月夜を穿つ

黒百合

プロローグ

0-1

「リュウザキ! ……龍崎りゅうざき少尉ッ! おい、待てって!」

 力無い叫びが虚しく宙を舞う。懇願こんがんにも似た男のそれは、どうやら相手の耳には入っていないようであった。

「クソッ、なんで俺達がこんな任務に……」

 無視を決め込まれ完全にやる気を削がれた白人の男は、ついにひざに手をついてしまった。全身を防護服で包んだ彼の口元が強くゆがむ。青い瞳にいろどられた、本来は端正であろうはずの顔立ちは、もはや見る影もなかった。

「本当に、……ここはニホンなのか?」

 薄情な相方から目をそむけるように辺りを見回す防護服の男。

 そこは、一面が銀の世界であった。雪のような純白ではなく、その名の通りギラついたシルバーが至るところで光を反射させている。よく見ると、今立っている場所の全てが極細の粒子で構成されていた。地形的にはまさに砂漠といったところだが、自然を感じさせないその異質な銀が、それ以外の者を完全に拒絶しているように思わせる。

 先程から終始銀の砂に足をとられていた男は疲労から足を止めてしまっており、肩身の狭さからか、ただじっと銀世界を見つめていた。あまりに非日常的な光景は男の目を奪い、彼の自意識をじわじわと圧殺していく。男の額に冷や汗が伝い、防護服の中で木霊こだまする呼吸は次第に荒くなっていく。

「! ヒィッ」

 茫然ぼうぜんとしていた男は、その足がゆっくりと沈んでいたことにすぐさま気づけなかった。それを感知すると同時に、彼の口からは情けない声が上がる。

 我に返った男は、自分以外の世界全てから拒絶たる敵意を向けられている錯覚におちいる。恐怖を肌で感じた彼はこの世界に孤立することに耐えられず、わらにもすがる思いで薄情な相方の後を追うのだった。


「リュウザキ。なぁリュウザキ。これは一体なんだと思う?」

 リュウザキと呼ばれた男のもとへと駆け寄った白人男性が、弱々しくそうたずねた。

「この気色の悪い一面のシルバーはなんだ? どうしてそんな平気な顔でいられる? これは他国からの侵略か? 新型の軍事兵器なのか? なぁ、リュウザキ!」

 男はなおも続け、苛立ちから龍崎の肩を勢いよくつかんだ。

 すると龍崎は立ち止まり、彼の三白眼が隣で騒ぐ男を容赦なく射抜いた。

「カーター少尉。少し落ち着け」

 鋭い眼光を向けられたカーターは、思わず身をすくませてしまう。

 情緒不安定気味なカーターに半ばウンザリしながらも、龍崎はなだめるように言葉をつむいだ。

「私にだってこの状況がまったく理解できないし、混乱しているんだ。そもそも、君の国の方がよっぽど事態を把握できているんじゃないか? ……何故か通信機器の使えないこの状況では、言ってもせんないことかもしれないが――」

 望んだ回答が得られずに、より顔色を悪くさせるカーター。

「――それと、表情が硬いのは生まれつきだ」

 それが龍崎の冗談であるのかを判断できず、カーターはひとまず苦笑で返した。

「! カーター少尉、前を見ろ」

 何かに気づいた龍崎が、より一層真剣な面持ちで進行方向に向き直っていた。つられて前を向いたカーターの目に、巨大な構造物が飛び込んでくる。

「な、なんなんだあれは! 今まで姿なんて見えてなかったぞ!」

「どうやら、この状況にが関係あると見るのが一番自然なようだ」

 地平の先まで銀の絨毯じゅうたんが敷かれているこの砂漠に突如としてあらわれた巨大な物体。それは、蜃気楼というにはあまりに鮮明すぎた。全体を灰色一色で染め上げられ、至るところが角張っているデザインは無骨さを演出している。一目で人工物だと分かるその姿はまるで――

「宇宙戦艦、なのか?」

 龍崎の口から極めて非現実的な単語が飛び出した。

「まさか。……あり得ない。SFの見すぎじゃないのか?」

 真剣な表情の龍崎からは冗談を言っている気配など微塵みじんも感じられない。だがそれを認めたくないカーターは、あえて乾いた笑いで返してみせた。

「NASAの観測を信じるなら、数時間前に降ってきたのはこいつで間違いない。落下時の爆発音や衝撃が報告されていないのは妙だが……不時着したのなら説明がつく」

 おもむろに歩を進める龍崎。

「ちょっと待て。行くのか? あそこに?」

 まるで信じられないといった表情で悲鳴を上げるカーター。

「要救助者がいるかもしれない」

「なっ、何言ってるんだリュウザキ! 宇宙人に殺されでもしたらどうする!」

 先程と真逆の主張を展開する相方には目もくれず、男はただ目標を見据みすえた。


                   *


 一歩、また一歩と銀の砂を踏みしめる龍崎。その半歩後ろをついて行くカーターは、自分の意識をつなぎ止めておくことに精一杯であった。

 静寂に包まれ、果ての見えない世界での行軍は孤独感を加速させる。人の気を狂わせるには充分すぎるこの環境で、効力のある気つけ薬が仏頂面の日本人とUFOのみであることに、カーターはひどい皮肉を感じた。

 ふと、龍崎が足を止める。

「人だ!」

「人? そんなのどこに……? うわぁっ!」

 銀の砂漠に突き刺さる一本の柱。天をくほどの巨大なに気を取られ、カーターは眼下に広がるすり鉢状の地形に気づけなかった。直径二キロメートル、深さ二百メートルにもおよぼうかというクレーターは、当然のように彼の足をすくませる。

「お、俺には人なんて見えないが。……まさか、宇宙人エイリアンじゃないのか!」

「下りるぞ」 

 うろたえるカーターをよそに身を乗り出す龍崎。しかし、すがりつくような表情を向けられ、さすがの彼も配慮を見せた。

「大丈夫か? 無理そうならここにいてくれ。万が一私に何かあれば、構わず退避。ここで見たことを可能な限り司令部に報告してくれ」

「退避って、こんな状況で一体どこに――」

 相方の返事を待たず、地獄のかまへと突入する龍崎。

 わずかに逡巡しゅんじゅんするも、それを無理やり押し込めるカーター。奈落の底で手招きする未知の構造物、その根元だけをにらみつけ、彼は意を決した。

「ちくしょおおおおおおおッ! 今日はなんて日だああああッ!」

 今日一番の悲鳴を上げ、男は坂をすべり落ちていった。


                   *


「マジかよ……」

 目を疑う光景にカーターは絶句する。

 滑り降りたクレーターの底。そこで二人が見たものは、年端もいかない少年の姿だった。外見こそ地球人のようだが、作り物のような銀髪と、少年が身を預ける近未来的なデザインのシートは、明らかに異質を演出している。

 それだけではない。地面に刺さっているはずの宇宙船の根元は。その代わり、少年の中心からは透明度の高い水色のフィールドが発生しており、宇宙船の船体を大きな球状にえぐっている。少年はピクリとも動かず、外界から完全に遮断されたそこを、まるで王の墓のように思わせた。

 少年を中心とした領域内には、細切れに分解された船体や使途しと不明な機器が浮遊している。縦横無尽じゅうおうむじんに漂うそれらは、まるで玉座を守らんと警戒を続けているようであった。

「こいつ、“ヒト”なのか?」

 声を震わせるカーターの動揺は、当然のように龍崎にも伝播する。こめかみから一筋の汗を流し、荒唐無稽こうとうむけいな現実を凝視する龍崎。

「確かめるしかないな」

「……? おい、よせ。龍崎少尉! 死にたいのか!」

 カーターの制止も聞かず、何かにとりつかれたかのように歩を進める龍崎。またたく間に現実と虚構――その境界線へとたどり着いた彼を見やり、カーターは生きた心地がしなかった。

「お前は一体、何者なんだ?」

 つぶやく龍崎の腕が持ち上がる。伸ばした彼の指先が不可侵領域に触れようとした、その瞬間――

 空間を引き裂き、するど咆哮ほうこうが響き渡った。

 突然の事態にとまどい、思わず耳をふさぐ二人。耳をつんざくような警報は大気を震わせ、無作法な侵入者の行動を阻害する。

「今度は何が出てくるっていう……ん、だ」

 顔をしかめながら叫声の主を探すカーター。だが、彼の表情はすぐさま驚愕きょうがくの色をなした。

 地球人の知る物理法則から解き放たれるように、虚空こくうから無機物が生成され、渦を巻いている。その流れはある一点、うつむく少年の頭上、天高くへと収束していった。

 生気など微塵みじんも感じさせない集合体は、徐々にその姿をあらわにする。

「ありえるのか……? こんなことが……」

 衝撃で見開かれた瞳に映るその異形は、その実、彼らのよく知る生物を模していた。

「こいつは、まるで――」

白銀しろがねの、竜……」

 顕現けんげんした飛竜の巨体、今一度そこから生み出される雄叫びは一帯を制する。天を指していた頭部は振り下ろされ、蹂躙じゅうりんすべき世界をその視界に収め終えた。

 真紅のきらめきを見せる竜の瞳。その眼光は、ただ茫然ぼうぜんと立ちつくす矮小わいしょうな存在――二人の人間を、確実にとらえていた。

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