2. 忍語りのソメイヨシノ

2-1. ロクオンテンプル陥落

 ロクオンテンプル、ソメイヨシノ皇国において無二の名刹


 この流動的な美しいフォルムを持つ建築はアシカガ・マグヌスが魔王に苦しむ様を憂い、泰平の世の到来のために建立されたという。

 しばらくして、ロクオンテンプルは民草に苦痛を強いるのみで一向に成果を挙げないクロデア派教会に代わり周辺国の信心を集めるようになる。まさにこの寺院は新興国であるソメイヨシノ皇国の隆盛の象徴であった。そしてこの偶像イコンは弱き人の心の慰めとなるには十分すぎるほど美しく、精悍であった。


 ――それから100余年

 諸行無常

 悲しきかな永遠を思わせるこの名刹も所詮は人の業による有形物

 それ故、始まりがあれば必ず終焉を迎えるのだ。何人たりとも例外はない。


 新しく即位した魔王ノブナガの攻勢によりこの不動の堡塁は陥落しつつある。野心に燃えたノブナガは己以外の魔王を滅ぼすべく天下布武を唱え、アエニグマの歴史の中でも類を見ないほど急速な軍拡により躍進を続けている。

 ノブナガは炎を従えて眷属と共に眼前の目標を制圧する。その軌跡には草の根一つ残らない。その様は全てを動員して戦に挑むノブナガそのものであった。


 敗戦色が強くなっても、依然として国防を担うという自負からか武士たちの士気は衰えない。だが、このままでは確実にジリ貧である。

「これでは戦線を維持できぬ。急いで撤退の準備をしろ!」

 皇国側の将軍は百戦錬磨の猛将アシカガ。彼は舎利殿にて祖先が眠る納骨堂を背に炎上する庭園をただ見ることしかできなかった。

「それが皆、此処で忠義に殉ずるといって聞きませぬ」

「阿呆どもめ、忠義など生きてこそよ。皆の者に死に場所を違えるなと伝令を徹底しろ!」

 だが、武士という者に何を言っても無駄であることはアシカガが一番よく知っている。武士とはゼンマイ仕掛けのカラクリの如く一度動き出すと歯が戻りきるか、壊れるかでない限りは運動を止まないのだ。故にその意思はねじを巻いた本人でさえ手に離れた位置にあるのだ。

 ならば止めるのではなく、何か強い衝撃を以って行き先を変えるほかない。アシカガは覚悟を決めた。


「余は腹を切る。介錯を頼む」

「何を仰いますか殿は! 死に場所を違えるなと申したのは殿ではございませんか」

「話は最後まで聞け。あの石頭どもも儂の首をみれば此処に命を賭して守るべきなどないということに気付くだろう……このロクオンテンプルも含めてな」

 火は既に本殿に燃え移っている。一刻の猶予もない。

 アシカガは諦観していた。自分一人の首で丸く収まるなら安い買い物だ。それこそ世の安寧を願った祖先の大御心に沿うものでろう。

 この遍歴の武士もののふは己の脇差を小姓に渡した。小姓は己の仕えた主を一瞥してその意を汲んだ。

 アシカガは腹を割った。刀を構える小姓は文字通りこのときはじめてこの君子の腹の底にあるものを知った。それも夜伽で肌を重ねたとき以上に心から通じ合えた気がしたのだ。

「殿様……御免!」

 小姓はすかさず転げ落ちた首を拾う。勝者にとって敵将の首とは政治的な意味を持つ。何としてもやっこに渡すわけにはいかぬ。

「せめて殿の代に選定の剣があれば……」

 無念が小姓を襲う。こればかりは運命は気まぐれな女神の手にあり人の手では成しえぬことなのだ。


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