付き倒れることを酷く恐れるようになり……それが、人を守る看護の道へとあの子を向かわせた。そのあの子が、自ら恐怖の源泉を語ったのか」
「それほどまでに、彼女はあなたを案じているんです」
「そうか。だが、それだけではないな。楓はそれだけ、君のことを……いや、これは私の口から話すべきではないか」
「……?」
楓が架に寄り添う理由。それが単なる「医師としての実力」や「自身との信頼関係」だけではないと――勇介は、すでに悟っていた。
その上で彼は、楓の恋を見守っているのだ。当の本人は、まるで気づいていないようであるが。
「勇一郎は、あの頃の私達家族にとって……希望だった。楓が幸せな出会いを果たし、結ばれるその時まで、あの子を守ってくれると……私は信じていた」
「……」
「ゆえに、私がやらねばならんのだ。勇一郎に代わり、楓を守り……ニュートラルから患者達を守る為には。
「……ニュートラルを使わず人間を超人に変える超人計画。それが、ニュータントの治療に繋がるのですか?」
「ああ。私の研究をニュータントの治療に実用化させるためには、菌を使わない外骨格に頼る必要があったんだ」
「ニュータント化した患者から、ニュートラルを分離する……その機能を持つ外骨格だと?」
「そう。これが――その試作品だ」
――やがて。2人は長い階段を降り続け……その先に広がる、薄暗い一室にたどり着いた。
「……これは……!」
無数のコンピュータや機材に囲まれた、研究室のような部屋。最低限の明かりにだけ照らされた、地の果てに眠るこの地下室を目の当たりにして、架は息を飲む。
――こんな場所で恩師は、孤独な研究を続けていたのか……と。
だが、何よりも彼の目を引いたのは。勇介が指差した先に眠る――機械仕掛けの鎧だった。
漆黒の装甲服と、鉄仮面。その顔面に白十字を刻むがらんどうの鎧が、ガラス張りのカプセルの中に佇んでいる。
その胸のプロテクターには――「
「キュア……セイダー?」
「対ニュータント用外骨格式医療器具『キュアセイダー』。これが、その第1号だ」
「こんなものを……病院の下で造っていたのですか」
キュアセイダー1号のスーツを封じるカプセル。そのガラス壁を撫で、架は瞠目していた。
警察で導入されている対ニュータント用パワードスーツと同規格のようであるが……黒一色のカラーリングや、仮面に刻まれた白十字の意匠など、警察用にはない特徴も窺える。
「医学上ウイルスとして扱われているニュートラルだが、その実態は単なる『菌』の類ではない。いわば知能を持った、異形の生命体。無機物にも感染して怪人化するケースが、その証左だ」
「……生命体……」
「そう、生命体。ならば人間や動物と同じ、多細胞生物としての側面も備えていると見ていい。そして多細胞生物であるからには、その生命を維持する為に多種の細胞を内包していることにもなる」
キュアセイダー1号に目を奪われている架に対し、勇介はニュートラル・ウイルスに対する己の見解を語る。その言葉から、架は彼が言っていた研究内容を思い返し、ハッと顔を上げた。
「菌を分離、多種の細胞……まさか、白血球ですか?」
「その通り。私はニュートラルが内包する細胞から、ニュートラル自体が持つ『白血球に相当する細胞』を抽出・解析し、その免疫効果を破壊するワクチンを開発した」
「体内に害を及ぼす異物を排除する、免疫細胞……その機能を無効化する薬品をワクチンとして投与することで、患者の体にいるニュートラルを死滅させる、ということなのですか」
「正解だ。そのワクチンを、弾丸として固形化したのが……この白血銃に装填されている、9mm白血弾だ」
勇介はキュアセイダー1号の近くにあるデスクに向かい、引き出しから一丁の大型拳銃を引き抜いた。1号のボディと同様、黒一色に塗装されたその拳銃に――彼は、白い弾丸を弾倉に込め、装填する。
1号が携行する「医療器具」であるそれを、架はまじまじと見つめていた。
「つまり、この銃でニュータントを撃てば……患者の体から、ニュートラルを追い出すことが出来るんですね。――ニュートラルにとっての白血病、ということですか」
「……理論上はな。だが、まだ実戦には投入していない。効き目があるかどうかは、これからの結果次第と言ったところだな」
「先生がオレを呼び寄せていながら、今まで何も話さなかったのは……これが完成していなかったから、なのですね」
「今も完成はしていない。この1号はあくまで試作品だからな。――完成品に近いのは、この2号だ」
次に、勇介は1号の隣にあるカプセルを指差す。1号と同様、ガラス張りの中に封じられているそのスーツは――1号より遥かに分厚い装甲に覆われていた。
武骨な真紅の重鎧と、鉄仮面。トサカ状の頭頂部。そして、貌に刻まれた白十字の意匠。外見こそ1号とは大きく異なるが、「キュアセイダー」の一つである証は確かに残されている。金色に光る両の眼は、カプセルの中で眠りながらも、力強い輝きを放っていた。
――さらに、その両肩には二門の砲台が乗せられている。「医療器具」と呼ぶにはあまりに物々しいその存在が、架の目を引く。
「なんだか……重装甲ですね」
「1号より、装着者の安全性を優先した機体だからな。当然、足も鈍い。だが、両肩に装備されている66mm白血砲は、1号の9mm白血弾とは比にならん威力を持っている」
勇介は2号から視線を外すと、踵を返して壁のスイッチを押した。
――すると。
「……とはいえ、こうも重装備では動きづらさは避けられん。そこで2号には、こんなものを用意してある」
彼の隣にあるシャッターが開かれ――その先から、一台の車が現れた。
2016年に発表された「kode57」を彷彿させる、流線型のフォルムを描いたオープンカー。2号と同様に、紅く塗装された車体のボンネットには――白十字の意匠が施されている。
「これは……」
「高速特殊救急車『マシンエイドロン』。足の鈍い2号を、迅速に現場へ移送するための専用車だ。このスーツの相棒、と言ってもいい」
「相棒……」
「……本来なら、これを造った私自身がやるべきなのだが。あいにく、この老体では奴らと満足には戦えん。せっかくの白血弾も、当てられなくては意味がない……」
「それで、オレを……呼んだのですね」
「あぁ。若く才能に溢れ、義心もあり……体力も申し分なく。そして何より、私の頼みとあらば、こんな無茶でも引き受けてくれるであろう逸材など。世界中のどこを探しても、君以外にはあり得ないだろう」
「じゃあ、どうして今までオレにも黙っていたんですか。このことを知っていれば、もっと早くテストにも協力出来たのに」
「君が早々にこれを知れば、2号の完成を待てずにニュータントの治療に乗り出しかねなかったからな。万全ではないからといって、今苦しんでいる患者を放ってはおけない――君はそういう男だろう」
「……」
エイドロンの車体を撫で、架は神妙な面持ちで勇介を見遣る。そんな彼の真摯な眼を見据え――壮年の医師は、改めて青年に問う。
「予定より少し前倒しにはなったが……機は熟した、と言ってもいい。……引き受けてくれるか? 架君」
「もちろん。ニュータントを救いたいと願う気持ちは、オレも同じですから」
「……君なら、そう言ってくれると思っていたよ。済まなかったな、今までずっと……黙ったままで」
「……ご家族には、これからも秘密にしておくのですか?」
「そうするしかないだろう。私がニュータントと戦うための研究をしていた――などと知れたら。奏も楓も、心労で倒れてしまう」
架の返事を聞いた勇介は、満足げに口元を緩めると――踵を返し、デスクに飾られている写真立てを見つめていた。白い花畑に囲まれた在りし日の家族の姿が、そこに映されている。
(アネモネの、花……)
――その隣には、架にとっても思い出深いアネモネの花が飾られていた。
「でも……彼女は、あなたを酷く心配しているんです」
「分かっている、だから君を呼んだんだ。一日も早く凶悪なニュータントを根絶し、この街の平和を取り戻してくれるであろう――君をな」
そして真実を知りながら、なおも楓を慮る架を見遣り――勇介が口を開く。
その時だった。
「……!?」
突如、警報の音がこの一室に響き渡る。何事かと瞠目し、辺りを見渡す架の視界に――ある一つのコンピュータが留まった。
東京周辺までの地図を映したそのディスプレイで、二つの光点が点滅している。
『ニュータント反応、ニュータント反応。南東5キロの地点に2体の反応を確認。繰り返す、南東5キロの地点に――』
その端末のスピーカーから流れるアナウンスが、事態の急変を告げていた。都内に出現したニュータントの報せを聞き、架と勇介は剣呑な表情に変わる。
「……来おったか」
「南東5キロって……かなりの近さじゃないですか」
「どうやら、初陣の時が来たようだな。……架君、エイドロンの運転を頼めるか」
「……分かりました、任せてください」
「運用テストもやらせていないうちから、実戦に参加させるのは心苦しいところではあるが――私1人では、2体のニュータントには対抗出来ん。済まないが、協力してくれ」
やがて彼らは互いに頷き合うと、同時にカプセルの前へ駆け込んだ。二つのカプセルが、この時を待ちわびていたかのように――同時に開かれる。
勇介の前に現れた、漆黒の1号。架の前に現れた、真紅の2号。二つのキュアセイダーが、彼らを主人として招き入れようとしていた。
「分かっています。……けど、違いますよ先生」
「……?」
そんな彼らの後ろでは、エイドロンを格納している車庫が動き出していた。どうやら、車体を地上に上げるための専用エレベーターがあるらしい。
その様子を一瞥しながら、架は赤い鎧に手を伸ばし――籠手から装着していく。
「これは『実戦』じゃない。『手術』です」
「……そうだな」
そんな彼に続くように、勇介も1号の黒い鎧を着込んでいく。その瞳は、血気に溢れる若人の眼を見つめていた。
(だけど……先生の、この顔色の悪さは……本当に、キュアセイダーの開発だけが原因なのか? それに、何なんだ……この妙な、胸騒ぎは)
――その一方で。
架もまた、勇介の様子を横目で見遣っていた。単なる疲労だけとは思えないほど、憔悴している恩師の貌を。
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