4-2

「……あれ? 私……」

 明里のまぶたがゆっくりと開かれ、少女に外の光を見せる。ふと、彼女は不思議な温もりを感じ、顔を上げた。

「あ……」

 彼女の瞳に大切な人の、優しい顔が映る。

「キョウ……兄……ちゃん」

「ああ」

 少女は心の底から安堵あんどし、自身もやわらかな笑みを浮かべる。

「助けに来て……くれたんだね」

「ああ」

「……約束破って、ごめんなさい」

「いや」

「でも、来てくれて嬉しかった」

「……そうか」

 少年はただ少女の言葉を受け止める。

「あっ……」

 ふと、少女は少年に抱かれているのを理解する。

「キョウ兄ちゃん……大胆だいたん、だね」

「そうだな」

 キョウジの声が震え、その瞳がうるみを見せる。

「プレゼント、受け取ってくれたんだね」

 少女が少年の手に握られたペンダントを見つける。少年は、黙ってうなずいた。

「……大事に、してね。……すっごく、考えて選んだんだから」

「ああ。ああ!」

 素直な少年の言葉に少女は満足し、その手を少年のほほに添えた。

「私を、守ってくれて……。約束、守ってくれて、ありがとう」

「そんなもん、いつだって、何度だって守ってやる!」

 少女の心ははち切れるほどの幸せで満たされ、ついと一粒の涙を流させた。

「……うれしいなぁ。最期さいごに、キョウ兄ちゃんにこんなに優しくされるなんて、私思わなかったよ」

「ッ!」

 キョウジは言葉を失い、少女から目を背けた。

 少女の半身は侵食されつくし、彼女の片目はもはや見る影もなかった。

「最期なわけないだろっ! 馬鹿言ってんじゃねえよ!」

 キョウジは叫び、はき捨てた。それは、まるで救いを求めるかのような嗚咽おえつであった。

「……大丈夫。私は、充分幸せだから、キョウ兄ちゃんがいてくれて、私を見つけてくれて……嬉しかったから。最期に――」

 少女の瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。

「最期に、キョウ兄ちゃんにえて、よかった――」

 そう伝えると、かろうじて開かれていた少女の瞳は、静かに閉じられた。

「明里! 明里。大丈夫だ、お前は死なない! 俺が守ってやる! ずっとそばにいてやる! だから、だから――目を開けてくれ!」

 キョウジは絶叫し、明里の身体をゆさぶる。しかし反応は返ってこず、少年はすがるようにゼルを見た。

「……ゼル。どうすればいい。どうすれば明里を助けてやれる?」

 沈黙するゼル。キョウジには、それが何かを隠しているように見えた。

「ゼル!」

「…………明里の命を救う方法は、ある」

「……ッ!」

 ゼルの重たい口が開き、キョウジは救いの言葉に歓喜した。

「あるんだな! ……何だ? 俺はどうすればいい!」

 キョウジはなおも叫び、ゼルの次の言葉をうながした。

「……セレネイト粒子だ」

 思ってもみなかった単語に、キョウジはいぶかしげに小首をかしげた。

「ジーンドライブシステムで明里の身体に粒子を流し込み、彼女を犯しているタキシムの粒子と対消滅させる」

「なっ……!」

「一つの人体に、ふたつのシステムを使うのは初めてだが……他に彼女を救う手立ては…………無い」

 キョウジは目を閉じ、大きく深呼吸する。そしてわずかな逡巡しゅんじゅんの後、ゆっくりと口を開いた。

「分かった。やろう」

「……だが、ふたつだけ問題がある」

 その不穏ふおんな言葉に、キョウジは息を呑んだ。

「粒子の量が足りんのだ。私達の戦闘と、あの爆弾のせいで……周囲の粒子はほぼゼロになっている」

「なっ……! そんなの、だめじゃねえか!」

「唯一あるとすれば、『私』だ」

「え?」

「私に流れる、私を構成する全粒子を還元し、明里のために使う」

「……なんだ、問題ないじゃねえか。で、お前も無事に帰ってくるんだろ?」

「……」

 無言で返すゼル。それは考える余地もなく、否定の意味だった。

「そ、……そんなの、できるわけないだろ!」

 キョウジの拒絶を嬉しく思うゼル。しかし、そんなもの今は何の役にも立たないことを、彼は知っていた。

「さらに言うと、粒子を対消滅させたあと、そこに何が起こるか分からない。そこに埋めるためのでもない限り……、明里の身体には虚無が生まれるかもしれん」

 唖然あぜんとし、口を開いたままのキョウジ。だが、すぐにその表情は明るい笑顔を取り戻した。

「なるほどな」

「……」

「なんだ。簡単じゃねえか」

「……キョウジ」

「俺の身体を使えばいい。お前と同化したんだ。俺の中にだって粒子のひとつやふたつ流れてるだろ。明里の身体も治せるし、一石二鳥じゃねえか」

「キョウジ」

「じゃ、さっそく始めてくれ」

「キョウジ!」

 ゼルが怒号が飛ぶ。だが、当のキョウジはほうけた様子で笑っていた。

「なんだよ」

「君は、君は自分が何を言っているのか……分かっているのか?」

 ゼルは悲痛な叫びを上げる。

「死ぬんだぞ! 君の身体は素粒子に分解され、その魂は二度とこの世に戻っては来れんのだ!」

「そうかもな」

「キョウジッ……!」

 ふと、キョウジは視線を落とした。そこには安らかに眠る明里の姿があり、その顔を見ていると、キョウジはどんな困難をも乗り越えられるような気がした。

「なあ、ゼル。俺はな、十年前、わけも分からずこの星に来てさ。自分が誰なのかも、自分の生きる意味も、何も分からなくてさ」

「……」

「そんな俺に、居場所をくれたのが、……鷹矢、ゼル、……そして明里なんだ」

 ゼルはキョウジの吐露とろを止めるすべを知らず、ただ歯がゆく彼の言葉を聞いていた。

「俺は、そんなお前達に感謝してるし、皆がいなかったら、俺は今も生きてなかったかもしれない」

(やめろ)

 キョウジの指が明里の髪をなで、いとおしそうにその手で彼女を包んだ。

「だから――」

(それ以上言うな)

 ゼルの胸中でなされる制止はキョウジに届かず、少年の最後の言葉は述べられた。

「――だから、俺は。俺は明里を守りたい。俺の周り……小さいけど大切な、俺の世界を守りたい」

「身勝手なことを言うな! 君がいなくなったら、残された者達が誰が守ってやるというんだ!」

 ゼルの説教を聞き、キョウジは悪戯いたずらっぽく苦笑した。

わりぃな。それはお前に任せるわ」

「私を遺していくのか? 帰る故郷や、帰るべき場所なぞ、私にだって無いのだぞ?」

「ずいぶん情緒的じょうちょてきな言い方じゃねーか。……ごめんな、ゼル」

「……」

「大丈夫だ。明里なら、お前の居場所を作ってくれる」

「私の居場所なぞ、今も昔もひとつしかない」

「……もう時間がない。ゼル、やってくれ」

「……」

「頼むよ」

「……」

「こんなこと、お前にしか頼めないんだ。なんせ――」

 ゼルをなだめるように、キョウジが優しく言葉をつむいだ。


「お前は、俺の――最高の『相棒パートナー』だからな」


 その言葉を皮切りに、キョウジの身体が光を放つ。

「キョウジッ。キョウジッ! 君は、私の最高の『相棒パートナー』だ」

 軽口など一切ないゼルの応えに、キョウジは心の底から感謝を述べた。

「ありがとよ」

 安らかに目を閉じるキョウジ。その手には明里のペンダントが握られ、き通るような美しさを放っていた。


「誰か、誰でもいい! 神でも、悪魔でもいい! 誰か、私達を――キョウジを助けてくれ!」


 ゼルの絶叫が、むなしく闇夜に消える。

 辺りには優しく、やわらかな光が満ちあふれ、三人を奇跡で照らした。


                   *


 その日、天高く光の柱がたちのぼり、一人の少年の、一つの『矜持誇り』が、世界のすみまで知れ渡ることとなった。

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