第13話:護身と追跡と討つ覚悟

『お前の願いはなんだ……?』

「社会は腐ってるんだ……みんなが俺を攻撃するんだ……」


 ガムテープで目貼りした窓は光を通さず、学習机に置かれた電気スタンドの光源が男の顔を照らす。ゴミ箱はアルコールの揮発した匂いを放つカップ麺の空き容器が占拠し、壁には恐怖と憎悪に負けないという意志を記したメモがびっしりと貼られている。


「電波の照射から身を守りたいんだ……頭が痛い……」

『電波……? まぁいい、お前が想像する敵から、身を守る力を与えよう』


    *    *    *


 ミューズの嗅覚を頼りにハルが向かったのは、屋上の大きな広告が威圧的に空を支配するビル群の中だ。普段なら車通りの多い交差点は渋滞し、先頭に置かれた交通整理の看板が振る赤色灯が振り子のように運転手の眠気を誘う。


「人が多いね……」

『この状態で一般人に見られるのはマズイな……』


 ハルの目の前を横切る怪物ディークノアは、民衆の視線を一心に浴びながら進み続ける。深夜ということも相まって、運転手たちは焦点の合わない目で怪物を追っている。


『あんなの見たらトラウマになるわな……』

「……じゃあ、やるよ!」


 腕と思われる部分に一対の触手を持つディークノアは、ゾンビのようにおぼつかない足取りで進み、ビルの柱に激突する。湿った呼吸音が響き、『それ』はビルの壁面に吸盤を貼り付け、ゆっくりと登り始めた。


「……緋銃グリムッ!」


 散弾が怪物の肩を貫き、苦悶の声と共に触手が一つ落ちる。『それ』は蜘蛛の糸を登るカンダタのように、片腕だけで壁にしがみつく。


『近づいた方がいい。この間合いじゃ、多分トドメはさせない……』

「わかった!! ……えっ?」


 落ちた触手が青紫の溶解液をぽたぽたと垂らしながら、渋滞の車線に飛び込む。並んだ軽自動車のルーフに落ち、鉄板を穿うがちながら煙を噴出させる。


「待って、ヤバいかもしれない……ッ!」


 毒ガスが充満しはじめた車窓を弾丸で撃ち抜いて割ると、ハルは素早く、朦朧としている運転手を突き飛ばして車外に転がり落とした。


 自動車が爆発炎上し、巻き込まれた何台かの車が誘爆する。上昇気流が彼女のスカートをなびかせ、ハルの表情は唖然としたまま動かない。


「きゅ、救急車を……」

『バカ、これ以上人を集めるのは良くないんだよ! まっすぐ敵だけ見ろ!』

「でも……」

『今、一番ベターな方法を考えろ! これ以上の被害を増やすな!!』


 粘液にまみれた怪物の傷口は塞がり、新たな触手が生える。そして、妨害を気にすることなく、壁にぬらぬらと這いずった跡を塗る。


『ハル、屋上登るぞ』

「わかった……!」


 標的が登っているビルに突入すると、ハルはエントランス内の施錠されたエレベーターの前で立ち止まる。銃口を鍵穴に近づけると、弾丸が奥に届く瞬間に血液に変えた。


『お前さ、最近こういうのに躊躇なくなってきてるよね? 手際もいいし。よく考えたら普通に法に触れてる奴だぞ、これ』

「その辺りは須藤刑事が話つけてくれると思うよ……」

『コンプライアンスの意識を強く持とうな……。あっ、開いた!』


 電気の復旧したエレベーターに侵入し、ハルは手際よく屋上階のボタンを押す。即席で密造コピーした合鍵を血に戻し、ノータイムで弾丸を創りだす。

 呼吸を整え、首の関節をストレッチすることで、ハルはその瞬間をじっと待った。アウトローの早撃ち決闘のように、タイミングは一瞬だ。


 扉が開いた瞬間、屋上の柵を乗り越えようとする異形の背中を補足し、ハルは即座に引き金を引く。

 乾いた銃声とともに散弾が敵を貫き、熟れた果実が弾けるように体液を噴出させる。


『アレに触れるなよ』

 コンクリートに飛び散った体液から視線を外すことなく、ミューズは呟く。

『ガスを吸うのもダメだ……』


 傷が癒えていくのを確認し、ディークノアは煩わしそうに追跡者の方を振り向く。長い触手を鞭のようにしならせながら、外敵を絡め取ろうと振り回す。


「毒、かな!?」

『たぶんな。しかも身を守るために出すやつだ!』


 ハルは迫る触手を後退して回避すると、緋銃グリムをしっかりと構える。

『ちょっ、この距離じゃマズい! あの液体がモロにかかるから!』


 ハルが躊躇った隙を突き、触手が銃を弾き飛ばす。ディークノアはそれを確認し、伸ばした腕を自身の胴に巻き付ける。


「……アレじゃ手が出せないんだけど、どうしよう!?」

『積極的に攻撃してこず、身を守る能力か。……何かの目的を持ってるんじゃ?』

「……ミューズ?」


 手出しができない敵を嘲笑うかのように、怪物はぴょんぴょんと跳ねながら、向かいのビルに張り付こうと跳躍する。


『あのヒトデみたいなやつ、巣に帰ろうとしてるんじゃないか?』

「巣?」

『もしかしたら違うかもしれないんだけど……前に須藤刑事が言ってた黒幕の所に帰ろうとしてるんじゃねぇかなー、って』


 このまま泳がせた方が良いかもしれない。そう言う相棒に、ハルは戸惑いながらも首を振る。


「それは良くないよ。あいつが直線的に移動するとしたら、そのルート上にいる人に何かの被害が出るかもしれない。これ以上、誰かを傷つける訳にはいかないんだ……!」


 ガラス張りのオフィスビルに黄緑色の粘液を残しながら、ヒトデのディークノアは触手を窓に貼り付けてゆっくりと降下する。高所作業をする作業員のように慣れた動きだ。帰巣本能のままにビルを下ろうとした瞬間、怪物は重力に負け、自由落下する。


『wHyyy……?』


 見上げた先で、ガラスが割れていた。たぶん触手が一本撃たれたのだろう。痛みはないが、片腕だけでは不格好だ。怪物がそんなことを漠然と考えた瞬間、轟音とともに身体が沈んだ。

 アスファルトが窪んでいる。出てきた毒液が怪物の足元に集まり、徐々に溜まっていく。落下の周辺に身を固めたディークノアは、頭上から降ってくるガラスの破片と急襲する影に気づかない。


『うおおォォォ……!!』


 翼を畳んだコウモリが、ガラスの雨を背に稲妻のように急降下する。ミューズはミニチュアサイズの散弾銃ショットガンを構えると、突進しながら怪物に乱射した。

 飛び散った破片が集積し、ディークノアを取り囲む小さなドームが完成する。怪物は、咄嗟に足下の毒液を吸盤で吸い上げた。


「よし、作戦成功かな……!」

『お前さァ、こんなの禁じ手でしょうよ……! Gと射撃の反動で肩外れたかと思ったもん!』

「コウモリの肩ってどこにあるの……?」


 ガラスを再構築し、敵を隔離する。それがハルの作戦だった。この作戦を成功させるためには、一度すべてのガラス片に触れておく必要がある。そのために飛び道具めいて使われたのが、ミューズだ。


 ビルの谷間に現れた遮蔽物から逃れようと、ディークノアはガラスの天井に触手をガンガンと打ち付ける。


『ハル、構えろ』

「わかってるよ……!」


 本能的に緊張を走らせる高周波の破裂音と共に、ドームが決壊する。破片の雨に反応して体液を撒き散らすディークノアから距離を置き、ハルは落ちた破片を観察する。


「あの体液が血じゃないなら……!」


 ガラスがどろりと溶け、赤黒い鎖に変わる。起き上がろうとしたディークノアの両手足を拘束し、転倒させた。


『膿を出し切るか?』

「際限なさそうだよね……。どうしよう?」


 膠着状態。ハルは立ち尽くし、目の前の敵にどう対処すべきか思案する。


「朝まで待ってもいいけど、鎖が腐食しそうなんだよね……」

『朝まで待つ、か。ちょっと待ってろ!』


 ミューズはそう言うと、繋がれた怪物に接近する。近づけば僅かに腐臭を放つそれを間近で観察すると、彼は羽根を畳んでハルの肩に止まった。


『ダメだ。どうも乗っ取られてから長い。紫外線に耐性を持ってそうなんだ』

「じゃあ、前みたいに憑依を解除して……」

『それもダメなんだよ』

 ミューズは舌打ちをする。

『今のヤツは、宿主の人格でもないしディークの人格でもない。両方の意識が合体事故起こしてて、宿主の願望だかディークの本能だか判らない物に意識が乗っ取られてる……』

「えっ、それじゃ……?」

『ここで命を絶つしかないな。現れるのが遅すぎたんだよ、最悪だ……』


 ハルは周囲を見渡す。大通りに面したビルの隙間の小道で倒れている怪物は、朝には見つけた誰かを毒牙に掛けるだろう。手足の鎖は、既に染み込んだ毒液で腐食している。自由の身になるのは時間の問題だ。


「でも……殺すのは……」

『酷だよな。でもな、殺してやるのが救いだと思うんだよ』


 少女は引き金に指を掛け、眼を伏せた。異形とはいえ、人型だ。再生したとしても、心臓か脳幹を攻撃しさえすればその命を絶てるだろう。今までとやってきたことは同じ、平和維持だ。大丈夫、大丈夫。


「……ミューズ」

『……おう』

「私じゃ撃てないみたい……」


 引き金が引けない。

 初めての感覚だった。目の前の怪物を倒す、ということには機械的に取り組める。ヒロイズムに酔い、現実感のない夜の狩りを楽しむ余裕すらあった。だが、なにかを殺すことは別だ。

 ハルは何度か息を吐く。ビルの影が醸し出す悪意と衝動に呑み込まれないよう、引き金から指を外した。


「ごめん……ホントにごめん……」

『ハル……』


 ハルが車道に停められた車から現れた人影に気づいたのは、その直後だ。

 オレンジの防護服とガスマスクを装備した人間が六人、縛られたディークノアを取り囲む。


「間に合ったか。ありがとう、ここからは任せてくれ……」


 彼らと共に現れた須藤はそう言い、ガスマスクの男たちに回収の指示を下す。


「須藤刑事、この人たちは?」

「あぁ、部下だ」

『あれ? 確か部下って……』


 須藤はコートを翻し、その場から去ろうとする。

『あの、こいつをどうするつもりですか……?』

「今回の件はガス爆発として処理する。君たちは家に帰りなさい」

『いや、こいつは……?』

「君たちが気にすることじゃない」


 刑事は手馴れたように立入禁止のテープを貼ると、ビルの影に消えていった。

『あのまま泳がせて黒幕炙り出すつもりか?』

「私たちにはわからない事情があるんだよ、きっと。……帰ろっか、ミューズ」


 

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