第一章 望まれぬバースデー

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 都市が夜の静けさを迎える頃。人々は心休まる我が家へと帰り、各々の営みは光となって街を照らす。その無数の輝きにまぎれ、少年は隠れるように生きていた。

「……ただいま」

 シンと静まり返った部屋の中に、覇気のない声がむなしく響く。

 一見独り暮らしの少年が帰宅しただけに見えたそれは、その実、明らかな異質さをていしていた。

「おかえり、『キョウジ』」

 どこからともなく初老の男性を感じさせる声が聞こえた。かと思うと、歩く少年の先を照らすように部屋の照明が順に点灯していく。

 自身に返ってきた声の主がどこにも見えないことなど一切気にせず、『キョウジ』と呼ばれた少年は再度口を開いた。

「一緒に帰って来たんだからお前が言うのは変だろ」

「なに、こういうのは行うこと自体が大切なのだよ」

 キョウジの問いに、やはり渋い男性の声が返答を行った。子供をさとすようなその声色をキョウジは少々気に入らなかったが、不思議なぬくもりを感じ、彼の口角は自然と上がる。

「ま、いいや。テレビつけてくれ、『ゼル』」

 大げさに肩をすくめたキョウジの背後でテレビのリモコンが宙を舞った。

「承知した」

 不自然に浮くリモコンの角に配置された電源ボタンが、これまた不自然に押し沈められる。間もなくテレビからは下品な笑い声が飛び出し、さびしげな部屋は一気に生活感で満たされた。

「ニュースに変えてくれ」

 買い物袋から購入品を取り出しながら、キョウジは要求する。液晶テレビが報道番組を映し始めたのを尻目に、テキパキと食材を冷蔵庫に放り込んでいった。

 番組ではちょうど何かのコーナーが終了したらしく、男女のキャスターが上品かつひかえめに笑い合っていた。

『それでは次のニュースです』

『宇宙から謎の物体が飛来し、地球に衝突してはや十年。節目の日をひかえ、国際連合は、明日東京都内で行われる記念式典の準備を進めています』

 お気に入りにのエコバッグをたたんでいたキョウジの身体がぴたっと止まった。

『――突如としてもたらされた宇宙からの贈り物。人類の叡智えいちをはるかに超えた技術が詰まったこの巨大な物体は、人々の生活をさらに豊かなものにしていきました――』

 資料映像と共に聞き取りやすいナレーションが流れてくる。同時に、部屋の中をどこか張り詰めた空気が漂い始めた。

 キョウジは無言になり、番組内容を無視するかのように食器棚から調理器具を物色していた。冷蔵庫に入れずにいた卵パックの封を開け、小麦粉の入った透明なビンを手元に用意する。

『宇宙人反対! 地球をけがす文明の発達を即刻中止しろー!』

 突如、語気の荒いかけ声が響いた。

 いつの間にか資料映像は終了し、抗議活動と思われる行列がテレビに映し出されている。

『ご覧のように、一部の抗議活動家たちが記念式典の開催に異をとなえています』

「キョウジ」

 メインキャスターの解説をさえぎるように、ゼルの声が重なる。

『この団体は、十年前から始まった急速な文明発達により、環境破壊や紛争の多発、犯罪率の上昇が進んだと訴えており――』

「キョウジ。あまり気にするなよ」

『地球を死の星に変える宇宙人を許すな!』

 キッチンカウンターにステンレス製のボウルが強く打ちつけられ、軽い金属音を部屋中に鳴り渡らせた。

「悪い。やっぱ消してくれ」

 その言葉に返答は無く、テレビの電源は静かに切られた。

 部屋の中にはすっかり静寂が戻っていた。しかしただ無音というわけではなく、今はステンレス同士がこすれ合う小気味よい音がリズムを刻んでいる。

「キョウジ。他者の考えがどうあれ、明日はめでたい日だ」

「……」

 特にあいづちも打たず、キョウジは黙って卵を泡立てている。

「……やはり『鷹矢たかや』を誘ってはどうだ? いつもは無愛想に見えるが、きっと君のことを祝いたいに決まっている。それに『明里あかり』だって――」

「余計なお世話だ」

 キョウジがぴしゃりと言い放った。

「もう十六だぞ。誕生日を祝われて喜ぶほど子供じゃないし、騒がしいのは苦手だ。ただでさえ、隣に口うるさい保護者代理がいるんだしな」

(……まったく。まだまだ子供だな)

 あきれを口には出さず、代理は心の内でため息をついた。

「なんだよ」

 その気配を感じ取ったのか、少年はバツが悪そうに口をとがらせる。

 ゼルは一呼吸置いた後、わざとらしい口調で小芝居の幕を開けた。

「ああ! なんとなげかわしい。己の誕生日ケーキを自分で作るあわれな少年――そんな彼に甲斐甲斐かいがいしく寄り添うパートナーを……こともあろうに口うるさい等と!」

「……」

 ゼルが茶化し始めたことを悟ったキョウジは無視の姿勢を取った。泡立てた卵に、無表情で薄力粉を振り入れていく。

「キョウジ!」

 わずかに声量を上げたゼルに驚くこともなく、キョウジは声のした方へと目をやった。

「……砂糖は入れたか?」

「入れたよ」

 いつものことだ、キョウジはそう思った。触れたくない話題から逃げるだけの自分、それを心配したしなめてくれる心優しき保護者代理、そんな彼に素直になれない自分、そして、全てを分かっているかのように普段通りの生活へと軌道修正を行ってくれるゼル。その一連は、キョウジがこの十年で何度も経験してきたものだった。

 わずかな罪悪感と、いつも口に出せない感謝の言葉。その二つに押しつぶされないように――ゼルに応えられるように、ゆっくりと平常心をたぐり寄せるキョウジ。

 しかし、どうやらこの日は少しばかり具合が違うようであった。

「さて! そんな憐れな少年に、今日は素敵なメッセージが届いているのだが!」

「その話続くのかよ……」

 先程まで感傷に浸っていた自分を馬鹿らしく思いながら、キョウジは横目を使い、虚空こくうに注視した。

『キョウ兄ちゃ~ん、やっほー。明里あかりです。もう用事は終わってる、かな?』

 透明感のあるデジタル音をかすかに鳴らし、キャンパスノートほどの平面投影式ディスプレイがあらわれる。直後、明るい少女の声がキョウジの耳をくすぐった。

『キョウ兄ちゃんいつも急にいなくなるし……。一緒に帰ろうと思って、一応今日も探したんだよ?』

 明里あかりと名乗った少女がちょっぴりほほをふくらませる。だがそこに怒りの感情は感じられず、あくまでポーズだけのようだとキョウジには思えた。

『研究所のお手伝いとか、私にはよく分からないけど……あんまり学校サボると、退学になっちゃうよ? ……そしたらお昼一緒に食べられなくなっちゃう……』

 一瞬顔に出てしまったさびしさを誤魔化ごまかすように、小言モードへと入る明里。最後に彼女の願望がつぶやきとなったが、残念ながらキョウジの耳には届かなかった。

「そういやお節介焼きはまだいたんだった」

 録画されたメッセージ動画を背にしながら、ボウルに入った材料をヘラで丁寧に混ぜ合わせていく。

「数少ない君の理解者だぞ? もう少し真面目に聞いてはどうかね?」

「別に聞いてないわけじゃ……。っていうか、いい加減姿を見せろよゼル。さっきから気が散ってしょうがない」

「ふむ。そうだな、はこれくらいにしておこう」

 そうゼルが言うやいなや、何もない空間がゆがみ、突然透明な何かが存在をあらわにした。

「君の反応を見るに、無事機能していたようだな」

 ストロボを発光させたような放電音をかすかに鳴らし、とうとうゼルが自身の身体を可視化させていく。

 それは、まるで神話にでも登場しそうな小竜のシルエットを持っていた。フクロウを一回り縮めたような体躯は、一見愛玩あいがん動物のようにも感じられる。反面、その背から生えているいかつい翼、加えて爬虫類はちゅうるいのように長い尻尾は、地球上のどこにも存在し得ない異彩さを放っていた。

「だが、現状全ての関節部をおおえていないのは重大な欠点だな。完璧な不可視を目指すと、やはり手足を固定化しなければならない。おかげで肩がこって仕方がなかった」

「そりゃ大変だ」

 しらじらしくあいづちを打つキョウジ。

「AI(人工知能)が肩こりを感じるなんて、技術部の皆が聞いたら泣いて喜ぶよ」

 そんな苦笑を受けながら、ゼルはその姿――白銀しろがねの装甲で構成された我が身をさらけ出す。それはまさしく、人工的に作られた魂をその身に宿す、竜を模した自律機械の姿であった。

「私は特別製だからな」

 ひとしきり首を大きく左右に振った後、ゼルが浮遊しながらキョウジを見上げる。両目部保護用の装甲をスライドさせてまばたきをする彼は、どこか自慢げだった。

(これ、犬だな……)

 気が置けない仲とはいえ、その感想を口に出すのはさすがのキョウジでもはばかられた。

「そういや明里からのメール、どんな用事だったんだ?」

 すっかり止まっていた手を動かしてケーキ型に生地のを流し込むキョウジ。作業をしつつ、ゼルにメッセージの再生をうながした。

『――えっと、それでね。明日はキョウ兄ちゃんの誕生日でしょ? よかったら、どこか遊びに行かない?』

 映像の中の明里は、ためらいがちに探りを入れる。後ろ手になりながら目線をそらす彼女を、キョウジもまた、まっすぐに見つめることができなかった。

けるじゃないか」

「うるさい」

『ちょうど例のイベントがあるでしょ? ショッピングモールでもお祭りするんだって! せっかくだから、美味しいもの食べに行こうよ。……キョウ兄ちゃんが誕生日とか祝われるの好きじゃないのは知ってるよ? でもね、やっぱりちょっと……さびしいな、って』

 寸刻押し黙った後、明里は意を決したように顔を上げた。

『ダメ……かな?』

 上目づかいの明里が不安そうにうかがいを立てる。

 すると、ゼルも首を回し、明里と同じ方向を向く。無言ではあったが、いかにも何か言いたげな様子であった。

「うっ」

 二人からプレッシャーを向けられたキョウジはたじろぎ、部屋の中にはわずかな沈黙が流れる。しかして、当然のように少年は音を上げたのだった。

「わーかった。分かった。行くよ」

「賢明だ」

 うなだれるキョウジを称えると、ゼルはそのまま言葉を続けた。

「明日は久し振りに良き日になりそうだな! 私も全力で祝わせてもらおう。何かして欲しいことはあるか? どうだ? ん?」

 妙に嬉しそうな保護者代理は、キョウジの周りを飛行しながらリクエストを求めた。

「だーもううるさい。黙ってタイマーの代わりにでもなってろ! 最・上位・命令・だ!」

 どこか気恥ずかしさを感じるキョウジ。問いかけをあしらいながら、最近調子の悪いオーブンレンジへとケーキ型を放り込んだ。

「ピーッ。オーブン、を、四十、分、に、設定しました」

 指示を受けたゼルは空中で急停止し、何世代も前のような間抜けな音声案内を行った。

「……仮にも私は最新鋭技術の結晶なのだが? このような使い道をされては少々落ち込むぞ」

「仕方ないだろ。ウチは貧乏なんだ。使えるものは何でも使うさ」

 うらめしそうな視線には気づかぬふりをし、キョウジはオーブンレンジの壊れた液晶部を指でノックした。

「ッ! キョウジ!」

「今度はなんだよ」

「仕事だ」

 その言葉を合図に、それまでの和やかな空気は一瞬ではりつめた。

 一呼吸置いた後、すでにけわしい顔つきとなっていた少年がへと呼びかける。

「ゼル、出るぞ」

 脱いだばかりの上着をつかみ、彼はベランダへと歩を進めた。

「承知した」

 応えるゼルの両目が光り、エメラルドグリーンの筋が空中に描かれる。まるでそれが指令かのように、消えゆく光の余韻よいんをともない、少年の周囲に輝く粒子が発現した。

 少年が黒いジャケットをひるがえす。同時に彼の脇下へ緑光の粒子が収束していき、またたく間に拳銃とホルスターのシルエットを生み出した。

 外出着のそでに腕が通されるまでの数秒。その間に、二人は全ての準備を整えた。


                   *


 都市中央部を遠目にのぞみ、静まり返る高層住宅街。その暗闇から、今一対の影が飛び出した。常識では考えられないほどの跳躍ちょうやくをみせるその片方は、間違いなく人の姿をしていた。

「よっと」

 まるで軽い準備運動を始めたかのように、手近なビルの屋上に降り立つキョウジ。未だ眠らぬ街のあかりを見据みすえながら、誰にともなくつぶやいた。

「今日はにぎやかだな」

 ややあって、落ち着いた男性の声が少年の耳に届く。

『すまんなキョウジ。また仕事だ』

 無線を思わせるわずかに遠い、だが極めてクリアな音は、キョウジに謝罪を送った。

「別にいいよ。俺より鷹矢たかやの方がいそがしいだろ」

『……『鷹矢』、ではない。『司令』と呼べと言っているだろう』

「で、今度は何なんだ?」

 軽口もそこそこに、通信相手の鷹矢に状況確認をするキョウジ。

『あぁ。どうやら作業ロボットが暴走を起こしているらしい。お前達はすみやかに現場へ向かい、対象の機能を停止させてくれ』

 淡々と状況説明を行う鷹矢は、呼び捨て扱いなどさほど気にしていないようであった。

「またか」

「ふむ。夕刻に続き二件目か。だが今考えても仕方がない。すぐに向かうとしよう」

 ウンザリしたように目を伏せるキョウジを尻目に、ゼルが首をもたげる。

 直後、天を指す小竜の頭部めがけ、一筋の光が照射された。一瞬でゼルへと到達したそれは、彼の身体を力強く輝かせた。

「『オービット』からのデータ受信を完了。本状況における、レベルCまでの『ジーンドライブ』使用権限の解放を確認。制圧目標の現在地および周辺の地形図を更新――完了。ドライバー、龍崎りゅうざきキョウジの遺伝子情報を照合――完了。システム起動開始」

 何処いずこからかを受けたゼルが機械的な文言を発する。並行し、蛍光色の強いホロディスプレイがいくつも宙に出現していった。闇夜の中で主張する過剰なエメラルドグリーンはめまぐるしく広がり、そしてすぐさま閉じられていく。

「よし、行くか」

「了解。これよりミッションを開始する」

 ふいに、キョウジのつま先が地面を二度ノックした。次いで、その足元から鮮やかな緑の放電現象が始まる。

 乾いた破裂音が断続する中、わずかに屈むキョウジ。彼の脚には力が込められ、次の瞬間、それは衝撃波と共に炸裂さくれつした。

 すでに夜空の一部となっているキョウジ。彼の視線は、ギラつく不夜城ふやじょうへと向けられる。文明の発展にいろどられ、それでもなお狂乱が渦を巻き続ける二〇二八年の東京。十年前に呪いを受けた魔都を忌々いまいましく見つめ、少年は闇に消えた。

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