第9話:病院と悪魔の子と規格外の関係

 窓の外は、雀が囀る曇り空だ。今にも降り出しそうな雨を尻目に、少年はベッドの縁に座り、ただ呆然としていた。

 床は一面白磁のタイル。大きな窓には大都会の朝が写り、部屋の中にはベッドが四つある。病院だろうか、と考え、彼は首を捻る。それにしては、部屋の外に誰もいないかのように静かなのだ。まるで、隔離されているようだった。


 身体の節々が痛い。フラッシュバックする昔の記憶をそっと封じ込めるように、少年は昨日のことを思い出そうとする。


「確か昨日は公園で……。そうだ、ディークの気配を感じて、それで……?」

「端的に言おう。君は負けたんだよ……」


 開け話した扉から、少年にとって見覚えのない男が入ってくる。くたびれたコートを着た、仏頂面の男だ。声はボソボソと小さいが、どこか心を揺さぶる覇気がある。

 男はコートのポケットに手を突っ込み、何かを転がしていた。


「君は敵の不意打ちに倒れ、そこを我々アルカトピア警察が保護した。ここは、警察施設だよ」

「つまり、そっちは警察の人……?」

「理解が早くて助かるよ。ディークノア犯罪の捜査を担当している者だ」


 少年は治療箇所を確認する。右脇腹に、包帯が巻かれていた。彼は眉根を寄せ、悔しげに言葉を継ぐ。

「まだ負けてない。遅れを取っただけだし、もう一度戦えばきっと……」

「君を襲撃したディークノアは、既に倒されたよ。コウモリのディークノアが全て丸く収めた。……たぶん、君も知っている人だろう」


 これで一勝一敗か。少年は内心で舌打ちをする。別に意識するつもりはないが、これまでの生活で周囲に認めさせてきた実力に影が差すようで、気に入らないのだ。


「……それで、僕をこんな所に連れてきて何の用? まさか、治療だけの為じゃないよね?」

 これまで倒してきたディークノアの情報が目的だろうか。少年は自らの戦闘を思い返し、脳内でリストアップする。あの初心者とは踏んできた場数が違う、とでも言いたげに、冷たい視線を空に向ける。


「質問があるんだ、君に。例えば、名前だとか住所だとか……」

「人に名前を聞く前に、まず自分が名乗るのが礼儀じゃない?」

「失礼、俺は須藤。須藤史明だ。君は?」

「……フィリップ。苗字は言いたくない」


 フィリップと名乗る彼は、自分のファミリー・ネームを嫌っていた。厳密には、彼の苗字が示す血筋を嫌っているのだ。かつて迫害された記憶を心から払い除けるように、彼は頭を振った。


「フィリップ、か。いい名前だ。住んでいる場所は?」

「この国では決まった住所はないよ。今は、見晴らしの良い廃ビルの屋上に住んでる。宵越しの金は持たないんだ……」

 須藤という刑事は、一瞬言葉に詰まる。身の上に同情されているようで、フィリップは僅かに苛立った。しかし、もっと苛立っていた存在がいる。彼と契約しているディークである、ソルグだ。


『違います。ラン様は……己の意思で良家から出奔なされたのですよ! 本来ならやんごとない身分のお方だ。約束された成功を蹴ってまで、ラン様は己の意思を……!!』

「黙れ、ソルグッ!! もういい、やめろ……!」


 フィリップはソルグの方を睨み、慣れない激情をどう発散するか思案した。ソルグの言う事情は、フィリップが己から開示したがらない過去なのだ。


『……申し訳ございません、つい苛立ってしまいました。主人の気分を害するなど、従者失格ですね』

「もういいよ、ソルグをこれ以上嫌いになりたくないんだ。冷静になりたいから、下がってて」


 フィリップはソルグを下がらせると、深呼吸と共に須藤の方を向き直した。

『同情される謂れはないけど、ソルグは買い被りすぎなんだよ。僕は過去を捨てて、ここに来た。去年の話だ。それまでの名前は、フィリップ・ランスロー』

「いいのかい? 苗字は語りたくないんじゃ……?」

「中途半端は嫌なんだ。思い出したくない過去でも、一旦思い出したなら言葉に出さないとモヤモヤする。ただ、同情だけはしないでくれない?」


 フィリップは、訥々と自らの過去を語り始める。


    *    *   *


 僕が生まれたのは、〈ラルフリーズ〉という国だ。アルカトピアからはかなり離れた、別の大陸の小国だよ。そこは、未だに貴族が土地と民を管理している。ランスロー家は、代々続く領主の家柄だ。

 湖の見える屋敷。そこで僕は生まれた。そこはラルフリーズの中でも自然に囲まれてる領地から、比較的緩やかな時間が流れてたんだ。


 〈ザイロ=ランスロー〉……あぁ、僕の父だ。父と呼ぶ資格も無いぐらいのクズ野郎だったけどさ。

 父は何代目かの領主だった。僕はそこで、父と母と沢山の使用人と一緒に割と裕福な生活を送らせてもらってた。昔は、ね。

 ただ、ザイロは僕よりも妻の方を……僕の母親だった人の方を愛していたんだ。僕には跡継ぎ以上の感情を持ってなかったみたいで、その為ならスパルタ教育だって辞さなかったんだ。帝王学とかマナーを叩き込まれて、口答えしたら食事を抜くなんてザラだったよ。


 少し成長して、いよいよ僕も学校に通う時が来た。ザイロは僕に跡継ぎとして貴族の通う学校に行かせたかったみたいだけど、僕はアイツの嫌う庶民が通っている、村の学校を選んだ。

 最初は、なんとか打ち解けようと努力したさ。結局、アイツのせいで全部無駄になったけど。

 ザイロの評判が悪かったんだ。今まで裕福な生活ができた理由がわかったよ。村人や農夫に重税を科して、金を搾取してたんだ。


 そんなクズの息子はどうなったと思う? もちろん虐められたよ。僕より大きい体格の奴らに目一杯殴られ、唾を吐かれた。

「お前は悪魔の子だ、生きている価値なんてない」。……今でも思い出すよ。

 悪魔の子は、弱かったんだ。ストレスの捌け口にするには格好のターゲットだったんだろうさ。


 学校には行かず、家で勉強する。そんな状況で、母親だったルネだけが唯一の味方だった。何も言わずに抱きしめてくれて、ピアノの音色で僕を癒してくれた。僕にとっての聖女だった。萎びて乾いた心に水を注いでくれたんだ……!


 そんな精神状態に追い討ちを掛けたのは、またあのクズだった。アイツは酔った勢いで、僕にこう言ったんだよ!


「ルネはお前の母親じゃないんだ」


 耳を疑ったよ。実の母親はザイロの横暴に耐えきれず、逃げたらしい。ルネは継母だった。つまり、僕にはクズの血筋しか流れてなかったんだよ!!


 僕は叫びながら家を出た。そんな時、出会ったのがソルグだった。

 湖のほとりで僕が肩を落としていると、目の前にバクのような生き物が現れた。バクは僕に願いを聴いてきた。だから、「孤独になりたい」って願ったんだ。


 とにかく、あのクズが治めている街で過ごしたくなかった。あんな家から抜け出すために、僕はあてもなく家出をした。そして、半年前にアルカトピアに来たってわけ……。


    *    *    *


 窓の外の雨はいよいよ本降りになる。刑事は腕を組み、ゆっくりと目をつむる。

 フィリップは、頬に伝う感触と渇く唇から、自分がまくし立てるように話した事に気付く。


「ありがとう、粗方理解できた。少し質問をしていいか?」


 フィリップは熱くなった自分をクールダウンさせるように深呼吸をして、コップの水を一気に飲み干す。


「あぁ、フィリップ君が答える必要は無いんだよ。そこのディーク、ソルグと言ったか? 君に聞きたいことがいくつかある」

『いいんですか、ラン様……?』

 フィリップが頷くと、ソルグは姿勢を正した。彼なりに、反省しているようだ。フィリップは、言いすぎたことをあとで謝ろうと考える。


「君とフィリップくんの関係、どうもディーク本来のビジネスライクな寄生者と宿主の関係性とは違う気がするんだ。それは、君の意思なのか? なぜ、宿主の〈孤独になりたい〉という願いに背くようなことを……」

『簡単なことですよ。私は、フィリップ・ランスローという人間を尊敬しているのです! 家柄ではなく、その崇高な人間性を! それに、願いを叶えてしまうとラン様の自我を私が塗り替えることになる。それは、烏滸がましいというか……』


 ソルグがそう言うと、刑事は堪えきれず吹き出した。

「なるほど、君たちは規格外だ……! 君も、ハルという子も、面白い関わり方をしているんだね。かつての私たちのようだ……!」


 首を傾げるフィリップを見て、須藤は再び仏頂面を取り戻す。まるで、かつての思い出と現在に大きな剥離があるようだった。


「そうだ、腹は減ってないか? 君が良ければ、良いレストランを紹介しようかと考えているんだが。代金は私が持つよ」

「別に、いいよ。誰かに施しを受けるほど落ちぶれては……」

 腹の音が響き、フィリップは赤面した。

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