第三章 矜持

3-1

「初めまして! 私、明里あかりってゆーの。あなたの名前は?」

 見知った声と名が耳に響き、キョウジの意識がゆっくりと頭をもたげる。

「あなた、すっごく怖い顔してる。お腹でも痛いの?」

(明里?)

 目の前で笑っているはずのない少女を不思議に思いながらも、キョウジは彼女の声を聞き続けた。

「うるさいな。ほっといてくれよ」

 不愛想な声にキョウジが振り向くと、そこには年少の男の子が立っていた。人懐ひとなつこい少女への仕打ちにキョウジはまゆをひそめるが、それがようやく昔の自分であることを理解する。

(そうか。これは)

「どいつもこいつもウザいんだよ! 俺をモルモットみたいにしやがって。俺のことが嫌いなら、さっさと殺せってんだ!」

「ダメだよ!」

 キッとけわしい表情で少年をたしなめる少女。その勢いに、少年はわずかにたじろいだ。

「そういうこと言っちゃダメだって、お母さんが言ってた!」

「は、ハァ? 知らねーし。お前のカーチャンなんて会ったことないし、俺は誰の言葉も信じねえ!」

 粗暴そぼうな少年にムーッとほほをふくらませる少女。だが、すぐに何かに気づき口を開く。

「……あなた、友達は?」

「は? いるわけねーし。んなもんいらねーよ」

「じゃあ、私が初めての友達になってあげる!」

「……お前耳でも悪いんじゃねーの? だからいらねぇって……」

 少女は明るい笑顔で手を伸ばし、少年に差し出した。あざやかに咲く春の花のようなその笑顔は温かく、不意打ちを食らった少年をドギマギさせた。

「もう一回、言うね。私、明里。あなたの名前は?」

「…………キョウジ」

「キョウジ……。よろしくね、キョウジ君!」

 少年の名を反芻はんすうし、この上なく嬉しそうに笑う少女。観念していた少年の手を両手でつかむと、無理矢理握手を行った。

「~~~~~~~!」

 声にならない悲鳴を口の中で殺し、顔を真っ赤にする少年。できるだけ相手を傷つけないよう手を振り払うと、恥ずかしさをごまかすために悪態あくたいをついた。

「馬鹿、なれなれしいんだよ! てかお前チビだしどう考えても年下だろ? 俺はもう七歳だぞ!」

「あ、じゃあ私より二歳上だね。私、五歳!」

 少年の言葉にも打ちのめされず、得意気にパーに開いた手の平を見せる少女。

「よろしくね、キョウジお兄ちゃん!」

 邪念の無い少女の笑顔が、少年をみじめに思わせる。自身の存在がひどく矮小わいしょうに感じ、自然と彼の口と心を開かせた。

「べっ、別に友達なんていらねーけど。そこまで言うなら……なってやる。でもな! 俺は借りを作るのが大嫌いなんだ! ……お前、なんかして欲しーことねーのかよ。今なら何でも聞いてやる」

「えー、別に無いけど。……うーん、そうだな。じゃあ私、キョウジお兄ちゃんのこと助けてあげたい!」

「は?」

 言葉のキャッチボールができていないように思え、少年は聞き返した。

「お母さんが言ってたの。『いい子なら、困ってる人を助けて、辛そうな人は守ってあげなさい』って! 私、いい子だから! キョウジお兄ちゃんのこと守ってあげる」

 胸を張って満足そうに要望を伝える少女。それを見た少年はため息をついた。

「わーかった、分かったよ。勝手にしろ。でもな、それじゃ俺のプライドが許さねーんだよ。知ってるか? キョウジってのはプライドって意味なんだぜ!」

「ふーん? よく分かんないや。……じゃあ、キョウジお兄ちゃんも。私のこと、守ってよ」

 意識できているかは不明だが、少女は若干照れたように少年に提案した。

「いーぜ、約束してやる! 俺は、明里、お前のことを――」

 突如、キョウジの見ている映像にノイズが入り、少年と少女の姿はかき消える。

(……夢か。そういや、こんなこともあったな)

 真っ暗闇の中でたゆたうキョウジの意識が覚醒し、今いる場所が夢の世界であると理解する。

 一時は静寂がおとずれたかに見えた暗闇だったが、再度世界にノイズが入る。

(ん? 今度はなんだ?)

 徐々に鮮明になっていく次の映像。そこはどこかの狭い部屋のようで、壁一面にはチタン合金のような冷たい銀色が広がっていた。部屋の照明は落とされ、小さな赤いランプが何故か恐怖心をあおった。

「お姉ちゃん……」

 不安そうな子供の声が聞こえる。キョウジの目に入ってきたのは、自分の小さい頃の姿だった。先程見たときよりさらに歳が下だったが、間違いなく自身の顔つきだった。

「大丈夫、大丈夫だよ。きっと助けが来るからね」

 少年にしがみつかれた女性が、落ち着いた調子で優しく語りかけた。

(この人、誰だ? それにここは一体……)

 キョウジは、今の自分と同い年くらいの女性を見つめるが、どの記憶からもその存在を確認できない。

「ほら見て。あの星、青くてすごく綺麗。私達、あそこに行くんだよ」

「怖い人いない?」

「ええ、きっと皆優しくて……いい人達よ。私達のことも絶対助けてくれる」

 その慈愛に満ちた表情には一瞬かげりが見えるが、すぐに少年に向き直り、その頭をなでた。

 すると、部屋の扉が大きな音を立てて爆発した。そこから一人の男が侵入し、両手にたずさえた銃のようなものを二人に向けた。

「貴様! こんなところにいたのか! 大人しく我々の計画に従ってもらおう!」

 ふりかざされた凶器に少年は泣き出し、それを強く抱きしめる彼女が、男を強くにらみつけた。

「あなた達、こんなことをして恥ずかしくないんですか! それが、それが上に立つ者の姿ですか!」

「何ぃ? 貴様、我々を愚弄ぐろうするのか! 選ばれた者でありながら、その使命を放棄ほうきするとは……少し痛い目を――」

 男が言い終えるのを待たず、彼の持つ凶器が破裂、分解を始める。

「もう手遅れです。あなた達の傲慢ごうまんも、……このふねも」

「こ、このアマアアアアッ!」

 男がふところから小型の刃物を取り出し走り出した。

(危ない!)

 無駄と分かっていても叫ばずにはいられないキョウジ。しかしそれは杞憂きゆうに終わる。

 突然女性の中心から発現した透明度の高い青いフィールドが男を吹き飛ばした。

 危険を回避したにも関わらず、表情が曇ったままの女性。その周囲は――いや、彼女の言った全体は、その震動をどんどんと増していった。

「お姉ちゃん……?」

「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげる。……もう間に合わないかもしれない。私のエゴかもしれない。でも、神様。どうかここにいるこの子だけは……」

 神に祈る彼女は、男の子の頭部をふわりとつかみ、互いのひたいをぴったりと合わせた。

「優しい人に出会うまで、お姉ちゃんのお守りがきっとあなたを助けてくれる。だから、心配しないで、――」

 彼女の口が少年の名を呼んだ。しかしそこでキョウジの意識は断絶し、視界がブラックアウトする。

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