第10話:違和感と先入観と行列のできるレストラン

『答えろ、お前の願いはなんだ……?』

「そうだな……。俺がオーナーシェフを務めるレストランを開業する、とかは可能か?」

『当然だ。求める物は才能か? それとも金か?』

「才能も、金も、努力で手に入れたよ。俺が欲しいのは、だよ……」

 業務用冷蔵庫の中身を吟味しながら、大柄な男は人差し指で顳顬こめかみを叩く。


 冷蔵庫には、品質の良い食材が揃っていた。長いシェフ生活で考案してきた創作料理を構成する、一流の品々だ。「いつでも店を開く用意はできている」という、彼の覚悟の現れである。


「料理は学んできたけど、経営に関しては不勉強でな。だからといって、他の奴に俺の店について口出しされるのも嫌なんだよ。経営能力を手に入れれば、俺の料理を色々な人に楽しんでもらうことができる……俺の城で、業界を震えさせてやれる……」


 熱い闘志を秘めたその瞳に、牡牛のディークは苦笑した。願いを叶えて自我を乗っ取れば、その利益は全てディークが得ることになるからだ。他者の干渉を嫌うために行った契約が、回り回って甚大な干渉を受けるのだ。ディークは内心ほくそ笑む。


わしの能力があればそんな願いなど容易い。さぁ、契約をするんだ……』


    *    *    *


『ハルー、これ見て!』

「なにこれ、雑誌の特集?」

『ハルは相変わらず流行に疎いんだな……。アレだよ、〈行列のできる超人気創作料理店〉! アルカトピアンなら常識だろー!』

「ふーん……。私さ、行列ってどうも苦手なんだよね。わざわざ並んでまで人と同じことをする理由があるのかな? 並んでる人たちはそれを食べるために並ぶんじゃなくて行列に並ぶほど流行に敏感な自分を演出したいから並んでるんじゃないの……」

『行列に対する怨嗟がすごい……! 一応予約しといたから、並ばずに行けます!』

 ミューズはそう言い、翼で器用にスマートフォン端末の画面を操作してみせた。

「それ、私のスマホだよね。えーっと、〈bistro Bétail〉……? あっ、意外と近いんだ……」


 ハルの住むマンションから徒歩10分。仕事帰りのOLが押し寄せるようなオープンカフェの隣に、そのレストランはあった。

 モダンなフレンチレストラン風の外観には似つかわしくないほど、たくさんの人が行列をなしている。ハルは人混みに目眩を感じながら、ドアを叩いた。


「ホウジョウ様ですね。お待ちしておりました」

「あっ、よろしくお願いします……」


 ウェイターの丁寧な接客に恐縮しつつ、ハルたちは店内の様子を観察する。外はあれほど行列が出来ているのに、店内はとても静かだ。

 ほとんどが予約席なせいで、あの行列なのか。ハルは経営戦略に感銘を受け、小さく頷いた。


『すごい、高級店の香りがする……! これは期待できる……!』

「ミューズ? いくら周りに姿が見えなくても、声は聴こえるから……! ちょっと静かにしてくれないかな?」


「ようこそいらっしゃいました。私がオーナーシェフを努めます、丑川でございます。お客様のお口に合う料理をご提供いたしますので、今日は楽しんで帰って頂けると幸いです……」

「はい、よろしくお願いします……」


 丑川と名乗るオーナーシェフは、ウェイターと同じように恭しく頭を垂れた。元々目が細いのだろうか。糸のような眼を更に細め、口元にはアルカイック・スマイルをたたえている。腕に付けられた金の腕時計が、この店の人気を物語っているようだ。


「すごく優しそうな人だね……!」

『ああいうシェフに限って、厨房覗いたら包丁投げてきそうじゃない?』


 一人と一匹は早速席に着き、テーブルの上のメニューを確認する。刺繍めいたフォントで書かれたメニューの文字は、格調高さを物語っていた。


「――ッ!? この店、水だけで800円!?」

『チャージ料だと思えば問題ない……問題ないと思うよ……?』

「いやいやいやいや! 高級店ってこんな感じなの!? 目眩してきた……。ところでミューズ、お金は?」

『へ? ハルが払ってくれるんじゃ? 流石に人外に金払わす訳ないよね?』

「えっ……!? いや、こんな高いと思ってなかったよ! もっとリーズナブルな感じだと!!」


 ハルたちが人目も気にせず不毛な会話を続けていると、テーブルの上に何かが置かれる音がした。


「これ、良ければ使ってくれ……」


 テーブルの上に置かれたのは、クレジットカードだ。黄金色の輝きを放つホログラムに、昨夜会った男の顔が反射する。


「須藤刑事!? えっ、これ……クレジットカードですか!?」

「丁度懐が温まってるんだよ……。持ち合わせがないなら、一緒に会計しようか?」

 刑事はそう言い、彼が座っていたテーブルを指さす。

「それに……。ほら、フィリップも来てる」

 例の冷ややかな眼の少年が、退屈そうに食事を取っていた。


『あの緑髪、フィリップって名前だったんだ……。っていうか、なんで刑事さんのディナーに付いてきてんの?』

「成り行き、かな」


「こちらが当店名物の〈仔羊のロースト 黒トリュフソースを添えて〉でございます……」


 色気漂うジャズが流れる店内。続々とメインディッシュが並ぶテーブルに、ミューズは興奮しながら言葉を紡ぐ。

『そう、コレだコレ! 雑誌で見たやつ! ハル、一口ちょうだい!』

「今日のミューズ、いつもよりめんどくさいよ……。はい、どーぞ」

『これは!! 若々しく柔らかいラム肉に甘く芳醇な香りの黒トリュフが舌の上でシャッキリポンと躍る〜〜ッ!! まさに、圧倒的旨味の小宇宙!! うまァァァァい!!』

「ミューズ……! うるさいって……!」


 静かな店内に響く姿のない声に、瞬時に注目が集まった。ハルは咳払いをし、顔を赤くしながら料理を口に運ぶ。


「ホントだ、美味しい。でも、なんか違和感があるんだよね……」

『違和感?』

「うん。どことなく味が刺々しいというか……。うまく言えないんだけど」

『気のせいじゃないか……?』


 ハルが料理への違和感を感じ始めた時、回転ドアが音を立てて開く。客の視線が一斉に入口に向かい、店内はざわつく。


「なぁ、ここでメシ喰うために必死に金貯めたンだ! 入れてくれ!」

「ですが、予約のないお客様は待機列に並んでいただくという決まりでして……」


 ボロボロに擦り切れた服を着た少年に詰め寄られ、ウェイターがたじろいでいた。言葉遣いこそ他の客へのものと変わらないが、その態度には蔑むような声色が滲んでいる。


「ふざけンなよ……! 俺は一昨日の夜から並ンでるよ。入店拒否ってヤツだろ、これ! 俺が『ガラクタ街』生まれってだけで差別しやがって……! オーナーを呼べ!」

「……オーナー、お客様がお呼びです」


 現れたオーナーは、少年に穏やかな笑みを浮かべて応対する。店内の人々は、少年のことが見えていないように食事に夢中になりはじめた。


「お客様、何かご不満がおありで……?」

「オマエがオーナーか!? この店は貧乏人を差別すンのかよ! 金ならあるンだよ……ほら、見てくれよ……!」


 熱を帯びた少年の言葉は、いつの間にか途切れるように弱まる。少年は古びて埃をかぶったコインを握り、すがるような目で丑川を見つめた。


「ほら、ウソじゃねェよ……。オヤジがこの店なら安心だって言ってくれたんだ。金時計を着けた奴に頼めば、腹一杯食わせてもらえるって。だから、メシを……」

「これがお客様の全財産……?」

 丑川は散らばったコインを踏みつけ、スラムの少年に向けて唾を吐く。

「いい加減にしてくれよ。いいか? ここはお前みたいな社会的弱者が来る場所じゃないんだよ……!! なぁ、他のお客様の顔をよく見てみろ。みんな食欲を無くしているッ! お前の醜悪な姿! 不快な悪臭! そのせいで、土曜日の夕方にあんな憂鬱な顔をしてるんだよッ!! ここの飯を食いたいならなァッ! ドレスコードを守れ! そのネズミの小便まみれの身体に、ムスクの香りのコロンでも吹き付けやがれッ!! あぁ、そんな物を買う金なんて無かったなァ……!!」


 早口でまくし立てるオーナーから、アルカイックスマイルの仮面が剥がれ落ちた。水を打ったような静寂に包まれる店内には、ナイフを置いた客たちのヒソヒソ声が驚くほどよく広がる。

 フィリップはそんな店内の様子をじっくりと観察し、テーブルを二本の指で軽く叩いた。


「気分悪くなった……。帰る」

「お客様、申し訳ございません! すぐに叩き出しますので!」

「うん、ホントに吐きそうだよ……。ここの料理がね」


 その瞬間、辺りの静寂がさらに深まった。丑川は、目を剥きながらフィリップを見つめている。


「味にパンチがないのはまだ許せるけど、気取った態度で台無しだ。金持ちに媚びて、本質を忘れてない?」

『ちょっと、ラン様!? 奢ってもらってる立場ですよ!?』

「こんなのを食べるくらいなら、ハンバーガーの方がよかったよ。気取ってない、正直な味のものを……」


 フィリップは立ち上がると、オーナーシェフを睨みつけながら退出しようとした。しかし、丑川はそれを許さない。


「なんだと……? 黙って聞いてりゃ、高級品の味も知らないクソガキが偉そうな口を利くなァ! いいか、ここは選ばれた奴だけが来るビストロだ! この料理の本質が理解できない蛆虫以下のクソ野郎共は、俺の視界からさっさと消え失せろ!」


 オーナーの身体は見る見るうちに真紅に染まり、怒張し始める。それが比喩表現ではない事を、ハルは瞬時に察知した。


「なんか、様子おかしくない?」


 それは、神話に登場するミノタウロスめいた姿をしていた。コック帽は一対の反り立つ角によって破られ、荒々しくパンプアップした逆三角形の上半身は武骨な輝きに満ち満ちている。

 獣は鼻息を漏らし、憤怒の形相で今にも暴れ出さんとしていた!


野牛バイソンのディークノア!? ここで戦うのはヤバくないか!?』

「須藤刑事、お客さんの誘導を!!」

 須藤は頷き、ざわつく店内を駆け回って出口へ誘導する。一時喧騒に包まれた店内は、流されるように外へ避難していく客が去っていくことで静寂を取り戻した。


「私が撃たなきゃ……! 撃って、オーナーを救わなきゃ……」


 戦場と化した店内で、ハルは二足歩行の雄牛に立ち向かおうとする。変容した人間を倒すことへの恐怖は和らぎ、義務感すら生まれていた。

 しかし、その動きをフィリップが制した。

「僕がやるよ。食後の運動だ」

「でも! 昨日怪我したばっかりだよね……?」

「あの時は君に遅れを取ったけど、今は怪我をしてちょうど良いハンデだ。そろそろ、本気で戦う頃だろうし」


 雄牛はいきり立って襲いかかり、鋭利な刃物のように尖った角でフィリップを貫かんとする。彼は上体を反らし、瞬時に己の業物を抜剣した。


「——行くぞ、奏剣ポナパルトッ!」


 銀白色の閃光は、雄牛の双角と激突して火花を散らせる。怪物は自らの角を振り回し、剣をはじき飛ばそうとした!


「へぇ、なかなか重量あるじゃん……!」

『ラン様! そろそろ、能力を使ってやりましょう。圧倒的な実力差を見せつけるのです!』

「よし、やろっか」


 フィリップは片手の剣で怪物を抑え、テーブルの上の紙ナフキンをつまむ。それで額に流れる汗を拭うと、小さな微笑みを漏らす。

「コレで“発現”させる……!」

 彼は丸めた紙ナフキンを千切り、天井に向けてコイントスのように投げた!


 そこに発現したものに、ハルたちはざわめく。

 現れたのは、もう一人のフィリップである。姿形やライムグリーンの髪、首筋の黒子まで寸分違わないそれは、もはや分身というよりクローンに近かった。


『〈使用者のいた痕跡から際限なくコピーを創る〉能力! 火力も二倍、崇拝対象も二倍だ!』

「御託はいいから……狩るよッ!!」


『GUOOOAAAAA!!』

 雄牛の血走った瞳からは、白濁した液体が止めどなく流れる。怪物はインテリアとして置かれたアンティークの椅子を軽々と持ち上げると、なんの躊躇もなく振り抜く。既に、自我を留めていない!


「「邪魔……ッ!」」


 2人のフィリップが椅子を十字に斬ると、木片がバラバラと崩れた。刃の先にあるのは、巨大な怪物の体だけだ。


「「このまま、押し斬るッ!」」


 一歩づつ前進し、牡牛の身体に刃を這わせていく。

 銀の閃光を放つふたつの刃が牡牛をつんざく。後は流れるように、歌うように、奏剣ポナパルトの切っ先を重ねていった。ゆっくりと、怪物の身体が両断されていく。


「よし、カロリー消費にはなったかな?」


 手を叩き能力を解除すると、コピーのフィリップは巻き上がる砂塵と共に消えていく。

 須藤は、目の前に倒れているオーナーに手錠を掛けると、携帯を取り出しどこかに連絡し始めた。現行犯逮捕、だということだろう。ハルは納得する。


『あっ! フルコース頼んだのにデザート食べてない!』

「はいはい、後でアイス買ってあげるから……。帰るよ、ミューズ!」


    *    *    *


 アルカトピア郊外。周囲の人々からは〈幽霊屋敷〉と噂される洋館の一部屋。その大きな窓には、深緑のカーテンがよく映えていた。


『お嬢、飯だ。適当に食ってくれ……』

 甲冑を着たライオンのディークは、ベッドの上の主人にそう語りかける。成人男性ほどの体格の二足歩行をするライオンが、盆に乗せた食事を運んでいるのだ。

 ガラス製のボウルに乱反射する、乱切りされたキャベツ。潮騒の香りのするオリーブ・オイルをスプーンひとさじ振りかけただけの粗末なサラダを、少女は欠伸と共に咀嚼そしゃくした。質素というよりは、食に関心がないのだ。


『ラウン、本当にこれでいいのか? 肉とか食って、もっと栄養摂った方がいいと思うんだが……』

「虎徹、ボクは長生きする気なんかない。できるなら餓死したいんだぜ? それに、肉なんか食べたら命がもったいないだろ?」

『……よく言うよ。他人の命になんて関心がないくせに』


 少女のブロンドの髪がカーテンから漏れでた朝日に重なる時、彼女はフォークを自らの手の甲に突き刺した!


「アハハハハハハハハハ!! まだボクは生きてる!! 生きる価値のないゴミ同然のボクは、のうのうと生き存えてるんだよ!!」


 深々と刺さったフォークから流れ出す血がテーブルから床へ滴り落ちる。彼女はフォークに力と憎しみを込め、ぐりぐりと押し込んだ。

 紅蓮に染まったフォークががテーブルの上に転げ落ちる。マシンガンの銃痕のようにぷすぷすと穴の空いた左手は、三秒数える間に元の姿に戻る。


「虎徹。この消えない“呪い”、なんとかならないかな!?」

『さっき、バクのディークノアが能力を解放したらしい。奴を誘い出して、挑発さえすれば……お嬢を殺せるかもな』

「おお、期待していいんだね!? そういえば、他の種はどう? 最近、自我を乗っ取って屋敷に帰還すること自体が稀な気がするけど……」

『現に、育ってすぐ摘まれていってるな……。どうも、さっき言ったバクのディークノアと、新顔のコウモリのディークノアが邪魔しているらしい……』

「ねぇ、そのコウモリとバクって〈組合〉の連中!?」

『いや、フリーだと思う。アイツらに接触するのも時間の問題だろうがな……!』

「虎徹、種はどんどん撒いていこう! ボクを殺すディークノアが現れるまで!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る