第8話黒の復讐者 ~後編~

「Sランク隊員龍崎凰児、出撃します!!」


「Aランク隊員昂月空良、出撃します!!」


 受付奥に居る緋砂に向かい、敬礼しながら出撃報告を行った。緋砂が緊張した様子で頷くと、二人は急いで支部を出て行く。そんな二人の背中を見ながら、ひときわ不安そうな表情の人物が。雪菜だ。

 先程凛のために戦う事を宣言したばかりなのに、出現したのは自分に出撃許可の下りないAランクアニマ。アニマランクよって出撃に制限があり、同ランク以上のホルダーしか許可が下りないのである。彼女は不安と同時に、もどかしさを感じていた。


「こんな時に限って……。 あの時昇格試験に受かってれば出撃できたのに……!!」


「友達が心配なのはわかるけど、凰児と空良ちゃんが合流して三人になったら、過去最強のアニマだろうと余裕で勝てるから大丈夫だって。 それに小三で勝てた相手だろ?」


「凛ちゃんのファクターはちょっと特殊なんです。 あの時は、目の前で両親を殺された事で一時的に能力が強まってただけで……。 でもまあ確かに、先輩たちが一緒なら大丈夫、ですよね……」


 思いつめている様子の雪菜を翔馬が励ます。雪菜は一応は彼の大丈夫だ、という言葉に納得したものの、不安は消えないようだ。

 その時急に、シロが頭を押さえて前かがみになり、苦しそうな顔で小さくうめき声を上げる。浪が心配して声をかけると、未来を見たらしい彼女はこのあと起こるであろう出来事を語る。


「うっ……」


「シロ!? 大丈夫か!?」


「だめだよ……。 アニマは配下を連れてきてる。 凰児と空良は邪魔されて間に合わない……。 凛はアニマとの相打ちを狙って一緒に死んじゃうよ……」


 シロが口にしたのは、最悪の未来。時が止まったかのように全員が言葉を失うなか、雪菜が混乱しながらもなんとか言葉を絞り出し、興奮したようにシロの両肩を掴む。


「え……? あいうち……? って、嘘!? それってどういうこと!? ねえ!!」


「あ……、う……。 それは……。 凛がアニマの攻撃にわざと突っ込んでいって、その後凛を中心に魔力が暴発して……。 私にもよくわからない……」


「それって……」


 雪菜に迫られ、困った顔で自分の見た未来を説明するシロ。彼女自身何が起こっているのかよく理解できなかったようだが、話を受付から聞いていた緋砂が、一同のもとへ歩み寄りながら説明をした。


「ホルダーが死んだとき、その体に残っていた魔力はすべて放出されていくんだ。 回復術師以外は死にかけの攻撃系ホルダーに近づくなって、聞いたことあるだろう? 不謹慎な話だが、例えば雪菜の場合、周囲10m位の範囲が凍りつく。 それが凛だったら、上級アニマ相手だろうと跡形もなくなるくらいの威力が出るだろうね……。 多分勝てないと踏んで、それを使う気なんだ」


「……!? そんなのって……。 助けに……、行かなきゃ……!!」


 緋砂の話を聞いた雪菜は愕然とした表情になりしばらく固まってしまったが、唇を噛み拳を握り締めると、ぼそっとつぶやいた。しかし、出入り口に向かって一歩踏み出した雪菜を、緋砂は見逃してはくれなかった。


「待て雪菜ァ!! ……、次はないって、言ったはずだよ。 Aランク未満のホルダーの出撃は認められない。 あんたは待機だ」


 雪菜を呼び止めた緋砂の表情は、威圧的であった。しかし、雪菜は臆することなく再び拳を強く握り締めると、緋砂に背を向けたまま話す。


「……、ごめんお姉ちゃん。 命令違反で誰に迷惑がかかるのかはわかってる。 けどね、あたしは凛ちゃんのこと、一度見捨てたんだよ。 だから、こっちだって次なんてないんだ。 また見捨てたら、あたしはこれから先ずっと後悔する」


 涙をこらえて話す雪菜は、ばっと振り返ると緋砂に向けて強く言い放つ。


「だから絶対助けるんだ!! あたしを止めたいなら、ほかの隊員に命令して取り押さえるくらいしないと止まらないよ。 それでも、邪魔するものは全部潰して行くけどね。 決めたんだ。 あの子が嫌でも、あたしはずっと凛ちゃんの友達でいるって」


「……、っ」


 普段は自分に刃向かってくることの無い雪菜が初めて見せる勢いに、緋砂は逆に圧倒されてしまった。シロの時といい、案外押しに弱いようである。

 緋砂は若干下へと視線を逸らすと、若干悔しそうにも見える表情でつぶやく。


「あんたが凛のこと心配なように、あたしだってあんたのことが心配なんだよ。 あたしには戦う力がないから、止めることもできない……。 でも、あんたはあたしの大切な妹……。 家族なんだ」


「それは……」


「……、だから……。 ちゃんと無事に帰ってくるんだよ!! いいね!?」


「お姉ちゃん……。 ありがとう。 絶対凛ちゃんと一緒に、無事で戻ってくるから!!」


「浪、あんたもどうせ行くつもりなんだろ? 個人的な理由で悪いが、今回は止めない。 雪菜を頼んだよ」


 雪菜がタンカを切ったあたりから行く気マンマンだった浪。緋砂にはバレバレであったようだが、妹のことが心配な為に、意外にも逆に頼られてしまった。凛の為に頑張る雪菜の為に出来る事を精一杯やりきろう。そんな決意を胸に、浪は自分の胸を、親指を立てた右手で指し自信たっぷりに答える。


「うす!! 任せてください!!」


 本来は規約違反であるため、手続きせずに走って支部を後にするふたりを、呆れたような表情で見送る緋砂。その呆れは、甘すぎる自分に向けられた物か。腰に手を当てて立ったままつぶやいた。


「あたしの方もなんだかんだ言って、雪菜には逆らえないのかもねぇ」



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十数分前に凛がタクシーで通っていた道を、凰児と空良を乗せた車が走っている。後部席に並んで座っているふたりはそれぞれ、異なる表情を浮かべていた。


「いつかはこんな事になるんじゃないかとは思ってたけど……。 頼む、間に合ってくれ……!!」


「凰児……。 大丈夫だよー、あの人がそんな簡単にやられちゃうなんて想像できないでしょ?」


「ああ、そうだね……。 確かに心配しても仕方ない。 俺は俺にできることをやらなくちゃな」


 思いつめたような表情で、祈るようにつぶやいていた凰児は、空良の言葉に少し冷静さを取り戻したようだ。しかし空良は空良で、なんだかそわそわしているようだ。少し気まずい空気の流れる中、突然車の運転手が急ブレーキをかける。


「うわっ!? なんですかー? 急いでもらわないと困るんです!!」


「それが……」


 若干怒ったような空良の言葉に対し、運転手は目線で異変を伝えようとする。というか、窓の外を一目見れば、急ブレーキの理由は一瞬で分かった。アニマに囲まれていたのだ。人型をしたトカゲのようなアニマ。ゲームやファンタジーの話で、リザードマンなんて呼ばれるような奴である。数は7、8匹で、あまり強そうには見えないが、いかんせん攻撃能力に乏しい二人では倒すにも時間がかかる。


「なんで……!! なんで今なんだ……、っ!!」


「この数はちょっと時間が……。 どうしよう……。 このままじゃくろりん先輩の増援にいけないよ……」


 シロの予言したとおり、二人が凛に合流するのは不可能となってしまったようである。凛が相打ちでアニマを倒すか、雪菜たちが間に合うか。復讐劇の結末は予言の通りになってしまうのか。



 運命のカギを握る少女たちは、凰児たちのいる国道から一本入った、車通りが少なく信号のない方の

道を行っていた。自転車を飛ばし、息も切れ切れでたまに通行人に接触しかけながらも、その足を緩めることはない。


「ぜえ、ぜぇ……。 待っててよ凛ちゃん……!! あたしが来るまで、無事でいて!!」


 気合を入れて声を上げると、雪菜は一段階スピードを上げた。 

 猛ダッシュで飛ばす雪菜の後を同じスピードでついていく浪は、それほど苦しくなさそうに見えた。



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 春日ヶ丘市西部に位置する市営麻宮公園。目立つ遊具や施設はないものの、比較的大きめで緑も多く、散歩に適した公園である。駐車場から公園方面へ向かい橋を渡り、広場を左へ抜けたあたり。木々に挟まれた道を抜けた先に、禍々しい魔力を放つ一人と一体がいた。

 凛とその宿敵、アニマ『エキドナ』。地面に付くほどの長い赤髪を持つ妖艶な姿だが、下半身は蛇の姿をしており、その背中からは六本の触手が伸びている。

 周囲には何人かの一般人が倒れており、ピクリとも動かない。安否は不明だ。

 片隅に遊具コーナーのある児童園広場。休憩施設と思われる白いL字型の建物を背に、黒いオーラをまとう剣を携えた凛は、エキドナへと殺気とともに言葉を放つ。


「派手にやってんなァ、おい。 あたしのことを覚えてるか蛇女ァ……。 まあそんな事はどっちでもいい。 今度こそこの世から消してやる……!!」


「忘れなどしないさ、あの屈辱を。 だがどうした? あの日よりも弱くなっているじゃないか。 貴様の肉体強化は感情の高揚に左右されるものだったか。 案外憎しみなど薄れどうでもよくなったのか?」


「っ!? そんな訳が……、あるかっ!! クソ、今は余計なことは考えるな……!!」


「いいのか? 私に攻撃すれば『こいつ』を殺すぞ?」


 戦闘態勢に入る凛に対し、エキドナは左側の触手で締め上げたモノを前に掲げる。逃げ遅れた一般人の男性だ。まだ息が有り、体をガクガクと震わせ、その顔は恐怖にゆがんでいる。


「た……、助けて……、くだひゃい……。 しに、死にたくないぃ……!!」


「……。 悪いがあたしにてめえを助ける義理はねえ」


「そ……、そんな!? あんたSEMMの隊員だろォ!?」


「……、まあでも、問題はねえだろう。 どうせっ……!!」


 言いかけた凛は、猛スピードでアニマへと突進する。凰児との試合の時よりもさらに一段階早い。エキドナはちぃっ、と舌を鳴らすと締め上げていた一般人を放り投げ、闇の魔術で2mほどの大きさの盾を作り上げ迎撃する。凛の魔力とスピードの乗った一撃は、盾に軽いヒビを入れるものの、続く触手での攻撃で距離を取らされてしまう。

先ほどの男性は双方の激しい攻防に若干腰を抜かしひいぃ、と情けない声を上げながらも必死に逃げていった。


「てっきり人質を盾にでもするかと思ったんだがなァ?」


「わざとらしい……。 殺意が本気かどうかの見分けくらいはつく。 人質ごと私を真っ二つにするつもりだっただろう。 正気とは思えんな」


「あたしが本気でやりゃ、テメェは人質を捨てて集中せざるを得ないだろ。 人質を殺すつもりでそっちに意識を向ければ、あたしには対応しきれねえ」


「自分がそれほど強いと思ってるのか、めでたいな。 思い通りに行かずあの男が死んでいたらどうするつもりだったんだ?」


「知るかよ。 そもそも最初に守ってやる義理はねぇっつったろ」


「ほお、人間など余計な感情に縛られ、何もできない無力な生き物だと思っていたが、面白い。 貴様は悪くないな。 少しくらいは、楽しめそうだっ!!」


 エキドナは少し高揚したように笑うと、腕を振りかざし計四発の衝撃波を凛に向けて放つ。凛は手に持つ剣と鞘両方で衝撃波を弾く。

 彼女の持つ剣の鞘は特別製だ。通常剣はともかく、鞘は頑丈に作る必要などなく、軽い材質で作られているものだが、彼女は金属製の鞘を左手に持ったまま防御に使用し、二刀流のようにして戦っている。

 間髪入れず飛んできた触手攻撃を剣で切り刻みさらに接近する凛に、エキドナはひときわ大きい衝撃波を放つ。対する凛は剣に魔力を集中させると力強く振り抜き、強力な剣圧を飛ばして迎撃する。

 強力な魔力同士のぶつかり合い。だが凛の飛ばした魔力はエキドナの攻撃に押し負け、かき消されてしまう。驚いた表情の凛は足を止め、剣を斜めに構えて受け流す。衝撃波は彼女の頬を軽く裂くのみにとどまり、凛の右後方で地面を抉った。


「あたしが……、押し負けただと!? いや、違うな……。 これは……、っ」


「そう、お互い全力で打ち合えば貴様が勝つのかもしれん。 だが貴様は魔力を練るのが遅すぎる。 だから、こうしてやればほら、このとおり……、だっ!!」


 エキドナは一瞬のうちに高濃度の魔力塊を作り出し、そこから小さなミサイルのように魔力弾を大量に打ち出した。四方八方から襲い来る攻撃を、常人をはるかに凌駕する身体能力と動体視力をもって次々に撃ち落としていく凛。しかしどれだけ落とせども、攻撃はやまない。


「ほらほらどうした!? もはや力を使う余裕もあるまい!!」


「ちぃ……!! 数が、多すぎてっ……」


 善戦していた凛だが、ついに剣の狙いが逸れ、被弾してしまう。一度ひるんでしまうと、もうそこからは狙いなど定まらない。次々に魔力弾が彼女を襲い、凛は土煙に飲まれてしまった。


「致命傷になるほどの威力はない。 生きてはいるだろう。 だが……」


 見下すような笑みを浮かべるエキドナの視線の先、収まり始めた土煙の中から凛の姿が確認できた。かろうじて立ってはいるものの、顔は血にまみれ服はぼろぼろだ。


「ほう、立てるとは意外だな。 傷も軽くはないようだが?」


「残念だったな……。 あたしの肉体強化術にゃ痛覚遮断効果がある。 死ぬまで、倒れやしねぇぞ……!!」


「そうか。 ならば死ね、と言いたいところだが、こちらとしてはもう少し楽しませてから死んで欲しいものだな?」


「舐めんじゃねぇぞ……、クソがァ!!」


 走り出す凛に、エキドナは先程魔力弾を放っていた黒い魔力塊を放つ。避けきれずまともに受けてしまった凛は、次こそこらえきれず地面へと倒れこむ。呆気ない結末にふう、とため息をついて落胆したような表情のエキドナ。しかし凛の顔はまだ諦めてはいなかった。


「くそ……。 お前のせいだからな、雪菜……。 お前のせいで、まだ生きていたいとか思っちまったんだ。 でも、もう……」


「ん? まだ立てるのか。 案外丈夫な体をしているな」


 再び立ち上がる凛を見ても、エキドナの退屈そうな表情は変わらない。勝負は決まったと疑いもしていないからだ。


「ははっ……。 最後に思い浮かぶのがお父さんたちじゃなくて、あの子の顔だなんてね……。 全部無くしたなんて言ってたけど、まだ残ってるものがあったじゃないか……。 でも、もう合わせる顔なんて……。 それに、どうせこのままじゃ勝てない。 あの子を泣かせてまで貫いた道だ。 後には、引けない」


 涙を浮かべながらつぶやく凛の口調は、心なしかいつもより落ち着いている。


「お父さん、お母さん……。 多分あたしは二人には会えない。 すべてを犠牲にしてきた。 ……、友達さえも。 天国にはいけないよ。 でも……、だからこそ……!!」


「まだ勝てる気でいるのか? もう流石に飽きてきたんだがな」


 凛は剣をぐっと握って顔を引き締め、声を上げると同時に走り出す。悲壮な覚悟とともに。


「仇は討つッ!!」


「戦うことを放棄したか? 突っ込むしか能がないとは……。 これ以上付き合ってやる価値もないな」


 エキドナが手を前にかざすと、帯状の魔力が次々と凛の方へと襲いかかる。うねりながら襲い来るそれは凛に剣で弾かれ、地面へと突き刺さっていく。たまに全身を浅く裂かれながら急接近する凛を、エキドナは特大の魔力波をもって迎え討つ。死にかけの少女に対するとどめの一撃としては、余りあるであろう一撃。

凛は小さく微笑み、つぶやいた。


「ここまで近づけたなら……。 おわり、だ。 ごめん、雪菜」


「さらばだ、哀れな復讐者よ!!」


 公園に黒い閃光とともに轟音が響き渡る。


 しかし、その後凛が狙っていた魔力暴発が起こることはなかった。未だ二つの足で立つことができていることに驚きつつも、凛は目の前に広がる透明な『何か』に、何が起きたのかを瞬時に理解した。


「氷の……、盾……」


「ま、間に合ったぁ~……」


 焦ったような表情でばっと凛が振り返ると、そこにはやはり予想通りの人物の姿。青い髪を汗に濡らし自転車にまたがったまま、片手を膝について息を切らしている雪菜がそこにいた。その後ろには浪もいたが、凛はあまり気にとめていないのか存在に触れられない。

 雪菜は自転車を降りると、スタスタと早足に凛の方へ近づいていく。浪はゆっくり自転車を降りながら、ふたりを見守りつつ、エキドナの動きに注意を払っていた。


「雪菜……。 何しに来たんだ!! 邪魔すんじゃねぇ!! もう少しでこいつを……」


 怒鳴りつけられた雪菜だが、歯を食いしばり怒ったような表情で構わず歩み寄ると、凛の左頬を右手で殴りつけた。はたいたのではない。グーパンチである。


「む……。 何だ? 仲間割れか?」


「うっわ、あいつも容赦ねーなあ……」


 流石に予想外だったのか凛は勿論、浪やエキドナさえも驚きの表情を見せていた。凛は思わず怯んで後ろによろけてしまい、頬を抑えながら雪菜に食ってかかる。


「てっめ……。 いきなり何すんだ!?」


「うるっっっさぁぁぁい!! 相打ち狙いとかバカじゃないの!? あたッ……。 あたし、がっ……、どれだけしん……、じんばいしたっ……、のかっ……、うぅ~……。 わがってんのかー!! うわあぁぁん!!」


「……、すまん。 何言ってんのか全然わかんねえんだけど……」


 途中でこらえきれなくなり、涙と鼻水混じりでわめきたてる雪菜に、凛は若干引きながらも冷静に反応した。

 その光景を見ていたエキドナは、面白くなさそうな顔をしながら無言で二人に攻撃を仕掛けようとする。手をかざし魔力を集めるエキドナだがしかし、突如その手に天から小さな雷が落ち、奇襲は失敗に終わってしまった。

 雷を落としたのはもちろん、エキドナに注意を払っていた浪。いつのまにか覚醒モードになり、エキドナへ向かって手を突き出している。


「今いいところなんだ、見りゃわかるだろ。 空気読めない奴は嫌われるぞ?」


「貴様、その力は……。 面白い、貴様が現在の『天に愛されたものアマデウス』というわけか」


「はぁ? アマ……何だって? 何言ってんだ?」


 謎の単語を発するエキドナに困惑する浪だが、エキドナは何も答えず腕を組みふんと鼻で笑うと、その後しばらく動きを見せることはなかった。

 一方、凛は服を掴み胸にうずくまって嗚咽を漏らしている雪菜に戸惑って、オロオロしている。先程の浪とエキドナの攻防にも振り返ることもできず、うずくまる雪菜を苦い顔で見下ろす。

 雪菜は涙声になりながらも、必死に喋り出した。少しは落ち着いたのか、今度はまあ聞き取れる。


「今更図々しいのはわかってる。 でもあたしはまだ、凛ちゃんの友達でいたい……。 全部失ったのなら、あたしが一緒に新しいもの探してあげるから……、だから……。 死んじゃ、いやだよぉ……。 うぅっ……」


「あ、う……。 し、新堂!!  てめえの方は何しに来やがった!! それこそてめえはなんの関係もないだろうが!!」


 うつむいて涙をこらえながら必死に訴える雪菜の姿に、面白いくらいに動揺している凛は、先程までいないものとして扱っていたのではないかと言う程に存在に触れなかった浪に対し、苦し紛れに話題を振った。対する浪の答えは単純明快だ。


「お前が死んだら雪菜が泣くんだよ。 だから俺も死んでもらっちゃ困るんだよ」


「よく恥ずかしげもなくそんなセリフ吐けるもんだな……」


 浪の言葉を聞いて呆れ顔になりながら、凛は雪菜の両肩を持って引き離すと目を閉じてため息をついた。

 そして眉間にシワを寄せ苦い顔をしながら、ギブアップ宣言をした。


「クソっ……。 あー!! もう、わァったよ!! 止めは譲らねえ。 全力であたしのために働け。 それが嫌なら帰れ。 そんだけだ!!」


 根比べ対決は雪菜に軍配があがったようである。思ったより早く決着がついたものだが、おそらく雪菜以外では誰が粘っても無駄であっただろう。


「凛ちゃん……。 ふふっ……。 素直じゃないんだから、もう」


「うるせえよ……。 おい新堂、てめえもさっさと来い」


 頬を若干赤らめている凛にまたもや照れ隠しで振られた浪は、やれやれといった表情で二人のもとへ合流した。浪を先頭に三角形に並び、エキドナへと向き直す三人。凛は他の二人に指示を出す。


「最出火力はあたしのほうがダンチで上のはずだ。 相殺できないくらいでかいので一撃で決める。 だからそのための時間稼ぎを頼む。 よくわからねえが、新堂もまともに戦えるようになってるみてえだしな」


「まあ、細かい事情は落ち着いてからだ。 そいじゃ、やりますかね!!」


 浪はいつもどおり特攻ポジションのようで、先陣を切るため剣を構える。エキドナは若干また楽しみができた、という表情で不敵に微笑んでいた。


「茶番は終わったか? 退屈させたぶんは楽しませてくれるんだろうな?」


「律儀に空気読んで待っててくれるとは、なんの気まぐれだよ?」


「貴様に興味がわいた。 アマデウスの少年」


「だからなんだよそれ? 訳分かんねえ」


「ほお、ミカエルから聞いていないのか」


「ミカ、エル? エルの本名か?」


「まあ、別にいいか。 私が、楽しめればなぁっ!!」


 エキドナが手を前方でクロスさせると、再び帯状の魔力波が襲い来る。浪は左右にステップしながらそれを躱し、剣に魔力を込めた。そのまま接近し雷剣を振るう浪に対し、手を横に振り一瞬で魔力波を発生させ受け止めるエキドナ。激しい閃光があたりを照らす。

 その後間髪入れず襲い来る触手を剣で弾き、浪は一旦距離をとった。その光景を魔力を練りつつ見ていた凛は、浪の予想以上の動きに目を丸くして驚いていた。


「新堂のやつ、あんなに戦えたのか? DランクどころかBランクぐらいの実力はあるだろ」


「凛ちゃんは知らないだろうけど、浪はもともと単純な格闘術だけなら龍崎先輩や空良ちゃんよりスゴイよ。 ただファクターがしょぼすぎただけで。 良し、準備完了っと。 たまにはあたしも攻めないとねー!!」


 凛に軽く浪の力を説明すると、雪菜は生成したビットを組み上げ、紙飛行機のようなものを十機作り上げた。ビシッとエキドナに向けて指をさすと、紙飛行機たちは縦横無尽に不規則な動きを取りながら飛んで行き、エキドナを次々と切りつけていった。


「っ!? 何だこれは、鬱陶しい!! こんなもの撃ち落としてやるっ!!」


 イライラしつつも、エキドナは背面の触手で器用に紙飛行機を撃ち落としていく。しかし最後の一機を撃墜した瞬間、エキドナは雪菜の狙いを察し、はっとした。浪の方に目線をやろうとするも、彼は既に電撃を最高潮まで溜めた状態で彼女の懐まで入り込んでいた。


「くっ!! 時間稼ぎか!!」


「気づくのが遅ぇんだよ!! 食らいな!!」


 今までの相手と違い、エキドナはこの距離での攻撃をよけられる機動力はない。炸裂する電撃はエキドナの姿が見えなくなるほどの光を放つ。

 しかし光が止んだ時、そこにあったのは無傷のままのエキドナの姿であった。浪を含め、見ていた二人もエキドナの予想以上の力に冷や汗を垂らしている。


「冗談だろ……。 あの一瞬で防御したのか……? あんな一瞬で、俺の全力を防ぎきるだけの魔力を練り上げたってのかよ……、っ!?」


「ふん、今のは少し焦ったな。 未熟でもアマデウス、手加減していい相手ではなかったな。 後ろで何か企んでいるようだし、少し本腰を入れるか」


 そう言うとエキドナは、背面の触手に魔力を込めた。黒いオーラをまとった触手は再び鞭のように浪へと襲い掛かる。

 しかしそれに込められた威力は、先程までとはまるで違った。一撃一撃を剣で受けるたびに浪は体勢を崩され、よろけた彼の腹部へと一本の触手が叩き込まれる。かはっ、と小さく声を上げ血を吐いて倒れこむ彼にさらに触手が迫る。


「くっ、まだ本気じゃなかったなんて……」


 雪菜が焦って、余っていたビットを使い浪のもとでシールドを形成すると、間一髪のところで触手を弾く。

 魔力を込めた触手を弾かれたエキドナだがしかし、余裕の笑みで一度自らのもとまで触手を戻すと次は雪菜の方へ狙いを定める。

 自分へと向けられた殺気を察し、急いでビットを増やし攻撃に備える雪菜。もう少し凌げば凛は魔術を完成させるハズだ。しかしエキドナが手を前へとかざすと、触手は更にどす黒い魔力を帯びて彼女の方へ走っていく。すぐにビットをシールドとして組み上げる雪菜であったが、


「っ!? 重いっ……。 こらえきれ……」


 猛スピードで繰り返し打ち付ける触手に、シールドは瞬く間にひび割れ、ついには粉々に砕けてしまう。そのまま触手に打ち据えられた雪菜は2m程後ろに吹き飛ばされ、立ち上がれなくなってしまった。


「雪菜っ!!」


「だ、大丈……、夫。 うっ……!! ゲホッ!! でも……、たて、ないっ……」


 なんとか意識はあるようだが、戦闘の続行は見るからに不可能。残されたのは凛だけと、最初と同じ状況である。


「クソっ……。 まだ、まだ足りねえ……。 これじゃ一撃で終わらせられねえ……、っ!! 本気じゃない状態であのザマだ、ここで終わらせられなきゃ、もう一人では……っ」


「貴様で最後だな。 全員動けなくしてから、一人ずつ殺してやる。 アマデウスの少年は最後に残しておくか。 聞きたいこともあるしな」


「やらなきゃどうせやられる……、ここで使うしかないのか……。 ちっくしょうがァ!!」


 まだ中途半端な未完成の魔術で本当に勝てるのか、不安は残る。だが、凛に選択肢はない。仕方なく魔術を発動させかける凛。

 しかし強い風が吹き抜け、つい反射的に腕で顔を覆ってしまった。すぐに再びエキドナの方へ目をやった彼女が見たものは……


「いやー、散歩してたら偶然アニマを見つけちゃったよー。 苦戦してるみたいだし、これに加勢するのはもはや義務だよなー。 怒られる事なんてなーんもない、うん」


 一瞬でエキドナの背面に回り、背を向けてグリップの端にリングのついたナイフを人差し指でくるくると回している翔馬の姿があった。その口調は棒読みで、とてもわざとらしい。その場にいた者は一人も、エキドナさえも彼の動きを追えなかった。


「き、貴様……。 いつの間に後ろに、……!?」


「あ、背中のウネウネだったら、さっき全部切っちゃったわ。 ごめんごめん」


「……、っ!! 何者だ、貴様ァ!?」


「通りすがりのかわいい男の娘でっす♪ あれ、なんか冷たい視線が……」


 焦ったように興奮しているエキドナに対し、あくまでふざけた態度を崩さない翔馬を、浪が倒れたまま冷ややかな目で見ていた。


「げほっ……。 お前、いいのかよ……。 移籍してきたばっかで出撃許可出ないんじゃないのか」


「いいのいいの。 俺は今五連星の服部翔馬じゃなくて、パチ屋行く途中に通りすがったただのジャンキーなので」


「こんなとこ通らないだろ……」


「ほんとほんと!! そこの市民プールの近くにあるって乙部さんに聞いたもん!! 公園通り抜けるのが一番近いんだよ」


 緊張感なく笑いながら喋っている翔馬を睨みつけながら、無言で狙いを定め、エキドナは魔術を放つ。翔馬の頭上に円になるように六本の黒い槍が出現し襲いかかるが、彼はにやっと微笑むと一瞬で姿を消した。


「なっ……!? くっ、どこへ……」


「こっちこっちー。 ほら上」


翔馬の姿を探しキョロキョロとあたりを見回していたエキドナは、頭に軽い衝撃を感じた。エキドナが上を見ると、逆立ち状態で翔馬が彼女の頭に右の手のひらを当てていた。翔馬が魔力を手に込めると、強力な風が発生しエキドナにまとわりつく。風はエキドナの腕や体など全身を、とぐろを巻くようにして吹いていた。


「くっ、なんだこれは!? 身動きがとれん……!!」


「風を魔力で半実体化させて拘束する……。 名づけて風縛りの術!! なんつって、今考えた。 どう思うー? 服部だから忍術って安易すぎ?」


 いつの間にか凛の隣に移動していた翔馬は、彼女の肩をポンポン叩きながらテキトーに尋ねる。突然隣に出現した翔馬にビクゥッ、と本気で驚いたあと焦りながら凛が口を開いた。当然翔馬のどうでもいい質問は無視である。


「し、死ねボケ!! 魔力が散るだろうが!! ……、五連星の服部か、とんでもねえ奴のお出ましだな。 あたしらがこんだけ苦労してる相手を子供扱いとは……」


「ご褒美はチューでいいよん♪」


「……、だってよ、新堂」


 ウインクして軽口を叩く服部の言葉を、凛は心底ウザったいといった感じの表情で浪に振る。


「いや、俺は礼央と違ってそのケはないわ」


「いらねーよ気持ちわりー!!」


 片膝を立てて座りながら苦い顔で断る浪に、翔馬は中指を立てて渾身のツッコミを入れた。

 そうこうしているうちに、エキドナを拘束する風が弱まってきてしまったようだ。唸り声を上げながら、風による拘束を振りほどくと、エキドナは興奮した様子で歯ぎしりしながら魔力を溜め始めた。予想をはるかに上回る力を持った増援の出現に、もはや先ほどまでの余裕は微塵も見られない。


「私が……!! 人間ごときに負けるはずがあるか!!」


「来いよ……。 あたしの全力で、相手してやるよ!!」


 ようやく準備の整った凛は、エキドナの方へ意識を向け構える。しかし、エキドナは凛や翔馬ではなく動けない浪や雪菜に向かって魔力を放つ。エキドナの両手から放たれた魔力は蛇の形を成し、無防備なふたりへと襲い掛かる。


「ははは!! これならば貴様はこいつらを守るために魔力を使わざるを得まい!! そっちの風使いとて、私の攻撃から二人を同時に守ることはできないだろう!!」


「……、知ってるかァ? この世界じゃな、そういうのは死亡フラグっつーんだァ!!」


 凛が不敵に微笑み腕を振りかざすと、エキドナの左右の地面から黒い魔力が二つ出現し龍の顔のような形を成す。そのままそれは二匹の蛇を飲み込んだ後、合体して更に巨大な龍となり、勢いを全く落とすことのないままエキドナへと襲い掛かる。

 エキドナは信じられないといった表情で、ただただわめきたてることしかできなかった。


「こんな、こんな馬鹿なことがあるか!! クソ、クソオォォォ!!」


「八年分の思いの全てだ……。 また、生きる目的を探さなきゃな……」


 凛はつぶやいたあと、ひと呼吸置き目を閉じて微笑むと、ポツリとこぼした。


「いや、もうあるか……」


 振り返る凛の背後で、彼女の放った魔術が黒い雷のように大地をえぐり、大気が震える。黒い魔力は彼女の仇も、心に残るしがらみもすべてを跡形もなく消していった。



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非戦闘員である緋砂と、まだ正式に隊員ではないシロ、無能力者の礼央はSEMM愛知支部で皆の帰還を待っていた。だがその様子は三者三様であった。

 緋砂とシロはいつもの丸テーブルに座って、礼央はウロウロと落ち着きなく歩きながら何やらつぶやいている。緋砂は足を組んで背もたれを使いのんびりと、シロはほぼ無表情で膝の上にこぶしを置いて座り、よーく見ると少し眉間にシワが寄っているのが分かる。


「雪菜達、大丈夫かなぁ……。 間に合ったかってのもそうだけど、Aランクアニマ相手に二人が合流したトコで、足引っ張ったりしてないよね?」


「礼央も案外心配症なんだねえ。 そこは信じるしかないだろ。 雪菜は防御性能だけならAランク並だし、浪だってもうDランクってバカにもできないしね。 それに、服部君どうせこっそり様子見に行ったんだろ。 ヤバそうだったら何とかしてくれるさ」


「あの人も五連星でしたっけ? でもあの人、なんか僕と同じようなテキトーな雰囲気出てて、イマイチ信用できないんだよなぁ……」


「それを自分で言うのかい……。」


 礼央と緋砂がそんな事を言っていると、出入り口の自動ドアが開く。一同がばっと振り向くと、最初に姿を現したのは翔馬であった。怪我ひとつ無いようだが、息を切らして顔面蒼白である。その肩には血だらけでふてくされたような顔の凛を担いでいた。


「こ、この娘結構重いんだけど……」


「うるせえ死ね。 一応男なんだろ。 雪菜もけが人だし、そもそも女に無理させられないから仕方なくてめえで我慢してやってんだぞ……」


「雪菜ちゃん以外全員ダメなら俺チョイスせずに凰児に頼めよー……」


 その後も続々とほかの面子が入ってくる。どこで合流したのか、そこには凰児と空良の姿もあった。

 先程まで一番平気そうな顔をしていた緋砂は、凛と翔馬の後ろに雪菜の姿を確認すると、猛ダッシュで駆け寄っていった。


「雪菜っ!! 怪我はないか? って、また結構ひどくやられてるじゃないか!!」


「だ、大丈夫だって。 ここまで自転車こいで帰ってきたんだよ。 しばらくは動けなかったけど、そんな大怪我じゃないみたい。 治療が必要なのは凛ちゃんだけだよ」


「……、そうか、それは良かった。 とりあえず無事に帰ってくるって約束は果たしたね。 それじゃ……」


 緋砂は雪菜の頭を穏やかな表情でポンポンと叩いた。しかし一転、彼女が厳しい表情で凛を睨みつけると、凛は言葉に詰まって俯いてしまった。構わず凛のもとへと歩み寄ると緋砂は低い声で話しかけた。


「自分がどれだけ周りに心配……、いや、迷惑かけたかわかってんのかい?」


「……、っ。 わかって、ます」


 凛は目線を合わせられないまま小さく答えた。彼女に肩を貸している翔馬はとても気まずそうだ。

 緋砂は凛の顎を持ち上げて無理やり目線を合わせると、彼女に言葉を浴びせる。


「今度うちの妹を危ない目に合わせたら、許さないよ」


「……」


 困ったような、申し訳ないような顔で言葉が出せない凛の顎から手を離すと、緋砂はそのままその指で彼女の額にデコピンをした。突然の行動に目を丸くしている凛に、彼女はため息混じりに微笑むと腰に手を当てて今度は優しく話しかけた。


「あんたが思っている以上に、周りの奴らはあんたを気にかけてるんだよ。 勝手に一人になった気でいるんじゃないよ。 迷惑かけたぶん、雪菜の友達としてこいつを幸せにしてやってくれ」


「緋砂さん……。 ありがとう、ございます……、っ」


「なんだよしおらしくなって、あんたらしくない。 そうだ、龍崎君とも仲直りしたらどうだい? この子もあんたのこと随分気にかけててくれたんだよ」


「あ、それは無理です」


 先程まで涙目になって緋砂に礼を言っていた凛は、凰児の話題になった瞬間にコロッと態度を変えた。


「ちょっと!? それはひどいんじゃないの? 俺だって君が一人で無茶しないように釘さそうとしたりいろいろしてたのに!!」


「るっせー!! てめえは雑なんだよ!! ただ戦いで負かしゃいいってもんじゃねえんだよ。 あんなんであたしが諦めるかどうか、いい加減わかるだろ!!」


「くぅ……。 あー、もういいからさっさと怪我直しに行ってきてよ!! はあ、俺って報われない……」


 凛にちょっと言い返されただけで引き下がってしまう凰児。顔と体に似合わずヘタレなのか。しかしそこに雪菜が割って入る。


「ダメだよ凛ちゃん!! ちゃんと先輩にもお礼言うの!! 凛ちゃんに何度も邪険にされてもずっと心配して声かけててくれたんだから」


「そ、それはコイツが真性のドMだからだろ……」


「ち、違うよ!! 多分」


 凰児が必死に反論していたが、二人は華麗にスルーして話を続ける。


「あとで浪と翔馬さんにも言わせるからね!! 予行練習だと思って、ほら」


「新堂達のがまだ言いやすいんだが……。 くう……。 と、とりあえずもうひとりで歩ける。 悪かったな」


 予想外に礼を言われた翔馬は、少しあっけにとられながら凛の手を離した。凛は少しずつ凰児の方へ歩み寄っていく。そして…… 


「邪険にして悪かったよ……。 あ、あり、ありが……。 ぐはっ、ダメだ、拒否反応が……。 これ以上は命に関わる」


「さっさと医務室へ行ってしまえー!!」


 吹き抜けのホールに一同の笑い声が響く。ずっと無表情だったシロも、少し楽しそうな様子で微笑んだ。

 結局凛が凰児に礼を言うことができるまでには、怪我を治してもらってから解散する直前まで時間がかかった。




       ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 激戦から二日後、晴れの日の朝。空には雲一つないが、少し風が有り快適な陽気の中、いつもの守高二年仲良し三人組は浪の席周辺でわいわいと雑談をしていた。


「翔馬さんがシロちゃんの服買いに行きたいから付いてきてほしいって言うんだけど、学校終わったらみんなで行こーよー」


「えー、僕今日大事な用事があるんだよねー」


「礼央に用事なんかある訳無いじゃん。 掃除終わったら下駄箱集合ね」


「いや確かにゲームだけど、その言い方はひどくない?」


 そんな話をしていると、いつもより少し早く担任の薫が教室へと入ってきた。慌てて席に着く礼央。雪菜はいつもあまり怒られないのでのんびりと着席する。


「げ、薫ちゃんいつもより早いし!! 限界まで就業時間縮めるためにギリギリに来て終わったらすぐ職員室行くのに」


「あー、全員座ったみたいだな。 今日はちょっとあってな。 別に気にせずそのまま授業してもいいんだがまあ、心配してたやつもいるみたいだし。 おい、入ってこい」


 薫がいつものように低い声で話しながら手招きすると、開きっぱなしだったドアから黒髪の背の高い少女が入ってくる。前髪で顔が隠れていて表情はよく見えない。

 彼女を見た雪菜の表情が一瞬固まった。


「凛、ちゃん……」


「あー、あたしのことなんてどいつも知りゃしないだろうが……。 まあ当然か、入ってから二回しか登校してねえもんな……。 まあその……。 黒峰凛、だ。 いまさらだがよろしく頼む。 あと、心配かけた一部のやつには、すまないことをした。 ありが、とう……」


 最後の礼こそ詰まったものの、少し頬を赤らめた凛は軽く自己紹介をした。案外顔が隠れていても感情の分かりやすい子であるようだ。彼女の整った顔立ちがなんとなく分かるのか、あの子可愛くない? など、教室は主に男子の声でザワついていた。


「聞いてはいたがなかなかのコミュニティ障害っぷりだな。 仕方ない。 おい遠藤、席譲ってやれ。 お前は今日からあっちだ。 黒峰は氷室の隣に座れ」


 クラスメイトの遠藤君は、一瞬驚きの表情を見せたが何事もないかのように荷物を持って空いている二つ後ろの席へ移動していった。さすが、このクラスは恐怖政治が完成しているようである。

 凛は少々呆れ顔で遠藤君に悪いな、と礼を言うと雪菜の横に座った。


「今日から、来ることにした。 ま、頼むわ」


「うん!! またいっぱい遊びに行こうね!! そうだ、これ。 凛ちゃん頭下げて」


「……? こう、か?」


 満面の笑みで嬉しそうに返した雪菜は、思いついたように自分のカチューシャを外した。そして不思議そうな顔で雪菜の顔の方に頭を下げた凛に、前髪を上げるようにしてつけてあげた。


「これでよし、っと!! せっかく美人さんなんだから顔隠れてるのもったいないよ。 切るのは面倒とか言いそうだから、それあげるね」


「あ、ありがとう……。 でもいいのか? お前は……」


「大丈夫。 カチューシャキャラは凛ちゃんに譲って、あたしはこれからこうするから!!」


 よくわからないことを言うと雪菜はカバンからヘアゴムを取り出して、左耳の上あたりで髪をまとめると不慣れな手つきで結んだ。サイドテールになった彼女は若干印象が変わり、性格のイメージに似合う少し活発そうな見た目になったように見える。

 ふたりの様子を見ていた礼央は、ニヤニヤしながら茶々を入れた。


「ねえ浪、あそこ物凄い百合オーラが出てない?」


「うるせーよ……。 また薫ちゃんに怒られんぞ」


「浪はロマンがわからないなあ。 つまらぬ!!」


「そういう話は翔馬としろよ。 あいつそう言うくだらない話大好きだぞ」


「確かに……。 良し、今度会ったら連絡先交換しとこ!!」


「自分で言っといてなんだが、こいつと翔馬が一緒にいるとクッソウザそうだな……」


 凛と雪菜、浪と礼央。それぞれが話していると、いつの間にか薫が黒板に大きな文字で大まかな説明文らしきものを書いていた。


「今日はこれから野外学習の説明をするぞ。 明日だからな。 まだ用意してない奴はいないだろうな? ああそうだ、黒峰は氷室の班に入れ。 じゃ、集合時間の確認とかするからよく聞けよ」


 黒板には平成27年度野外学習の文字が。一泊二日で野外活動をするのだ。二週間ほど前からいろいろ決めていたのだが、SEMMのことで忙しく、雪菜の班に覚えているものは一人もいなかった。


「野外学習!! 自炊があるんだっけ、浪買い出し行った? あたしすっかり忘れてた!!」


「行ってるわけねーだろ……。 どうすんだ、悪いけど俺外せない用事あるから行けねーぞ……。 翔馬と買い物行くんだろ、金は俺出すからお前行ってきてくれよ」


「いいんだね!? 言ったね!? いらないもん買いまくってくるよ!!」


「ちょ、おまっ……。 メニューはカレーだからな、そこは間違えんなよ」


「任せろ!!」


 親指を立てて承諾する雪菜だが、これが後にとんでもないことを引き起こす原因となることを、誰も知らない。どこの世界でもヒロインは料理下手と決まっているものなのである……。

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