第16話:受容と観念とグラディエーター

「ちょっと小遣い稼いでくるわ……」

 昨夜の戦闘を終え、『OPEN』の看板を裏返した喫茶店で、砂海は唐突にそう言った。


「おっ、砂海さん。久しぶりに発散してくるわけだね! ついて行っていいかな?」

「…………」


 砂海は返事をせず、停めているバイクのエンジンを入れる。排気音が通り過ぎるのを見計らい、シュウは噴き出すように笑った。


「よし。ハルさん、フィリップくん! 砂海さんがどこ行ったか興味ない?」

「確かに気になりますけど、着いて行っていいんですか?」


 未だ慣れていない強面の男の私生活にやや怯えながら、ハルは出来たばかりの先輩に尋ねる。


「あはは、たぶん問題ないよ! きっと無下にはしないだろうから!」

「それ憶測ですよね!?」


    *    *    *


 シュウに連れられた場所は、地下道へ続く階段である。コンクリートの壁には鮮やかなグラフィティが描かれ、アンダーグラウンドの入口としての風格は十分だ。


「チケット、3枚ね!」


 シュウは階下の受付に代金を支払うと、退屈そうなフィリップの表情をスマホで撮影する。


「ちょっと、何撮ってんの……?」

「帰る頃にはどんな顔になってるかな、って!」

『シュウ先輩、あとでその画像送ってくださいよ〜!』

「えっ、君スマホ持ってんの?」

「私のやつですね……」


 剥き出しのパイプが目立つトンネルを抜けると、熱気と埃が充満する広間に出る。観客席にはぎっしりと人で溢れかえっていて、彼らの視線は中央のリングに集中している。


「ここは……?」

地下闘技場コロッセオだよ……!」

「現代社会ですよね? ここだけ古代ローマじゃないですよね!?」


 狼狽えるハルに、シュウは尚も笑顔で答える。

「ここは理想郷アルカトピアだよ? 欲望を尊重する街には最適な娯楽だと思わない?」


 VIP席からリングに向かって紙幣が舞う。心拍のリズムによく似た重低音が響くクラブ・ミュージックが地下に充満し、巻き舌の入場コールが観客のボルテージを高揚させる。


「今日チャンピオンの玉座に座った益荒男ますらおには、アシタバ製薬よりファイトマネーとして2000万が贈られます……!!」


 歓声が上がる。誰が優勝するかは賭けの対象になっているのだろう。リングのコーナーに立つマッシブな男に、スラング混じりの野次が飛ぶ。


「やれー! みぞおちを狙えー!」

 観客に混じりそう叫ぶシュウに、ハルは呆れながら尋ねる。

「シュウ先輩、格闘技とか好きなんですか? なんかイメージと違う気がするんですけど……」

「うん、僕にとっては躊躇ためらいなくショットガンを撃つ君の方がイメージと違うんだけどね」

『眼を狙え! そこだ! 怯ませろ!』

「君の相棒もなかなかにはしゃいでるみたいだし」


 ふたたび歓声が上がる。チャレンジャーが倒れ、巨漢のチャンピオンが立ち上がって拳を突き上げた。


「防衛、本日三度目の防衛です! サディスティック・ジョー選手、あと二回の防衛で大金を手にします!」


 司会者が叫び、札束が乱舞した。


「いつの時代も人間は変わらないものだねぇ。欲望の渦って感じだ……」

 シュウはこの状況を憂いているような言葉を吐くが、ハルはそれがポーズだけだと判断する。昨夜の戦いで、彼も相当血の気が多いことを知っているからだ。


「やっぱり、ディークに憑依されると好戦的になるんですかね?」

「ある程度はね。もちろん本人の特質しだいではあるけど、だいたいが内に秘めた欲望に開放的になってる。僕と砂海さんは、戦いたくてこの活動をしてるし……」

「組合の人たちって、元ディークノアでしたよね? どうやって抑制したんですか……?」


 シュウはフードをかぶり、天を仰ぐ。ハルにはそれが後悔しているようにも、懐かしんでいるようにも見えた。


「この間も言ったように、欲望と感情を抑えることだねぇ……。有り体に言えば、『現状を受け入れること』だよ」

 彼は近くの柵に背中を預け、なおも天を仰ぎながらきっぱりと言った。


「それって、簡単じゃないですよね……」

「悟りを開いた宗教家にはディークは憑けないだろうね。受け入れることは、革命を起こすより難しいんだ」

「じゃあ、どうやって……」

「僕らは、大人になっちゃったんだ。願いを叶える悪魔に愛想笑いをしてたら、夢の諦めかたを覚えちゃってさぁ」


 諦めることと受け入れることは別だけど、と呟くシュウを見て、ハルは僅かに肩を下ろす。

 自分の幕引きは、どのような結果になるだろう? この精神を守ったまま、生涯を全うできるのだろうか。


「僕はね、親に捨てられたんだ」

「えっ?」

「特異体質。昔の白に近い髪色と、この肌は珍しいんだって。あと、生まれつき目が悪くてね。いわゆるアルビノ、ってやつ」


 不意に、周辺の喧噪が消えた。ハルの集中力がそうさせたのか、彼女の耳にはシュウの声がクリアに届いている。


「マトモな物は見えないのに、みんなが見えないものは視えちゃってさ、それを友達として扱ってたら親に気味悪がられてさぁ……!」

 あのネグレクト鬼畜連中め、と笑い飛ばしながら、シュウはあっけらかんと語り続ける。

「色々あって志柄木さんに拾われたわけだけど、その時からずっと『普通になること』を望んでたんだよ。あの人のせいで折り合い付けなきゃいけなくなったけどね……」


 シュウが指さした先には、リングに立つ砂海の後ろ姿があった。彼は脱いだライダースをコーナーポストに掛け、ファイティングポーズを取っている。


「おっと、ここで現れた挑戦者は闘技場荒らし! またも賞金を奪っていくのか、この男は!!」

 司会者の声に呼応するように、観客席からは歓声とブーイングが入り混じった怒声が響き渡る。


「チャンピオンに賭けた人、大損だろうねー」

「えっ、砂海さんってそんな強いんで……」


 先ほどまでチャンピオンだった男が、硬いリングの床に倒れた。砂海は凶暴さを隠さないような笑顔で対戦相手を見下ろす。


「あの人にルールのないマッチで勝てるわけないじゃんね。元マフィアだよ?」

「砂海さん、元マフィアなんですか!?」

「あれ? あの悪人面で想像つかなかった? 明らかに人殺しの眼してるよ?」


「あの、挑戦希望なんだけど……!!」

 それまで無言で試合を見つめていたフィリップが、唐突に声を張り上げた。


『ラン様、危なくないですか!?』

 焦るソルグを尻目に、フィリップは確かな足取りでリングへ近づく。ざわつく客の一部は、司会者の方へ詰め寄った。


「えぇ……と、とりあえず、ここでは年齢制限はありませんので……! 挑戦者、えぇと……」

「サイレント・ノーブル」

「謎の少年ファイター、サイレント・ノーブル!!」


 困惑混じりの拍手が響く。まばらに広がるざわめきを背に、少年はリングに上がった。


「おいおい……ガキが何しに来たんだよ」

「ガキ扱いしないでくれない?」

 フィリップは長袖を捲り、白い腕を露わにした。

「昨日の続き、やろうよ」

「武器なしで俺に勝つつもりか? そりゃ無謀だ……って!?」


 砂海の肩をフィリップのハイキックが襲う。小柄な体躯から繰り出される素早い蹴りは、砂海の闘志に火をつけるには十分な燃料になった。


「お坊っちゃんは痛い目見ないとわかんねぇみたいだな……」

「……その呼び方やめろよ」


 リング内で睨み合うふたりを見て、ハルはあたふたとシュウの様子を伺う。彼は楽しそうに笑っていた。


「何やってるんですか!? 止めに行きましょうよ!」

「あの人たち、ガチだよ? 僕らに出る幕はないと思うんだけど……」


 俊敏な動きでタックルをするフィリップを往なし、砂海はその背中に蹴りを浴びせる! フィリップは怯まずに砂海の足を掴むと、関節を外しにかかる! 砂海は筋力でそれを押し留めると、大きな溜め息を吐いた。


「お前は強いよ、参った! ったく、面倒くせぇ……」

「逃げるのかよ……ッ!?」

「勝ちを譲ってやるつってんだよ。大人はガキと本気で喧嘩なんてしねぇから」

「譲られた勝ちなんて要らない……!!」


 フィリップはリング床を叩き、顔を歪めてリングに突っ伏した。その目には、背を向ける砂海が映る。


「ふざけんな! あのガキが勝つなんて聞いてねぇーぞ!!!」

「大損だバカヤロー!!」


 観客の野次が場内を包み込む。突然の結末に絶句する司会者に代わり、砂海は声を張り上げる。


「あのな、俺が負けを認めたら負けなんだよ!! 文句言うなら一人ひとりかかってこいよ……」


 混乱する状況を楽しみながら、シュウは荷物をまとめ始める。

「よーし、めちゃくちゃになったし帰ろっか!」

「こんな世界もあるんですね……」

「楽しいでしょ、これがアルカトピアの裏だ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る