2-4

「遅いな……」

 明里が飛び出してから一時間。キョウジは不安をつい口に出してしまう。

「心配しすぎだろう」

 ぶっきらぼうのようでその実過保護なキョウジを内心いじらしく思い、フッと笑ってしまいそうになるゼル。

『キョウジ、ゼル。応答してくれ』

 二人の会話にさらにぶっきらぼうな声が加わる。鷹矢だった。

「鷹矢? さっきの事件のことか? 犯人はもう連れていかれたんだろ? まだ何かあるのか?」

 不思議そうに答えるキョウジ。先程の事件の事後処理を鷹矢達に任せていた手前、最悪午後の予定をくずしても仕方ないなとまゆを八の字にした。

『お前達のいる商業施設で、異常なセレネイト粒子の濃度上昇が確認されている。何か異変はないか?』

 珍しく焦った様子の鷹矢に気圧けおされながらも、キョウジはけろりと言い放った。

「そんなの今月何度もあったろ。まぁでも一応これからパトロール――」

「待て。鷹矢、濃度が一番高い場所はどこだ?」

『! ちょっと待て……ここは、先程の現場だ』

 通信するキョウジの脳が一時停止し、様々な憶測と悪寒が縦横無尽じゅうおうむじんに飛び交う。

「クソッ!」

 やにわに走り出したキョウジの表情は苦痛と後悔でゆがみ、自身の予想がただの杞憂きゆうであることを切に願った。

(明里……!)


                   *


「おい、何だアレ」

 数時間前に大立ち回りを演じた場所、そこに再訪さいほうした少年に突きつけられたのは、あまりに残酷な現実だった。

 ゼルまでもが息を呑み、その場で起こっていることを瞬時に解析できない。

「まさか」

「おい、ゼル。……ゼル! 何だってんだよ、アレは! 何で、なんで……」

 うわごとのように要領を得ないしゃべりをするキョウジ。

 少年の視線の先には、巨大な、暗黒の物質が広がっていた。十二分に広いはずの商業施設のアーケード、そこを全て埋めつくすような謎の黒。そのシルエットはおいそれと理解できるものではなく、有機物、無機物、多種多様な断片で構成されていた。

 無機物の装甲からのぞく、正体不明の赤い有機物。筋肉のようなその組織は絶えず脈打ち、見る者の精神をむしばんでいく。

 だがそんなものには目もくれず、キョウジは暗黒の中心に取り込まれている一人の少女に釘づけになった。

「何であそこに明里がいるんだよ!」

 キョウジの悲痛な絶叫はむなしく漆黒しっこくに呑み込まれ、その意味をさない。

《おっと。そういえばまだ一匹いたか》

 前触まえぶれを一切感じさせず、空中に長身の男が出現した。

「貴様、昨日の!」

 ゼルの叫びにキョウジが目をやると、男はさげすむような視線で見下し返した。

《まさか『オリジナル』の反応がいくつもあるとは。やはりこの星の豚どもに、我々の矜持きょうじは踏みにじられつくしたという事か》

 男の言う内容を理解できずとも、キョウジはその男が自分の名を呼ぶことに何故か強烈な不快感を覚える。

「そうか。お前、ハイウェイにいた奴だな。ここで何をしている!」

 キョウジは昨晩邂逅かいこうした亡霊のような存在を思い出す。フードこそ被っていなかったものの、その醜悪しゅうあくにゆがんだ口元は忘れようがなかった。

えるな。貴様も……いや、この星もすぐに滅ぼしつくしてやる》

「何言って――」

《だがすぐには殺さん。じわじわとその低俗ていぞくな魂に復讐してやろう》

 言うと、浮遊したままの男はついと少女のそばに寄る。その口角は上がり、気色の悪い笑みを浮かべている。

「明里にさわんじゃねぇ!」

 激昂げきこうしたキョウジになど構いもせず、男は少女のほほをつかんだ。

《まずはこの豚のようなかたまり。その死を狼煙のろしとしよう》

 少女の瞳は光をともしていなかった。力の抜けたその全身をだらんと放り出し、なすすべなくいいように扱われる。男の顔面は下卑げびた笑いで満たされていた。

 キョウジの理性はとうとう飛ぶ。髪は逆立ち、言葉にならない咆哮ほうこうをしぼり出した。

「ああああああああああああああああ!」

「キョウジ、落ち着け! に飲まれるな!」

 ゼルの悲痛な警告など耳に入らず、悲しみに支配されるキョウジ。その心のままに、あらゆるものに侵食を始める。

「ぐっ……! キョウジッ……!」

 一帯が地鳴りを上げ、世界が崩壊ほうかいの予兆にきしみを上げた。

 周りの構造物は素粒子分解を起こし、全てがキョウジへと吸い込まれていく。それは、ゼルも例外ではなかった。

《! ほう。オリジナルを使う盗人ぬすっとかと思っていたが、まさか貴様自身もだったとは。……だが同朋どうほうとは言いがたい。この星の豚どもにくみした愚物ぐぶつめ》

 わずかに目を見張った男だったが、すぐさまその表情を軽蔑けいべつへとかえした。

 数秒続いた暴風と轟音、そして絶叫がむ。施設の姿はもはや見る影もなく、目に見える全ての無機物はその形をえぐり取られていた。嵐の中心にいたはずの少年はこつぜんと姿を消し、代わりに一つの生物があらわれる。

 全身を白銀の装甲でおおわれた二足歩行の生物は、まぎれもなくキョウジの変貌へんぼうした姿であった。しかし猫背からは尻尾を生やし、フルフェイスで顔を隠した彼のシルエットはすでに人ではなく、言うなれば『竜人』のそれであった。

「ガアアアアアアアアアアアアアッ!」

 獣の叫びを思わせるキョウジの咆哮は天高く轟き、世界の運命全てを呪った。

「キョウ……ジッ。キョ、ウ……ジ。駄目だ。このままでは」

 存在を消されたかに思えたゼルは、確かにキョウジの中で生きていた。しかしその思考と能力はキョウジに支配され、今にも封殺されそうになっている。

 再度叫びを上げたキョウジは空中の男をにらみつける。人ひとり殺せそうな眼光が男を貫くが、それを受ける側はどこ吹く風であった。

 大きく屈伸くっしんし、狂気を充分にその身に宿やどし、キョウジが激しく大地をえぐった。爆発音をともなってキョウジは跳躍ちょうやくし、仇敵きゅうてきと見定めた男に肉薄する。

 竜人の右腕が振りかぶられ、乱雑にこぶしを突き出した。その身にかかる負荷など知らず、ただ目前の男の命を奪うことだけが脳を支配する。

おろかな》

 表情ひとつ変えず、男は右手で衝撃を受け止めた。うなり声を上げるキョウジを冷徹れいてつな目で一蹴し、首をかしげた。

《ん? ……なるほど。その姿、貴様我々の同朋ですらなかったか。……。低級民が、その力、一体誰から奪った?》

 苦笑いしながら相手の出自を看破し、眉をひそめる男。彼の手に力がこもり、キョウジの拳を、その先にある心身を握りつぶそうと圧をかける。

「ガアアアアアアッ!」

 のけぞり意識を失いそうになるキョウジ。しかし空いている左腕がひとりでに持ち上がり、手の平から生えた銃口が男に向けられた。

 銃声が鳴り、キョウジをつかんでいた手はほどかれた。そのまま自由落下したキョウジは猫のように身体をひねり、両足と手の三点で着地を行う。

「キョウジ! キョウジ、落ち着け! 私の声が聞こえないのか!」

 ゼルの機転によって窮地きゅうちを救われたなどつゆ知らず、キョウジは次の一撃を出す準備を始めていた。

「キョウジやめろ! このままでは奴に勝てない。離れるんだ!」

 キョウジは再度飛び上がり、男に向かっていく。次々に拳をくり出すが、それらは全て軽くいなされた。

「キョウジ! 明里がそこにいるんだぞ! 攻撃をめるんだ!」

「ギィッ……! ガアアアアアア!」

 ゼルの言葉に触発されたのか、キョウジはより雄叫おたびを強める。

 攻撃は激しく、そして乱暴になり、男にかわされたそれらは、暗闇に埋まっている構造物を次々に削り取っていった。

「キョウジ、キョウジ! ……ッ!」

 悲哀を増して訴え続けるゼル。瞬間、その意識が越えてはいけない一線を察知した。

「明里を殺す気か!」

 キョウジの頭に警告が響き、脳の動きを強制停止させる。

 空中で静止した竜人の拳。そのほんの数センチ先に、明里の顔があった。

「アッ、ガッ……」

 キョウジののどからうめき声がしぼり出される。それに反応したのか、明里の身体がピクリと動いた。

「キョウ……兄……ちゃん」

 死んだような目の少女は、一言だけ、大事な者の名をつむいだ。

「!」

 暴走する心に冷水をかけられたキョウジは、今度こそその動きを止めた。

 木偶でくぼうと化した竜人に、長髪の男が非情な一撃をたたき込む。

「ヅッ……!」

《そこで寝ていろ》

 腹部に衝撃を受け、キョウジは大きく吹き飛ぶ。綺麗な放物線を描きながら、彼は冷たい床へとたたきつけられた。

《いずれ貴様の相手もしてやる。それまでは、この星が死にゆくのをゆっくり見物しているがいい》

 キョウジに興味をなくした男は背を向け、その場の巨大な暗黒とともに一瞬で姿をかき消した。

 何もかも消失した広大な空間で、キョウジはただ一人空を見つめていた。大の字であお向けになる彼は、もはや指一本動かせないでいる。

「ア、……カ……、リ」

 最後の力で口を動かしたキョウジは、その名を持つ少女を求め、意識を失った。

 竜人の装甲は分解を開始し、年相応の少年の体格を外部にさらけ出していく。

 同時に空には暗雲がたちこめ、午前の晴天が嘘のように世界は闇で満たされた。天から降った一粒の雨を合図とし、どしゃ降りが容赦ようしゃなく少年の身体を打つ。

 稲光が人々を恐嚇きょうかくし、轟く雷鳴が聞く者に宣告を与える。それはまるで、審判の日の始まりのようであった。

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