第14話:再会と小競り合いとディークノア組合

 アルカトピアのハイウェイを走るシルバーのセダンは、濡れた路面を滑るように駆けていた。フロントガラスを打つ雨粒がワイパーによって拭われていく。

 車内に流れるのは、ウッドベースが特徴的なジャズだ。それ以外の喧騒を許さないほど、張り詰めた空気が充満していた。


『あのさぁ、前に俺抜きで行った時もこんな無言のドライブだった?』


 沈黙に耐えられなくなり、ミューズは助手席に移動しながら言葉を発する。須藤は苦笑と共にハンドルを切り、出口に向かう車線に移動した。


「ミューズ、静かにしてくれない?」

『フィリップくん、君はこの静寂に耐えられるんですか?』

「ほら、君の相棒が寝てるから……」


 フィリップはそう言い、自身の隣を一瞥する。気苦労が絶えないのか、彼女は昼のうちに眠ることが多くなった。今日も眉間にシワを寄せながら、俯くように眠っている。


『……あー、なるほどね?』

 途端に声のトーンを落とすミューズは、話題を変えるように須藤に質問をする。


『須藤刑事。この前の山羊のディークに付けた発信機、なんか発展ありました?』

「それがな、壊されてたよ」

『気づかれてたんですか……?』

「ああ。明らかに、アジトではない路地裏で発信が途絶えていたんだ」

『なるほど。次のチャンスに賭けましょう!』


 再び車内に沈黙が訪れる。その空気感に耐えきれないミューズが眺めた窓からは、隣の車線を走る赤いスポーツカーと、ビル群を取り囲む幹線道路が見えた。


「ほら、着いたぞ……」


 安全運転で辿りついた場所は、街角の喫茶店である。高速道路を挟み東西に別れたアルカトピアのちょうど中央にあるエリアに位置し、ハルの住んでいる西エリアからは車で20分ほどかかる。

 ミューズは隣で寝ているハルを起こし、左側のドアを開けさせた。小さな駐車場には、他の車はない。


『〈Cafe melt〉。ここが、例の場所か……』


 外観は、何の変哲もない喫茶店である。手軽に洒落たコーヒーやフラペチーノが提供されるチェーン店とは、また違った雰囲気の場所だ。

 高級感溢れるダークブラウンの外観。その窓枠から顔を出すサボテンは、日光をたっぷり浴びて生き生きと客を招く。サボテンの奥では、アンバーのエプロンを身につけた細身の青年が退屈そうに店番をしていた。


 小気味よい快音と共にドアが開き、青年は慣れた手つきで接客をしようと立ち上がった。


「いらっしゃいま……!?」

「……3人と2匹で」

「えっ、須藤さん……? お久しぶり、ですよね……?」

「8年ぶりだ。大きくなったな、シュウくん」


 シュウと呼ばれた青年は、旧知の来客に感慨深そうに微笑んだ。そのまま喜びを隠せない様子で、彼らをテーブル席へと案内する。


「内装もかなり洒落てるじゃないか。8年間で改装したのか?」

「はい、2年前に!」


 青年はニコニコと笑うと、須藤が連れてきた客にも微笑む。

「ご注文、何になさいますか?」

 須藤はメニュー表を見ることなく、流れるように注文を行なった。

「いつものアイスコーヒー。君たちは?」

「私は……ミルクティー、アイスで!」

『俺、ピーナッツバタートーストとトマトジュース!』

「ナポリタン……!」

『エスプレッソを頂けますか?』


 青年は注文を伝票にメモすると、厨房のあるカウンター席近辺へ向かった。アイランドキッチンの奥で、妖艶な美女が過去を懐かしむように目を細めている。


史明ふみあき? 久しぶりね……」

「久しぶりだな、ラミア……」


 数分後、ラミアと呼ばれた女性はカウンター奥からハルたちの座っているテーブル席にするすると移動する。そして、トレイに乗せた注文の品を丁寧に置いた。


「お待ち遠さま。熱いかもしれないから気をつけてね」


 ハルが抱いた印象を一言で表すと、『ヘビのような女性』である。

 タイトなシルエットの黒いドレスは、この街の夜を表すかのようにアダルティックに輝いている。長い黒髪を後ろで束ね、そこから見える耳に銀のピアスが螺旋のように喰らいつく。それでいて場末のキャバレーのような印象を受けないのは、彼女のかもし出す不思議な色気のせいだろうか。


「じゃあ、この子たちがこの前届いた入会希望の子? なるほどねェ……。アンタ、思春期の子に好かれやすいわよね」

「……偶然だ」

 ラミアは笑った。そのまま脚を組んでカウンター席に座ると、すべてを見通すような瞳でハルたちを見定める。


「……ところで、ハクトは?」

「最近は、顔を見せに来ないね。実家の仕事継ぐので忙しいんじゃない?」

「……あそこに多忙なほど客がいるとは思えないが。それにしても、8年でかなり変わったな……。志柄木さんは?」


「ジジイは2年前に亡くなったよ……。お前が仕事を優先して顔見せに来ないうちにな、“恥知らず”」


 強面の偉丈夫が、奥のテーブルから右足を引きずりながら近づいてくる。髑髏ドクロの描かれた漆黒のライダースジャケットに身を包んだ男は、軽蔑したような目で須藤に詰め寄った。


「ジジイは、確かにくたばったんだよ。俺たちは葬式までした。お前は、ここを抜けて何かしたか? 顔も見せずによォ……」

「すまない。ここ3年ほど、どうしても外せない仕事があったんだ……」

「だから警察なんて信用できねェんだよ……! お前もそっち側だったとはなァ!!」

 直立不動のまま動かない須藤の襟元を掴むと、男は侮蔑の籠もった眼光で睨みつける。

「社会正義? 治安維持? 俺たちはそういう真っ当な道から逸れてここに来たじゃねェか。今さら抜けるなら、先に通すべき義理があっただろ?」


「あのさぁ、それ以上大きな口で喋らないでくれない? ナポリタンが不味くなるんだけど……!」


 不意に、静かな怒声が飛ぶ。椅子の背に立てかけられた奏剣ポナパルトの刀身が、いつの間にか男の首筋に向かっていた。


「フィリップ、違う。彼は味方で……」

「またガキを誑かしてんのか? そういう所だけは変わらねェんだな」


 男は刀身を素手で掴むと、鬱陶しそうに払い除ける。男の腕は瞬く間に銀に光り、フィリップに向けて突き出されようとしていた。


「やめろ、フィリップ……やめろ!」

砂海すなみさん、初対面の少年をボコボコにするつもりですか!? その風体でそんなことしたら、ただのチンピラにしか見えませんからね!?」


 二人の険悪極まりない雰囲気を察してか、須藤とシュウは間に立って衝突を制する。


「くだらねェ……。ちょっと外の風浴びてくるわ……」


 腹立たしげにテーブルを蹴り、砂海は喫茶店を出ていく。それに反応してか、フィリップも冷たい目で立ち上がった。


「車で待ってていい? 興醒めした……」

『フィリップ!? 残ったナポリタンどうすんの!? 俺が食えばいいのコレ!?』


 少し人口密度の減った店内に、ミューズの叫びが反響する。須藤は項垂れ、ソルグはラミアに頭を下げていた。


「ハルさん、だっけ。なんかごめんね? 砂海さん、根は悪い人じゃないんだけど。ちょっとキレやすいというか、なんというか……」


 既にエプロンを脱いだ青年は、ハルに詫びた。接客用のバンダナを外すと、無造作に跳ねた銀髪が輝いている。


「あの人も、元ディークノアなんですか?」

「うん。ここにいるメンバー、——まだ全員集まってないんだけど。僕らはみんな元ディークノア。現役で戦ってるけどね!」


 首を傾げるハルに、シュウは小さく頷きながら解説を始める。


「一応この組合の目的って、“ディークノアの能力を正しく利用し、暴走しがちな能力者にアドバイスする”事なんだよ。そして、暴走した場合の制圧と警察への引渡しね」

「それ、私たちがやってる事と同じ……」

「西エリアでの君たちの活躍は聞いてるよ。契約して日が浅いのに、凄いね! 僕らは、それを中央エリアでやってるんだよ」


 それは、ハルにとって確かな救いだった。自分以外にも、ディークノア能力を人のために使う人がいるのだ、と。

 彼女は、自身の疲弊を薄々理解していた。最初は楽しくやっていたとはいえ、引き金の重みは“普通の女子高生”が抱え切れるほど軽くはないのだ。

 刑事の言っていた元凶を倒し、平穏を取り戻す事はできるのか? ミューズとの契約を終わらせ、自我を奪われないで済むのか? 既に契約を終えた彼らに、聞いてみたい事が山ほどあった。


「私、教えてほしいんです。ディークとの契約を、どうやって自我を保ったまま終えたんですか? なんとかミューズに精神を乗っ取られずに、平穏な毎日を暮らしたいんです!」

「いい心がけだね。じゃあ、ハルさんに先輩から一つアドバイスをしてあげよう! 『ディークノアが暴走する条件』って、わかるかな?」

「ディークが、宿主の願いを叶える事ですよね。それ以外に何か……?」

「それと、更にプラスして『宿主の感情が爆発した状態』も含まれるんだよ。特に、悲しみ・怒り・絶望とかのネガティブな感情が爆発したときに」


 ハルは、これまでのディークノアを思い起こす。求めていた血を手に入れてハイになった者、挑発された怒りで豹変した者、絶望で姿を変えた親友……。思い返すと、胸が締め付けられるのだ。


「つまり、極端に感情を動かさなければ、精神を乗っ取られない……?」

「ご名答! 僕たちの場合は、そもそも願いを諦めたんだけど……」


 微笑む青年に、ハルはぎこちなく笑った。返答をしようとして、彼の名前を詳しく知らない事に気づく。


「あの、お名前は……」

「そっか、自己紹介がまだだったね。僕はシュウ、因幡いなばしゅう。気軽に、“シュウ先輩”って呼んでくれて構わないよ!!」

「シュウ……。アンタ、後輩が出来たからって調子に乗りすぎよ」


 カウンター席で脚を組んだラミアはそう言い、シュウの髪をくしゃくしゃと撫でる。


「アタシはラミア、鏑矢かぶらやラミア。さっき出ていったのが砂海キミヒトで、あとの一人が……。あっ、史明も知らないわよね」

「新しく、誰か入会したのか……?」

「うん、もうすぐ来ると思うんだけど……。まあいいや、アンタ達がハルとミューズ?」

「はい、コウモリのディークノアです! よろしくお願いします!」

「若いわねぇ。んー、コウモリかぁ……。確か、なんだっけなぁ……」


 ラミアは、少し脳内で思考を逡巡しゅんじゅんさせてから微笑んだ。


「まぁ、頑張りなよ。怪我しないようにね!」


 静かな空気を打ち破るように、羽根をバタバタとのたうたせながらミューズが絶叫する。


『ハル、ヘルプ! なんだこれ、めっちゃ辛い! というか痛い! 俺の知ってるナポリタンはここまで辛くないんだけど!? ナニコレ!!』

「仮にも作った人の目の前でそういうこと言う……? ホントだ、辛っ!」

『待てよ。アイツ、タバスコ大量に入れたな!? あの味オンチ……!! ちょっとトイレ行ってくる!』


 慌てながら室内を飛び回るコウモリが消え、人口密度はさらに減っていく。


「賑やかなディークねぇ……」

「ホントですよ、いつもうるさくて……」


 ハルは溜め息を吐きながら、ラミアの方を見やる。


「そうだ、ラミアさん。さっき話題に出てた“志柄木さん”って何者なんですか?」

「あ〜、ちょっと待ってて!」


 ラミアを待つあいだ、ハルは注文したミルクティーを飲む。氷が溶け、味が薄まっていた。


「あっ、シュウ先輩! 氷か何か持ってます? このミルクティー、もうぬるくなっちゃって……」

「わかった、ちょっと待ってね!」


 シュウはミルクティーの上に手をかざし、何らかを念じた。一通りそれを終えると、得意げに親指を立てる。

「これで良し、っと!」

 グラスに触れると、氷が残っていた時のように冷たくなっている。

「ふふっ、能力を応用すればこんな事もできるんだよ!」


「あったあった。この写真!」

 ラミアが部屋の奥から引っ張り出してきたのは、古びたアルバムの一ページである。

 集合写真だろうか? どこかの会議室で撮られたその写真には、優しそうな笑みを浮かべた老人が写っていた。

「南雲陽……夕澄來……志柄木憲芳……!」

「この、真ん中に写ってるお爺ちゃんが志柄木さんね。私たちは、みんな志柄木さんにお世話になったのよ」

 ラミアは穏やかに笑う。しかし、ハルの視線は写真の別の場所に奪われていた。

「ラミアさん。志柄木さんの隣に座っている男の子、夕澄さん? もしかして、ハクトさんのご親族ですか!?」

「あぁ、ライ君? 12年前に行方不明になったハクトのお兄さんよ。たしか12歳って若さで、政府の特殊部隊に入ってたんだっけ……?」


 夕澄ライ、ハルは脳内で反復した。黒髪の短く跳ねた髪と、夕闇を溶かしたようなワインレッドの瞳は、不思議とハルの心を動かすのだ。

 懐かしい記憶が蘇りそうになり、首を振る。彼と会った記憶はないはずだ。なのに、何故……?


「おーい、話聞いてる?」

「あっ、ごめんなさい! 私が質問してたのに……」

「いいのいいの、気にしないで……」

「ついでに、もう一つ質問いいですか!?」

「色んなことに興味を持つのはいい事よ。どうぞ?」

「あの、ここの組合の人ってみんな『契約』が終わったんですよね? どうしてディークが去っていったんですか?」

「そうねぇ……。ディークは願いを叶えることで、宿主の心の隙間を埋めようとするのよね。だから『現状に満足する、願いを叶えなくても幸せだと思う』事が大事なんじゃない? 願いを叶えたくなくなれば、ディークとの契約は切れていくわ……」


 願いを叶えたくなくなる。シュウが諦めた、と言ったのはこの事だろうか。ハルは疑問に思う。

 だとすれば、あの契約の日の願いは本当に自分の本心から出たものなのか? あの時は目の前の危険を払った高揚感のままに口にしてしまったが、本当に自分は人々を守りたいのか? 自分の生活を殺して、他者に奉仕ができる人間なのか?

 ハルの思考が堂々巡りをし始めた、その時だった。


『その話、詳しく聞かせてもらっていいですかね?』

「ソルグ!? まだ居たんだ?」

『ラン様を追いかけていくタイミング失ったんですよ……。それよりも! 宿主が幸せを感じれば、ディークは自我を奪わなくていいんですね!?』

「えぇ。でも寄生したディークは消えてしまうわよ?」

『それでもいいんです、ラン様が幸せなら……』

「あら、何か訳ありのようね?」


 ソルグが丁度説明しようとした時、どこか遠くで排気音が響いた。


「トオル……! やっと帰ってきた! 新人が来たの!」


 薄い色のサングラスを着けた男は、息を切らしながら言った。


「それどころじゃありません! 中央エリアにディークノアが二体出現しました……ッ! しかも素質持ちを乗っ取った、〈人型〉です!」

「人型……ッ!?」

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