第11話:OBと面接と白いフクロウ

「ミューズ! まだ起きないの?」

『うるさいな、日曜日のオカンかよ……』

「……なんかいつもよりテンション低いね?」

『俺が常にハイテンションな訳ねぇだろ、はっ倒すぞ……。昨日、調子乗って食べ過ぎたアイスを恨んでんだよ……!』

「ふーん……。須藤刑事が呼んでるけど、どうする?」

『俺、パス……』

「わかった! 私がいないあいだ留守番しといてね!」

『わかったから、デカい声出すな……』


 午前十時。ハルは普段より少し他所行きな格好でマンションの一室を出る。四階から階段を軽快に駆け下り、向かう先は駐車場だ。

 白線からはみ出すように止められた中古のセダン。傷付いたまま放置されたシルバーの車体が、持ち主の生真面目な性格とマッチしない。


「須藤刑事、フィリップくん! お待たせしました!」

「出かける準備は終わったかい? ……ミューズくんは?」

「昨日の今日でお腹壊しちゃったみたいで、今日は留守番させてます!」

「そうか……。じゃあ、行こうか」

「昨日の帰りに話された時から聞きたかったんですけど、どこに連れていかれるんです?」

「そうだな。端的に言うなら、OBとの交流だよ」


 ハルとミューズが住んでいるマンションから車で15分、オフィスビルが多く立ち並ぶアルカトピア中央エリアの一角に、目指す目的地は確かにあった。何百人ものサラリーマンが往来を行き交い、足早に抜けていくような立地だ。

 夏はとうに過ぎたとはいえ、アスファルトに照り返す太陽は行き交う人々の体力を確実に奪っている。フィリップは長袖シャツに日傘を差し、ソルグを日陰に寄せた。


「ここが目的地……。なんか、周りと雰囲気違いますね」

「久しぶりに来たが、何も変わっていないな。懐かしさすら感じるよ」


 軒並み立ち並ぶオフィスビルに挟まれるように、異彩を放つ建造物があった。昔ながらの、古書店である。

 〈夕澄書房〉といかめしいフォントで書かれた木製の看板は傾き、ノスタルジックな面影を残す引き戸には埃がこびり付いている。乱雑に“商い中”とだけ書かれた桂の木片だけが、今でも都会の重圧に押しつぶされずに営業中であることを静かに物語っていた。


 須藤は目の前の引き戸を軽くノックすると、バリバリと音を立てながら力の限り引く。立て付けの悪さは、昔から変わらないらしい。


「久しぶりだな、須藤だ――!」


 本棚から溢れた古書が乱雑に積まれ、足の踏み場もない店内に埃が巻き上がる。光源はカーテンから僅かに漏れでる日光のみなので、真っ暗だ。


「ひどい、何者かに荒らされたの……?」

『ラン様。ディークの気配はありませんが、公園の時の事例もあります! 警戒してください!』

「掘り返すな、ソルグ……!!」


 直後、ハルたちは本の山の奥に人影を見つける。髪を無造作に伸ばしたシルエットが、静かに揺れているのだ。

「あっ、新聞なら間に合ってまーす……? いや、お客さんかな?」


 伸びを一つして欠伸を殺し、フィンチ眼鏡を掛けた青年は気の抜けた応対で来客を迎える。柔らかい茶髪と穏やかな風格が特徴的だった。


「師匠、俺だ。ずいぶん久しぶりだな……」

「どうも。えーっと……?」

「覚えてないのか? もう八年も経つもんな」

「八年……? あ〜、待ってください、記憶辿るので……。えっと、フミアキ?」

「そうだ。その節は世話になったな」

「フミアキ! 久しぶりですね! アポ無しで訪ねてくるから誰かと思いましたよ! ちょっとシワ増えました?」


 嬉しそうに笑う青年に背を向け、刑事はハルたちに知り合いを紹介する。


「ハルちゃんとフィリップは初対面だろうね。この人はハクト、夕澄ゆうずみハクト。俺のディークノア時代の師匠であり、かつての相棒だ……」


 夕澄書房には“支度中”の看板が掛けられている。長らく覆われたままだったカーテンは、陽の光を浴びて爛々と輝いていた。

 招かれた売り場の奥にある畳敷きの部屋には、ハルが教科書でその名を知る著名な文豪の名作や、栞の挟まれた推理小説、ミューズなら目を輝かせて喜びそうな漫画本などが置かれている。


「緑茶で良いですか?」


 緩いマッシュがかった茶髪に端整な顔立ち。薄い紺色の作務衣を着た柔和な雰囲気の青年は、にこやかに笑顔を振りまきながら四つの湯呑みを運ぶ。

 フィリップは緑茶に躊躇なく二匙の砂糖を入れると、おずおずと質問し始めた。


「須藤刑事、この人は一体何者なの?」

「あぁ。〈組合〉のメンバーだ……」

 通じ合っているように見えた二人の会話を、ハルが静止する。

「色々と待ってください! まず、私が理解できる情報を共有できてないんですけど!」


 ハクトはころころと笑い、彼女の言葉に反応した。


「あっ、質問ですか? 私が答えられる範囲なら良いんですけど……」

「えっ、須藤刑事って元ディークノアなんですか!? そもそもディークノアって、寄生されなくなったらどうなるんですか!?」

「ええ。フミアキだけじゃなくて、私も元ディークノアですよ。私たちみたいに、ディークが願いを叶えられずに別離したケースって何例かあるんですよ。その場合、能力はどうなるか……。今からその例をお見せしましょうか!」


 ハクトはそう言うと、作務衣さむえの胸ポケットから薄紫の万年筆を取り出す。青いインクの出を調整すると、テーブルに置かれたメモ帳にサラサラと試し書きをする。


「すいません、お名前を教えていただけます?」

「私ですか? ハルカ、北条遥です」


 ハクトは名前の漢字まで聞くと、メモ用紙の中央に『北条遥』と丁寧に書く。

「これで良し、っと!」

 そう言うと彼はハルのフルネームの書かれた紙にそっと手をかざす。


 テーブルに置かれた紙には、青いインクでびっしりと別の文字が書かれていた。

「〈北条遥 十六歳  九月七日生まれの乙女座 公立アルカトピア学園2-F 162cm/48kg コウモリのディークノアが憑依……〉なるほど。コウモリ、ですか……」

「えっ!? こんな情報どこで!?」

「〈初恋の人:幼稚園の先生 最近買ったもの:チーズ鱈(徳用)……〉」

「ストップ!! これ以上はプライバシー的にダメです!! いや、なんで誰も知らないプライベートな事まで書かれてるんですか!?」

「私の能力は〈名前を書いた対象の真実のみを知る〉こと! この能力の前では、虚偽の申告なんて通用しません。虚構フィクションが必要なのは、物語だけで充分なんです……」

 ハクトは自信ありげに胸を張ると、メモを見ながら苦笑する。

「これは忘れますね。こっちで捨てるのも忍びないですし、良ければ差し上げますよ」

「……いや、その能力自体が悪趣味すぎません?」

「情報収集には便利なんですよ?」


 その様子をじっと見ていたソルグは、小さな疑問を抱く。

『あの、能力の発現時にディークの気配がしなかったのはなぜでしょう……?』

 それを聞いたハクトは、誇らしげに万年筆を指さす。

「付喪神ってご存知ですか? 長い年月を経たものには神が憑く……。それの応用ですね」

『つまり、どういう?』

「ディークは精神生命体であり、宿主の記憶に結びつきます。つまり、宿主はディークと契約をして能力を使った記憶を持っていれば良い。要するに、契約を終えたパートナーの能力の記憶と自分の愛用してる物を紐付けし、擬似的に再現するんですよ!」

『もしディークに何かあっても、宿主は能力を使い続けることができると?』

「その通りです! 確か、フミアキも持ってましたね?」

「あぁ……。あんなにアクが強いディーク、忘れられるわけがないだろ?」

 須藤はコートのポケットから二つのサイコロを取り出し、転がした。かなり使い込まれているようで、角が擦り切れて丸まっている。

「まぁ、俺の場合はただのジンクスというか、悪癖というか……。あの能力はたまにしか使わないな……」


「さて、今回の本題は〈組合〉関係でしたっけ?」

「さっきから気になってたんですけど、組合って?」

「『太陽と林檎の会』。ネーミングセンスが欠片もないでしょう? 私はこの名前、気に入ってるんですけどね。この街のディークノアの力の均衡を保ち、宿主に適切なディークとの付き合い方を指南するための調整をする組織です。ディークノアの先輩が、きっと相談に乗ってくれますよ……」

「それは、私も参加していいんですか?」

「もちろん! フミアキもそういう理由で連れてきたんでしょう? で、そこの子……フィリップくんはどうされます?」

「僕はパス。群れたくない……」


 警戒心を強めるように表情を固くしたフィリップに、ハクトは勝算があるような目を向ける。


「へぇ……。確か、フィリップくんの願いは孤独になること、でしたね? 組合の中に、同じように孤独を経験した人がいたような……?」

「えっ……?」

 フィリップの表情が変わる。その瞬間を見たハクトは、満足そうに笑みを漏らした。

「興味出てきました? じゃあ、面接はこれで終わりという事で!」


 ハクトはそう言うと、二人の詳細なプロフィールの書かれたメモを丁寧に折り畳んだ。

「ミネルヴァ、起きてる?」

 部屋の奥から白いフクロウを連れてくると、その脚に折り畳んだメモを括り付ける。

「フクロウ……なんで……?」

 首を傾げるフィリップに、ハクトは分厚いハードカバーの本を持ちながら、語る。

「魔法使いって、憧れません?」


「ハクト、今日はありがとう。あの子がコウモリのディークノアだ……」

「なるほど、あの子が今の宿主ですか。アイツはいつまでも昔と変わらなかったですか……?」

「あぁ、君の言っていたあの人のディーク、そのままの姿だったよ」

「相変わらず適当なこと言ってたんでしょう、そういう所が嫌いなんだ……」


 ハルたちが車に乗り込んだのを確認し、須藤はハクトに耳打ちをした。破ったメモ帳に殴り書きした文字列を見せ、捜査への協力を依頼する。


「すまないが、『ラウン=ボルゾー』という女について調べてほしいんだ。」


    *    *    *


 洋館の大きな窓に、緩やかに伸びた夕陽が差す。金属の鎧を着たライオンはカーテンを閉め、机の上に複数置かれた球状の物体を指した。


『今回、用意した“種”だ。どうする?』


 金髪の少女はガラス球めいたそれを持ち上げると、中身を確認するかのように振る。スノードームのように、中で蠢くモヤが傾いた。


「これなんてどうかな? ヤギ!」

『ヤギねぇ……。お前を殺せるとは思えんよ』

「いいじゃん! 使えなきゃ壊すだけだし!」


 少女はガラス球に五寸釘を打ち、煙とともに現れる小さなヤギを愛でるように語りかける。


「確実にボクを殺せるようになって、帰ってきてね?」

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