1−2. 漁師と魔女の押し問答・上

 ――人士オプティマス、その名を聞くと俺は捨て去ったはずの過去に縛られる。俺はアレと向き合う度胸が無かった。そんな俺の不甲斐なさが悲劇を招いた。

『貴方だけでも……逃げて……マーディアス、汝の往く先に女神の祝福があらんことを』

 最期まであいつは自分のことなど二の次で、反吐が出る程のお人好し。正直者が馬鹿を見るという典型だった。そして、あいつはあのときも女神への信心も棄ててはいなかった。

 俺は何も言わなかった。あいつは笑って返した。

 それが、どうして――


「夢か……」

 小鳥の囀りの中、マーディアスは最悪の目覚めを迎えた。


 「どうして今になって亡霊が現れた。化けて出るならいっその事怨めしいと言ってくれ」

 マーディアスは己の心情を吐露する。亡者とは常に生者の内にある。今際にあった彼女の余りにも眩しい輝きがマーディアスの心に深い影を写した。投影された像は時間とともに大きくなる。

 マーディアスは思案した。今まで頭の隅に追いやって見て見ぬふりをしていた自分の素直な感情と向き合おうとした。

 彼は昨日、あれと同じ顔を持つあの尼と会って嫌というほど自覚させられたのだ。女の言う通り因縁に決着を付けるときが来たのかもしれない。


 そして酒場にて

 マーディアスは真昼時に酒場の戸を叩いた。今日の仕事は問屋へ卸しに行くだけなので業務は既に終えていた。


 そして探していた女はカウンターに腰を据えて屯していた。

「尼さんが昼間から飲み屋か。感心しないな」

「これでも神職の端くれ、お酒なんて一滴も口にしてません。そういう貴方こそ既に酒気を帯びてますわ。噂通りクロメリアは随分と景気が良いのね」

 あれと同じ顔を持つ女と対面するにはあとひと押し勇気が足りなかった。だから酒の力を借りてここにいる。


「隣いいか?」

「ええ、どうぞ」

 さて、席に着いたもののマーディアスは困っていた。この女には聞かたいことが多すぎるのだ。何処から話を切り込むか攻めあぐねた。酒に頼ったのは間違いだったか、思考が捗らない。


「先程、私は初めて魚という物を頂きました。とても不思議な味がしましたわ」

 先に女の方から口を開いた。当然だが女の方も遠くから漁師の長を……否、かつて人士と呼ばれた男を訪ねて世間話をしにきた訳ではない。


「だとすると大陸の方は相変わらずか……」

「はい、魔王が振り撒く瘴気と疫病のため私達が口に出来るのは限られた家畜と穀物だけ」

 如何に魔王といえども広大な海を瘴気で満たすことは不可能なようである。おかげでクロメリア人は常に安全な飲み水と水産物を確保できる。

 それはクロメリアにとっての何よりの幸運であった。四方を囲む海という天然の要塞が魔王軍の進行とクロデア派教会の干渉を退けていた。


「人士マーディアス、そろそろ本題に移りますか」

 どうやら女は口を開かないマーディアスを見かねて話しやすい話題から入口を用意したようだ。その策は功を奏した。この間にマーディアスも心の準備は整ったようだ。

「やめろ、今の俺は漁師のマーディアスに過ぎない」

 マーディアスはこの底のしれない尼の警戒を怠らない。昨晩の与太者漁師への対応といいこの女はかなりのやり手と踏んでいい。

「ではマーディアス・ザ・フィッシャー、場所を変えましょう。少し物騒な話になりそうですわ」

「だろうな。おおよそ見当はついている」

 マーディアスは二人分の勘定を置いて女と共に街へ出た。


「へへへ、流石はマーディアスの旦那だぁ! 禁欲を誓った尼も旦那の手に掛かりゃイチコロよ」

「憧れちまうぜ、チクショー!」

 若く麗しき乙女を傍らに置いて海岸沿いに歩く様は逢引きに見えなくもない。祭り好きで野次馬根性丸出しの者はこうやって二人を茶化していた。

「おい、良かったのか?」

「ええ、一向に構いません。こうした方がコソコソするより目立たないでしょう」

 成程、一理あると思った。体を繕うのは女の方が長けているかもしれない。


「聞いていいか?」

「何なりと」

 女はマーディアスを一瞥して悪戯っぽく微笑む。漁師の長たる者がまるで初心の童のように女の顔を直視できないでいる。女はそんな彼の反応を見て楽しんでいるようにも見える。


「お前は何者だ? どこまで知っている?」

「質問は一つずつお願いします」

「……お前は何者だ?」

 やはりこの女と居ると調子が狂う。どんな荒波にも揺られなかった海の男がいいように丸め込まれている。

「申し遅れましたわ、私はミーシャ・クロム・エルダー・ザ・メッセンジャーという者です。以後お見知りおきを」

「相変わらずクロデア派の名は長いな……」

 教会で神職に就く者の名前は家の氏と師匠から賜った字名と教区の名、そして役職名が合わさるため大変長ったらしい。

「皆は略してミシェルと呼んでいますわ」

「質問に答えていないな、君は何者だ? ミシェル」

 名前なんてこの際どうでも良かった。名など便宜上、他者と区別するためにある物であり、物の本質を表す訳ではないからだ。

「私は破戒僧という奴ですわ。先日、本山から異端として破門を言い渡されましたの」


 いわゆる

 ミシェルがわざわざこの言い回しを用いてくどい説明をしたのは教会からどう烙印を押されようと自分は教義から外れていないという意思表示だ。


「で、俺に何の用だ? 後ろ盾探しているなら俺なんか当てにならないぞ」

「まぁ、自惚れ屋さん! 私は後ろ盾など要りませんわ。こうして破門された今でも女神の加護がありますもの。あなたを訪ねたのは私の正しさを証明するためです」


 ――女は語った

 今、教会は内乱により一触即発の状態にあること

 このままでは遠からず分断されること

 そして枢機卿を含めて多くの高位僧が女神の恩寵たる加護を失ったこと

 これらを踏まえた上で今尚、女神からの寵愛を受けている自分は主から腐敗した教会を正すという使命を与えられたことを


「知らないね。俺も傭兵として教会あそこに居たが、飽くまでも部外者だ。片棒かついだ覚えはない」

「自分の胸に聞いてください。言ったはずですよ、因縁に決着を付けるべきだと……ザ・フィッシャー、いえ人士オプティマスマーディアスよ」

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