第10話アリス・イン・アニマルランド

 野外学習中の守高二年生達の朝は早い。森では小鳥がさえずり、生徒たちが就寝している部屋にも朝の日差しとともに心地よい雰囲気を届けてくれる。

 部屋は男女別になっており、十畳程の部屋に机があるだけの簡素なレイアウトとなっている。今は机は部屋の隅に寄せて立てられており、浪と礼央ほか男子計五名が布団を敷いて眠っている。

 そんな中、のどかな雰囲気を裂くように女子の部屋の方面から声が聞こえたような気がした。窓際の木から鳥が飛び立つ。部屋の端の一番入口に近いあたりで寝ていた浪は、びくっと声に反応した。

 時刻はまもなく七時。突然、ガラッと勢いよく障子が開いた。


「起床の時間だお前達!! 一番最後に起きたやつには……」


「おはようございます!! 全員既に起床しておりますっ!!」


 先程までぐっすりであったように見えたが、不穏な気配を感じ取ったのか五人は薫が障子を開ける前にいつの間にか布団まで綺麗にたたんでいた。礼央はびしっと敬礼のポーズをとり、薫に挨拶をした。


「……、いや、軍隊じゃないんだから……。 一体お前たちは私をなんだと思ってるんだ……。 まあいい、七時半に朝食となってるのは知ってるだろう。 それまでに色々片付けて着替えておけよ」


 言い残すと薫は障子を閉めて次の部屋の方へ歩いて行った。薫がいなくなると浪はほっとしたようにため息をつく。


「なんか起きる直前に雪菜の声がした気がするんだよな。 女子部屋で最後まで寝てたのがあいつなんだろうけど……。 どんな起こされ方したのやら」


「起こしてくれてありがとね!! いやー、危ない危ない。 さて、じゃ布団しまったら行こうか」


 ジャージに着替えた男子達は、廊下に出ると階段を下り自分達の寝ていた建物を出る。食堂は隣の同じ建物を超えた先にある。面積は少し広いものの、同じような作りをした斜め屋根の白い建物である。食堂は入って突き当たりを右に曲がりすぐだ。

 食堂には白い長テーブルがずらりと並んでいる。部屋に入って左側でお盆をとり、カウンター越しに朝食を貰う一同。朝食はロールパンとスクランブルエッグ、ソーセージにサラダという鉄板メニューだ。

 朝食を運びつつ一同はテーブルへ向かう。すると、先に薫に叩き起こされたであろう雪菜たちがいた。


「あっ皆、はいさー」


「雪菜大丈夫? 薫ちゃんに何されたかしらないけど」


「うっ……。 それは聞かないで欲しいかなー」


 疲れたような表情でため息混じりに話す雪菜に、礼央はそれ以上は突っ込まなかった。一方、雪菜の隣で頬杖をついて呆れ顔の凛。なんだか若干頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。


「雪菜お前……。 その挨拶まだ使ってんのかよ……」


「黒峰と遊んでた頃からなのかコレ? でも俺ら相手に使いだしたの中学入ってからだったよな?」


 浪は朝食のお盆をテーブルに置きながら尋ねた。他の男子達は仲のいいメンツを見つけ、そちらへ合流していったようだ。雪菜の前に浪が、凛の前に礼央が座る。


「しばらくは凛ちゃんのこと思い出して辛いから使わなかったの。 でも、なんかそれも寂しくってさ。 何を隠そう、『はいさー』の生みの……」


「あああああぁァァァ!! ……、ゲフンっ!!」


 雪菜の言葉を遮るように凛が突然声を上げ、わかってるだろうな、とでも言わんばかりに咳払いをした。雪菜は一瞬ぽかんとして口を止めたのだが……


「『はいさー』の生みの親は凛ちゃんなんだよ」


「うぉい!? 今のは止めるところだろうが!!」


 とても嬉しそうな表情で説明を続けた。間違いなくわかってやっている顔だ。顔を真っ赤にして恥ずかしそうな凛に、浪も礼央も苦笑いしている。

 そこで急に、雪菜が思い出したように話題を変えた。


「そういえばシロちゃん達どうしてるんだろうねー。 ずっとSEMMから出られないとかあたしだったら耐えらんないなー」


「Sランク二人同行すれば外出出来るって聞いたけど、龍崎先輩は学校あるから翔馬だけだもんな。 俺らが帰る頃には制限も緩くなる予定らしいけど……」


「なんかかわいそうだよね、なんにも悪いことしてないのに……。 翔馬さんちゃんとシロちゃんの世話してるかなあ」


「ペットみたいに言うなよ……」


 そんな会話をしている頃、ふたりの心配をよそにシロと翔馬はちゃっかり外出して遊んでいた。

 話は前日の夕方五時前にさかのぼる……。



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「あー!! 遊びに行きたいっ!!」


 SEMM愛知支部の仮眠室の長椅子で、伸びをするようなポーズをしながら翔馬が騒いでいた。向かいの椅子には凰児と空良、となりにはシロの姿がある。翔馬と凰児の手には何やら折りたたみ式の、画面が二つついた携帯ゲーム機が見える。


「何を突然……。 シロちゃんを誰かに見ておいてもらえば別に翔馬が外出するのは問題ないでしょ」


「シロがここに居ろって言うからさ。 一緒なら出かけてもいいって言うんだけど、うーん……」


「とりあえず対戦俺の勝ちだからジュース一本ね。 フルアタ構成三匹で俺に勝とうなんて甘すぎ」


「ゲーム飽きた!! 凰児耐久ばっか使うから腹立つし……。 そういうのはファクターだけにしとけっつの!! そーだ、お前明日学校サボれよ。 そうすればシロ連れて遊びに行けるじゃん。 俺って天才♪」


 人差し指を立ててウインクする姿はとても可愛らしい反面イラッとする。翔馬が突拍子もないことを言うのは日常茶飯事なのか、凰児も何言ってんだこいつといった表情で適当に聞き流す。


「何アホなこと言ってんの……。 そういうわけにはいかないって」


「どうせお前ら卒業したらSEMMで働くんだろー? 学校なんか真面目に行っててもしょうがないって。 女の子成分足らないから空良ちゃんも一緒にいこーぜ」


「こいつ……。 俺達までダメ人間にするつもりだ……」


「シロも遊びに行きたいよなー? 動物園とかどう? 久しく行ってないし」


 翔馬の言葉に、先程まで無表情で足をブラブラさせていたシロの瞳が輝いた。今までで一番感情を見せたのではないだろうか。


「動物園……!!」


「ちょっ、翔馬!! 期待させるようなこと言って!! ダメだからね!?」


「……、だめ、なの? そう……」


「……」


 肩を落としてまた寂しそうに足をブラブラさせているシロに、凰児は何とも言えない罪悪感を感じてしまう。彼自体は全く悪いことなどしていないし、正当な主張をしているに過ぎないはずなのだが。

 隣の空良が彼の肩にポンと手を置き、困ったような表情でため息混じりに話しかけた。


「行ってあげよー? 一日くらい付き合ってあげてもバチは当たらないよー」


「おっ、さっすが空良ちゃん!! 話がわかるぅ!!」


「それはいいですけど、代わりにご飯と入場券代お願いしますねー。 翔馬さんの用事に付き合ってあげるんですからー」


「めっちゃ足元見られてるぅ!?」


 空良は若干の黒さが垣間見えるとてもいい顔で微笑んだ。



 朝七時過ぎ。四十台ぶんほどのスペースがある愛知支部の駐車場に、やたら車高の高い4WD車が止まっている。ここの他にも駐車場があるので、そんなに混んではいないようだ。ほかに車は十台ほどである。

 ひときわ目立つ車の横にはシロと翔馬の姿が。翔馬は普段はいつもTシャツ姿でいたが、今日はお出かけということでお気に入りの服を着ている。背中に髑髏の刺繍の入った茶色のツナギに大きいバックルの革ベルト。顔に似合わずいかつい服装が好みなようだ。

 一方シロは、先日雪菜を連れて買いに行ったであろう水色の半袖ワンピースを着ている。生地は薄めで、涼しげな感じだ。


「車あるんだったら、二人を迎えに行ってあげればいいのに」


「あいつらと一緒に住んでる乙部支部長が昨日東京から帰ってきたらしくて、一緒にこっちまで来るんだってさ。 あの人に会うの久々だなー」


「支部長……」


「怖がらなくても大丈夫だって。 飄々とした細長いおっさんだから。 魔術研究室の所長で戦闘員じゃないから別にいかつくないぞ」


「戦えない人が支部長なの……?」


「いろいろ特殊なんだよ、あの人は。 あ、来たみたいだな」


 翔馬が駐車場の出入り口に目をやると、ワンボックスタイプの青い軽自動車が入ってくる。とても国の組織の支部をまとめる人物が乗っているとは思えない。

 軽自動車は翔馬の車の左二つ隣に止まる。運転席から出てきた人物は翔馬の言っていた通り、180cm位の長身で、不精髭を生やした短髪の中年男であった。この人物こそ、ときたま名前の上がっていた愛知支部長の乙部栄一郎おとべえいいちろうである。ノンフレームの四角いメガネをかけ、無地の黒Tシャツに白衣、下はジーンズとセンスの欠片も感じられない服装をしている。


「久しぶりですねぇ、我が一番弟子くん」


「乙部チルドレン第一号服部翔馬、愛知支部に移籍してきたぜ!!」


 手をひらひらさせて挨拶する乙部に、翔馬は親指を立てて手を突き出しながら返す。

 そんな二人の会話を聞きながら、凰児と空良が車から下りてくる。凰児はかわり映えのないいつもどおりの格好だ。空良はいつもの黒パーカーに、つばの固めな黒いキャップを被っている。空良は翔馬の方を見ながら呆れ顔で尋ねた。


「相変わらずわけわからないこと言ってますねー。 なんですかチルドレンってー……」


「俺ももともと乙部さんとこで世話になってたんだよ。 中卒のままSEMMで働いてたから空良ちゃんが来る前に東京いったし、面識はないけどさ」


「ってことは翔馬さんも乙部さんに戦い方教わったんですかー?」


「まあな。 浪もそうなんだっけか。 会った事なかったと思うけどなー……」


「新堂先輩はちっちゃい頃からいろいろ教わってたらしいですけど、一緒には住んでなかったんで面識はないかもですねー」


 二人の会話を聞いていたシロは、不思議そうな顔で翔馬の服を引っ張りながら尋ねた。


「さっき戦えないって言ってたのに、師匠なの?」


「この人、無能力なんだけどめっちゃ格闘技強いんだよ。 見かけによらず。 ホルダーでも基本的な格闘術がしっかりしてないとダメだろ? ファクター任せな戦い方じゃいざという時やられちまうからさ」


 白衣のポケットに手を入れたままの乙部は、シロの方へ歩み寄ると軽く会釈をしながら挨拶をした。


「どうも、愛知支部長の乙部と申します。 報告は受けていますよ、ものすごい魔力量だそうですが無能力の私では分かりませんねぇ、ははは」


「はじめ、まして……。 魔術研究って何するの……?」


 一歩下がってシロに訝しむような表情で尋ねられた乙部は、顎に手を当ててニヤリと微笑むと、なんだか少し自慢げに説明を始める。


「いい質問ですねぇ。 一番わかりやすいところで言うと、アニマ検出システムあるでしょう? どこどこにアニマ出現、隊員は直ちに向かってくださいっていうやつ。 あれ作ったの私なんですよ」


「そうなんだ、すごい……」


「東京行っていたのも、本部の検知システムの点検の為でしてね。 アニマが出現するときの空間のひずみや魔力を検知して事前に知らせるということが、どれだけ被害を最小限に抑えることに貢献しているかは想像に難くないでしょう? だからアレの不調は直ぐに直さないととてもまずいんです」


 メガネをくいっと上げ、絵に描いたようなドヤ顔で説明を続ける乙部。シロは最初のほうこそ感心して聞いていたものの、途中から興味が薄れ、ついにはあくびが出始めてしまっていた。

 一通りしゃべったあとでいけないいけない、っと乙部ははっとした様子で話題を切り替え、翔馬の方を向いて再度口を開く。


「っと、皆さんこの後お出かけでしたね。 まあ話したいこともお互いあるでしょうが、勢ぞろいしてからすることにしましょうか」


「乙部さんはこれから仕事なん? よかったら一緒にどう?」


「残念ですが流石にこれだけ留守にしていると仕事も溜まっているんですよねぇ。 若い子達に混ざるような体力もないので皆さんで楽しんできて下さい」


「よく言うよ、お互いファクター無しでやったら俺相手でも瞬殺できるくせに……。 まあ、じゃあ行ってくるよ」


「はい、いってらっしゃい。 さて、まずはシステムの点検ですねぇ……」


 乙部は一同に挨拶をすると、忙しそうに支部の方へ向かっていった。乙部が去ったあと、翔馬の車の方へ移動した一同。凰児は車を見回しながら少々呆れ顔でつぶやいた。


「相変わらず乗りづらそうな車乗ってるな……」


「男らしくていいだろー? こいつで走れない悪路はそうないぜ」


「その見た目で男らしさとか言われてもなぁ……。 シロちゃん大丈夫? 乗れる?」


 車高ガン上げの軍用車のようなその車は、床まで60cm近くあるのではないか。サイドステップがついているとはいえ、身長140cm程の少女にはいささかきついように見える。が、そこは驚異的な身体能力を誇るシロ。難なくぴょん、とジャンプして助手席に軽々と飛び乗った。そしていきおいあまって上のフレームに豪快に頭をぶつけた。しばしの静寂が流れる。


「ちょっ!? 今わりと派手に行きましたよねー!? だ、大丈夫!?」


「大丈夫」


「いや、でも……」


「だいじょ……、ぐすん……。 大丈夫」


「そ、そう……」


 プルプルと小刻みに震えているシロは、振り向くことなく頑なにつぶやいていた。彼女の心を悟った空良は、それ以上追求することはしないでおいた。


 四人を乗せた車は支部を左に出てすぐ交わる国道に出たあと、ひたすらまっすぐ走っていた。上に高速道路が走り、両脇は高い半透明なガードがあるため景色はほとんど見えない。後部座席に座っている凰児は、相手を空良に変えてまたゲームをしている。


「あー!! ちょ、ここで天候変えるとかないでしょ!?」


「見せ合いで察するんだったねー。 私の勝ちー」


 騒がしい後部座席の二人に、少々呆れ顔の翔馬。右肘をドアの取っ手に乗せて頬杖を付きながら、左手で片手運転をしている。


「お前らなぁ……。 せっかく外遊びに行くのにこんな時まで何やってんだよ」


「私は凰児に付き合ってあげてるだけですよー?」


「ほんと見た目は外でやんちゃしてそうなのに実際はなぁ……」


「プチモン廃人で二次元大好きのガチヲタですからねー。 加えてハンターとしても廃人だし。 クラスの子達が知ったらがっかりなんてもんじゃないですよー」


 ゲーム機を持ったまま手をひらひらさせ、鼻で笑うように話す空良に、凰児は困ったような呆れたような表情で返す。


「ひ、人の趣味なんて勝手でしょ。 勝手に理想像作られて期待を裏切られたとか言われても困るよ……」


「あ、やっぱお前モテるんだ? あー、確かに女子高生ってちょっと悪そうな先輩とか好きそうだもんなー。 そういえばさ、お前五連星のみんなに影でなんて呼ばれてるか知ってる?」


「はぁ!? なにそれ!?」


「残念王子な。 まぁ広めたの俺だけど」


「この野郎……。 マジでいっぺん死んどいた方が世のためだな」


「お、俺が今死んだらお前らも道連れになるからな!?」


 歯を食いしばって拳を握り、初めて怒りの表情を見せた凰児は、見た目も相まってなかなかの威圧感である。バックミラー越しに彼を見る翔馬は、逃げ場のない状況に思わずびくっとして背筋を伸ばした。

 そんな会話をしている時、凰児の携帯が鳴った。スピーカーから響く音楽は、高音のスクリーチとグラウルが激しく混ざる超ゴリゴリの高速ハードコアメタル。


「浪からメールだ。 そっちは特に異常ないですか、ってさ」


「お前の趣味が異常だよ。 オタク趣味のくせに予想の斜め上すぎるわ。 せめてアニソンとかじゃないのかよ。 マジわけわからん」


「偏見はよくないね。 オタクでも髪染めるしトレーニングもするし激しい音楽でストレス発散したい時もあるさ。 最近凛ちゃんの俺に対する扱いが特に酷いし……」


「なるほど、そう言われると納得だわ……」


 呆れたような哀れむような複雑な表情で翔馬が答えると、空良がナビを指さしながら話す。 


「あ、ここ右じゃないですかー?」


「そうなん? 俺道わかんないからよろしくな」


「あとはまっすぐ行けば左側に見えてくるはずだから大丈夫ですよー。 あとちょっとですかねー」


 運転席と助手席の間に顔を出して説明している空良の横で、シロはわかりにくいがワクワクした表情でおとなしく座っていた。


「もうすぐ……。 動物園……!!」


「遊園地もありますよー?」


「ジェットコースター……、乗る!!」


「そりゃもちろん。 今日は翔馬さんのオゴリですからー」


 空良の言葉を聞いて少し興奮した様子で右手で小さくガッツポーズしているシロ。何気なくしれっとオゴリ要素を追加する空良に、翔馬は聞いてないぞといった感じの表情でビクッとした。


 そのまま車で園の北門前を通過し、動物園の看板のある交差点を左折すれば、もう正門のすぐそばだ。

 動物園、植物園、遊園地で構成されている名古屋市東ヶ丘動植物園。正門をまっすぐいったところには地下鉄の駅があり、交通アクセスもよく平日であるにも関わらず人は意外と多い。

十段程の階段を登った先にある正門は石造りになっており、チケットを買ったあと入口横のスタッフに渡して中に入る形で、出口側には鉄の棒で作られた回転式の扉がある。

 入口の右側にある受付窓口では、案の定翔馬が四人分のチケットを買わされている。


「四人で二千円かあ……。 いや、中学生以下無料……。 空良ちゃんはともかくシロはいけそうだな……」


「五連星のエリートが五百円をケチらないでくださいよー……。 学生隊員の凰児と違って正規隊員だし給料いいんですよねー?」


「今月スロットで十四万負けてんだよなー」


「……、シロちゃん、こういう大人になったらダメですからねー?」


 翔馬の言葉に顔を引きつらせながら苦笑いの空良。振られたシロは不思議そうな表情で首をかしげている。

 渋い顔で財布とにらめっこしながらも、結局翔馬は大人四人分のチケットを買って三人に渡した。

 園内に入るとまず噴水が目に入り、右手にはカモ等の泳ぐ池とオレンジ色の建物、左手上方にはモノレールが走っている。モノレールを見たシロは少し興奮気味なようだ。


「動物園に電車がある!!」


「ああ、あのモノレールは植物園の方に繋がってるんだよ。 乗りたいの?」


「……、ん」


「じゃあ、動物園を植物園方面に向かって一通り回って、植物園の乗り場からこっちに来ようか。 それでここに戻ってきてから北園や遊園地方面に行こう」


「よくわかんないけど、凰児の言う通りにする」


「そっか、ありがとう」


 記憶をなくして、思い出も何もかも失った少女。新しい思い出が作れることが、嬉しくて仕方ないのだろうか。無邪気に喜ぶシロに、凰児は優しく微笑みながら返す。

 右手にいるサイを見ながら奥の方へ歩いていくと、ひときわ大きい建物が見えてくる。昨年改装し展示の目玉の一つでもあるアジアゾウ舎である。ゾウの飼育スペースもさる事ながら、等身大模型や生態の説明などのある展示ペースも特別大きい。

 シロと翔馬はゾウの等身大模型の横に立ってゾウの頭を見上げている。


「でかいなー。 シロの倍くらいあるな」


「翔馬だって半分くらいしかない」


「おっ? ちっこいちっこい言われて拗ねちゃったのか?」


「翔馬は男の子だから私より大きいだけ」


「わ、わかったって、そんな怒るなよー」


 少々むくれてしまったシロをなだめていると、空良の声が聞こえた。ふたりを呼びに来たようである。


「おーい二人共ー、今からゾウに餌あげるみたいですよー」


「お、いいタイミングじゃん。 ほら、いこうぜ……、ってあれ?」


 翔馬がシロに声をかけながら目線をやると、いつの間にか彼女は先に空良の方へ向かっていた。


「早く来ないと、おいてくよ」


 意地悪く微笑んで言うシロに、やれやれといった様子でため息を一つつくと、翔馬は三人のところへ合流した。

 飼育スペースでは、乾燥させた草や果物、野菜などをゾウが器用に鼻を使って食べていた。どれだけあるのだろうか、積まれた餌はなかなかの量だ。感心したようにそれを見ながら、空良が何やら翔馬に視線を送っている。


「いやー、いい食べっぷりですねー。 お腹すいてきちゃいましたー」


「ちらちらこっち見てアピールしなくていいから。 あとで売店でなんか買ってやるって。 それにしても、あっちの展示で一日200kgも食べるって書いてあったぜ。 俺が四人分だな」


「二十一歳男子が50kgは痩せ過ぎじゃないですかー?」


「頑張っても増えねーんだよ。 ゾウは簡単にでかくなれていいよな。 下手なアニマより強そうだし」


「野生のゾウは簡単には大きくなれないですよー。 子供の頃に肉食動物に襲われたりしますしー」


「へー。 動物もいろいろ大変なんだな」


 ゾウの食事が終わったあと、四人は売店で買い食いしながら、奥の方へ回っていった。ペンギンやホッキョクグマの展示を見ながらボート池の方へ階段を上がって行き右に回ると、またひときわ大きな建物がある。壁に描かれているマークを見るに、コアラ舎のようだ。翔馬は手を額に当てて遠くを見わたすようなポーズをしながら不思議そうな表情で凰児に尋ねる。


「コアラか? そんな場所取らなさそうな動物なのに随分でかい建物なんだな」


「ここは日本で初めてコアラが来た動物園なんだってさ。 今でこそリニューアルしたゾウ舎が目立ってるけど、少し前はここの目玉だったみたいだよ。 今でもコアラのいる動物園は日本で九箇所だけらしいよ」


「そうなんだ。 ああ、だから愛知県の野球チームってコアラのマスコットなんだな」


「いや、それは知らないけど……」


 中に入ると通路側の照明は暗めになっており、コアラのいるスペースは明るく照らされている。

 コアラは基本地面に降りることはあまりないようで、どの個体も木の上でじっとして動かない。

 ガラスの前で立ち止まってコアラを見ている四人。どうやら生まれて間もない子供がいるようである。


「こいつら一日18時間も寝て過ごしてるらしいぜ。 俺もコアラみたいになりたいなー。 あ、でも野球のマスコットのやつは超存在感アピールしまくってくるよな」


「だからそれは関係ないから」


 男子ふたりがしょうもない会話をしている中、女子ふたりはたくさんいるコアラの中から子供を袋に入れているコアラを探している。シロはガラスに張り付いて真剣な表情だ。しかし先に見つけたのは空良の方であった。


「あっ、あの子じゃないですかー? ほら顔出してる、かわいー」


「むぅ……。 負けた……」


「へっ? 勝負だったんですかー? これ」


 コアラ舎を出たあと、本園と植物園の中間のエリアに繋がる橋を渡り、ふれあい広場の方へ向かう。途中にタヌキの展示があるも、茂みからなかなか出てこないようで、見つけるのに苦労した。

 そのまままっすぐ進み、ふれあいコーナーでヤギや羊に餌をあげたあと、バラ園を抜けて植物園の方に進んでいく四人。木々に囲まれた道を、道路の上を渡る橋の方へ進んでいく。現在時間は十時過ぎ、まだ北園を回っていないことと、植物園と遊園地があるのを考えれば、半分も回っていないだろうか。翔馬が伸びをしながら、シロに尋ねる。


「結構広いんだなー。 動物園半分位回ったけど、シロは何がお気に入りだった?」


「アシカが寝てるのが可愛かった。 翔馬はなんの動物が好きなの?」


「俺は馬だな!! できるだけ足が速くて体調崩しにくいやつな。 いやでもあんまり安定しすぎてるとオッズが……」


 シロが疑問符を浮かべていると、すかさず凰児の突っ込みが入る。


「おいコラ。 どうせ好きなスポーツ聞いたら自転車とか言うんだろ」


「お、よくわかったな」


「もういいよ……。 植物園はどこまで回る?」


「えっと園内マップは、っと。 温室とか見て回ってモノレール乗る感じでいんじゃね?」


「じゃあそんな感じで」


 話しているうちに橋を渡り終え、植物園へと到着する。噴水の奥、右手の方を見ると、綺麗な白い建物が見える。一階建てにしては建物の背は高めで、所々窓が大きく取られた部屋があるようで、中にいれば陽光が気持ちよく差し込むだろう。レストランのようにも見えるが、それにしても雰囲気が違う。空良と凰児が立ち止まって見入っている。


「すごい綺麗な建物だねー。 レストラン? いや……」


「看板に書いてあるね。 ……ウエディング?」


「結婚式場!? すごいなー……。 こんなところで出来たらなんか特別な感じしていいよねー……」


 うっとりした表情でつぶやく空良。活発そうな見た目であるが、案外中身は乙女なのである。

 そのまま左手の階段を下り、温室を見て回る四人。横手の入口から入ると、まずサボテンの展示がある部屋となる。奥にある巨大なサボテンは、世界最大級の種であるという。

 順番に沿って、水生植物や食虫植物、熱帯植物など世界中の珍しい植物を見て回っていく。

 動物に比べれば植物園は少々盛り上がりには欠けるかもしれないが、普段目にする機会のないものはやはり見入ってしまうものである。二十分少々で回り終えると、出口から見て右正面のモノレール乗り場へと向かう。


「それじゃ翔馬さんよろしくおねがいしまーす」


「やっぱりね!! そうだろうと思ったよ、わかってた!! 値段は……。 せ、千二百円か……。 凰児、お前半分出せ」


 一人三百円とそんなに高いわけでもないのだが、まだ昼食代と遊園地があることを考えると少々手持が危うい。真剣な表情で言う翔馬が可哀想になってきたのか、凰児はやれやれといった表情で頭をかくと、チェーン付きの革財布から千円札を二枚取り出した。


「ここは俺が持つよ。 さっきからいろいろやってもらってるしさ」


「マジで!? じゃあ俺券買ってきてやるよ」


「……、お釣り返してよ」


「……、ちっ、狙いがバレてたか」


「おいコラ」


 結局凰児が自分で四人分のチケットを購入し、揃ってモノレールの先頭車両へと乗り込んだ。

 植物園から動物園を繋ぐモノレールからの景色は近くに木々が並び、その先に東ヶ丘の町並み、目を凝らせば都会の町並みとバラエティ豊かだ。そして後ろを振り返れば園のシンボルでもある、高さ134mにもなる展望タワーが見える。シロはガラスに張り付いて、興味津々な様子で外の景色を見ている。


「こんなとこ来るのすげー久々だわ。 彼女とかでもいないと、一人とか男だけで来るのもハズいしな」


「君の場合そこは心配ないでしょ。 むしろ今だって周りから見たら男は俺一人に見えてるよ」


「女の子三人はべらせてイケメンくたばれって思われてるわけだな」


「そんな事ないよ……。 っていうか空良は妹みたいなもんだし、翔馬は男友達だし、女の子なんて実質シロちゃんだけだよ」


「このロリコンめ」


「……、ここなら密室だし、逃げ場はないね」


「ああっ!? 車の時のデジャブがっ!!」


 指を鳴らす凰児に、思わず焦って体を引く翔馬。凰児のとなりの空良は、彼の妹発言を聞いて一瞬苦い顔をしたが、直ぐに何事もなかったように外を見ていた。

 少しの静寂の後、凰児がポツリと漏らす。


「……、ここ来るのも久々だ。 お金かからなかったから、妹と一緒によく来たもんだな……」


 独り言にも聞こえる凰児の言葉に、翔馬と空良はなぜか言葉を失いうつむき気味になっている。妹といっても、空良とはまた違うようだ。二人の様子に気づき、つい出てしまった言葉が失言だったと凰児ははっとした。


「っと、ごめん。 今のは聞かなかったことにしておいて。 もうすぐ動物園側につくかな」


「そ、そうだな。 北園の方はどうやって回る?」


 まだ到着まで2分弱くらいはありそうだが、少々強引に話題を切り替える凰児と翔馬。翔馬は太ももの上で園内マップを広げ、凰児がそれを覗き込む。


「橋渡って右回りに回れば一周して遊園地の方行けるんじゃない?」


「ここに飯食うとこあるし、いいくらいの時間になりそうだな」


「ここの動物館とメダカ館回ると結構時間使うから昼は一時くらいになるかな。まあ、それで行こうか」


 施設を指さしながら回るコースを決めた四人は、モノレールを降りるとそこから北園へ向かう橋を渡った。

 北園へ入り右に曲がると、まず目に入るのはサルだ。けづくろいし合う小さなサルを見て癒されながら階段を上がるとゴリラ、ゾウと続く。


「あれ、さっきもゾウいたのにまたいるんですねー」


「さっきのはアジアゾウで、こっちはアフリカゾウだってさ。 違いがわからん」


 空良と翔馬がそんなことを話しながら歩いていると、シロが何かに気づいたように走り出す。彼女の向かった先にあったのは、カバ舎と大きな顔出しパネル。パネルはカバの横に立つ飼育員の男性の顔部分が顔出しになっている。


「凰児、ここに入って」


「えっ!? なんで俺? シロちゃんがやりたいんじゃなくて?」


「写真の人が男の人だから。 凰児が一番似合う」


「いや、俺は……」


 困惑している凰児だが、ニヤニヤしながらスマホのカメラを構える翔馬に気が付くと、ジロリと睨みつけた。結局空気に流され入ることになったのだが。

 そこからしばらく歩くと、長い階段とエスカレータが並んでいる。奥にエレベータもあったが、一同はエスカレータを使って上がることにした。

 上に上がるとリクガメの飼育スペースと、夜行性動物や爬虫類など一風変わった動物を展示する自然動物館がある。夜行性動物の展示のため、一階の半分位は照明が暗くなっている。

 一周回り終えて出入り口に戻ってくると、ワニの泳ぐ水槽を横目に二階へ上がっていく。ワニがガラス越しにすぐ近くまで来ても、普段アニマと戦って慣れているのか、女子ふたりは全く物怖じしない。


「お前らなんか、キャーワニこわーい、とかないのかよ。 女子力足りないぞ」


 翔馬の発言に対してあからさまに嫌そうな表情をする空良。


「そういうあざとい子私あんまり好きくないですねー。 てか、アニマに比べればライオンくらいは迫力ないと物足りないですよねー。 蛇とかの一部爬虫類は生理的にダメな場合もありますけどー」


「蛇かー。俺はエキドナみたいなのじゃなければ爬虫類は大好きだぜ」


「あれは蛇って言わないですよー……」


 本日何度目だろうかと言うツッコミを受けた翔馬を先頭に、あまり動きのないカメとワニを見て回っていく。二階にはヘビや水生カメ、カエルなどが展示されていた。シロと空良は、小さなカエルを探してははしゃいでいる。

 ひととおり見終わったところで外に出てしばらく行くと、また特別展示の建物がある。


「また何かあるな。 なんだろ」


「あれは世界のメダカ館ってところでね、ちょっとした淡水魚水族館みたいなものだよ。 大型のはあまりいないけど、綺麗な柄の魚や珍しいやつがいるんだよね」


 なんとなく聞いた翔馬に対し、四人の中では今まで割と落ち着いて回っていた凰児がなぜか若干テンション高めに説明した。


「嬉しそうだなー、お前。 そういや家で魚飼ってたっけか」


「ま、まあね。 というか生き物全般が好きなんだよね。 実はアニマがいなくなったらペットショップを開きたいと思ってるんだ。 割とマジで」


「動物だけが友達か……。 寂しいやつめ」


「君は動物だったのか……。 なるほど」


「うぉい!! なかなか良い返しができるようになったじゃねーか……。 成長したな」


「うるさいよ……」


 なぜか上から目線の翔馬に若干イラっとした凰児だったが、軽く流して館内へと入って行く。

 館内では一番最初に、背の低く上の空いた水槽が目に入る。後ろは石段になっており、自然な感じで草が生えている。水槽のテーマは田んぼの風景だそうで、中にいる魚たちも、小さな国内産淡水魚だ。水槽はL字型の長い作りで端の方へ行くと少し深くなり、大きめの鯉か鮒かといった魚がゆったりと泳いでいた。

 順番に見て行ったあと入口から見て左奥に行くと、施設の名前にもなっているメダカの水槽があり、生態などを解説する科学展示エリアが隣接している。

 その後一階から二階へ水槽を見ながら登っていく最中、シロが展示の水槽のある共通点に気づいた。


「どこの水槽にも小さいエビがいる。 なんで? プレートにも名前載ってない」


「ああ、水槽に入ってるエビは別に展示のためにいるんじゃないんだよ。 エビのいるところは水草の入ってるところが多いでしょ。 水草はコケがつくと弱ったりするからね。 見栄えも悪くなるし。 その為にコケを取ってくれるエビやドジョウの仲間が入ってたりするんだ」


「そうなんだ。 詳しいのは、飼ってるから?」


「ウチにいるのは大型のばっかりだからエビも草も入れられないんだけどね。 機会があったら見せてあげるよ」


「ん。 浪と雪菜と翔馬連れて遊びに行く」


「……、浪と雪菜も? ど、どうしようかな」


「……?」


 スラスラと上機嫌に解説していた凰児だったが、なぜか浪と雪菜を連れてくるという一言に反応して困った様子で頭をかいている。二人に見られたら困るものでも置いてあるのだろうか。

 館内をひととおり回ったあと、オオカミやバイソンのいるアメリカ大陸コーナーを抜けて遊園地方面へ向かい、北園門あたりまで来た一同は、予定通り門前の食事コーナーで食事を取ることにした。

 店内は白を基調としているが、椅子はカラフルなものが使われている。街のカフェといった感じの装いか。店内には他に、家族連れが一組と長い黒髪の女性が一人いるようだ。

 凰児と空良は日替わりランチに即決、翔馬はカレーにカツを乗せるか竜田揚げを乗せるかしばらく悩み、結局なぜかボンゴレスパを注文した。シロは一人注文を決められず、迷って唸っている。


「ほら、可愛いのありますよー? このカレーだったら辛くないんじゃないですかー?」


 空良はメニューの中からコアラを模した甘口カレーを指さした。三角に盛られたご飯にナゲットで鼻と耳をつけ、目と頬をつけて可愛らしい見た目に仕上がっている。

 一方シロは空良の提案に口先を尖らせて唸っているままだ。


「かわいいけど……、食べるのもったいない。 というか……」


 何故か言いよどむシロの内心を翔馬が暴露する。


「あ、空良ちゃん。 シロってこの見た目で実はめっちゃ食うからそれじゃ足りないんだと思うぜ。 あと辛いもんも大好きだからカレーは辛口の方がいいみたい。 この前カレーの配達頼むとき一番上の10辛? とかいうわけわからんモン頼んでてな……」


 翔馬が言い終わるより前に顔を赤らめたシロが彼の後頭部を割と勢いよく叩く。店内にいい音が響いた。


「なんで……、言うの……!!」


「どうせその内、ってかすぐバレるって。 足りなかったら二品頼んでもいいぞ?」


「……、むぅ。 じゃあ翔馬と同じやつとカレー。 ……、あとアイス」


「はいはい、デザートは別枠ですね……」


 他の三人の倍以上のボリュームにも関わらず、空良が食べ終わる頃には既にシロは二品ともたいらげ、デザートのアイスも半分以下になっていた。

 充電が完了した四人は、遊園地の方面へ歩き出す。しかし、雑談しながら階段を上っていた時、後ろから大きな声で呼び止められた。四人揃って振り返ると、長い黒髪が映える綺麗な女性が急いだ様子で駆け寄ってきていた。黒いタイトなパンツに白いブラウスと、シンプルかつ上品な装いだ。見たところ年齢は二十代後半くらいだろうか。その手には何やら黒い四角いものが見え、女性はそれを上に掲げてアピールしている。

 女性が手に持つものの正体に気づいた翔馬は、びくっと反応した後に体中のポケットを焦りながら探り出した。凰児もなんとなく察したのか、呆れ顔でテンパる翔馬を見てため息をついている。


「あっ、あれ!? 財布、落としてた!? やっべー」


「なにやってんの……。 ほら、ちゃんとお礼言ってきな」


 翔馬は階段を駆け下り、恥ずかしそうな笑顔で女性のところまで財布を受け取りに行った。ほかの三人はのんびりそのあとを追う。女性は息を切らしながら、念のため翔馬に財布を見せて確認を取った。


「はあ、はあ……。 これ、貴女ので間違いないですよね?」


「そうそうそう!! ホント助かりましたマジで!! ただでさえ今月お金なくって……」


「そうなんですか? お金の管理はしっかりしないとダメですよ? あと女の子がそんな言葉遣いしちゃいけません」


「あ……、えっと、いやぁ……」


 ずさんな金銭感覚を的確に指摘された翔馬は顔を赤くして頭をかいている。一方、まるで子供に言うように翔馬を注意した女性の方も、はっとすると何故か顔を真っ赤にしてしまった。


「あっ、すみません!! 見ず知らずの方にいきなり失礼でしたよね……。 昔の仕事の癖でつい……」


「いや、気にしてないから大丈夫っすよ。 何か特別な仕事してたんですか?」


「昔、小学校で教師をやっていまして」


「へえ……。 先生だったんだ。 辞めちゃったんすか?」


「少し……、トラブルがありまして。 まあ、好きではあったんですけどね。 今日も、遠足で来てたのが懐かしくなって、つい一人でこんなところ来てしまって」


「そうだったんすか……。 なんかすいません、変なこと聞いちゃったみたいで……」


「気にしなくていいんですよ。 それでは私はこのあたりで失礼しますね。 皆さんも遊園地へ向かわれるところだったんですよね?」


「あっ、はい。 財布、ホント助かりました。 ありがとうございます」


「いえいえ。 またどこかでお会いできるといいですね」


 女性はそう言い会釈すると、翔馬達と反対、動物園のアメリカ大陸コーナーの方へ歩いて行った。

 女性が角を曲がりその背が見えなくなった頃、後ろで二人を見ていた三人が呆れ気味に翔馬に話しかけた。


「翔馬さんデレデレしてませんでしたかー?」


「先生、翔馬のこと女だって誤解したまま行っちゃったね。 割と素だったし声でわかると思うんだけどなぁ。 君ワザと言わなかっただろ」


 凰児の言葉に対して、両手の手のひらを振りながら翔馬は焦ったように否定した。


「違うって!! もしそうならいつもみたく演技するし!! 財布落としたのと金遣い荒いの注意された恥ずかしさで言い出せなくって……」


「これに懲りたらしばらくギャンブルはやめとくんだね。 さて、行こうか。 シロちゃんが待ちきれなさそうだしね」


 言い返せずに黙って苦い顔の翔馬。シロがそんな彼の肩をポンポンと叩き、元気出せよと言わんばかりに張り切り顔で無言のまま頷いた。

 凰児と空良を先頭に遊園地へとたどり着いた四人。翔馬の持ち金も怪しくなってきたので、シロの希望するアトラクションを三つ選ぶこととなった。


「今日はシロちゃんのために来たんですから好きなのにしていいですよー。 ジェットコースター乗りたいって言ってましたよねー」


「ん。 でもそれは二番目にする。 コーヒーカップでぐるぐる回るやつかな」


「おっ、それじゃいっちょ全力で回しちゃいますかー!!」


 空良はそう言うと、船の舵を勢いよく回すようなポーズをとった。

 空良と凰児、シロと翔馬の二人ずつに別れ座ると、まもなく開始のブザーが鳴る。

 コーヒーカップは、アトラクション全体の土台が自動で周り、カップ自体は自分で回すのが一般的だ。土台が動き出した頃、凰児が空良に小声で話しかけるが……


「俺実はこれちょっと苦手だからさ、控えめに……」


「よーっし、いっくよー。 風になれー!!」


「人の話を聞……」


「あははははー」


 空良は全く耳を貸さず、とても楽しそうに全力でカップを回している。

 翔馬はそんな彼らを呆れたような顔で見ながらこぼす。


「あいつらの方が楽しんでるんじゃないか……? シロ、気持ち悪くなんない程度にしとけよ」


「大丈夫。 空良には負けない」


「ははは……」


 数分の後、出入り口に集まった四人。満足そうな女子二人に対し、男子二人は疲れたような表情だ。特に凰児に至っては、フラフラしながら今にも吐きそうなくらい顔色が悪い。

 少しは余裕の残っている翔馬は若干心配そうに凰児に尋ねた。


「お前大丈夫か? 今にも死にそうだぞ……」


「君だって割と辛そうだろ……。 戦闘でこういうの慣れてるんじゃないの?」


「それはそれ。 次はジェットコースターだっけ? 俺休んでるから三人で行ってこいよ」


「いやいや何言ってんの。 シロちゃんががっかりしちゃうでしょ」


「いや、でもさ……。 俺はいいよ……」


「もしかして……、怖いの?」


 訝しむような顔で尋ねる凰児に、翔馬はビクッと反応して目をそらした。


「マジで? ファクター使って全速力で走るのとあんま変わりなくない?」


「だ、だって!! 自分で走るのは好きに動けるじゃん!! 機械にくくりつけられて身動き取れない状態で時速100km近いとか、アニマと戦うよりよっぽどこえーだろ!!」


「変わった怖がり方だな……。 大丈夫だって」


「お前はいいよ。 何かあっても無傷で生還できるだろうから!!」


「はいはい、そんだけ元気ありゃもう大丈夫だな。 よし行こう」


 翔馬は抵抗も虚しく、凰児に手を引かれて無理やり引きずって行かれた。

 翔馬とシロが最前列に座り、凰児と空良はその後ろへと座り込んだ。次は翔馬の方があからさまに顔色が悪い。


「ちょい待てい!! なんで俺が最前列なんだよ!?」


「どっちでも変わらないって。 それに君の前に座って吐かれでもしたら嫌だし」


「スピード酔いするとかそういうんじゃないから大丈夫だって。 今からでも場所を……」


「はいはいもうすぐ動くし危ないからじっとしてね」


 カチンカチンと音を立てながら坂を登っていく最中、翔馬はキョロキョロしながら何やらブツブツ独り言を言っていたが、となりのシロはそんなことおかまいなしに目を輝かせていた。一方後ろの二人はというと、凰児は翔馬の様子に笑いをこらえているようで、空良は何やらカバンを探っている。

 坂を下降し出すと終始、翔馬は安全バーにしがみついて涙目で喚いていた。小学生でも楽しめる作りの為終盤の一箇所を除けば、それほど怖くもないはずなのだが。


「やばい……。 このあとバイキングとか乗るってなったら俺は死ぬ」


「翔馬さんこれ見てくださいよー。 後ろから撮ってみましたー」


 額を抑えてげっそりしている翔馬に満面の笑みで携帯のムービーを見せる空良。情けない姿がバッチリ写っている。


「……、落としたら危ないからケータイいじるのは禁止な」


「あう……。 ごめんなさーい……。 なんか冷静に怒られるとへこむなー」


 苦い顔で画面を見ていた翔馬だったが、一応空良に注意する。どうやらまともな楽しみ方ができたのはシロだけだったようである。

 四人はその後動物園側に下る階段の近くで小休止すると、最後のアトラクションを決める。

 絶叫マシーンのあとは、観覧車でのんびり揺られながら景色を楽しむことにしようとシロが提案し、緑のゴンドラに乗り込んだ。

 全員が席に着くと、空良は伸びをしながらふぅ、と一息ついた。


「んー……、っと。 時間はまだ早いですけど、だいぶ遊びましたねー」


「俺と凰児がいても五時までに支部戻らなきゃいけないからな。 ほんと融通きかねーわ。 ま、でももうちょいしたらこいつも自由に外出できそうだし、これからも仲良くしてやってな」


「翔馬さんは微妙ですけどシロちゃんはもちろんですよー」


「一言余計だっつの!! 全く……」


 ため息をついた翔馬は、横でミニチュア模型のような大きさに見える動物園を見ながら嬉しそうなシロの表情を見て、そっと微笑んだ。



 その後動物園を通って正門を出た四人は、元来た道をたどり帰路に着いた。そのままSEMM愛知支部駐車場に入り、車を降りる。日は若干傾き、時刻は午後四時三十分ほどか。


「乙部さんもう上がり、っていうかあとは家で仕事するらしいから俺たちはここで待ってるよ」


「そっか。 今日は付き合ってくれてサンキューな。 ま、また休みあったらどっか行こうや。 おつかれさん」


「そっちこそいろいろ出させて悪かったね。 そのうちなんか返すよ」


「気にすんなって。 じゃあな」


 空良とシロもそれぞれ挨拶を交わし、凰児と空良に見送られながらふたりは支部へと戻っていった。入口のガラス戸へと続く階段の手前まで来たあたりで、少し後ろを歩くシロを待っている翔馬に、メガネをかけた高校生くらいの少女が声をかけた。


「あ、あの……。 服部さん、ですか?」


「へ? なんで俺の名前知ってんの? ってかなんか先生の時といい今日はよく声かけられる日だなあ」


「これ、朝方にあなたが来たら渡して欲しいと髪の長い女性から渡されて……。 私が学校帰りの時にちょうどここに戻ってくるはずだからって……。 私もよく……」


「なんだそりゃ……? 俺たちが五時までに帰らなきゃっての知ってる奴ってことだよな。 時間ずれる可能性なんていくらでもあるのに適当な奴だな……。 まあいいや、もらっとくよ」


「では、失礼します」


「このご時世に手書きの手紙とか……。 どれどれっと……。 っ!?」


 ペコッと頭を下げて駆け足で去っていく少女を見送ると、早速手紙の封を切る。

 少女に手渡された手紙には、三行ほどの文が書いてあるだけだったが、それを見た翔馬は驚きのあまり固まってしまった。よく見ると手が小刻みに震えている。手紙に書かれていた内容、それは……


『午後四時三十四分、この手紙を読んでいるであろう貴方へ。 その女を庇うな。 新堂ハクは必ず災いを呼ぶだろう。 私は絶対予知の能力者。 救いはない』


「なんだよこれっ……!? あの子確か朝渡されたって……。 こんな正確な時間わかるわけが……。 それにこの内容……」


 全身に汗をたらし、手紙から目を離せない翔馬だが、シロが覗き込もうとするのを察し、咄嗟に振り向いて後ろに隠した。


「わっ……。 びっくりした……」


「悪い悪い、ちょっとした機密事項でさ。 こんなこと人づてに伝えてくんなっての、ははは……」


「そうなんだ。 顔色が悪いけど、大丈夫?」


「あ、ああ。 お前の気にすることじゃないよ……。 先入ってな」


「……? わかった」


 まだ若干訝しげな表情のシロだが、言われた通りにガラス戸を先にくぐっていく。

 翔馬は手に持つ手紙を複雑そうに見つめたまま、しばらく動けずにいた。

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