第3話
人工知能の急速な発展は、産業構造を根本的に変革させた。
たとえば、自動車はAIによる自動運転になった。そして自動運転車をオンデマンドで配車するシェアリングシステムが構築され、津々浦々で運行されるようになった。どんな田舎でも、呼べばすぐにやってきて好きなところへ連れて行ってくれる。かつてのバスやタクシーより安く、便利だ。もちろんそれは「運転手」という職業の消失も意味していた。
他の分野でも、自動化、無人化の波は止まらなかった。
オーダーメイドで様々な部品が作り出せる3Dプリンター一台で、町工場一軒の工作機械と同じ役割をする。それまで「職人」の手作業に頼っていたワンオフの製品が手軽に作ることが出来る。こうなるともはや「ものづくり」に「匠の技」は必要ない。
その変化について行けないものたちは、職を失ったが、路頭に迷ったわけではなかった。
ベーシックインカムで生活は保障されたが、どうしても職業に就きたいもののために、職業訓練が整備された。
通っているあいだは失業保険を給付され、職能を身につける訓練を受ける。ビルクリーニングや、配管工や、細々とした建築物への塗装。いずれも、手間がかかる割に、ひとつひとつの利ざやが薄いので、自動化のコストが引き合わなかった仕事だ。
この時代に「人間がやるべき仕事」として残されたのは、肉体的、精神的な負担が少なく、その分付加価値も少ない軽作業である。
ある仕事を機械化、自動化するためには、相応の開発費がかかるのだが、ビルクリーニングでは現時点で人間に払っているコストはそう高くない。もともと高齢者のパートタイマーが多いので、仕事にかかる人件費は少なかった。高いコストをかけてロボットを開発し、それを運用する必要性が薄いのだ。
家庭用には床や絨毯を清掃するロボットが実用化されているが、受け入れられたのは、趣味的なニーズが大きかった。邪魔なものをあらかじめどかしてから稼働させるようなシステムは、業務の日常清掃では許されないだろう。
業務用の清掃ロボットは、床の洗浄やビルのガラス拭きなどの単機能はこなすが、それらを総合的にこなしてはくれない。
インテリジェント化されたビルでは、トイレやごみの収集が自動化に適した構造になっているが、まだ少数だ。旧来のビルでは人間がこみ箱を手で回収しなければならない。住宅もそうだ。床はロボットで掃除できても、家庭用エアコンのフィルターのカビや埃、換気扇の油汚れは取ることが出来ない。
結局、人間をパートで雇う方が、安いし確実なのだ。
夕方。
実習を終えた豊田と本田は、飲み屋で落ち合った。
よくあるタイプのチェーン店である。
カウンターに座ると、ロボットトレイがお通しを運んできた。合成された音声が流れる。
「ご注文をお願いします」
「ビールでいいよな」
「ああ」
「とりあえず、ビールふたつ」
トレイに向かって話すと、注文の品が速やかに運ばれる。
「やあ、お疲れだね」
「お互いな……」
乾杯して、労をねぎらい合った。というより、同病相憐れむ、と形容したほうがふさわしかったかもしれない。
ディスプレイにタッチして、おつまみを適当に注文する。
ビールを飲み干すと、本田はぽつりと言った。
「何のために生きてるんだよ」
「……まったくだ」
豊田は言葉を継いだ。
「職が急に減って。人間がいらなくなって。
それはいいよ。世の中の流れに文句をつける気はない。でも、おれたちは働きたいんだ……もう一杯飲もうか」
注文しようとして、警告が出た。
「これ以上の飲酒はお控えになる方がよろしいかと思います」
仕事のない生活で、酒浸りになるものもいたが、その数は少なかった。
メディリンクは生活習慣すべてを把握している。エタノールの過剰摂取を警告し、健康に問題が出る可能性があるときは治療機関へかかることを提案する。さらに酒類を購入したり、店で注文するときにも、警告が出ることになっている。警告は、極端に栄養が偏っていたり、カロリーを過剰に摂取する食生活を送っているときにも出る。
「……うるせえ」
小声で呟いた。
たしかに最近、酒の量が多くなった。昨日もおとといも、飲み屋ののれんをくぐってやけ酒を呷っていた。
ひとしきり飲んでから、豊田と本田は帰宅の途についた。家の方向が一緒だったので、同じ駅で同じ電車に乗った。
夕方だが空席だらけだった。「ラッシュアワー」というものはなくなって久しい。
就労人口、学生の減少に加え、自動運転車とカーシェアリングの普及により鉄道、バスなどの公共交通は大打撃を受けた。とくに輸送密度の薄いローカル鉄道、バスはひとたまりもなかった。一部のローカル線は「動く博物館」としてレトロ趣味を売り物にする観光鉄道として命脈をつないだが、もはや公共交通の意義はなかった。
旅客鉄道で採算が取れるのは都市間の高速輸送か、都市内の大量輸送に限られることになった。
ふたりは編成の一番端っこに乗った。車両の先頭には運転台こそあるが、その席には誰も座っていない。通常時は無人運転だが、緊急事態のために残してある、という。
発車間際、制服を着た男たちが何人か、乗り込んできた。
それにしては妙な雰囲気だ。
「かけこみじょうしゃは、おやめくださいっ!」
お前が駆け込み乗車だろうが、と豊田は心の中で突っ込みを入れる。
男は叫んだ。
「だぁしえりいぇす!」
独特のなまった口調で「ドア閉まります」と叫ぶ。豊田や本田が子供の頃は、こんな合図をする鉄道員を見かけたものだった。
ひとりの男が、合い鍵でも持っているのか、無人の運転台の扉を開け、乗り込む。緊急時に備えて、鉄道会社には最低限の運転可能な要員を残していると聞いたことがあるが……この男ではないだろう。
「しゅっぱあーつ、しんこーうっ!」
「運転士」は前方を指さし、そう叫んだ。
このあたりで、豊田にも事情が飲み込めてきた。
(仕事テロか)
仕事テロ。
人工知能による職業の置き換えに反対する人々が始めた抗議行動である。
かつては人間が行っていたが、今では人工知能とロボットが支配する「仕事」の現場に、強引に押しかけ、代わって「仕事」を始めてしまうのである。
社会に衝撃と不安を与えることを目的としていたため、いつしかそう呼ばれるようになった。
産業革命当時に発生した「ラッダイト運動」よりは非暴力的であるが、労働の対価としての「賃金」を要求したときには、恐喝や「暴力行為」とみなされて逮捕されることもあるという。
かれらに構わず、電車は発進した。
運転台に乗り込んではいるものの、自動運転を解除できるはずはない。所詮、運転の真似をしているだけだ。
経営が行き詰まったローカル線を転用した保存鉄道では、人間が車両の運転や保線、駅の業務をボランティアで請け負っているという。だが、かれらが求めているのは、そんなものではないだろう。
いまはダイヤの乱れを来さないように、好きにやらせているが、次の駅で、警備員――ロボットの警備端末――が乗り込んでくるだろう。
次の駅に停まった。鉄道員に扮した一団は、電光石火の速さで車両を飛び降りる。
「……さらば!」
紙のビラをまき散らして、駅の階段を駆け下りていった。 今のご時世に、こんな情報伝達手段を使うとは、なんとも古風だ。
「……なんだありゃ」
「あほかいな」
乗客が口々に呆れた声を上げるなか、豊田はその一枚を拾い上げた。「労働を人間の手に取り戻せ!」といったアジ文の横に、連絡先が記されていた。
「……なんだよ、興味あるのか」
頷くと、本田は応えた。
「おれもだ」
ビラに書かれていたアドレスに連絡を取ってみたら、すぐさま返事があった。
「一度ぜひ、いらして下さい」
指定された場所は、都心の古びた雑居ビルだった。
地下の一室、扉をノックすると、初老の男が扉を開けた。
「はじめまして。わたしが、代表の光岡です」
光岡と名乗った男は、あのとき、ホームで確認を取るしぐさをしていた男のようだった。
本田が問う。
「……あんたがたは、最近世を騒がしている、仕事テロリストなのか」
「そうだ。わたしたちだけではないがな」
肩をそびやかす素振りをした。ちょっと得意そうだ。
それにしても、この部屋の時代錯誤さはなんだろう。
壁にはスローガンを赤い文字で大きく書かれたビラが貼られ、スチール棚には電子書籍ではない、紙の本が並んでいる。しかもどれも紙は茶色くなり、背表紙の文字も読み取れない。
「しかし、テロとは剣呑なレッテルだな」
光岡は苦笑していった。
「マスコミがそう言っているのさ。こちらでは、ゲリラとか、レジスタンスとか言って欲しいのだが」
「それも古い言い方じゃないか……」
本田がちょっと呆れた感じで口を挟む。どうやら、ずいぶん古風な思想の持ち主らしい。
光岡手ずから湯飲みをテーブルに並べ、急須からお茶をそそいだ。
「ここに来たと言うことは、君らも今の状況に問題を感じているんだろう」
「ええ、まあ」
「ぼくは、あの鉄道会社に勤めていたんだ。就職してすぐ組合に加盟して、いろいろなことを教わったし、知った。仕事ももちろんだが、労働者の権利を守るため、組合活動にも精を出した。しかし、五年前にわたしは解雇された。口うるさいやつから順番に肩たたきにあったんだ。その結果が、見ろ。駅にも電車にも、もう労働者は誰も残っていないじゃないか」
光岡はまくしたてる。
「きみたちは人間疎外という言葉を知っているか。ほんらい、労働は人間のためにある。種をまき、耕し、刈り取り、その収穫は平等に分配されていた。ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため。労働の喜びはそこにあったのだ。しかし、社会の中で階級が生まれ、持てるものと持たざるものに別れてしまった。産業革命の工場においては、子どもや女性が奴隷同然に働かされていた。社会福祉など存在しない当時、底辺の労働者の生活は悲惨なものだった。社会主義はほんらい、労働を労働者の手に取り戻すものだった。しかしロシア革命の後、スターリンの独裁とフルシチョフ、ブレジネフの官僚主義で歪められた。一党独裁のスターリニズム政権が二十世紀末の東欧革命で崩壊したのは歴史の必然だったと言えよう……しかし!」
どん!
興奮した光岡は、机を思い切り叩いた。
「かりそめの勝利を得た資本主義は、その本性を現した。新自由主義によって労働力は買いたたかれ、非正規雇用と右翼宣伝で労働者は分断された。今世紀に入ってピケティが説いても、格差は拡がる一方だったんだよ。あまつさえ、人間の仕事を奪う人工知能の出現で、人間は労働の現場から強制的に退場させられた! いまやわれわれは、生きる屍になったのだ!」
どん!
「この国においても、労働運動は激しい攻撃の末に分断された。国鉄は解体され、労組は右傾化して政府の手先に堕した。そのあげくに、労働を奪われる有様だ! 仕事を、人間の手に取り戻すんだ! きみらも団結しようじゃないか!」
どんどん!
白髪を振り乱して、何度も机を叩く。そのたび湯飲みからお茶が飛び散った
熱っぽく話す光岡は、戦争が終わって何十年も経ってから、ジャングルで発見された元兵士のように見えた。
鉄道会社はかなり後年になっても労働運動が残っていたと聞くが、そんな環境の中で育ったせいなのか。
熱弁でのどが渇いたのか、光岡はお茶をごくごくと飲んだ。
「抑圧的な資本主義体制下であっても、労働者は勤勉であろうとした。かつて『ブラック企業』というものがあった。そこで労働者は働きづめに働いて、しばしば死に至ったそうです。でも思うんだ。それが人間としてあるべき生き方なのではないかと。『ブラック・イズ・ビューティフル』というでしょう」
(そういう意味じゃなかったような……)
豊田は心の中で突っ込みを入れる。
どうやら、光岡は独学の落とし穴にはまっているようだった。体系化したものではなく、雑学として吸収した知識をてきとうにつぎはぎしてでっち上げたものにすぎない。
しかしこの手の組織の指導者によくあるように、カリスマ性だけは十二分に持っているようだ。
一くさり演説を終え、光岡は本題を切り出した。
「ぼくらの仲間にならないか?」
「……」
「今すぐに返事をしなくていい」
「いや、
「お願いします」
豊田は首を縦に振った。
(このままじゃ、どうしようもないからな)
隣の本田も、後に続いた。
「同じ考えだったのか」
「……ああ」
それから、ふたりはひそかに話し合いを重ねた。
「ここをやろう」
ターゲットは、丸の内に最近完成したインテリジェントビルである。
受付や警備、清掃までまですべて自動化がゆきわたっており、ビル全体、周囲に至るまで、ほぼ無人でオペレートしている。
ターゲットには、ぴったりだった。
機材は職業訓練センターのものを使った。
就職活動をしている会社でデモンストレーションをするからと口裏を合わせ、持ち出したのだ。
ふたりはジャージを着込んで帽子を目深にかぶり、安全靴を履いた。
「手順を確認しよう」
まず表面をモップで拭いて、埃を取る。すぐにポリッシャーで洗浄し、隅っこはパッドを手で持ってこする。掃除機で水分を吸い取って乾燥。これを十五分でやる。床面の材質は
バンを停め、機材を下ろす。
「いくぞ!」
はじめに、目立つところに「清掃中 ご迷惑をおかけします」の黄色い立て看板を設置する。つぎに玄関正面に客の通り道としてマットを敷く。
豊田は機材をマットの上に、作業しやすいよう順番に並べる。
「よし!」
モップで埃を取り、ポリッシャーを回す段階になって、
「……なに?」
想定外の事態が発生した。
「電源が、入らない……!」
電源は乗り付けたバンから取っていたのだが、その電源が上がってしまったのか。
「……ちくしょう」
突然、電源が入った。
単にコンセントが抜けかかっていただけだった。ポリッシャーはコードを引きずって動き出し、コードが豊田の足に絡まる
「うわっ」
濡れた
「だいじょうぶか!」
したたかに打ち付けられる。立ち上がれない。
周囲には
「逃げろ!」
立てないまま、豊田は叫んだ。
「豊田ーっ!」
本田は脱兎のごとく駆け出し、敷地外に出た。警備端末は追ってこれない。
豊田は腰を抜かしたまま、警備端末に囲まれてしまった。
豊田たちの「仕事テロ」は、無残な失敗に終わった。
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