第2話ファンタジーに侵された世界の、こんな日常の一コマ

 2015年の春、愛知県の守谷という小さな町。そう大きくはないどこにでもある普通科高校にて。大まかに教室のある棟と、実習室等のある棟、そして体育館にグラウンドという構成の守谷高等学校。

 制服は紺色のブレザーに灰色のズボン、女子は緑系のチェック柄スカートで、無難だが地味だと、あまり評判は宜しくないようだ。今は一時限目の授業が行われている。


 二年二組の教室にて。ここで行われている授業の内容は社会科。20世紀から21世紀へと変わった頃、新たに設立された、SEMMセムという国家機関について。

 授業を担当するのはクラス担任の女性教師。くせっ毛ショートヘアでメガネをかけている。いつも気だるそうでため息が多いが、怒らせると怖い。ヤンキー上がりとの噂もあるようで、スーツのボタンもきちんと止まっていないが、真実を知る者はいない。

 教師はSEMMについての説明をしている。


「16年前まで、この世界は平和だった。 ……、というか、化物だ能力だなんてのは二次元の話だったわけだ。 それが突然崩れた。 空間魔術なんてのを使うやつがこっちの世界に来て暴れまわったことで、異世界や化物の存在が明らかになった」


 教師は黒板に書かれた、微妙なクオリティのイラストを教鞭で指しながら、話を続ける。生徒たちは真面目そうな態度で話を聞いているようだ。ある一部を除いて。


「この時の化物は当時の自衛隊がなんとか退治したが、その後もそいつの空けた空間の穴を通って、別の奴らが攻めてきた。 そいつらの相手に莫大なコストがかかり、日本は窮地に追い込まれた。 しかしそんな中、人間側に異世界の空気に触れた影響で、化物と同じ力に目覚めるものが出てきた」


 授業を進める中、真面目に聞いていない「ある一部」が教師に気づかれないようにこそこそ話をしている。


「はあ……、SEMMについてなんか俺のほうが知ってるくらいだぜ……」


 退屈そうにしている少年の名は新堂浪しんどうろう。肩に届かないくらいの黒髪で、前髪の左側をピンで留めている。服装の整い具合を見るに、不真面目なわけではなさそうだ。


「そりゃそうだ。 そのSEMMの隊員なわけだもんねえ」


 後ろの席に座る少年、郁島礼央いくしまれおが浪に話しかける。こちらは短めの茶髪に着崩した制服と、あまり模範的な生徒とは言えないようである。

 話を続ける礼央は、意地の悪そうな笑顔をしている。


「そういえば聞いたよ? この前の任務、失敗して雪菜に助けられたんだって? 幼馴染の女の子に守られちゃうなんて……」


 かなり無遠慮な物言いに少々むすっとする浪だが、教師に教鞭でスナイプされるのは嫌なので言い返すことはしない。

 実を言うと浪は、礼央に大きな借りがある。それが二人が友人となったきっかけであり、今では親友とも言える間柄だ。礼央の無遠慮な物言いも、親友であるが故なのかもしれない。 ……、性格が悪いだけかも知れないが。

 教師は二人の会話には気付かず、授業はまだ平和に続いている。


「政府は急いでその能力者達を登録、管理し化物に対抗する組織を作った。 それがSEMMだ。化物を討つ力を持つもの達を『能力者ホルダー』、能力者が能力者たる為のその力を『因子ファクター』と、異世界からの外敵を『アニマ』と呼ぶ様になった。 ちなみにこれを決めたのはSEMMの創始者だそうだ。   あぁ、それとSEMMの意味だが、特殊外敵対策省を英文にした頭文字だそうだ。 ……、なんの単語の頭文字かって? 知るか。 ググれ。 あと……、ん……、ふむ」


 話の途中で、なぜか急に教師が黙って教鞭を逆手に持ち替える。


「それにしても、雪菜遅いなー。 寝坊かなあ……、寝坊だろうなぁ。 あぁ、暇だなあ……。 浪からかっても反応ないし。 おーい浪、ろーお!! ……、ん? ……、ってうわっ……!!」


 浪にちょっかいをかけていた礼央が、突然椅子ごと後ろに転倒する。額を抑えて悶絶する彼の横には先程まで教師の手にあった教鞭。教室を見渡すと皆例外なく姿勢がいい。


「よし、静かになったみたいだな。 では授業を続けるぞ」


 教師がどこからともなく新しい教鞭を出して授業を再開し、しばらくした頃。廊下をバタバタと猛ダッシュする音が聞こえてくる。


「す……、いま……、っせぇぇーん!! 荒井屋先生っ、遅れましたァ!!」


 勢いよく教室の扉を開け入ってきたのは、少し背が低目の女の子。

騒がしく入ってきた割に、息はあまり切れていないようだ。


「氷室か……、とりあえず理由を言ってみろ」


「せ……、SEMMの招集があって……?」


「なんで疑問形なんだ……。 というかそういう時はSEMMから連絡が入る。 ……、あと息切れしてないってことは、お前実はそんな急いで来てないな? ……、はぁ、もういいから席付け」


 教師は呆れて怒る気力もない様子だ。ついでに授業する気も失せたようで、残りの五分ほどが自習になる。


 遅刻少女の名は氷室雪菜ひむろゆきな。先ほど浪と礼央の会話に出てきた、幼馴染である。

 透き通る水色の髪は、ファクターの影響。魔力が体に影響を与えることはよくあることだ。肩ほどまでの長さで、白いカチューシャをしている。

 雪菜の席は浪の隣。斜め後ろで額を抑えている礼央が気になるが、まあ大体察しがつく。荷物を机にかけながら、浪に話しかける。


「今日は部活すぐ終わるんだよね? 一緒に帰ろう!!」


「ん……、まぁ。 礼央のやつもどうせ暇だろうから待たせときゃいいか」


 嬉しそうに微笑みながら話す雪菜。無邪気なその笑顔に、浪はなぜかうつむきげに返す。

 そんな時、浪の頭の中に声が響く。


『本当は一人で帰りたいのに、大変だねえ。 諦めれば楽になるのに』


 二十代半ばくらいの女性の声。浪は驚く様子もなく、頭の中で返事をする。


「うるさい、黙ってろっての。 周りがうるせーから、学校で出てくんじゃねーぞ」


 頭の中の声ははぁい、と返すと、その後はしばらく静かにしていた。

 浪は残りの自習の時間、夕飯の献立を考えながら過ごした。



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 六限目終了のチャイムが鳴り、ホームルームを終えた生徒たちが帰って、しばらく経った頃。

所属する剣道部で、新入部員との顔合わせを終えた浪は、下駄箱のある二階入口の階段を降りたあたりで、礼央とともに雪菜を待っていた。


「雪菜のやつ遅ぇなあ……、自分から誘っといてなにやってんだ?」


「全くだよ!! 二人で帰るのが気まずいという理由だけで残された僕の身にもなって欲しいもんだ」


「お前ホントに容赦無ぇよな……。 つーか早く帰ってもどうせやることないからいいだろ」


「何言ってんの!! 可愛い彼女が待ってるんだから早く帰りたいよ!!」


「二次元だろ」


「世界救わなきゃいけないし……」


「ゲームだろ……」


「会社経営で忙しいし!!」


「桃○郎電鉄だろ!! ……、つーか雪菜も遅くなるなら連絡しろ……、あれ?」


 壮絶な漫才をしながらスマホをいじる浪がフリーズする。全く電源が入らず、壊れているようだ。


「いやいや、このまえ直したばっかりだろ……。 勘弁してくれ……」


 心の底からため息を吐き出す浪。実のところ、最近壊れたのはスマホだけではない。テレビパソコンゲーム機その他諸々……、 諸事情により一人暮らしである浪には、痛すぎる出費が続いている。


「またぁ!? ちょ……、こっちくんな電波男!!」


「この野郎……。 とりあえず雪菜に連絡してくれよ」


「へ? ソシャゲに忙しい僕のケータイの電池が、下校時刻まで生きてるとでも?」


「……、お前そのうち教鞭で頭に穴開けられんぞ」


「しょーがないじゃん、君待ってる間も暇だったんだから。 あーあ、君が雪菜と同じくらい強かったらなぁ……。 僕も苦労しないんだけど」


 浪はなぜか最近雪菜を避けている節がある。礼央もそれには気づいており、その原因にも心当たりがある。しかしそれが自分では解決できないのが分かっているからこそ、憎まれ口が出てしまうのだ。


「『アレ』に力を貸してくれるように頼んでみたら? 自称凄いやつなんでしょ」


 礼央がそんな事を言うと、浪の頭の中で再び声が響く。


『ちょっとー!? 自称って何さ!! あとアレって言うなし!!』


 礼央と雪菜、浪に近しい人たちは、声の主のことを知っている。

 声の主は一通り騒ぐと、八つ当たりするかのように浪をからかう。


『まぁ君のファクター激弱だから、私が力貸したとしても大したことにならないもんなぁ……。 静電気を生み出す能力だったかな?』


「静電気じゃねーよ!! なんだその嫌がらせにしか使えなさそうな力!! つーか才能無いのは分かってるからいちいち言うなっての!!」


 スマホの故障で気が立っていたこともあり、浪はつい声に出してしまう。

 すると、校舎一階の渡り廊下のあたりから、雪菜が駆け寄ってくる。 今の声を聞きつけたのだろう。

 なんだか焦ったような困ったような顔をしている。 なにか誤解しているようだ。


「ちょっと、二人共!! 何喧嘩してんの!?」


「違う違う、またアイツだよ……」


「あ……、なるほどね……。 それより二人共!! 連絡つかないし、校門で待ってると思ったのにいないし、剣道部のとこまで行っちゃったんだからね!!」


「またケータイ壊れたんだよ……。 文句は礼央に言ってくれ。 つーか校門行く時ここ通るだろ」


「あれ? いたっけ。 もっと存在感出してこーぜ二人共!!」


「…………、帰るか。 行くぞ礼央」


「あっ、置いてかないでよー!!」


 早足で帰ろうとする浪を雪菜が追う。礼央は携帯ゲーム機をいじっていて気づいていない。

 一人残された彼に二人が気づくのが二分後、気付いた礼央が大急ぎで二人を追うのは、更に三分後のことであった。



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 少し日が傾いてきた晴れ空の下に、下校する仲良し三人組の姿があった。守谷高校から東に十分ほど歩いた先にある、堤防の歩道。歩道の両脇に生えている草は少し伸びており、四月も半ばだが、所々にまだつくしが生えている。

 先頭に浪、斜め後ろに雪菜。そして少し離れたところに礼央。とても息が上がっていて、顔が青い。


「いやはや、僕がいないのに気づいておきながら、引き返すどころか待ちすらしない……。 日頃運動不足な僕に配慮してくれるなんて、ホント友達思いだよ君たちは……」


 浪と雪菜は、満身創痍の礼央をスルーして歩き続けている。浪は相変わらず気まずそうというか、そわそわしている。後から付いていく雪菜は、そんな彼の気も知らず、手にてんとう虫を乗せて遊んでいる。

 すると、再び頭の中で声が。


『もういいよね、ね? シャバの空気が恋しいー!!』


 お前はヤクザか、と思いつつ浪があたりを見回し、人がいないことを確認する。

 正直めんどくさいなぁとか考えてしまうが、拒否して頭の中で騒がれる方がよほど鬱陶しい。


「悪い二人共。 頭ん中がうるせえから、ちょっと待っててくれ」


 そう言うと浪は、足を止めて目を閉じ、手を前方にかざす。すると手の前に光が集まっていく。

 集まった光が形を成すと、現れたのは浪の頭くらいの大きさをした、天使のようなマスコットのような生き物。腰くらいまでの金髪ストレートで、一応女の子のようだ。小さな羽根が有り、真っ白な服には細かい刺繍がされている。

 すぐに雪菜が胸の下に抱き寄せたため、傍から見ると人形のようにしか見えない。

礼央も雪菜も存在を知っているため、驚いたような素振りは見せないが、雪菜は少しむすっとしている。


「もう!! あんまり浪をいじめないでよね、エル。 ……、全く、戦う力を貸すわけでもなく、何しにくっついてるのさ……」


「力を貸して、中途半端に力をつけちゃうとかえって危険なの。 あと、寄り代がいないとこの世界で存在できないって前話したでしょ? アルツハイマーなの? ばかなの? 死ぬの?」


「……、自分だけで生きていけない上級アニマ、ねぇ。 高学歴ニートみたいなもん?」


「ニートじゃないし!! くう……、ここが異界だったら目にもの見せてくれるのにぃ……!!」


 ぎゃあぎゃあと言い合っている雪菜と、エルと呼ばれたアニマ。

 二人はどうやら、犬猿の仲のようだ。

 そんな一人と一体を見ながら、礼央が浪の横へ行き、話しかける。もう息も落ち着いたようだ。


「ホント、不思議な奴だよねぇ。 なんか、浪に対して過保護っていうか……。 アニマは人間の敵だと思ってたけど。 侵略する気がないのなら、なんでこっちの世界に来たんだろうね」


「ほんとなんなんだろうな。 物心ついた時にはもうくっついてたしな。 家にいても、食うもんやら寝る時間やら口出すし、お前は俺の母親か!! ……、ってよく思うわ。 ま、悪い奴じゃなさそうなんだけどな」


「母親、か。 ずっとエルしかいなかったんでしょ? 君も大変だね。 一人暮らし」


 浪にねぎらいの言葉をかける礼央。


「親がアニマに殺されたなんてやつなんて、この世界には山ほどいるさ。 覚えてないほど小さい頃だっただけ、俺なんかまだましな方だ」


 浪は笑いながら話す。


「家事もそんなに嫌いじゃねーしな。 おかげで男子高校生にあるまじき料理の腕だぜ? 今度飯食いに来いよ。 1500円くらいでいいわ」


「お金取るの!? 高いし!!」


 そんな会話をしている二人。割と重い話題のはずだが、浪は気にも留めていない様子だ。

 雪菜とエルは、いつの間にか静かになっていたが、どちらもむくれている。

 ふてくされた表情の人形を抱いている、ふてくされた少女。傍から見るとなんだか異様だ。


 その時、雪菜のブレザーのポケットから、携帯の着信音が響く。結構な大音量だ。エルを片手で抱きながら、ポケットから携帯を取り出し、画面を確認する雪菜。電話の相手は、


「なんだろ。 ……、SEMM愛知支部!? ……、もしもし、はい……。 はい」


 電話応対をしている雪菜を浪は心配そうな表情で見ている。一方の礼央は、なんだか険しい表情だ。

 電話を終えた雪菜が、浪に話しかける。


「SEMMから、子幡緑地公園にアニマが出たから、一番近いあたしが向かってくれって……。 ごめんね、あたしの方から一緒に帰ろうって誘っといて……」


 浪の表情が暗いのを見て、申し訳なさそうな表情の雪菜。 どうやら彼女は、浪と礼央が待たされたことに不満があるのでは、と思っているようだ。 浪はそんな雪菜に対し、鼻で笑うように話す。


「お前そんなこと気にするタチじゃねーだろ。 いいから行ってこいって。 気をつけろよ」


「ありがとう!! じゃあ行ってくるね!!」


 浪の言葉を聞いた雪菜は、礼央にエルを預け、とても嬉しそうな表情で走り去っていく。何がそんなに嬉しいのか……。

 一方の浪は雪菜の背中を見送ると、先ほどまでの柔らかい表情から一転して、とても疲れたような顔でため息をつく。


 待たされたことにも、雪菜が仕事に行ったことにも、不満など一つもない。

 一緒にいた自分には出動要請が出ない。それが情けなく、悔しい。

 礼央が浪の肩に手を置き、語りかける。


「雪菜が心配なのかな? ……いや、違うか。 君は……」

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