2-3

「明里!」

 少女の名を呼び、彼女のもとに駆け寄るキョウジ。その名を口に出すと、不思議と心が休まる気がした。

 しかし、当の明里は今にも泣きそうな顔でキョウジを見つめ、せきを切ったように大声を上げた。

「キョウ兄ちゃん、どこに行ってたの! 急にいなくなるし、キョウ兄ちゃんの走っていった方向からは銃の音がするし、皆逃げて来るのにキョウ兄ちゃんだけ全然帰ってこないし、私も避難させられて、目の前は大きなシャッターでふさがれるし、どうしたらいいのか分からなくて……わた、私――」

 様々な感情がないまぜになった様子で、明里の瞳からは涙がこぼれた。

 周りにはひとっこ一人おらず、少女がでキョウジの帰りを待っていたのは明白だった。その事実に彼の胸は締めつけられる。

 握った両手で顔を何度もぬぐい、ひたすら嗚咽おえつをもらす明里。彼女の姿を見るのがいたたまれなくなり、どうしても顔をそむけてしまうキョウジ。そんな彼の視線には、自分を見つめるゼルの姿が映っていた。

「……」

 軽口もたたかず、無言でキョウジに主張するゼル。

(……分かったよ)

 キョウジは泣いている少女に近づくと、右手を彼女の頭へ乗せようとする。が、数秒逡巡しゅんじゅんした後、結局その手を引っ込めた。

「あー。その、なんだ。急にいなくなって、悪かったな。……ごめん」

 直後、キョウジの身体に軽い衝撃が加わる。見下ろすと、明里が彼の胸によりかかっていた。

「――すっごく、すっごく心配したんだからね……!」

 そのまま泣き続ける明里と、むずがゆい思いで目をそらすキョウジ。二人を見守りながら、ゼルは静かに時が過ぎるのを待った。


                   *


「大丈夫か?」

「……うん」

 未だ鼻を鳴らし、にごった声を出す明里。

「あっぢ向いてて」

 言葉全てに濁点だくてんをつける少女に背を向け、キョウジは彼女がを処理する音を耳に入れないように努めた。

「うー。……もういいよ」

 許しを得たキョウジが振り向くと、恥ずかしそうに目元を赤くした明里がそこにいた。

「あ、あんまり見ないで」

「す、すまん」

 片腕で顔を隠す明里の様子に、ほんの少しだけ元の活発さを見た気がするキョウジ。心底安心し、ほっと胸をなで下ろした。

「……あのな、明里。……実は俺――」

 意を決したように語り始めるキョウジ。しかしそれはすぐにはばまれた。

「大丈夫。キョウ兄ちゃんにだって色々事情があるもんね。うん、分かってる。……だから、無理に言わなくてもいいよ」

 笑顔で拒否する明里。キョウジにはその優しい気づかいこそが辛く、そしてさびしさを感じる要因となってしまった。

「そっか」

 弱い自分の心を気取けどられないよう、あくまであっけらかんと伸びをするキョウジ。

「さ~て、これからどうすっかな」

「少し遅いが、昼食にでもするか」

「へへ、そうだね。私お腹すいちゃった。でもお店開いてるかな?」

 腹部を押さえ、おどけてみせる明里。だがそのままフリーズし、みるみるうちに顔面蒼白となった。

「あ、あぁ! お店! お店閉まっちゃう!」

「飯屋か? まぁ騒ぎがあったからな。しゃーねーが少し歩いて――」

「違うの! ご飯屋さんじゃなくって、うー」

 言葉を詰まらせる明里に、状況を察したゼルが助けぶねを出す。

「ふむ。あんな事件があったというのに、もう営業を再開している店があるらしい。『スピカ』……アクセサリーショップだな。商魂たくましいことだ」

 状況を呑み込めないキョウジと、驚きに目を見張る明里。

「ゼ、ゼルぅ……! そ、そうそう。その店にちょっと用事があって~」

「? 飯食ってからじゃダメなのか?」

「ダメ! ……あ、えと。もしもまた閉まったら大変だし、ね?」

「別に今日じゃなくてもいいだろ。買い物くらいまた今度つき合って――」

「今日じゃなきゃダメなの!」

 気だるそうなキョウジだったが、強く反発した明里に面食らってしまった。

「お、おう。そうか。って、ちょっと待て明里!」

 あわてて駆け出そうとする明里の手をつかむキョウジ。

「お前、そっちは事件のあった方角だろ。危ないって。やっぱめた方が……」

 手をにぎられ、わずかに鼓動こどうが高鳴る明里だったが、すぐにその瞳をうるませた。彼女の悲しげな表情は、キョウジの思いをにぶらせた。

「店の場所は事件現場をはさんでちょうど向こう側の区画だな。充分安全な距離だろう。不安なら道を迂回うかいして進むといい。……ふむ。それにどうやら先程の犯人は警察に連行されたようだぞ」

「すごい、ゼルってば本当に何でも知ってるんだね!」

 ゼルの言葉にパッと笑顔を取り戻す明里。そのまま視線を移動させると、無言でキョウジにうかがいを立てた。

「はぁ……。わーかった、分かったよ。でもな、事件のあった道は絶対通るなよ。何かあったらすぐに電話しろ? 俺はちゃんと待ってるから、焦らずゆっくり行ってこい」

 少女の上目づかいに白旗を上げ、キョウジはとうとう観念した。

「……うん! ありがとうキョウ兄ちゃん。それじゃ、行ってくるね」

 キョウジの承諾しょうだくを受け、明里はこの上なく嬉しそうに笑い、そして走り去っていった。

「すぐ戻ってくるから~!」

 ふいに少女は振り向き、ブンブンと大げさに腕を振る。それをあきれつつも微笑ほほえましく思い、キョウジは彼女の背を見守った。

「やれやれ」

(やれやれ……)

 キョウジは声に出し、ゼルは心の中でため息をつく。両者のそのトーンはまったくの正反対であった。


                   *


「ありがとうございましたー」

 にこやかな女性店員に見送られ、明里はアクセサリーショップを飛び出した。来店したときには持っていなかった小さな紙袋を胸に抱き、ほほをゆるませながら帰路につく。

(誕生日プレゼント、喜んでくれるかな? キョウ兄ちゃんのことだから、きっと初めは興味なさそうに受け取って、……でも大事に持っててくれるんだろうな)

「えへへ」

 あふれる期待に胸をおどらせ、何度も何度も紙袋の中をのぞく明里。左耳よりも上の方で結ばれた彼女のサイドテールがね、ピョコピョコと可愛らしくゆれた。

「あ……」

 夢中で走り、いつの間にか大通りの分岐点へとたどりついていた明里。頭の中には大事な人の言葉がリピートされていた。

『事件のあった道は絶対通るなよ』

 だが同時に、少女はまだ見ぬ大事な人の喜ぶ顔を想い描いてしまう。

『ありがとな、明里。……大事にするよ』

「…………」

 うつむいて顔を真っ赤にする明里。口元をだらしなくゆるませて前を向いた少女は、幸せそうにショートカットの道を選択した。他でもない、事件現場へと至るその路を。


                   *


 二時間以上前、過激派の男が暴走し、破壊の爪跡を残した場所。週末であるにも関わらず、その商業施設の大通りは伽藍堂がらんどうであった。一度戦場となった場所へおもむくような物好きは少なく、犯人が連行されて事件がひとまず終息した今、辺りにいるのは警察官二人のみであった。

「先輩、誰もいなくなっちゃいましたね~」

「そうだな」

 やや軽そうな印象を受ける新米警官が、数個年上の先輩巡査部長にからんだ。

「野次馬どころかカメコも消えたし、俺らももう帰っていいんじゃないっすか?」

「馬鹿。真面目に見張れ。……あの戦闘用車両、軍で採用されてる次世代のヤツだ。下手したら死人が出てたかもしれないんだぞ」

 巡査部長はちらりと振り向き、黄色の立ち入り禁止テープの内側をにらんだ。

「つってももう機能停止してるんでしょ? すごいですよね、何したらあんな大穴が空くんだか」

 新米の当然の疑問に巡査部長は押し黙ると、ややあって口を開いた。

「現場にいた連中の話によると、『竜使い』が出たらしい」

「え? あの政府がかくまってるって言う宇宙人のことですか? ははは、そんな馬鹿な。あれ都市伝説でしょ? 先輩も意外とミーハーなんすね」

 他愛ない会話に満足し、真面目に警備を再開する新米警察官。その視界に一人の少女が映った。

「先輩、女子っすよ女子! しかも結構……いや、相当可愛いっすよ。あ~、こっち来ておしゃべりしてくれないかなー。いやむしろ俺が向かうべきか」

「いい加減にしろ。もしこっち来たらちゃんと追い返せよ」

 すると少女がこちらに気づき、ぎこちなく会釈えしゃくした。

「あ、先輩。ほら見て、あの子こっち向いてる。あれ絶対俺に気がありますよ!」

 先輩の巡査部長は特大のため息をついた。

「いいなー。ああいう子って絶対いいにおいするんだろうな~」

 だらしない笑顔で少女に手を振る新米警察官。

《におい……そう、においだ》

「そうそう匂いって……え?」

 背後から聞こえた声に反応が遅れる新米。

《臭うぞ。やはり、そうか。『コピー』をえさにして正解だったな》

「おいお前、そこで何をしている! 手を頭の上に置いてゆっくりとそこから離れろ!」

 巡査部長が回転式拳銃リボルバーを抜き、新米も遅れてそれに続いた。彼らの目には破壊されつくした戦闘用車両と、その上に立つフードの男が映っていた。

《やはり、我々の叡智えいちはこの星のサルどもに奪われたか。……忌々いまいましい。今すぐこの星もろとも消し飛ばしてやりたいところだが……》

 突然、フードの男が警察官二人を目で射抜いた。次の瞬間、彼らの持つニューナンブM60は勢いよく破裂、分解する。

 わけも分からず思考停止する二人の足元から針山が生まれ、一瞬で彼らを拘束、無数の裂傷を与えた。

「ぐっ、うわあああああ!」

 遠くでそれをうかがっていた少女は異変に気づき、その異質さ異常さに声も出せずに立ちすくむ。

《まずは、その臭い。お前を、けがむさぼってくれよう》

 すると、フードの男は光速で少女の目の前へと出現し、醜悪しゅうあくな笑みを彼女へと向けた。

「あ……、あ……」

 少女は、自分が今ここにいることの後悔ばかりを考え、大切な人との約束を破ってしまったことを心中でただただび続ける。

 だがそれもむなしく、恐怖に蹂躙じゅうりんされた少女は暗闇へと呑み込まれていった。

「あ、やだ。いや、誰か――」

 脳裏に走馬灯が流れ、そこに最多出演している少年の名が口をつく。

「キョウ兄ちゃん……!」

 明里の最後の言葉は、もはや誰にも届きはしなかった。

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