身長は今日も伸びなかった
壁に新たにつけた傷の行方を追ってみても、毎朝感じる絶望感が増長されただけだった。
身長が、伸びていない。一ミリたりとも。
毎朝自分の身長を計り、毎朝変化していないことを目の当たりにし、愕然として床になだれ込む。
これが僕の日課の一つだ。
なんでこんなことをしているのかと言えば、少しばかり過去の話に遡る。
小学三年生の夏に、乗っていたバスが事故に遭い、意識不明に陥ったけれども、なんとか一命は取り止めた。
しかし、同乗していた父さんと母さんは、亡くなってしまった。
襲い来る衝撃から、飛び散る無機質な欠片から、僕を守るようにして。
意識を手放す寸前、最後に見えた光景は、必死に僕を抱きとめてくれる両親の姿と、夜空でひときわ輝いて、地上の出来事を静かに見守ろうとする満月だった。
目が覚めて、事故現場から二十分ほどの市立病院に運ばれ、意識が回復したので、リハビリを行なって退院した。
両親が亡くなったことはとてもショックだったし、今でも思い出して悲しい気持ちに襲われてしまうことは多々あるけれど、事故から六年経った今、なんとか両親がいない生活というものを、少なくとも生きていけるようには、なれたように、思う。
そんな突然の不幸もあったけれど、今は築五十年以上は下らないであろう木造の一軒家に、祖父母と、八つ年の離れた兄と四人で暮らしている。
兄は、祖父母の家に帰省するよりも、地元の友人と遊ぶことを優先していたため、結果的には事故に巻き込まれずには済んだのだが、それ以来何かを思っているようで、不自然に優しい。
まあでも、厳しいか優しいかで言うと、優しく振舞われるほうが僕としても有難いから、この変化は僕にとってはいいものであると言えた。
ともあれ、この出来事がすべてのきっかけになっているのかは、実のところわからないのだけれど、後遺症としてか、僕の身長は、小学三年生以来、一ミリたりとも変化を見せることはなかった。
小学三年生当時としては、高い方で、クラスの悪ガキをも見下ろせてとてもいい気分になっていたものだけど、145センチの身長は、中学三年生の男子には、けっこう物足りない。
今まで視線を下げて眺めていた奴らが、どんどんと時と共に成長していって、大人への段階を踏んでいく姿を目の当たりにするのは、悔しくて、情けなかった。
だから僕は、起床して両親の仏壇に祈りを捧げた後、毎朝の日課として、長年祖父母と共にあった家の柱を傷つけてまで、身長を計っている。
結果は今日も変わらず。倒れ込んで感じるひんやりとした床の感じも変わらず。こんなちっぽけな出来事で申し訳ないけど、学校に行きたくない。
ああ、やだやだあ。
バタバタと駄々をこねそうだったけど、なんとか踏みとどまる。制服を埃まみれにしたことを、何度も祖母に注意されているのだ。おばあちゃんのお説教は、どうしてあんなにストレートなんだろう。なんだか、僕が悪いみたいな気分になってしまう。
いやまあ僕が悪いんだけどね。
起き上がり、祖母が用意してくれた朝食を摂り、身支度を整えて、中学校に出かける。まだ七時半ぐらいだけど、何かトラブルが起きた時を想定すると、このぐらいの時間には出かけないと、遅刻してしまう可能性がある。
紺色と中学校名に装飾された、指定のカバンを持って、僕は玄関の戸を開ける。
いってきまーす。
中学校までの道のりは、一般の中学生であれば、大体徒歩二十分ほどの距離がある。普段から部活動で鍛えているような、運動行為全般に自信のある方々なら、十五分はかからないかもしれない。
けど僕は、通学するまでに約四十分ほどかかってしまう。
足の筋肉は問題なく発達しているし、骨が歪んでいるわけでもない。靭帯は稼働しているし、関節の流動域も人並みはあるし、神経だって通っている。
にも関わらず、どうにも足を動かすことがぎこちなくなってしまい、歩こうと思ってから実際に足が動くまでの動作、動いてから結果が得られまでの動作が、人よりも緩慢になってしまったのだ。純粋に、動きが鈍い。
事故に遭うまでは他のクラスメイトと同様にかけっこをしたり、ドッヂボールなんかで遊ぶことが出来ていたので、僕に訪れたこの変化は、事故の後遺症という線で説明がなされた。
両親を失う出来事による心的外傷が、とか。事故の衝撃により、小脳の運動を司る部位が損傷しているんじゃないか、とか。言ってしまえば、原因不明だった。
足以外の部位には、動かし辛さや動作の緩慢さがないことが、さらに原因不明と表現せざるを得ないようだ。
まあでも、入院して意識が回復した直後は、そもそも足を動かせなかったのだから、理学療法士の先生によるリハビリの結果、なんとか歩けるようになっただけでも儲けものだろう。
嘆いたり拗ねたりもしたものだけど、結局僕は自分にあるもので生きていかなければならないので、こうして人よりも早く活動することでバランスをとっているのだ。
舗装されたアスファルトを踏みしめ、抜けていくのは住宅街だ。木造や色褪せた壁の色が目立つ、古びた街並みだが、案外僕は居心地良く感じていた。大きなマンションや歓楽街までには多少距離があるため、落ち着いて穏やかな雰囲気があるのだ。
道のりを歩いていると、後になって出発したであろう同校生たちに追い抜かれるけど、これもいつも通りのことだった。
「トマルくん、おはよう」
後ろから声をかけられたので振り向くと、クラスメイトのエンマシエラさんに声をかけられた。
「おはよう、エンマさん」
挨拶に応じると、エンマさんは僕を
エンマシエラさんは、名前の響きはまるで外国人めいているけれど、れっきとした日本人だ。
現代人っぽい名前だと言ってしまえばまあその通りで、ご両親さんも名前を付ける際には、テンションが上がったのか、さぞかしキラキラしてしまったのだろう。
エンマさん本人は、自分の名前についてあまり触れたがらないし、僕も彼女を名前で呼ぶほどの間柄ではないので、エンマさんと、他のみんなと同じように呼ぶのだ。
物静かで寡黙。あまり人を寄せ付けないような雰囲気はあるけれど、決して嫌な感じがしないのは、彼女がこうして、委員会が一緒なだけのクラスメイトにも、きちんと挨拶をしてくれるから、かもしれない。
またしばらく歩くと、何人かのクラスメイトとすれ違い、ほぼ例外なく追い抜かれる。軽く挨拶を交わしたりはするけど、彼らや彼女らにも事情があるので、僕のゆっくりとしたペースに合わせてくれるわけではなかった。
それでかまわない。うん、いつも通りだ。
学校まで後五分くらいに迫った交差点を曲がった時、タッタッタッタと、駆けるような、飛び跳ねるようなリズミカルさで、何かが近づいてきた。
タンッと一際強く地面が蹴られる音がしたと思えば、背中に軽い衝撃を受けた。グーで殴られるよりも、わずかに広い範囲での衝撃。
「おはよ、ユウト」
大きな瞳をしているが、目尻は僅かに下がり、鋭い印象を受ける。黒目が小さめなのも、そういった印象を受ける理由なのかもしれない。
疾風のように駆け抜け、野生動物のようなしなやかさで、世界をピョンピョン飛び跳ねる。
悪戯好きで好奇心旺盛な、クラスメイト。
キリツミネコさんの肉体的な挨拶だった。
「おはよう、ミネコさん」
僕がそう応じると、満足したようで、より一層リズミカルに校舎に向かって駆けていった。
昨晩見せていた歪んだ表情も、昼間であれば打って変わって、快活で明るいものに変化する。
僕はどちらかと言えば、いつも明るく元気な雰囲気のミネコさんでいて欲しいなと思うけれど、それは僕のわがままなのだろうか。
いつも通りのやり取りを経て、僕は再び学校を目指した。
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