第8話:サメと刑事と救う覚悟

「ミューズ、ただいまー……?」

 ハルに返答する声は聞こえず、代わりに弁明のような呟きが聞こえた。

『いや、そもそも俺は人畜無害なディークでして。まだ憑依しかしてないんですよ……』

「ミューズ、お客さん来てるの?」

 急いでスニーカーを脱ぎ、ハルはリビングに向かう。くたびれたコートを来た男が、ミューズと向かい合っていた。


「やぁ、君がこのディークの宿主だね? 私はこういった者だ……」

「〈アルカトピア警察・特殊犯罪対策課 課長 須藤すどう史明ふみあき〉……!? もしかして、ミューズが何か問題起こしたんですか!?」

『その前提やめろ』


 ハルは目の前の刑事を見つめた。仏頂面が思慮深い印象を与える男だ。四十を過ぎた見た目に、目元の皺はまるで幾千の修羅場を経験してきたかのような気迫を感じるほど深い。


 須藤は苦笑し、コートのポケットの中でサイコロを転がした。それが選択を天に委ねる行為であることを、二人は未だ知らない。

「いや、 ただのパトロールだ……。悪いね」

 そう言って立ち去ろうとする刑事の背中を、ミューズは静かに呼び止める。


『須藤さん、でいいんだよな? どうやら、そうもいかないらしいぜ。ディークの気配がする!』


    *    *    *


「ソルグ、ここに本当に居るの?」

『ええ、ラン様! 濃厚な気配がそう語っております!』

「まだ覚醒してないのか……?」


 夜の公園に着いた少年は、ベンチで俯く人影を見つける。洒落た制服を着た、伏し目がちな少女だ。その姿に不審なものを覚えた彼は、意を決して話しかける。


「あの、大丈夫……?」

「……ねぇ、ハルちゃんって知ってる? 私の掛け替えのない親友。優しくて、格好良くて、強い女の子」

「……ハル?」


 少年は、先日の狩りを思い起こす。あの日遭遇したディークノアの名を、聞きそびれたのだ。もしかしたら、それが彼女の言う“ハル”なのではないか、と考え。馬鹿な考えだと一蹴する。仮にそうであったとして、なぜ初対面の少女がそれを知っているのだ。


「“ともだち”に聞いたんだ。『怪物は、気配でわかる』って。キミは、なんでここに来たの?」


 少女は顔を上げ、少年をまっすぐ見つめる。顔立ちは可憐だが、眼は独特な表情を見せていた。錯乱しているようでも、覚悟を決めているようでもある。


「無視しないでよ。知ってるはずだよ……! 願いを叶えて、私は鼻が良くなった。ハルちゃんから感じるんだよ、あなたと同じ空間の匂いが! つまり、一緒に居たってことでしょ!? 私は理解わかってるの……!」


 ただならぬ気配に、彼は武器の召喚を試みた。しかし、相手の姿は怪物ではなく、少女だ。契約によって錯乱しているとはいえ、怪物を狩るのとは勝手が違う。

 一瞬の迷いが生まれた。それが、彼にとっては致命的なミスである。背後から迫る影に、気を向けることができないのだから。


『ラン様、ディークの気配が近くに!?』

「待って……準備が……!」


 潜航し、喰らいつく。小さなサメには、数秒の猶予で充分だ。


    *    *    *


『ディークの気配が、二つある!? 一つは微弱だけど……』

「もしかして、この前の緑髪の子が仕留めたの!?」

『いや、逆だ。仕留められたっぽい……!』


 ミューズの気配を頼りにたどり着いた公園で彼女が見たものは、腹部から血を流して倒れたディークノアの少年と、それを見つめて微笑む少女である。ハルは、その顔をよく知っていた。


「えっ、ユウ……? なんでここに!?」

「安心して! ハルちゃんをたぶらかす邪魔者は、私がやっつけたから!」

「ねぇ、何言ってんの……?」


 立ち止まるハルに、ユウは焦点の合わない目で語る。

「コイツのせいで、ハルちゃんが安眠できなかったんだよね? ねぇ、褒めてよー!」

「近寄らないで……!」


 返り血に濡れて近づいてくるユウに、ハルは思わず拒絶の感情を示してしまう。それが、ユウのトリガーを引いた。


「ねぇ、なんで褒めてくレナいの!? ハルちャんのたメにヤッたのに……。もシカシて、ワタシ嫌わレたの……? ソんなのイヤ! キラワレタクナイ!」


 絶望を隠せないユウが血まみれの右手を地面に付けると、そこに現れたサメのディークは囁く。


『願いは叶ったね。契約を終了しようか……? あぁ、答えなんて聞ける状態じゃないね……!』


 青い光が、少女を包み込んだ。


 そこに現れた怪物に、ハルは言葉を失う。頭部は獰猛どうもうなホオジロザメを模した青いフルフェイスメット。身体は水や空気の抵抗を減らす事ができる流線的なフォルムのウェットスーツを装着した、女性型のディークノアだ。ミストめいた瘴気を振り撒きながら、“親友だったもの”はハルにじわりと接近する。


シャークのディークノア……! なんかスタイリッシュでカッコイイんだけど!』

「そうじゃなくて……あれはユウ、なんだよね……?」


 たじろぐハルに、怪物は気怠げに語りかける。それは既に聞き覚えのある声ではなく、彼女と契約したディークの声だ。契約を完了したディークが行う、自我の乗っ取りである!

『はぁ……。身体を乗っ取っちゃえば、屋敷に帰らなきゃいけないんだけど。……どうせ追ってくるよね? だから、ここで殺しとくね』


 サメの怪物はそう宣言すると、背ビレだけを露出させて地面に潜行し、呆然と立ち尽くすハルに向かって襲いかかる。


『砂地に潜ってる……! 酸素ボンベ的なの有るかな!? 映画みたいに、咥えさせて爆破!』

 テンションの上がり切ったミューズとは対照的に、ハルは狼狽えていた。

「ミューズ、どうすればいいの……?」

『とりあえず撃て! 散弾を浴びせるんだよ!!』

「でも、元は私の友達なんだよ? 撃てるわけないじゃん……!!」

『いいこと教えてやるよ。あれは、もうお前の親友じゃない。明確に殺意を向けてるし、現に攻撃態勢に入ってる。いいか、撃たなきゃお前が死ぬぞ?』


 冷たく言い放つミューズに急かされるように、ハルは怪物に何発か弾丸を浴びせる。しかし、躊躇いのある弾道は届くことはない。流体的な身体に受け流され、弾丸は公園の木に穴を開けた程度だ。

 サメはヘルメットを変形させる。それは大きな口を模していた。

 巨大な牙を剥き、ハルの身体に喰らいつこうとする。彼女は間一髪ブランコに飛び乗ることで、突進を回避する。


「撃てない……撃てないよ……」

『確かに潜られちゃあなぁ……撃てないよな……』


 サメは突進の勢いでブランコの支柱に追突し、錆びた鉄塊をバリバリと喰い砕きながら再び突進の準備を始める。


『アイツ、あのカラスよりも速いッ!』

 ミューズは焦り、翼でハルの頬を叩いた。

『ハル、まだウジウジ言ってんのかよ! いいか? 相手はただの陸を泳ぐサメだ! お前の友達じゃない! このサメは頭が二つあるわけでもないし、空を飛んで飛行機を撃墜もしない。タコと合体するわけないし、竜巻と共にNYを襲うわけがない。それに、まだ間に合うんだよ。アレを倒さなきゃ、どうやってお前の友達を救うんだよ……! いつものように、撃て! 全力で狩れッ!』


 ミューズの言葉は、ハルの姿勢を正させるには充分だった。


「ユウ、絶対助けるから!」

『OK! それでいいっ!』

「ミューズ、そこでひとつ質問いいかな……?」

『このタイミングで……? 何、急を要するやつ!?』

「血を他の物質に変えられるなら、他の物質を血にも変えられるの?」

『可能だけど……。あっ、そういうこと!?』


 ハルは小石を拾い上げ、サメに向かって投げる。サメに当たった小石は血液に変わり、床に飛び散った。

 サメのような嗅覚の発達した生物は、獲物を狩る際に血の匂いを嗅ぎ分ける。それは、地面を潜航するディークノアにおいても同じことだ。

 怪物は背ビレを地中に潜ませ、空中へ突き上がるように跳躍した! 血の匂いがするものに喰らい付き、口内に鉄分が広がった。

 しかし、それはハルではない。周囲に飛び散った血が荒縄を形作り、巨大な口を締め上げる!


『デカい石の味はどうだ? 今だ、撃て!』

「了解!」


 ハルは、サメから飛び散った血液を銃に装填する。


「一撃で、仕留める。緋銃グリムッ!」


 放たれた弾丸が怪物のメットに貫通し、ヒビが入っていく。その像が歪み、内部から崩壊していくのだ。ヒビが全身に行き渡ると、怪物は爆発する!

 爆炎とともにサメの身体は消え、そこには倒れた少女の姿があった。


「終わったか……?」

 戦闘終了を察し、セダンから降りた須藤はハルたちをねぎらう。


「あの、刑事さん! ユウは、ユウはどうなるんですか!?」

 ハルは心配そうに尋ねる。警察の介入がある、ということは、ユウが罪に問われるかもしれない。そうなれば、友情にヒビが入ってしまうのではないか。そう考えたのだ。


「そこで倒れている緑髪のディークノアは、警察で保護しよう。そこの少女に関しては、そうだな、俺は何も見ていない。普段と同じように、君たちがどうにかすべき問題じゃないか?」

「刑事さん、ありがとうございます……!」


 須藤は少年を担ぎ、辺りを忙しなく動き回るバクに耳打ちをした。バクは不審な顔をしたまま、不満そうに刑事に付いていく。


 セダンに乗り込もうとする須藤に呼びかけたのはミューズだ。彼は、未だ不審な声色だった。

『ところで、須藤刑事? アンタ……素質持ちか? 明らかに俺が見えてるよな?』

「あぁ。昔、私はディークと契約していたからね」

『……元ディークノア!?』

「その件に関しては、今はまだ語るべきではないかと思うんだ。君の宿主も疲れているだろうし、ね」


 朝日が昇る。刑事はサイコロを転がし、小さな微笑みとともにコートを翻した。

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