第4話白の少女 ~前編~
守谷区の隣の春日ヶ丘市。人口31万人ほどの都市で、背の高い建物は少なく、しかしそこそこに栄えた、すっきりとした印象のこの場所に、SEMM愛知支部がある。
浪たちが登校に使う堤防から国道に入り、守谷から川を越える橋を渡り、自転車で5分くらいの場所。守谷から向かうと右側になる。
Y字路の角にある、他の建物より一回り大きい、八階建てのガラス張りの建物。これがSEMM愛知支部だ。
小綺麗なガラス扉を抜けると、丸いガラステーブルと椅子が右側に並んでおり、左は階段とエレベーター、少し奥に受付カウンターがある。一階から八階まで吹き抜けになっており、フロアレイアウトはほぼ同じだ。
このあたりは隊員の休憩スペースで、憩いの場でもあるのだが、どうやら今はあまり落ち着ける場所ではないようだ。
「まったく、DランクのアンタがBランクの戦闘に手出しするなんて、自殺行為以外の何物でもないよ!? 分かってんのかい!!」
受付カウンターに一番近いテーブルの椅子に座る女性が、ひとりの少年にお説教中のようだ。
赤い髪を持つ、左目に黒い眼帯をした女性。赤い薄手のブラウスに、ヴィンテージジーンズ、髪は後ろだけ短く整えている。
テーブルを囲う4つの椅子の中、女性の正面に座り説教を受けているのは、守谷高校二年生、新堂浪。今日は日曜日なので私服だ。黒いジーンズに、英字ロゴの白い長袖Tシャツを着ている。両脇には幼馴染の雪菜と礼央の姿もあった。
雪菜はまだ春先なのに、肩の部分があいた白い無地の半袖シャツにミニスカートと、既に夏の装い。礼央は無難に青ジーンズに茶系チェックの長袖シャツ。
肩をすくめている浪と、心配そうにそれを見つめる雪菜をよそに、礼央はのんきな顔でポテチをつまみながら、コーヒーを飲んでいる。
そんな中、なおも赤髪の女性の説教は続く。
「ホルダーランクD、つまりSランク、A、Bと来て五段階の一番下だ。 まだほとんど訓練生扱いだぞ。 それが命令も出ていないのに、しかも二段も上の戦いに……アニマを舐めてると死ぬよ!!」
「すいません……」
浪は興奮気味の女性に対し何も反論することなく、肩をすくめている。一方で、彼の頭の中では騒がしく反論の声が響いている。だが、それは浪の心の声というわけではない。
『元はといえば礼央のせいなのに!! 浪もなんで言わないの!! まあ、君が戦えることに気づかせてくれたからいいんだけどさ!!』
『うるせぇなぁ……。 二人一緒に話すんじゃねーよ。 言い返せないのは、お前がうるさくて話が入ってこねーからだっつの。 つーか、まぁいいって言うなら電撃制裁はやめてやれよ……。』
自称上級アニマ、エル。浪は深く反省しているというより、エルがうるさくて説教の内容が頭に入らないため、黙っているようだ。
そんなこととは露知らず、浪が落ち込んでいると思った雪菜は、恐る恐る眼帯の女性をなだめる。
「お、お姉ちゃん、もうそのくらいにしてあげといて、ね? 浪が来なかったらあたし、死んじゃってたかもしれないんだし……」
どうやら眼帯の女性は、雪菜の姉のようだ。どう見ても全く似ていないが。透き通る水色の髪、若干低い身長、絵に書いたような子供体型の雪菜。そして燃えるような赤髪に、モデル体型の姉。姉に優秀な遺伝子を先に持って行かれてしまったのだろうか。
雪菜のフォローを聞き、怪訝な顔をして浪の顔を覗き込む女性。
「エルが力を貸すようになっただけで、アンタ自体は何も変わってないのかい?」
浪の覚醒について半信半疑な女性は、眼帯をずらすと、浪の目をまっすぐ見つめる。現れた左目には、赤い紋章が浮かんでいる。
「ううっ……。 緋砂さんに見られるの、ハズいっす……」
そう言って縮こまる浪。雪菜の姉、
「変化なし、か。 私のファクター、『ハイアナライズ』でも、エルがどの程度の力を持っているかは、わからないんだよねぇ」
「姐さんのファクター、自分より魔力が高すぎる相手は読めないんだっけ? じゃあ案外自称上級も嘘じゃないってことかな?」
「かもしれないね。というか、姐さんはやめろといつも言ってるだろう、礼央……」
呆れながら、眼帯を戻す緋砂。雪菜のフォローで落ち着きを取り戻したようで、椅子の背もたれに体重をかけながらため息をつく。
「まぁ、しょうがないか。雪菜一人で増援来るまで余裕だろうって判断したこっちにも、非はあるしねぇ。 ありがとう。 妹を守ってくれて」
「いや、えっと……。 すいませんっした……」
緋砂は机に肘をついてあごの下で手を組み、まっすぐ浪の方を見て礼を言う。
改めて礼を言われると恥ずかしくなってしまい、少し顔を赤くしてうつむきがちに返す浪。
『ほら、何縮こまってるの!! もっと堂々としなって!! いや、私は君はヤル奴だって信じてたよ!!』
調子に乗っているエルは、以前と全く違う事を言っている。浪はもはや返事すらしない。
無表情になってしまった浪に対し、にやりと意地悪そうな表情で話題を切り出す緋砂。まだ話題は流れていなかったようだ。
「まぁ、これからの戦いぶりでランクを上げるかどうか、上が決めてくれるさ。 それは良しとして、SEMMの出動規約違反の罰はしっかり受けてもらわなきゃねぇ……?」
「うっ……。 その話まだ終わってなかったんすね……」
「なに、たいしたことじゃないさ。いつものあの『雑用』を頼むだけさ。 あ、もちろん給料は出ないからよろしく♪」
「え!? 今日の担当、緋砂さんと昂月っすよね!? 罰が個人的っつーか、SEMMの仕事管理する立場だからって、職権乱用っすよ!! 緋砂さんが楽したいだけじゃないっすか!!」
突然仕事を押し付けられ、うろたえる浪だが、反論の自由はないようである。
「うっさい!! いいから黙って行って来い!! 雪菜も怪我治ってんだろ? ついていってやりな」
「なんであたし!? やだよめんどくさい。 駒木山公園でしょ? 十キロ以上あるし、電車使ってまで行くのはしんどい!!」
「あー、悪いんだけど……」
苦い顔をして、全力で拒否する雪菜。またもニヤニヤと意地の悪い笑顔をしている緋砂は、一枚のA4サイズの紙を取り出すと、浪と雪菜に見せる。そこには、駒木山公園安全調査依頼表、と書いてある。
「もう二人の名前で申請してあるんだ。 車は誰かに出させるからさ」
「ちょ……。 あたしの休日返せー!!」
SEMMのホールに雪菜の悲痛な叫びが響く。
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上に高速道路の通る、四車線の大きな国道のすぐ脇に、小高い山がある。標高86mほどで、山頂に天守閣のような建物を持つ、駒木山である。かつては、名の知れた名城があったそうだ。
国道を曲がるとファストフード店があり、その少し先に、一台の白いセダン車が止まっている。
「では、あちらの駐車場で待っていますので、お気をつけて」
「あ、ハイ。どうもありがとうございます」
浪は車を降り、車の運転手に会釈する。その手には刀のようなものが見える。今回は正式に任務で来ているため、念のため武器の携行が許されているのだ。浪は無言で、シートで寝息を立てている雪菜の頭を叩く。
「ふぁっ!? て、敵襲!?」
「アホか。 いつまで寝てんだ、着いたぞ」
呆れ顔の浪は、クイッと親指で外を指す。雪菜は大きくあくびをしその後うーん、と伸びをすると、手の力を使ってシートからヒョイっと降りる。
二人を下ろした車の運転手は軽く会釈すると、少し先の駐車場の方へ車を走らせていった。
「最初は気乗りしなかったけど、浪と二人でお散歩だと思えば別にいっか。 礼央も一緒だったらな……」
「ま、あんましやることないっつっても、一応は仕事だしな。 近場で歩きならともかく、SEMMの車に部外者は乗れないだろ。 それより背中の傷は大丈夫なのか?」
「ん、ありがと。 治癒ファクター使いの人に治してもらって、もう痛みもないよ。 傷あとは残っちゃうみたいだけど……」
「そうか……」
「そんなこと気にしてたらSEMM隊員なんてできないよ。 気にしない気にしない。 浪のおかげで傷あとで済んだんだから、そんな顔しないの!!」
「雪菜……。 そうだな。 よし、じゃあ行くか」
気を使わせまいとする雪菜の心遣いを察し、浪は心配だったがそれ以上言うのをやめた。
車を降りた二人はとりあえず、登山ルートの入口に向けて歩いていく。敷地の入口にあるポールには黄色のテープが渡されており、通れないように進入禁止の看板が置いてある。
浪は看板を少し手でよけて中に入り、雪菜もそのあとへ続く。
ポケットから指令書を取り出した浪は、それを見ながらため息をつき、こぼす。
「駒木山公園の山中の広場付近にて検知された、正体不明の大魔力についての調査……、つっても、もう一ヶ月も前の話だぜ。 今じゃ俺みたいなDランクに使いっぱしりさせるくらいだ。 いい加減規制解除してもいいよなあ……」
「最初は大騒ぎだったのにね。 Sランクホルダーを本部から呼んで数人がかりで調査に行って……。 まぁ、一応今回も、Aランクの空良ちゃんが一緒だし。 さっき連絡あって、先についてるみたいだよ」
話しながら公園の外周を回る道を歩いていると、登山道の入口の階段が近くなってくる。
階段の右側には、登山道を案内する看板が立っている。その左下に、ホットパンツにスニーカー、黒のパーカーと動きやすそうな服装をした少女がしゃがんでいた。
若干日焼けした肌に、左右非対称で左側のほうが少し長い黒髪。後ろは肩に届かない程度。
そして、若干吊り目で黄色い瞳を持つその風貌は、身軽な黒猫を連想させる。
「あっ、いたいた。 おーい空良ちゃん、はいさー♪」
「あっ、ゆきなり先輩だー。 はいさー♪」
「『り』余計!! 男の子になっちゃうよ!!」
「ごめんなさーい。 後やっぱこのあいさつ流行んないですよ? 沖縄弁のハイサイとかけてるって言ってたけど、ここ愛知ですしー」
「そんなことないよ? ほら浪も!!」
急に振られた浪だが、女子のテンションについていけず戸惑っている。黒猫少女は、二人の後輩の
「俺にそういうノリを期待すんなって……。 よう、昂月。 待たせて悪かったな。」
「今日は緋砂さんとだったと思うんですけど……。 まあよくあることだからもう驚きませんねー。 いつも大変ですね、ご愁傷様です」
「まあな……。 どうせ異常ナシだろうし、軽い散歩だと思ってのんびりやるさ。」
面倒そうに頭を掻きながら話す浪に、空良がいらない追加情報を教える。
「そういえば知ってます? いつも先輩たちが使いっぱしりしてる分の給料は、しっかり緋砂さんのとこに行ってるんですよ?」
「お姉ちゃん……。 普通にダメでしょそれは……」
雪菜は呆れて怒る気にもならない。
三人は木の支えと、固めた土で出来た階段を上り始める。道はところどころ階段だったり、ただの坂道だったりするが、左右はひたすら木々に囲まれている。勾配が緩く、山自体それ程高くはないので、苦労する道ではない。
雪菜と空良が雑談しながら歩き、浪はポケットに手を突っ込んだまま、少し後ろを歩いている。
「空良ちゃんと一緒に仕事なんて久々だよね!! あの時のアニマ以来かなぁ……。 ほら、あの蜘蛛みたいなやつ」
「ああ、ありましたねー。 なんかアニマって虫みたいなの多くないですか? 私虫嫌いなんですよねー……。 雪菜先輩は虫平気ですよね」
「むしろ好きなくらいだよ? あ、Gは例外ね。 そうそう、この前昇格試験受けたんだけど、ギリ受かんなくてさ……。 実技の模擬戦の試験官が苦手な相手で……。 早く空良ちゃんと同じランクまで上がりたいなぁ」
「雪菜先輩ならすぐですって。 防御向きのファクターだから評価されにくいんじゃないんですかねー」
「それを言うなら空良ちゃんだって補助タイプじゃん」
「まあそうなんですけど」
それぞれAランク、Bランクの二人の会話に入れない浪。若干ふてくされた表情でぼそっとつぶやく。
「デリカシーのない奴らめ……。 アニマ討伐やら昇格試験やら、どうせ俺には縁のない話だぜ」
『き……君には私がついてるから!! ほら、元気出せ若人!! こっからSランクまで駆け上がるんでしょ!!』
「ほー、Sランクとは大きく出るじゃねーの。 多分この前のあれでもまだ、雪菜より弱いだろ」
『30%で満足するならね。 70%位まで行ければ、Sランク最強の5人に食い込むことだってできると思うよ? ほら、愛知支部にも一人いたじゃない。 五連星ファイブスターとか呼ばれてる人』
「龍崎先輩か。 実際戦ってるとこ見たことはないけどな。 そんなのはまだまだ先過ぎてイメージわかねーし、当面の目標は雪菜と同じBランクだな……」
浪がエルと話していると、先行していた雪菜が、手を振りながら彼を呼ぶ。いつのまにか、結構距離が離れてしまっていたようだ。
「浪おそーい!! もう公園着いちゃうよ!! チェック項目シート浪が持ってるんだから!!」
「悪ぃ、今行く……」
浪が言いかけて小走りし始めたその時。公園を背に手を振っていた雪菜、その横でしゃがむ空良、そして浪。三人共が凄まじい魔力を感じる。雪菜と空良が魔力の元である、公園の方へ振り返る。
「な、なにこれ……。 凄い魔力……」
「一か月前と同じ……? いや、あの時よりも大きいですよー……、これ」
雪菜と空良は、思わず公園と逆方向に後ずさりする。公園の方で、何かがまばゆい光を放っている。
二人のもとへ追いつく浪。
「こんなもん、俺たちだけでどうにかなるもんじゃねえぞ。 とりあえずすぐ引き返して報告だ」
「でも、なんかアニマの魔力と違うっていうか……。 危険な感じじゃなくない?」
「何言ってんだアホ!! 早く逃げねえと……」
「でも、ここで引き返してまた何もなくなっちゃったら、ずっと解決しないよ!! あの光がなんなのかだけでも……」
今すぐ引き返そうと提案する浪を振り切って、雪菜が先行してしまう。ギリギリまで接近し、茂みから様子を伺う雪菜。仕方なく浪と空良も茂みに隠れて光を観察する。
しばらくすると光が弱くなっていき、その中心にいたものが見えてくる。横たわるそれを見て、目を細めながら浪がつぶやく。
「何だあれ……。 女の子、か?」
光の中にいたのは、小柄な白い長髪の少女。小柄な雪菜よりさらに小さく、身長は140cmくらいだろうか。薄汚れたグレーのスウェットにスパッツのみだが、スウェットがだいぶ大きいので、ワンピースを着たようになっている。
「あの子の他には何もいないみたい……。 いいよね? 浪」
「放っておくわけにもいかねーか……。 しょうがねえなぁ……」
倒れたままの少女を見て、他に何もいないことを確認した三人は、少女のもとへ駆け寄り、無事を確認する。
浪が少女を抱き起こし、雪菜が横から顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か? 意識ないのか?」
浪が声をかけると、うっすらと目を開いた少女が言葉を発する。
「翼の悪魔……。 闇の力……」
「へっ? 何だって? 悪魔って……」
少女の謎の発言に、思わず聞き返す雪菜。しかし、言い終わるより前に、公園に異変が起こる。
三人と白い少女のいる場所から奥に10mほどの場所に、突如黒い穴が出現する。いち早く空間の歪に気づいたのは空良だ。
「アニマ!? まずいですよー……。 やっぱり来てたみたいです……。 今から逃げても……、間に合わないですよねー……」
「で、出てきたよ!! ってあれ……、翼があって、悪魔みたいで……。 え、嘘でしょ?」
グオォォォ、と唸りを上げてから這い出てくるアニマを見て、雪菜が困惑する。
出現したアニマは、全身真っ黒で、赤く光る瞳と翼を持ち、鎧のような外殻を持つ人型アニマ。まさに翼の悪魔である。白髪の少女は、出現するアニマの特徴を言い当てていたのだ。
浪が驚きの表情で少女を見る。少女はツンとした表情で目をそらす。
「未来を……、予知したってのか……!? そんなファクター聞いたことねえぞ……」
『考えるのは後!! 集中して!! あいつは強いよ!!』
「やれってか!? 勝ち目無いだろう!!」
『魔力の元はあいつじゃない。 このちっちゃい子の方みたい。 空良もいるし、勝てない相手じゃないはずだよ』
「マジかよコイツ……。 いや、今はアニマだ。 おい、ここで大人しくしてろよ!! 行くぞ雪菜、昂月!!」
エルの言葉を聞き、ますます得体の知れなくなった少女に、浪は一瞬警戒し体を引くが、すぐに左右に首を振り、とりあえず近くの木の根元に白い少女を座らせる。話を聞くにしても、確実に害となるものを排除してからだ。アニマの方へと向き直る浪に対し、空良が不安そうな表情で尋ねる。
「あれ、新堂先輩って戦えるんでしたっけー?」
「傷つくことをさらっと言うなお前は……。 いいからやるぞ。 とりあえず心配すんな。」
「なるほどー。 アテにしますよ?」
浪を先頭に、三角形に並び構える三人。空良の口調は相変わらずのんびりしているように聞こえるが、その頬には汗が伝っている。
戦闘開始の合図とでも言わんばかりに、アニマの咆哮が響き渡る。
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