第15話:トカゲとタコと不審な影

 曇り空に遮られた月の光が僅かに移りこむビルの屋上。いびつな即席コンビが対峙するのは、人間の姿をしたディークノアである。


「ったく、なんでこんなクソガキのお守りを……。おい、クソガキ! 今までに人を斬ったこと、あるか?」

「その呼び方やめてくれない……? 生憎、人は斬ったことないけど……。文句ある?」

「わかった、じゃあ邪魔すんなよ。ガキが人間斬るもんじゃない。こういう仕事は大人の俺が率先してやらなくちゃあな……」


 砂海はそううそぶき、改めて目の前の敵を睨みつける。オールバックに固めた髪が夜風を浴び、数束の前髪を垂らした。


『お前らか。噂には聴いてるさ。暴走したディークノアを討伐する団体だろ?』

 男はしわがれた声で呟く。見た目の若さと釣り合わず、フィリップは別の精神が憑依したことを確かに理解した。


「お陰様で。まったく、十年活動してきた甲斐があるよ……! じゃあ、暴れさせてもらうわ!」


 砂海に応じるように、倒すべき男は老朽化した貯水タンクから飛び降り、三日月型の剣を握る。鈍色に輝く、青竜刀である。


蜥蜴リザードだな……? なるほど、接近戦か!」

 砂海は待ってましたとばかりに、手にした鉄パイプを威嚇めいて振り下ろした。


「予告しよう! 5分だ。5分あれば、お前を倒せる!」


『ラン様〜。ホントに手出ししなくて良いんですか?』

「問題ないよ……。今の僕は傍観者だ……」

 ソルグはそう言った主人に向かって、ため息混じりの小言を漏らす。

『ホントは暴れたいんでしょ……?』


「少しは骨があるようだな! 安心したよ、5分より早く倒れるようじゃ困るぜ!」

『知ったような口を利くな!』


 鱗で覆われた右腕に青竜刀を握った男は、砂海の頭上めがけて刀身を振り下ろす。砂海は片腕で防ぎ、少し後ろに仰け反った!


『やったッ! 片腕は貰った!』

「ハァ……。お前の武器も、戦い方も、全く“尖って”ねぇよ。つまんねェ……!」


 金属同士を打ち合わせたような快音が響く!

 砂海は軽々と青竜刀を弾くと、鉄パイプを放り投げた。


『生身の腕で、俺の剣を……!?』

「よく見ろ、どこが生身だ?」


 男は自慢の業物が弾かれたことに驚愕し、相手の腕を注視する。一部分だけ灰色と化したそれは、特有の光沢で満たされていた。


金属メタル……!? お前、サイボーグか?』


 だが、呆然としながらも攻撃の手は緩めない。砂海は反撃をやめ、ニヤリと口角を上げながらひたすら防御に徹していた。


 金属化した腕と青竜刀がぶつかり、何度目かの金属音が響いた。

 男は、冷や汗をかいている。砂海は相手が疲労してきたと見るや、右手を敵の顔に向けた。


「三分ってとこか……」


 そう呟きながら金属化した右腕をコツコツと叩くと、彼の武器であるグレネード・ランチャーを出現させる。


「決める……ッ! 砕砲ビスマルクッ!」


 ワニの頭を象った擲弾筒は砂海の腕に絡みつくと、そのまま身体の一部のように融合した。

 刺々しい、武骨な右腕。それは彼の金属化能力が生み出した、決戦兵器である!


「トドメだァァァ!!!」


 閃光。衝撃。爆発音。輝く右腕から爆炎を放ち、砂海は哄笑した!


 正面が凹んでしまった貯水タンクから、滝のように水が噴きだす。砂埃と硝煙の香りが砂海を包み込んだ時、背後から何者かの声が聞こえる。


『ハァ……ハァ……。危なかった……ッ! “直撃”ならお陀仏レベルだったな!』


 男は、人間の身体に焦げ付いた鎧を纏っていた。着弾の瞬間にトカゲの鱗皮が鎧となって、男の致命傷を和らげたのだ。

 傷だらけの男が刀を振り上げる。しかし、砂海は何かに驚いたかのように動かない。


 青竜刀が金属の身体に触れた時、男の身体は宙を舞っていた。


『なんだと……ッ!?』


 足下にはおびただしい数の鉄パイプ。それに足を取られ、転倒したのか。男がそれを理解した直後、飛来した銀の刃に身体を貫かれていることを知った。


 凹んだ貯水タンクの表面に、男が貼り付けられている。敵の写真を投げナイフで貫いて固定するように、彼の腹部にはコピーされた奏剣ポナパルトが突き刺さっている。


「おい、クソガキ。なんで俺の戦いに乱入した……?」

 フィリップは、返事代わりにスマホの画面を提示する。

「ほら、5分過ぎたよ」

「煽ってんのか……?」


 睨み付ける砂海を無視し、フィリップは貯水タンクに突き刺さった男を直視する。


「それより、コイツどうすんの? 死んではないけど……」

「ったく、ちょっと待ってろ……」


 砂海は男をコンクリートの床に下ろすと、刺さっている剣を無造作に抜いた。貫かれた腹から血の代わりに紫の瘴気しょうきが放出されると、傷口は何事もなかったかのように塞がった。


「…………!?」

「目ェ覚めたか? “元怪物憑き”」

「……あなた方、は?」


 目を覚ました男は混乱した様子で、誰に向けるでもない身の上話を訥々と語りだす。

「俺は、確か紫のトカゲに唆されて、途端に何でもできる気になったんだ。その後、俺はどうしたんだ……?」

「あー、だいたい願いは理解できるぜ? “遊んで暮らせるだけの金が欲しい”。そうだろ?」

 砂海はそう言うと、足下のアタッシュケースを指さした。中には十年は豪遊して暮らせるであろうほどの大金が詰まっている。あのディークノアが大切そうに隠していたに違いない。フィリップはそう類推する。


「そうだ、このお金です! これを手にしてから記憶がおぼろげで……!」

「トカゲは願いを叶えたあとに、お前の自我の主導権を握ったんだよ。それを俺らが倒して、自我を取り戻してやったんだ」


 砂海はアタッシュケースをひったくると、唖然とする男の前から去ろうとする。


「じゃ、コレは頂いていくわ……」

「ちょっと、そんな急に言われても!? それに、これは俺の金……」

「喋るトカゲがいる時点で、疑う心は捨てとけ。いいか? コレはお前の自我の値段。俺はお前を救ったんだから、この対価はもらって当然。それに、記憶がないうちに稼いだ金なんて使えないだろ? お前にとってのリスクヘッジだよ。文句あるか?」


 すすり泣きながら逃げていく男を見送り、フィリップは砂海を睨みつける。剣を抜き、目の前で満足げに笑う男に突き付けた。


「それは、お前の金じゃない。よく平気でいられるな?」

「おっ、山分けしたいのか? ガキがこんな大金持つもんじゃねぇよ。いくらか小遣いやるから、それで満足してくれねぇか?」

「ふざけるな。それはディークノアが悪どい手段で稼いだ金に決まってる。返すんだよ、あるべき場所に」

「ハハッ、坊ちゃんは世間知らずでいらっしゃる。この街に、綺麗なカネも汚いカネも無いんだよ。持つか、持たないか、それだけだ。それが嫌なら、家に帰ってママのミルクでも……」

「黙れ……ッ!! それ以上口を開くな!!」


 刃が交錯し、交戦が始まる。


    *    *    *


「とりあえず二手に分かれたのはいいんですけど、あの二人で良かったんですか?」


 後部座席で、ハルは心配そうに言った。メインストリートに沿うように植えられたイチョウ並木が特徴的な幹線道路を、現場に向けて急行するのは、シルバーのセダンである。


「大丈夫だよ、ハルさん。砂海さんは、あぁ見えて面倒見がいいから……」


 助手席に座った青年は、苦笑しながらそう言った。


『そうは言っても、あの偏屈無口思春期野郎を手懐けられるとは思えないんだけど……! さっきも険悪だったしさぁ! あっ、そこ右ね』


 人型のディークノア2体をチームに分かれて倒す。チームは、新メンバーの親睦も兼ねて普段のコンビから変更する。そのような計画がつい30分ほど前に立ったところだ。

 現リーダーであるラミアの提案に一番難色を示したのは、もちろんフィリップと砂海である。いがみ合う二人をなんとかなだめて出発させたはいいものの、コンビネーションプレイは満足にできるだろうか? ハルは、内心不安に思っていた。


 車を降り、ディークノアの気配がある国道沿いの公園へ向かう。シュウは途中で買った炭酸飲料のペットボトルを鞄に入れ、夜風が街路樹を爽やかに揺らす大通りを歩く。


『感じる……ッ! 気配がプンプンする……!!』

 ミューズが上げた声の先には、緑に塗装されたブランコにもたれるようにしてブツブツと何かを呟き続ける男が一人。


『畜生ッ……。何が“指令”だよッ! 俺は逃げる……! 反体制だよ。自由を謳歌してやるッ!』


 血走った眼が特徴的なペイントのギターがプリントされているバンドTシャツを着た長髪の男は、震える声でそう毒づくと、地面に向けて唾を吐いた。耳と唇には特徴的なピアスを着け、往年のパンクロッカーを模倣するかのように首にチェーンを巻いている。


「アイツか! ハルさん、ちょっと静かにしてて!」


 シュウは持っているペットボトルに手をかざすと、「“フリーズ”」と呟きながら男の方に投げた!

 放物線を描いて地面に着弾したペットボトルは、手榴弾のように破裂する! 破裂音とオレンジフレーバーの飛沫が、炭酸ガスと共に男の顔面に炸裂した!


『冷てェッ!? 追っ手か……!?』

 男は焦点の合わない目でハルたちを注視すると、スタッズ付きのレザージャケットに袖を通しながら全速力で逃走した。


「ハルさん! 止めて!!」

「あっ、緋銃グリム!」


 錆びたショットガンは男のかかとを静かに撃ち抜く。砂場の手前で躓いた男の前で、シュウが仁王立ちになった。


「さて、なんで逃げたのかな?」

『ちょっ、ちょっとトイレに……』

「ハルさん、拘束と止血」


 ハルが言われるがままにアキレス腱周りの血を鎖に変えて止血すると、シュウは途端に笑顔になる。


「嘘は良くないよ? オクトパスのディークノアさん?」

『やっぱ追っ手かよ……ッ!』

「そして、“疑わしきは即座に罰す”が僕のモットーな訳だよ。よし、戦おっか!」


『あのー、ハルちゃん? 俺らが組んだ相手ってこんな好戦的な感じだっけ? もっと大人しそうな感じの子だったよな?』

「うん……」

『こんな〈暴走ディークノア絶対殺すマン〉じゃなかったよな? ちょっと目離したら悪・即・斬しそうなんだけど! 牙突零式使いそうなんだけど!!』


 夜の公園。曇り空は既に晴れ、三日月は静かなベンチを明るく照らし、その中央では二人の男が対峙する。


『本当に、いいんだな? お前を倒せば見逃してくれるんだな?』

「うん。まぁ、勝てないと思うけどね!」


 シュウは灰色のパーカーのファスナーを首元まで上げると、余裕の表情で相手を見据える。

 倒すべき敵の足首は既に鎖が外され、ギザギザと脈打つ瘡蓋かさぶたができている。男は右手でドスを握ると、空いた片手を天へ突き上げた。


 消えた。その場から煙のように、男の姿がなくなったのである。


『なっ、これがあの男の能力!? 全く見えないぞ!?』


 焦るミューズたちを背に、シュウは未だ不敵に笑う。


け、凍鎌エカチェリーナ!」


 そう叫ぶと同時に、彼の手に武器が握られた。シュウの背丈の倍は有ろうかという大鎌を手元に召喚したのだ。童話の中の死神が握るような業物を青年が軽々と振り回すたびに、三日月型の刃はキラキラと夜の帳に反射する。


「敵は……。ダメだ、全く見えないや」


 彼はパーカーのフードを目深に被り、大鎌の柄を地面に突き立てる。

 静寂の中で何かを手繰り寄せるように、シュウはフードの中で瞼を閉じた。


「まぁ、“聴こえる”んだけどねッ!」


 シュウはその場で半回転すると、そのままの姿勢で背後の虚空を斬る!

 突如として空間が歪み、胴を横一文字に斬られた男の身体が現れる。持っているドスをシュウの首筋に刺そうとしたままの姿で、大きな隈のできた顔に驚愕と恐怖を貼り付けていた。

 男はそのままゆっくりと倒れた。羽織っていたジャケットの袖が捲り上がり、注射痕だらけの細い腕が白日のもとに晒される。


『何故だ……? どうやって俺の姿を……!?』

「ちょっと集中しただけだよ……」


 シュウはそう言うと、男のTシャツを指さした。ところどころにできたシミからは、シュワシュワと音を立てて小さな泡が発生している。


『音かッ!? 炭酸ガスの微弱な音だけを頼りにッ!?』

「僕、炭酸飲めないんだよ……!


 彼はフードを脱ぎ、目の前の男の腹部から出た赤い瘴気が消えるのを見届けた。


「ふぃー、終わり終わりー! お疲れ様でした!」


 吹き抜ける風が、銀の髪を掻き上げる。ミューズはシュウに向かって翼で拍手をすると、抱いた疑問をぶつけ始める。


『あのさ、結局アンタの能力ってなんなの? 俺が見た限りでは〈聴力の倍増〉かなーって思うんだが?』

「アレは集中力のおかげだよ! どっちかというと、僕の能力は〈指定した物体を冷やす〉。それだけ!」

『やっぱり、シンプルな能力が一番恐ろしいってことか……』


「あれ? そういや須藤さんは?」

「あっ、須藤刑事ならさっき急用で帰られたんですけど……」

「えーっ!? ちょっと待ってよ……」


 シュウは鞄からスマホを取り出し、何桁かの番号をプッシュする。


「もしもしー、須藤さん? 任務終わったんですけど……。えっ!? いや、でも交通費とか持ってきてないし! それに、宿主はどうするんですか!? 明らかにヤク中ですよ、これ! ……はい、パトカー。二台。了解です」


 やってきた二台のパトカーに乗ってきた若い刑事たちは、〈麻薬取締課〉と名乗った。『特犯課の須藤刑事』という名前を聞くと、なにか怪訝そうな顔をしたあと、ぐったりした宿主の男に手錠を掛ける。

 どうやら指名手配中の麻薬のブローカーだったらしく、刑事たちの顔からは「こんな一般人の子供たちに手柄を奪われた」とでも言いたげな失望が見え隠れしていた。


 パトカーが夜の街に消えていった後、ハルたちは結局地下鉄で帰ることになった。


「そういえばあの強面の人とフィリップって、どうやって現場まで行ったんですかね?」

「確かに砂海さんの乗ってるバイク、一台だけだもんね。まさか、二人乗り?」

「二人乗り、想像できないんですけど!」


    *    *    *


「えぇ、トカゲのディークノアとタコのディークノア。二体とも〈組合〉の連中に消されました。そろそろ次の作戦を練る頃合かと……」


 暗闇に立つ男が一人、赤いスポーツカーを背に何者かと電話をしている。男の視界には、先程までハルたちがいたカフェの外観が燦然と映っていた。


    *    *    *


「で? 須藤くん、『例の件』に関しては、進んだのかね?」

「はい、ただいま情報収集中でして……」


 オレンジ色をした朝焼けが会議室の内部を照らす。この広い室内を二人の男だけが占領していた。上座に座る人物は、ベストマスクめいた無表情の白い仮面を被っている。


「残念だよ、君には期待していたんだが……。これでは何のために〈特殊犯罪対策課〉を設立したか、分からないじゃないか……!」

先生フィクサー……。すぐにでもサンプルを調達し、彼女を殺しうる人材の監視を続けます。申し訳ございませんでした……!」

「いいかね? 皮膚片一つ、髪の毛一本でいいんだよ! 今後の世界の秩序を左右する重大な任務なんだ。良いか、絶対に殺すなよ? 君に監視をつける事態を、私は望んでいないのだよ」


 須藤は回れ右をして、早急に会議室を出ようとしていた。先生フィクサーと呼ばれた人物がそれを咎めると、須藤は困ったように笑う。


「君、そんなに急いでどこへ行くのかね?」

「墓参りを、しようと思いまして……!」

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