第9話野外学習地獄変

 早朝六時三十分、まだ車通りの少ない時間帯である。守谷高校の正門前の車道には観光バスが縦に三台並んで止まっていた。正門を入って二十m程まっすぐ歩いたところにある下駄箱前の広いスペースに、二年生の生徒たちがわらわらと無造作に集まっている。

 守谷高校は生徒数のそれほど多くない学校で、クラスは基本一学年三つであり、集まっている生徒の人数は五十人程度といったところか。集合時刻まであと十五分ほどであるが、浪と凛の姿はそこにはなかった。雪菜は腕を組んで眉をひそめながら一人こぼす。


「浪と凛ちゃん、朝ごはん買いに行くってセブン行ったきり戻ってこないよ……。 もう薫ちゃん来ちゃうよー……」


「げっ、しまった……。 ゲームの充電器持ってくるの忘れた……。 バスの中で何しよう……」


 心配そうな雪菜の声を、隣の礼央は全く聞いていないようだ。落ち着かない様子で雪菜がウロウロしだすと、ようやく出ていた二人が戻ってきた。

 浪も凛も一人分にしては多い食べ物が入った袋を持っていた。凛は昨日雪菜にもらったカチューシャをつけ、後ろで髪をまとめている。右手には何やら串焼きのようなものを持っているようだ。


「待たせたな、悪い。 ほら、お前らの分もテキトーに買ってきてやったぞ。 あたしらのおごりだ」


「おー、二人とも気がきくぅ!! って、何食べてるの……?」


「焼き鳥食いたくなったからセブンと反対側のマルK行ってきた。 あそこのはウマいぞ。 何だ、もしかして欲しかったのか?」


「女子高生が朝から焼き鳥とか、女子力がピンチだよ凛ちゃん!! どおりで遅いと思った!!」


「あたしに今更女子力もクソもねえだろ……。 つーか足りてねえのはお前も一緒だろ。 っと、薫先生来たみたいだな、大人しくしとくか」


「おぉ……。 凛ちゃんも薫ちゃんには逆らえないのか……。 恐るべし薫ちゃん」


「エキドナとの事が片付いてだいぶ気分も落ち着いてきたし、無闇矢鱈に噛み付くわけじゃねえよ。 目上の相手なら尚更な」


「龍崎先輩は?」


「目上の相手ならっつったろ」


「うわー……。 ひっどいなー……」


 各クラスの担任が下駄箱に繋がる階段を背に四人並ぶと、生徒たちは自然に各クラス男女に分かれて出席番号順に並んでいった。二組の担任である薫は唯一の女性担任で見たところ一番若そうだが、メガホンを片手に率先してこれからの流れや時間配分などを説明している。


「あー、これからバスに乗って七時過ぎには出発で、到着は十時ごろの予定だ。 バスは奥から一組、席は昇降口に貼ってある。 トイレ休憩は二回だけだからあんまりジュースなど飲み過ぎないように。 着いたら荷物を指定された部屋に置いて軽く説明したあと昼飯だ。 その後登山があって、帰ってきたら夕飯の自炊の準備になる。 この辺はまた追って説明する。 何か質問は無いな、よし起立!!」


「何か質問ないかじゃなくて!? 強制終了!?」


 思わず突っ込んでしまった雪菜。生徒たちは一組から順番に立ち上がると、ぞろぞろと正門の方へ男子から順番に一列になって歩いていく。二組の面々もそれに倣って後ろに付いて行った。

 バスの席順は出席番号順になっているのかと思いきや、なんだか仲のいいグループが集まるようになっているようだ。


「いつもつるんでる奴らが集まるようにしておいてやったぞ。 普段喋らないやつと喋れとか面倒なことは言わん。 私に感謝しろよお前ら」


「おぉ~、さっすが。 薫ちゃんってやる気無さそうに見えて、案外生徒のために手間惜しまないとこあるよね。 番号順にしたほうが手間かからないはずなのに」


「まあ私も学生時代、気の合わない奴と無理に会話させられて苦労したからな。 それはそうと、その呼び方やめろと言ってるだろう……。 私だって仮にも教師だぞ」


「いやー、もう定着しちゃってるよ、この呼び方。 浪と礼央も使ってるし」


 中央通路に立ち、呆れ顔でため息混じりに注意する薫だが、雪菜は完全に開き直っているようだ。薫ももはや半分諦めているようであるが、後半の言葉は聞き流せない。


「新堂、お前はそんなことはないよなぁ? 郁島と氷室の残念なコンビとは違って真面目なはずだろう」


「いや、そこはノーコメントで……。 雪菜の言うことなんで適当に流しといてください」


「……。 まぁいい。 全員あまり騒ぐんじゃないぞ。 あまりうるさい様なら修学旅行のバスは逆に苦手な奴で固めるからな」


「それは、きついな……」


 薫が軽く注意しながら一番前の席に着席すると、バスはゆっくりと走り出した。

 バスはSEMMに向かう道の途中にある楠木インターから高速道路へ入り、そのままジャンクションまでひたすらまっすぐ進んでいった。その後一度の休憩を経てグリーンロードと呼ばれる道へ入り、西弘瀬のパーキングエリアにて二度目の休憩を挟む。自動販売機とトイレだけと必要最低限の施設のみであり、休憩時間は十五分程度となった。

 一同はとりあえず各々五分程で用事を済ますと、雨よけの四角い屋根がある休憩スペースで時間までくつろいでいた。雪菜は缶のゼリー飲料を振りながら浪に尋ねる。


「そういえばさ、昨日の用事ってなんだったの?」


「ああ、部活関係の事とか、結局シロがウチ来ることになったっぽいから、その準備とかな……」


「えぇっ!? 女の子と二人っきりで同棲……」


「別にそういうんじゃねーよ!! 後は、エルと話があってな。 ほら、エキドナがなんか変なこと言ってたろ、アマデウスがなんだのって」


「そういえば……。 何かわかった?」


「いや。 なんかそういうのは師匠に聞けって言って何も教えてくれないし、そのあと黙っちまうし。 まあ、今まで言わなかったってことはそう簡単に話せる内容じゃないってことなんだろ」


「師匠って乙部支部長? あの人が何か知ってるの?」


「さあな。 アマデウスってググったらなんか神に愛された者だかって意味だったけど」


「神に……? 浪の人生って割と波乱万丈だけど、神様ってもしかして好きな子に意地悪しちゃうタイプ?」


「どこの小学生だよ……」


 二人の話がひと段落したところで、携帯をいじっていた礼央が立ち上がった。


「っと、ちょっと早いけどもうすぐ時間みたいだし、そろそろ行こうか。 遅れたら薫ちゃん冗談抜きで置いていきそうだし。 到着まであと四五分ってところだね」


 四人がバスへ乗り込むと、クラスメイトたちは既に全員席についていた。パーキングエリアを出たバスはそのままグリーンロードを進み、一般道に下りたら国道153号線をひたすらまっすぐ進む。緑に囲まれ近くには川が通る景観の良い道を進み、公民館のある信号を右に曲がると残りは五km程。

 程なくして野外学習の拠点となる教育センターが見えてくる。入口は傾斜がついており、入ってすぐ見える並んだ白い建物が生徒たちの宿泊する場所だろうか。四角い単純な建物で、屋根は少し斜めになっている。一棟でちょうどひとクラスが入るくらいの大きさか。

 緑に囲まれ澄んだ空気が気持ちいい、稲生町。ここが野外学習の舞台となる。


 各自指定された部屋に荷物を置き、建物の正面で再度集合して教師からの指示を聞いている。このあと野外活動になるためか、生徒たちは学校指定の紺色のジャージに着替えている。教師陣も各々動きやすい服装に変わっていた。説明役は今回も薫のようだ。自前の黒ジャージに白いTシャツ姿で、ジャージの上着は腰で縛っている。


「説明が終わったら奥の屋根のある広場で昼食だ。 弁当が配られるから時間内に済ませるように。 食後は裏側の山で登山がある。 ちゃんと道は整備してあるが、手足を使って登らなきゃならん所もあるからな、あまり調子に乗ってふざけてると怪我するぞ。 山頂で十五分ほど休憩したら山を下って自炊だ。下り勾配は危険だから、帰りは緩やかな道を使う。ここまで質問はないな!!」


「また!?」


 雪菜の二度目のツッコミをよそに、薫は淡々と説明を進めていく。


「自炊のメニューは各班自由だが、この出来は家庭科の成績に反映するぞ。 ふざけて変なもの作るなよ。 米と飯ごう、各種調理用具は用意してあるから使うものだけ担任教師に伝えて持っていくように」


「げっ、成績に響くの!? でも、こっちには一人暮らし歴の長い猛者がいるもんねー。 余裕で最高評価頂きよ!!」


 料理の腕に自信のない雪菜は一瞬ドキっとするが、浪の料理の上手さを知っているので、調子に乗ってグッとガッツポーズをしている。

 ざっと説明をこなした後指定の場所で昼食をとると、クラスごとに列になって登山コースの方へ移動していく。

 登山道はしょっぱなからある程度勾配があり、足元には道を拓くために切ったであろう細い木の根が所々に出ている。

 浪と凛は余裕の表情だが、


「これ、登るの……? あたし女の子だよ?」


「僕だって男だけど厳しいって。 だいたい僕はインドア派のシティボーイなんだからアウトドアで学ぶことなんか……」


「シティボーイって……。 ただのゲーマーじゃん……。 っていうか礼央は案外運動神経悪くないでしょ。 ねえ凛ちゃん、一緒に登ってー……」


 呆然とした表情で見上げる雪菜と礼央。凛はおそらく雪菜が登ってくるまでに二往復できるくらいの運動神経があるが、雪菜に一緒に行こうと頼まれて断ることはできない。ため息をついてはいるものの、二つ返事で引き受ける。


「しょうがねえな……。 新堂は郁島についていってやれよ」


「ま、一人で黙々と登ってもつまんねーしな」


 結局浪と礼央、凛と雪菜に分かれて登山道をゆくことになる。浪と礼央は先に左寄りの道から登っていった。雪菜は少しでも楽そうな道はないかあたりをキョロキョロと見渡している。


「あそこのあたりがデコボコ少ないね!! 山登り開始っ!! よし、そうとなればあの名台詞を言うしかないね!!」


「はいはい、わかったわかった」


「なぜ山を登るのか、それはー……」


「……」


「野外学習で授業だから仕方なくだ!!」


「おい。 そこに山があるからとかだったろ」


 呆れ顔で見ていた凛だったが、突っ込まなければ気がすまなかった。

 女子二人は足元に注意しながらゆっくりと、しかし着実に歩を進めていく。そして休憩を挟みながらもようやく山道を三分の二程度の箇所まできた。しかし……


「ここが、薫先生の言ってた所か……。 終盤に来て最後の難関ってとこだな」


「なにここ……。 ほぼ壁じゃん……」


「流石にそれは言い過ぎだろ。 まあでも先生の言ってたとおり、手足使って登らないとダメだな。 所々に木や岩が出っ張ってるから、それを掴みながら登ってくのが安全か。 あたしはそんなことしなくても余裕だけど、見本見せてやるから同じように登ってきな」


 心底嫌そうに坂道を見上げる雪菜の背中を軽くたたくと、凛は一足先に登って行き、坂の三分の一あたりの所で雪菜に呼びかける。


「こんな感じだ。 早く登って来い」


「ううっ……。 仕方ないなぁ……」


 ゆっくりと、凛の半分位の速度で登っていく雪菜。凛は、登山者が体を支えるためなのか、所々に切らずに残してある細い木に掴まって雪菜を待っていた。三十秒程して、ようやく雪菜が凛の下まで到着する。


「ぜぇ、ぜぇ……。 きっつい……。 よくそんなスイスイ行けるね」


「お前、ほんとに運動神経ねぇな……。 まあいいや、そんな感じで上まで行くぞ。 ゆっくり行ってやるからちゃんとついてこいよ」


「あ、ちょっと待ってよー」


 凛が雪菜に背を向けて登り始めると、雪菜も慌ててそのあとを追う。足元への注意を怠った雪菜は足を滑らせてしまい……


「あ!! っつぉあっ!?」


「あん? なんだよ……、って、ぐえぁっ!!」


 雪菜は咄嗟に凛の服の背中を掴んでしまい、女子高生にあるまじき悲鳴を上げて二人一緒に落下してしまった。


「テンメェ……。 いきっ……。 ゲホッ、いきなり何しやがんだゴルアァァ!!」


「だ、だって落ちそうだったんだもん……」


「あたしを巻き込む必要性が無エェェ!!」


「凛ちゃんだったらこらえてくれると思ったのに……。 もう、鍛錬が足りませんなぁ」


「……」


 ゴツンっと鈍い音が森に響く。


「あーん!! 殴ったあ!! もう、凛ちゃんはすぐ怒り過ぎ!!」


「今のでキレない奴がいるのか……? ったく、もうお前先行け!! お前を見えないとこに置いとくと何されるか分からん!!」


「わ、わかったよぅ……。 遅くても急かさないでね?」


「わぁったって、ほら早よ行け」


「早速急かしてる……。 よっこらせ、っと……」


 雪菜は再度ゆっくりと登り始める。慎重に進んでいく彼女の後ろを、凛は余裕の表情でついていった。ふと、凛の頭に嫌な予感が走る。


「これは……。 雪菜が落ちたらまたあたしも巻き込まれるんじゃねぇのか? 真後ろは止めてちょっとだけずれて……」


「うあっ!? 危ない落ちるぅ!!」


 考えた途端の雪菜の期待通りな行動に、凛はアニマとの戦闘時並みの反射神経で即座に反応する。


「緊急回避っ!!」


「だが無駄だっ!!」


 避けられた雪菜がまた咄嗟に、今度は凛の足を掴んだ。その後は、先程と同じように。


「だっ・かっ・らっ!! 掴むなって言ってんだオラアァァ!!」


「ひいぃ!! 退散!!」


 激怒する凛から逃れるために、雪菜は氷のビットで階段を作り坂を駆け上がっていった。


「セコイ真似してんじゃねーよ!! このっ!!」


「ひゃあ!! 追いつかれる!!」


 凛が同じように階段を駆け上がっている途中で、階段が消失する。突然足場を失った彼女は足を滑らせ、三度坂の下へ。


「……」


 ゆっくりと顔を上げる凛はなんだか黒いオーラをまとっている。立ち上がると、驚異的なスピードでステップするように坂を駆け上がっていった。


「ちょ!? 肉体強化使うとか反則!! ちょっとまってぇ!!」


「知るかあァァ!!」


 森に再び鈍い音が響き、驚いた鳥が何匹か木から飛び去っていく。

 二人が山頂に到着した頃、雪菜の頭には大きなたんこぶが二つ出来ていた。



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 浪と礼央の二人は一足先に山頂に到着していた。二年生全体でもかなり早い方だったようで、木製のベンチがちらほらあるだけの見晴らしの良い広場には、ほかに十人もいないようである。

 ちなみに一番早く登頂したのは教師である薫だったらしい。


「ふう、やっぱ一番乗りとはいかねーか。 でも、あんなこと言ってた割には早かったじゃねーかお前。 俺もほとんど待たずに休憩なしで来たもんな」


「喧嘩とか戦いはさっぱりだけど、サッカーとか普通の運動は浪より得意なのいくつかあるしね。 多分雪菜達は最後だろうなあ……」


「黒峰一人だったら薫ちゃんと張り合えるくらい早そうなのにな」


 浪と礼央が話していると、浪が背後から声をかけられる。突然声をかけられたことではなく、声をかけてきた人物に、浪はびくっと驚いた。


「私がなんだって、新堂君?」


「薫ちゃ……、先生!? いや、別になんでも……」


「……、もういい、諦めた……。 好きに呼べ。 それよりちょっと、礼が言いたくてな」


「え? 薫ちゃんにお礼言われることなんて何も……」


「黒峰のことさ。 本来生徒を立ち直らせるのは教師の役目だからな。 何度かSEMMに会いには行ってみたんだが」


「そのことなら、俺は何にもしてないっすよ。 あれは全部雪菜の働きっす」


 若干照れながら謙遜している浪。しかし薫は腕を組んだまま珍しく優しい微笑みを見せると、浪に言葉をかける。


「そのために傷ついたのなら、同じことさ」


「そういうことなら礼央も一緒だな。 雪菜が途中で折れずに済んだのはお前がいたからだろ」


 急に振られてえぇっ、と驚きながら礼央は恥ずかしがっている。


「も、もう恥ずかしいからこの話は終わりにしよう!! ほら、人も増えてきたから薫ちゃんも見回り行かなきゃいけないだろうし」


「ふふっ、そうだな。 新堂は料理が得意だったな。 自炊の時は一口貰いに行くから、期待してるぞ」


 そう言いながら背を向けて手を振ると、薫はほかの生徒のところへ歩いて行った。

 浪たちが到着して二十五分ほど後、前に到着した生徒より十分ほど遅れて雪菜と凛が到着した。当然彼女達が最後である。雪菜だけでなく凛も息を切らしているようだ。


「クソッ、なんであたしがこんな……」


「お、遅かったな黒峰……。 雪菜に合わせてたのはわかるけど、なんでそんなに息切れてんだよ」


「うるせぇ黙れ……。 体中がいてえ……。 ちょっと休憩を……」


 凛は浪の声に耳を貸す余裕もない様子だ。フラフラとベンチの方へ向かって歩く凛。しかしそこに薫の無情な声が響く。


「よし、全員揃ったようだし、時間押してるからもう下ってくぞ。 帰りはこっちだ。 クラス毎に列になってな」


「冗談……、きついぜ、薫先生……」


 薫の声に絶望的な表情の凛。さっきまで黙っていた雪菜も不満の声を上げた。


「えぇー!! まだ写真も撮ってないよー!! ほら浪、これ撮って早く!!」


「お前のほうが元気だな……。 何かやっただろ」


「な、なんにもしてないよ!?」


 凛に睨まれた雪菜は、目をそらして口笛を吹いている。

 一同、帰り道は特に何事もなく下っていった。山を降りて教育センターに到着すると、いよいよ自炊の時間だ。


「氷室の班はあっち、B‐6のスペースだ」


 薫の指示に従い、雪菜の班はB‐6と書いたプレートが付いている机に荷物を置いた。一班につき机の他、石造りの横長のコンロがある。流し台は共同スペースがところどころにあり、空いているところを使うようだ。一同、最初に学校に集合していた時から気になっていたことを浪が雪菜に尋ねる。


「この保冷カバン何入ってんだよ? それにこっちのカバンもやけに重たいし。 よく持ってこれたな」


「ふふん、先に学校行っててって言ったのにはワケがあるの。 お姉ちゃんに車で送ってもらったのさ!! 中身は開けてみればわかるよ」


 雪菜に促されるままに、浪は謎の保冷カバンのファスナーを開けた。中身を見た浪は、わけのわからないといった表情で一瞬固まってしまった。カバンの中に入っていたものは……


「なんだ……、コレ」


「シーフードミックス!! ほら、カレーはカレーでも変わった具があったほうがいいじゃん」


「エビにホタテにイカって、全部刺身用のパックじゃねーか!!」


「え? 新鮮な方がいいでしょ? ファクターでマメに氷作って一生懸命冷やしてたんだから。 まだ買ったばっかの時と同じ状態のはずだよ」


「カレーにブチ込むもんに新鮮もクソもあるか!! ったく、無駄遣いしやがって……。 で、こっちの重い袋は……。 調味料……。 ソース以外カレーに使うもん無え……」


「何使うかわかんなかったから。 料理上手い人は隠し味に意外なもの入れたりするじゃん。 あれ、唐辛子と小麦粉は使うよね?」


「小麦粉なんか何に、ってなんだか嫌な予感してきたんだけど、肝心のルウが無くないか……?」


「売り切れてたんだよー。 絶対クラスの子達が買い占めてったせいだね!! なんかカレーって小麦粉から作るって聞いたことあるし、浪だったらできるかなって」


「礼央……。 お前一緒についてったんじゃないのか……。 何をしてやがった……?」


 なんだか疲れきった顔の浪に尋ねられた礼央は、苦笑いして頭を掻きながら答える。凛もやはり驚きと呆れで言葉も出ない様子だ。


「いや、ネトゲの限定クエスト開催日だったからさ。 一緒には行ってないんだよね……。 くぅ、こんなことになるなら限定装備捨ててでもついていくべきだった……!!」


「つーか、これはいくらなんでも無ぇだろ……。 てめーらも雪菜と付き合い長いなら一人で行かせてんじゃねーよ……」


「雪菜に料理させたことなんてなかったからなあ。 で、どうすんのこれ……?」


 流石にまずい雰囲気を感じ取ったのか、オロオロし出す雪菜。


「えっ!? 浪作れないの!?」


「小麦粉単体からカレーを作れとか、インド人も真っ青の無茶振りだっつの。 そもそも必須ですらないし」


「まじかー……。 そうだ、別メニューにしようよ!! これ使ってなんかさ。 そもそもキャンプといえばカレーが鉄板みたいな風習がおかしいし!! 山にも関係ないし、ここ日本だし!! 最初にやり始めた奴絶対インド人でしょ!! インド人はインドで陽気にダンスでも踊ってろっての!!」


「お前なぁ……。 別メニューったって、切っただけとか焼いただけとかじゃ、家庭科の評価がやばいことになるだろ。 くそっ、一年生の家庭科の成績三回とも五だったのに……。 このままじゃ傷が付いちまう……。 いや、待てよ……」


 あごの下に指を添えてしばらく考えていた浪は、小さく頷くとグッと拳を握った。


「よし、これで行くしかない!!」


「なんか決まったのかよ?」


「ああ。 黒峰、お前料理はどれくらいできる?」


「はっ、一人暮らしはテメエより長いんだぜ? 魚の三枚おろしくらいまでなら余裕だな」


「それだけできれば全く問題なしだな。 黒峰はイカを六、七ミリくらいに切って、エビの背わたを取ってそのまま開いていってくれるか? 礼央はどうだ? 何ができる?」


 浪に真面目な顔で尋ねられて、礼央は若干緊張した様子で答える。


「料理はレシピがあればなんとか、って感じ? 常識的なことは大丈夫だと……。 ほら、ホワイトデーに友クッキー配ったじゃん。 あれ実は手作りなんだよ?」


「なるほど、あれは結構うまかったから大丈夫そうだな。 じゃあ米の準備をして、火が付いたらホタテに火を通しといてくれ。 雪菜は……」


 浪と目があった雪菜は思わずビクッとしたあと、ひきつった笑顔を返した。


「……。 火おこしを頼むか……」


「えー!? 一番疲れるやつじゃん!! 浪も手伝ってよー!!」


「じゃあ料理に手出してもいいけど、今度何かやらかしたら飯抜きな」


「喜んで火おこしさせていただきまーす!!」


「……、まあ、コメ炊けるまではあんまやることないし、手空いたら手伝ってやるよ。 でもちょっとやることあるから先準備しといてくれ」


「はーい」


 浪は雪菜に言い残すと、キャンプの外へと走って行った。

 若干不満そうな顔で木炭を並べ始める雪菜。元はといえば彼女のせいで面倒なことになっているのだが。

 一方浪はどこへ行ったのかというと、薫たち教師陣のもとにいた。


「薫ちゃん、ちょっと頼みがあるんすけど……」


「ん、どうした?」


「どうせ酒持ってきてるんすよね? 一本分けてください!!」


「ちょっ、お前!? ほかの先生方もいるのに堂々としすぎだろう!!」


 浪のとんでもない要求に何を言い出すのかと驚いて立ち上がり、座っていたパイプイスを倒してしまう薫。だがもちろん浪は飲みたくて言っているわけではない。


「いやっ、違くて……。 料理に使うんです」


「お前の班はカレーだっただろう……。 まあいい、ほれ」


 薫は呆れ顔になりながらも、缶キャップのビン酒をひとつ浪に手渡した。浪は礼を言うと雪菜たちのところへ戻る。すると、既に木炭には火がついているようであった。コンロのあたりには雪菜の他に凛の姿もある。


「もう火ついたのか、早いな」


「材料切るのなんか米炊いてるうちにやればいいからな。 とりあえず火ィつかなきゃなんも出来ねえだろ」


「それもそうだな、サンキュー。 じゃ皆、後はさっき言った通りによろしくな。 雪菜はゴミの片付けと洗い物を随時頼むわ。 さて、この酒と醤油、みりんと砂糖を……」


 指示出しを終えると浪は調味料を並べて鍋に入れ始める。今言った物の他に、お酢が机の上に出ている。改めて見ても、調味料はカレーに縁のないものばかりだ。

 他の班がカレーのいい匂いを漂わせている中、B—6のコンロからはなぜかホタテの焼ける香りが漂っていた。



 三十分後。氷室班の面々が座る机の中央には、キャンプのイメージとはかけ離れたものが並んでいた。山で食べる物としてのイメージはカレーよりもよっぽどひどい。これは絶対に流行らないだろう。日本の料理ではあるが。

 机の脇で、腕を組み難しい顔でソレを見ていた薫が、浪に尋ねる。


「お前達の班はカレーじゃなかったか?」


「雪菜がやらかしたので急遽変更になりました」


「そうか。 で、これは何だ?」


「まあ、その……。 寿司っすね」


「どうしてこうなった……」


「……、さあ? 礼央がゲームばっかやってたからっすかね」


 淡々と質問する薫に、浪は魂の抜けたような声で返している。


「……、炙りホタテに甘ダレか、渋いな。 というかよくこんなもの作れるな」


「この甘ダレ、薫ちゃんにもらった酒使ったんすよ」


「なるほど、返しに来たとき全然減ってないなとは思ったが……。 エビとホタテひとつ貰っていいか?」


「はい……」


 紙製の大皿に乗ったそれを、薫は箸を使って手に持つ紙皿にのせた。バーベキュー用の紙皿に寿司というのがなんともミスマッチである。薫は先にホタテを一貫、口に運んだ。


「……、うまいな」


「そりゃあ、ね」


 褒められてもなお、浪の目には光がない。

 野外学習で寿司を作ったアホな班があったという話は後日またたく間に広がり、以来伝説として語り継がれていくことになるのだが、どうでもいい話である。

 しかしこの時の家庭科の評価は、さりげなく最高点であったという。

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