先から先へ

 相変わらず、気分が晴れないまま、放課後を迎えた。


 早く帰宅してベッドに寝転がりたかったので、早々に教室を出たのけれど、上履きからシューズに履き替える寸前になって、カバンを教室に置きっ放しにしてしまったことに気づいた。


 いくら気もそぞろだったとはいえ、アホすぎる。


 仕方なく来た道を逆走し、教室に戻ると、シエラさんが掃除をしていた。


 一人で。


「あれ、ユウトくん。もう帰ったんじゃ?」


「ちょっと忘れ物をしちゃって」


 僕はそう言いながら、机の上に放置したままの、学校指定カバンを指差した。


 シエラさんは、わずかに笑う。


「大きな忘れ物だね」


 馬鹿にされているわけじゃないとわかっていても、やっぱり恥ずかしかった。


 話題の転換を図る。


「今日の掃除当番は、一人なの?」


「私一人だけの日があったら、それはもういじめだよ。ねえ、聞いてよユウトくん」


 シエラさんが言うには、同じ組の派手目の女子である紀藤さんは、彼氏とデート。おっとりとした亀山さんは家族の誕生日で出かける。やんちゃ男子の佐伯くんは部活に顔を出すのだと言う。


「全部掃除をサボる理由じゃないね」


「ほんとだよ」


 困ったように笑っているシエラさんを見ていると、僕は何か出来ないかなという気持ちになった。


 そうだ、今こそ恩返しをする絶好のチャンスじゃないか。


 うさぎの恩返し。


「手伝うよ。前に僕も手伝ってもらったし、おあいこだよ」


 シエラさんは、少し悩むような素ぶりを見せていたけれど、僕に向き直った。


「それじゃあ、お願いします」


「喜んで」


 今回の掃除分担も、前回と同じようにシエラさんが掃き掃除をして、僕が拭き掃除だった。


 前回手伝ってもらった経験もあって、以前よりもスムーズに掃除を進めることができた。


「ユウトくん、ありがとね。それじゃあ、帰ろっか」


 前と同じように、シエラさんは僕に歩調を合わせてくれた。


 申し訳なさは今でも消えないけれど、なんだか通じ合っているみたいな心地よさも感じていた。


 シエラさんの表情は、心なしか前よりも明るいような気がする。憑き物が落ちた。という表現が当てはまるのかもしれない。


「私ね、志望校決めたんだ」


 シエラさんが口にしたのは、シエラさん自身の夢を叶えるための場所だった。


 シエラさんと志望校について話し合ったあの日から、両親との話し合いを続けて、ついにはご両親から夢を応援してもらえるようになった、とのことだった。


 シエラさんの努力がいい結果を呼んだことを、僕も嬉しく思った。


「良かったね、おめでとう! さすがはシエラさんだね」


「ありがとう。これもユウトくんが背中を押してくれたからだよ。でもね、浮かれているばかりじゃいられない。志望校に受かって、それからも勉強は続けていかなくちゃ。まだ、スタートラインに立ったばかりだからね」


 得意げな顔をしていたのも束の間のことで、すぐさま真剣な表情を浮かべていた。


 やっぱりシエラさんはすごい。そう思う。


 夢が叶うかもしれないことに浮かれているばかりじゃなくて、もう次の道を確かめるように進もうとしている。


 夢を叶えるために、先へ進もうとしているのだ。


「一生に一度の人生で、いつどうなるかなんてわからないから、出来る限り後悔はしたくない。そうだよね」


 とても前向きで、素敵なことを伝えてくれているのだけれど。


 シエラさんの微笑みに重なったのは、ミネコさんの悲しげな表情だった。


 何も決められていなくて。


 どうすればいいのかもわからなくて。


 でもこのままにしてはおけないという危機感だけあって。


 うまく動かないはずの両足が、駆け回りたいと主張するように、ウズウズとしてくるのを感じた。


「そうだね……僕も、後悔したくない」


「うん。その意気だよ」


 満足気な笑みで隣を歩くシエラさんに感謝の念を送りつつ。


 僕は、飛ぶための準備をすることにした。

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