3-2

 キョウジの瞳がゆっくりと開かれた。身体に重力の重み、そして激しい痛みを感じ、ここが現実世界であることを認識する。

「あれ? 今、何か大事な……」

 キョウジの目からは涙が流れていたが、その理由に皆目見当がつかず、わけも分からずまぶたをぬぐった。

「ここは……、どこだ?」

 背中に固く冷たい感触を覚えながら瞳をこらす。辺りはどこもかしこも暗く、自分が寝転がりながら何もない部屋の天井を見つめていることを気づくのに、数秒を要した。

「はは、とうとう牢屋ろうやにでも入れられたか」

 激しい気だるさで何もする気が起きないキョウジは、破滅的な笑みで独りちた。

「元気そうだな」

 ロック解除の電子音が鳴り、ゼルの声が聞こえてきた。しかしキョウジは顔を動かさず、ただ天井をまっすぐ見つめている。

「……」

「あれだけの暴走を起こしたんだ、さすがに鷹矢もかばい切れなくてな。私はキョウジと離されるし、機能は停止させられそうになるし、いやはや大変だったぞ」

「俺のせいだ」

「……」

「俺のせいで明里は。俺が、俺が守ってやらなくちゃいけなかったのに……」

「違う、私のせいだ。あのとき明里の行動を許可させたのは私だ。責められるべきは私にある」

「あのとき……そうだ。あのとき俺は、明里の命を……奪おうとした。助けようとしたのに……俺が明里を殺そうとしたんだ……」

「キョウジ違う。あれは君ではない。あの力を上手く扱えなかっただけだ」

「あのとき……俺があのとき明里の手を離さなければ。……あいつ、何だかすごく嬉しそうで……だから俺、ついこの手を……」

「キョウジ!」

 静かな、だが様々な想いを乗せたゼルの怒鳴り声に、キョウジは肩をビクつかせた。

「これを見ろ」

 あお向けのままのキョウジのために、ゼルは空中へと水平なウインドウを投影させる。

《なんと、なんと怖気おぞけの走る光景だ。この星全ての灯火ともしびが、我々の叡智えいちをかすめ取ってできているとは》

 そこに映っていたのは例の男だった。

 明里を連れ去った男の声を聞き、急に身を乗り出すキョウジ。

《見ているんだろう? この星の豚ども。貴様らが犯した罪、星の死でつぐなってもらうぞ》

 映像はそこで途切れ、ゼルが再び口を開く。

「二時間ほどまえの映像だ。……次はこれを」

 次にゼルが投影させたのは、緑の罫線けいせんで構成された東京の3Dマップだった。部屋中に広がる巨大なジオラマのようなその一点が、赤く点灯している。

「新東京タワー。奴はここにいる」

 3Dマップから小さなウインドウがいくつかポップアップし、男が映る先程の映像のキャプチャ画像、および現在のリアルタイム映像が表示される。

「関東全域のセレネイト粒子がこの新東京タワーに集まってきている。これは私の推測でしかないが……おそらく奴はを作っている」

 あまりに曖昧あいまいであまりに現実味のない話に、キョウジはいぶかしげな目線を送る。

「ダイナマイトや手りゅう弾のようなチャチな代物しろものではない。爆心地を中心に、都市を壊滅させるだけの熱線と爆風が起こるだろう。……だが本命はそれではない。観測すらもはや難しい量のセレネイト粒子が今現在も高濃度圧縮を続けている。もしもそれが爆発し、一瞬で飛散でもすれば……東京は――いや、日本列島は素粒子崩壊ほうかいを起こすだろう」

「なっ……!」

 キョウジは驚愕きょうがくに身を起こし、見開く目でゼルに相対あいたいする。

「使用者の命令なくただその特性を発揮させられたセレネイト粒子は、全てを分解し、再度何かを生み出すことは――決してない」

「だからって、だからって何で明里が連れ去られるんだよ! 俺達を殺すだけなら、あいつをさらう意味なんて無いだろ!」

「システムのセーフティなのだ」

「は?」

 ゼルの回答は要領を得ず、当然キョウジの疑問をさそった。

「粒子の力を支配し、操る、『ジーンドライブシステム』。その強力さゆえ、誰にでも扱う権利が与えられたわけではない。さらに、の身でなくてはシステムの一部が機能しないのだ」

「それってどういう……」

「システムを使うあの男は……人間ではない。いや、正確に言うと、有機体ではない」

 ゼルが新東京タワーを映すウインドウを広げる。そこにはタワーに張りついた巨大なまゆのようなものが絶えず脈動しており、その暗黒物質の禍々まがまがしさを強調していた。

 さらに映像を拡大するゼル。そこに小さく明里の姿を確認し、キョウジはけわしい目つきで歯ぎしりしてみせた。

 映像にフィルターがかけられ、サーモグラフィーのような粒子分布図へと切りかわる。見ると、明里を中心として、不自然な潮流ちょうりゅうが生まれていた。

「まさか」

「ああ。あの男は明里を憑代よりしろとして、全システムを無理矢理起動させているようだ。明里が選ばれた理由は……おそらく偶然だろう」

 ひどく言いづらそうなゼル。だがすぐに気持ちを切りかえ、顔を持ち上げる。

「そしてあの男の正体だが――奴は、記憶の残滓ざんしだ」

 未だ理解不能な様子でキョウジが首をかしげた。

「おそらくあの男は……キョウジ、君と同じふねに乗っていた者なのだろう。奴は激しくこの星をにくみ、死の直前その人格全てをした。そして、そのりつけ先の何らかのシステムが解析され、『模造品の魂自分』が起動するのを、虎視眈々こしたんたんと待っていたのだろう」

 荒唐無稽こうとうむけいな話にキョウジはただただ絶句する。

「そんな馬鹿な。そんなこと……可能なのか?」

「私にも分からん。しかし現に奴はやってのけている。そういう技術も、まだ見ぬ我々の『ブラックボックス』に残されているのだろう」

「くそっ、まさか本当に亡霊だったなんて。そんな奴に明里は……!」

 くやしそうに目をつむるキョウジ。ゼルは彼を鼓舞こぶするため、さらに続けた。

「そうだ。奴は亡霊。妄執もうしゅうに取りつかれ、狂気だけで暴走するただのシステムだ。そんなものに、この星を――いや、明里を殺させはしない」

「そうだ明里! 明里は、明里は今無事なんだな?」

 ゼルにつめよるキョウジ。今の今までそんな大事なことを確認していなかった自分に、キョウジははらわたが煮えくり返った。

「……生命反応は、まだ、ある。だからこそシステムも作動しているわけだしな」

「……そうか」

 言葉をにごすゼル。キョウジは彼の言わんとしていることを察したが、あえて追求はしなかった。

「ん? ゼル、それは」

 キョウジはゼルの持っているボロボロの紙袋に目線を送った。小さなそれを後生大事に持つゼルは、ややあって口を開く。

「誕生日プレゼントだ。明里から、キョウジ――君への」

 想像していなかった現実に狼狽ろうばいし、すかさずゼルのもとへと駆け寄るキョウジ。薄汚れた紙袋を受け取り、その中身を確かめた。

「すまない。私があの場で守れたものは、それただ一つだけだった。無能な私をうらんでくれて構わない。役にも立たないAIで、……本当にすまない」

 キョウジが包装紙をとくと、その中身は無事綺麗なままだった。手の平に少し余るほどの小箱を開けると、その中からペンダントとコンパクトサイズの音声記録装置ボイスレコーダーが姿を見せる。

(そうか、明里は。あいつは、こんなもののために……!)

 後悔と悲しみが再来し、明里のプレゼントを手の中におさめるキョウジ。だが、すんでのところで吐露とろを踏みとどまった。

 ふと、手中のボイスレコーダーを見つめ、キョウジはおもむろに再生ボタンを押す。


                   *


 明里の残したメッセージが再生終了し、牢の中には静寂がおとずれる。

 キョウジの胸は激しく締めつけられ、二つのおくり物を大切に抱きながらひざをついた。

「キョウジ。そこで何をしている」

 ゼルの問いかけにキョウジは顔を上げる。機械の頭部は表情こそ変えないが、そこに怒気が含まれているのは少年にはっきりと伝わった。

「君がすべきことは、ここで泣いて悲しむことなのか? そうしていれば誰かが助けてくれるとでも思っているのか? キョウジ、君は――」

 歯を食いしばりうつむくキョウジ。その様子を見た小竜はわずかに失意し、諦観ていかんの準備をする。

「……………………ゼル。まであとどれくらいだ?」

「! 予想されるデッドラインは今夜二十四時。あと約五時間だ」

 顔をふせるキョウジに不敵な笑みが走る。その表情は見えずとも、ゼルの心は高鳴り、自身の電子回路が急速にフル回転へと向かうのを自覚する。

「……上等だ。やってやろうじゃねぇか」

 キョウジは立ち上がり、ボイスレコーダーを大切そうに箱へとしまう。そして右手で明里から贈られたペンダントを強く握ると、ゼルをまっすぐに見据え、伝えた。

「俺は、あいつを――明里を助けたい。いや、助ける。……一度は離したこの手で、必ずあいつの手をつかんでみせる。だから――」

 キョウジの目には、もはや恐怖も後悔も、諦めすら映ってはいなかった。

「――だから、俺に力を貸してくれ、ゼル」

 静かだが、強い意志。そんな少年のちかいと願いに、ゼルは当然のように言葉を返す。

「ああ。私は、いつだって君のためにしか動かない」

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