1−2. 漁師と魔女の押し問答・下

 傭兵稼業

 傭兵とはクロメリアにおいて塩業と漁業に続く産業の三本柱の一角。海中から無限に採れる塩はともかく魚は水棲資源であるため漁獲量は年によって大きく変わる。その為不作の年が続いた場合、人口過剰の傾向にあるクロメリアは傭兵を出稼として大陸に送る。


 かくいうマーディアスも魚日照りが続いたとき傭兵として大陸へ出向いていた。人士オプティマスとはその時の綽名である。彼はこの名を教会のある高僧から賜った。

 綽名とは騎士号授与と共に贈られる物であり、教会に仕える聖騎士にとってこの上ない名誉である。それを外部の人間に与えられたのは異例中の異例であった。


 しかし、それだけの武勲を挙げたのも事実である。魔王軍相手に果敢に戦った人士の勲氏は今でも語り草になっているという。


 それから九年の歳月が過ぎた。今マーディアスは己の過去を知る不敵な女とこうして問答を行なっている。


「もう一つの質問に答えましょうか。どこまで知っているかと言われましたね? 全てとは言いませんが大方の筋道は把握しております」


「じゃあ、勇者アニーラの事を知りながら俺を訪ねたのか」


「ええ、存じております。その末路も含めて……尤もあなた方の仲が何処まで進んでいたのかは存じかねますが」


 心底嫌な尼である。マーディアスはこの女とアレは瓜二つではあるがやはり他人の空似だと割り切ることにした。


 アレは盲信的なクロデア信徒であったがこの尼のような狂信者では無かった。アレは間違っても自らの手で教会を正すなどとは口にしないだろう。少なくともマーディアスはそう思っている。


「今度は私の問に答えてもらいます。何故、貴方はそこまで勇者を憎むのですか?」


 ミシェルは核心を付いた疑問を投げかけた。それもこの頭領の人格の中核となる思想に関しての質問である。


「簡単なことだ。魔王を殺した勇者が次の魔王になる……するとどうなるか? 今度は前の魔王を殺せるだけの力を持った奴が俺達を虐げる側に回るんだ。こんなイタチごっこを続けるとどうなるか」


「人間は苦しくなる一方ですわ」


 自らの尾を喰らう蛇のように終わりのないパワーゲーム。……そして肥えた蛇は脱皮を繰り返してより大きな獲物を呑むようになる。


 魔王とは勇者のなれの果てである。クロデア派が必死に秘匿していた事柄も今となっては周知の事実である。


 最初はマーディアスも半信半疑であった。しかし、勇者が魔王になる様を直接目にしてしまったのだ。


「そうだってんだ! こんな馬鹿げたことはありゃしねぇさ」


 マーディアスは気持ちが昂ると大陸で矯正した筈の訛が出てしまう。


 この男がここまで感情を露わにして激することは珍しかった。子分に鉄拳で修正を加えたときも一切顔色を変えなかった男である。


「だからこそ、魔王に関しては不干渉で現状維持に務めるのが最良なんだ」


 何とも鎖国主義のクロメリア的な物言いである。大陸を知っているマーディアスとはいえやはりやはり多分な偏見を持っている。しかし、ある種の指向性に於いては大陸の人間にはない慧眼を持っているのも事実だ。


「成る程、よくわかりました。貴方の主張にも一理あります。ですが貴方は自分に嘘を吐いている」


「何だと?」


 それはマーディアスも自覚している。それ故にこの撒き餌に食いついてしまう。


「貴方は貴方個人の問題の主語を人類にして語っているのです。あたかも普遍的なモノであるかのようにね。

 そしてそれは部分的には的を得ているため貴方の扇動に乗せられて人が動くのです。そしてその裏にある真意は……」


「聞かせて貰おうか」


 女は続ける。


「単なる逃避に過ぎません。あなたは年々衰えていく自分から目をそらしているのですよ。そして自分には無い若さを持つ人間を嗾けることで減衰した体力の代わりに得た狡さで人を支配することを覚えたのです」


「随分な言われようだな」


 クロメリアは多くの勇者を排出してきただけにクロデア派と根が深い因縁がある。挑発的な物言いは即発を招きかねない。


「もう一度言いますよ。貴方の語る言葉には主語が無い。にも関わらずそれは貴方のエゴに塗れている。

 こうして今も貴方個人の因縁を島民の問題であるように話している。貴方はただ八つ当たりしているのに過ぎません」


 ミシェルは野晒しの祭壇に立つ壊れた女神像を指差した。


 勇者排斥運動以前は島内のいたる所に女神の偶像が見られたがマーディアスが事実上の指導者となってから教会に関するあらゆる物は島から徹底的に締め出された。


 傭兵時代に培われた辣腕は間違った方向で遺憾無く発揮されている。……そう、この女の言う通り八つ当たりである。しかし、それだけ堪えがたい雪辱を勇者との旅で受けたのだ。


 マーディアスは歳をとって体は衰えたが代わりに老獪の境地に達した。

 彼は同じ釜の飯を食った積年の友にも悟られなかった心理を看破されたのである。ここまでくるとぐうの音も出ない。


「そうさ、あんたの言う通りだ。俺はやり場の無い鬱憤の捌け口として大声で叫んで暴れ回っていただけだ。根本的には何も解決しないと分かっていながらな……とんだお山の大将だ。笑いたければ笑えばいい」


「ふふふ」


「おい、本当に笑うことはないだろ……」


「いえ、馬鹿にした訳ではありませんわ。音に聞こえた人士もこうして会ってみると普通の人で却って安心しましたの」


 ミシェルはこの人士の実態に失望の色を隠せなかった。だが、それもマーディアスからすれば随分と勝手な話である。独り歩きした噂から勝手に期待を寄せられそして会えば幻滅されるのである。


「ですが私の計画に必要なのは貴方のような普通コモンな人かもしれませんね」


「どこまでもいけ好かない尼だ。お前は女じゃなかったら殴っていたさ」


「思ったより小さい男ね、人士マーディアス」


 いつの間にか二人は互いに軽口を叩く仲になっていた。

 当初の険悪な雰囲気が嘘のようである。


「私の計画に賛同していただけますか?  マーディアス」


「質問を質問で返すようで悪いがあんたに協力したら俺の因縁に決着がつくんだな?」


「全てはあなた次第です。こちらをご覧ください」

 

 女は包みから一冊の金線で飾られた華やかな装丁の本を取り出した。古くかび臭いそれは特別な鑑定力を持たずとも稀覯本であることが伺える。ただし、ある程度教養のある人間が表紙にある題名を読むとこの本は違った色彩を帯びる。

 題にはアルデア真書と書かれていた。当たり前だが写本であると思われる。厳重に管理されていた為か経年劣化は殆ど見られない。


「こんなものどっから持ってきた」


「本山を出るときにちょっと拝借させて頂きました。どうせ神の御心から外れた彼らには無用の長物です。私が持っていた方が何かと役に立つでしょう」


 顔に見合わず大胆な事をする。マーディアスは戦慄した。この狂信者はたがが外れている。同時にこの狂気の沙汰とも言える賭けに興じてみたくもなった。


「で、そいつを使って何を成すつもりだ?」


「写本であるが故に失われた情報も多々ありますが断片とはいえがこの書は神の御心ですわ。私ははその中から面白い一節を見つけましたの」


 惜しまれることにアルデア真書の原本は既に紛失している。現代において真書から得られる情報は二次乃至三次情報となる。今こうして女が開いている項も何処まで女神の真意にあるのか甚だ疑問ではある。

 




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