月堕とすキツネと月ウサギ

遠藤孝祐

プロローグ 月にまつわる僕らの日課

「あたしは、あの月が嫌い」


 ミネコさんは、憎々しげな口調で呟いた。


 何度となく繰り返してきた言葉を、何度でも確かめるように。


 僕はその言葉を聞くたびに、ひどく悲しい気持ちに襲われるのだけど、いつも口に出すことは出来なかった。


 煌々と地上を照らしている月は、まだ体が半分以上も欠けていて、三日月と表現出来るくらいだけど、これから段々と満ちていく予兆を見せていた。


 ミネコさんは拳を天高く突き上げる。約三十八万キロもの距離を、意志の力で届かせてやると言うように。


 僕はやっぱり何も言えない。僕は今日も何も言えない。


 月に掲げる思いが、抱く感情が、まるで違っているのだから。


 ミネコさんにとっての月という存在は、全てを奪っていく悪魔みたいな存在なのだろう。


 そんなことないよ。そう否定したいけれど、ミネコさんの今までを思うと、僕が語るべき言葉は、いつも喉の奥に引っ込んでしまう。


 せめて。せめてものあがきとして、僕は祈る。手を合わせ、目を閉じて、降り注ぐ輝きを、この身で全て受け止めるために。


 僕は祈る。


 ありがとうございます。今日も生きることが出来ました。


 願わくば、僕のことなんかより、ミネコさんの今を、これからを、どうかお守りください。


 僕の祈りが受け止められているのか、それとも相手にすらされていないのか、何も答えない月を見上げても、わからない。


 月はただ、物言わずにただ輝き続けるだけだった。


「ほら、帰るよ。ユウト」


 今日の日課に満足したのか、あるいは今日も不満足だったのかは読み取れないけれど、ミネコさんは吐き捨てるように言った。


 僕はミネコさんの言葉に従い、付き人のように斜め後ろを歩いた。


 冷気を孕むようになった風を感じて、これから訪れるであろう秋の息吹が身に染みた。


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