第5話 いざアカルディア大森林へ
急遽ミーシャに頼まれたロッシュの捜索を終えカインは村の入口へ向かった。入口と言っても他の所に出口がある訳ではないので、入口出口が併用となっている。
そして入口には木で作られた凱旋門が建っていて、村全域が木造の柵で囲まれているためここから以外は入ることも出ることもできなくなっている。
カインが村の入口に着いた時には、ラインは門の柱にもたれ掛かり剣を眺めていた。斬馬刀と呼ばれる大剣だ。皺が刻まれた顔には小さな傷が無数にある。左目は縦に大きな切り傷があるせいで潰れている。適度に色が抜けた白髪は後ろで纏められるほどに長くなっている。鍛え抜かれた身体は今年で五十歳になるとは思わせないくらいには仕上がっていて背負われている矢筒が小さく見える程だ。
そしてそのラインの隣には銀色の体毛に覆われた四足動物が行儀よく座り込んでいる。そのフォルムからして狼のようだが人間と同等の体躯であり、通常の大きさではなかった。魔獣のようにも見えるが、ライン曰く一応狼であるらしい。
尻尾だけが雪のように白い事からスノウテイルと名付けられた大型の狼はラインが騎士団長時代からの付き合いである。そしてアーカス村の農作物を夜通し害敵から守り通していることからこの村の守り神として崇められている。そして人々はそんな守り神に感謝するための年に一度収穫祭を行うのである。
スノウテイルのために猪を狩りに行くのであるが、スノウがいなければ狩りにならない。そのため労うために働かせるといった奇妙な事が起こっているのだが幸いにもスノウは気にしてる素振りも見せない。
カインが近づくと座り込んでいたスノウテイルがオォンと鳴きようやくラインが気付いた。
「おお。やっと来たかカイン。遅かったじゃねーか。何かあったのか?」
「ラインさん、すみません。ミーシャさんの頼まれ事をやっていたら遅れました」
カインは言い訳も挟みつつ素直に謝る。例えミーシャがトロールの如き怪力で脅迫してきたとしても、約束の時間に遅れたのは紛れもない事実である。故にカインはその否を認め謝罪する。しかし待たされた当のラインは気にする素振りもなく快活に笑い飛ばした。
「ハッハッハッ。ミーシャのやつも相変わらずむちゃくちゃだなぁ。あいつほどお淑やかという言葉が似合わない女はそういねぇだろうなあ。だがまあ、何だカイン、ありがとよ。お前さんが来てからはあいつも随分と明るくなった。疲れたと思うがこっちの仕事もよろしく頼むわ。俺ももう歳だし後世の育成もちゃんとしなきゃなぁ。お前には俺の後継者として期待してんだぜ?」
初めて聞かされた本音に驚きを隠せずカインの口は半開きになっていた。よそ者であるカインをそこまで思い、信頼しているとは夢にも思わなかった。それにしても遅れて来てまさかお礼を言われるのは意外だったが、ラインもミーシャの事が心配なのだろうとカインは納得する。改めてラインという人物の懐がどれだけ深いのか思い知らされた。
けれどそれと同時にその期待が重たく圧し掛かったのも事実だった。
「俺にはラインさんほど強くないですから」
「ん?お前はもちっと自分に自信を持たねぇとな。心配せんでも才能は間違いなく俺より上だ。そう自分を卑下するやつに女は寄ってこねぇぞ?」
ハッハッと茶化しながらラインが言う。それを困ったような顔で笑ってごまかす。
しばし沈黙。
それを嫌がるようにラインが口を開く。
「さぁて、お喋りはここくらいにしてスノウに捧げる猪を狩りに行くかぁ。時間もないしな」
そう言ってラインはアカルディア大森林に向かい歩き出した。スノウはのっそりと起き上がりカインの後に続く。大好物である猪肉を食べられるのが分かっているのか、尻尾が左右にブンブンと動いている。
カインも後を追って大森林へ向かう。その時、ライクネスの言った『昼間でも活動している魔獣がいる』という言葉を思い出し、先行くラインの背中に話しかける。
「ラインさん!ライクネスという宮廷魔導師から聞いたんですけど昼間でも活動している魔獣がいるそうなんです」
「ライクネスぅ?あんな人でなしのいうことなんて嘘に決まってる。ほっとけ。ほっとけ」
そうぶっきらぼうに吐き捨てたラインからはライクネスに対して並々ならぬ嫌悪感が漏れ出ていた。
◇
アカルディア大森林。木漏れ日の道。
木々が生い茂っている隙間から柔らかな太陽の日が差し込み茶色の道が浮かび上がっている。多少ぼこぼこしているが歩けない程ではない。
かつて人の手が加えられていたためアカルディア大森林にはいくつか道がはしっている。この〝木漏れ日の道〟もその内に一つである。人が入らなくなり久しいが魔獣や動物が移動に使っているためか雑草はそれほど生えておらずカインたちが森に入る際はいつも使っているのである。
そんな〝木漏れ日の道〟でラインは屈み砂が多めの地面をまじまじと見ている。そしてニヤニヤとした笑みを浮かべカインに向かって勝ち誇ったように呟いた。
「喜べカイン。俺たちはかなり運が良いみたいだ。ほれ、獲物の足跡だ。まだそれほど時間はたってないから近くにいるはずだ」
少し離れた場所で傷の治りを早める薬草を採取していたカインであったがそう言われ大人しく覗き込む。そこには猪の蹄の跡が残っている。ラインの言う通り獲物である猪が近くにいることは間違いないだろう。
思いの他、早く見つかった獲物の痕跡にカインの心は高らかに躍る。
「本当っすね。でもこんなに早く見つかるなんて珍しいな」
唐突に湧いた所感が自然と口に出ていた。そもそも年々増える魔獣の影響で真っ当な生物は年々その姿を消していっている。生物として魔獣の方が優れている以上、従来の普通の動物が数を減らすのは自然の摂理である。
故に今回は本当に幸運なのだろう。下手をすればタイムリミットの日暮れまで探し回って痕跡すら見つからない可能性だってあるのだ。
そう考えると森の入って二時間足らずで痕跡を見つけられたのは好調と言えるだろう。
一方、大型の銀狼―――スノウテイルは足跡に鼻を近づけすんすんとひっきりなしに動かしている。そして、匂いを辿り歩き出している。
そんなスノウを見てラインは満足そうに豪快に笑う。
「ガハハハ。こいつァ僥倖だ。スノウも喜んでやがる。―――それじゃあ行くとしようか」
促されるままカインは臭いを辿るスノウについていく。いつ目標が現れてもいいように腰にぶら下がっているククリナイフが引き抜けるように準備しながら進む。少しずつ鼓動が速くなっていく。
舗装された道を外れ完全な森を歩く。先ほどまでいた〝木漏れ日の道〟とは打って変わって腰の位置まで伸びた草が群生している。踏み出すたびに草花が身体に触れ、虫が飛び出してくる。木々が生い茂っており視界が妨げられる。
群生している草花は村にずっといたら決して見る事のできない珍しい薬草などで見ているだけで飽きることはない。いずれこの森に生えている草花について詳しく調べてみたいとカインは思う。
そんな事を考えながら草木を掻き分け木々を縫うように進み、標的である猪を探していると、意識の外からラインが囁いた。その声で我に返る。
「おい、カイン。いたぞ。ビンゴだ」
ラインの目線を辿った先には小さな泉があり、その
そして黒い体毛に覆われた全長は百六十を超えるであろう巨躯にはこの過酷な環境で生き抜く力強さがあった。
話に聞いた伝説の魔猪を思わせる圧倒的な威容だ。
そんな巨大な猪はカインたちに気付いた素振りは微塵もなく悠然と水を飲み続けており、その隅にラインは弓に矢を
スノウはいつでも跳びかかれるように筋肉を滾らせている。後はラインのゴーサインを待つだけ。
そしてカインはククリナイフを右手に握り、猪が逃げ出した時に備えている。
じりじりと迫る狩りの時間。ラインが矢を射るその時がやけに長く感じられる。
いまかいまかと待ちわびていると―――ひゅんと大気を裂く音が耳に響く。
そしてラインから射られた矢は真っ直ぐ伸び水を飲む猪の前足に突き刺さった。突然の奇襲をかけられた猪はブォと野太い声で鳴いた。そして、命の危機を感じ矢が射られた方向とは逆方向に緩慢な動きで逃げ出す。
カインは猪の動きが遅いような気がしたが、ラインの忌々し気な声にかき消された。
「ちっ。俺は弓兵じゃねーんだよ。……スノウッ!行けッ!」
猛々しく叫ぶとスノウが塞き止められた水が解き放たれたような俊敏さで飛び出した。
強靭な足腰は力強く地面を蹴り、瞬く間に逃げる猪に追い付き喉元に喰らい付き動きを封じにかかる。しかし、いくらスノウが大きいといっても一撃で仕留めることはできず、巨大な猪は牙から逃れようとのたうち回っている。
そしてカインはのたうち回っている猪の脳天にククリナイフを突き刺すべく駆け出す。両足に体内魔力を集めそれを爆発させる事で瞬発的に速さを上昇させる。今、カインが使用したのは身体強化魔法と呼ばれるものだ。
瞬間的に近づいた先には圧倒的な生の存在感があった。気圧されそうにそうになったが、その恐怖心を噛み殺しククリナイフを振り下ろす。
ざくっと肉に突き刺さる音と共に生肉の軟らかい感触がククリナイフを通じて全身に広がっていく。それが命を奪う重みだとカインは知っている。
脳天に突き刺さったククリナイフは深く、致命傷である。どうあっても助からない。
それでも苦悶の声を漏らしながら懸命に生きようと暴れ回り、スノウを振り払い、カインを突き飛ばした。
「っツ!!!」
群生する草花を巻き込みながらカインとスノウは地に伏す。激しく打ち付けられ背中に襲った痛みに思わず苦悶の声が漏れる。
その隙に逃げ出そうと猪は弱弱しい足取りで再び歩き出す。生への執着。それは遍く生物に備え付けられた本能である。
生きたい、そう願うのは当たり前の事で誰もが願う権利がある。しかし―――茂みに隠れていたラインの刺突によって最後の足掻きは阻まれゆっくりと頽れた。
ラインはもう動かない事を確認しカインの方へ振り返った。
「おーい。カイン無事かぁ?」
名前を呼ばれカインは頭を押さえながら立ち上がる。手を振り安全を報せる。
同時に突き飛ばされたスノウの安否を確かめるため、辺りを見渡すと元気そうに泉の水を飲んでいた。怪我がなかったことに安堵し、ため息が零れた。
そして既にこと切れた巨躯の猪に目を向けると黒い体毛に覆われた胴体に磨かれた剣が深々と突き立てられており、赤い血を垂れ流している。
草花を押し潰し倒れた猪の姿は、どこか神々しかった。
「終わったんすか?」
本当に死んでいるのか信じられずカインは怖ず怖ずと尋ねた。
「あぁ。終わったよ。お疲れさん」
そう言ったラインは猪を眺め、訝しむ。
「こいつ傷でも負ってたのか?だいぶトロかったが……」
と小さく呟き突き立てられた剣を引き抜いた。傷口からねっとりとした血が零れる。
◇
ひと段落したカインとラインは仕留めた猪をどうするかで思案していた。太陽は昇りきっており、泉の水面に反射してキラキラと光っている。スノウはもう完全に緩み切っていて、水浴びを楽しんでいる。
「で、予想を上回る大物が仕留められた訳だが……どうやって持って帰ろう」
困ったように口を開いたのは壮年の元騎士、ラインである。ラインは猪を眺め手を組んでいる。
「大き過ぎましたね……。荷車にも入りきりませんよ、これ」
そう言ってカインは展開した荷車を指さす。カインが指さした荷車は百三十ほどの幅しかなくどう見ても入りきらない。この荷車は簡易魔具と呼ばれ折り畳み可能な荷車だ。持ち運びは便利だが収納性がいまいちであるためあまり売れなかったものを行商人から格安で買い取ったものだ。
結局使い物にならなかったわけだが……。
あれこれ考えていると水辺で遊んでいたスノウが低く唸る。それはスノウが警戒しなければならないほどの存在がいるということを報せだ。
突然の低い声に驚き、スノウが警戒しているその先に目線を向けると――、一見、スノウと同じようにも見える赤い双眸の魔獣がガサガサとう音と共に茂みの中から現れた。
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