第7話:留守番と心配と隠し事

『ほうほう、〈アルカトピア警察に特殊犯罪対策課が設立〉ねぇ……。やっぱりディーク関連の事件が増えてんのかな。流石に公には捜査しないとは思うんだけど、ある程度の治安は維持できるのかも』

「焼けたよ、ミューズ」


 テーブルに広げた新聞の上で佇むコウモリに、ハルはピーナッツバターの塗られたトーストを差し出す。彼が家に来てからというもの、ナッツ系の商品を買うことが増えていた。


『今日も美味しい! 毎日焼き加減とか完璧だよな……』

「何かと一人でやってたからね」


 スプーンでマーガリンを伸ばし、ハルは自分の食パンを千切る。もはや日常と化した朝食風景だ。


『確か、ハルの親御さんって海外赴任だっけ。いつ帰ってくんの? あっ、そっち一口ちょうだい』

「二ヶ月後。それまではここでこうやって生活できるけど、帰ってきたら鳥籠に住んでもらうから!」

『あー、前向きに検討します……』


 首元のリボンを締め、制服を着たハルは玄関に向かう足を止め、ミューズの方を向き直す。


「これでよし、と。じゃあ、学校行ってくるね!」

『えっ、留守番ですか!? 俺、普通の人には見えないから……来客とか対応できねぇよ!?』

「大丈夫、きょう平日だよ? 宅配便とかの受け取りもないし、たぶん誰も来ないって!」

『ならいいんだけど。不安だわ……』


    *    *    *


 公立アルカトピア学園。〈国際都市と化したアルカトピアの未来を紡ぐ若人を育てる〉ことを目的に設立されたこの学園は、人口の増加を一手に引き受ける巨大マンモス校である。人気のデザイナー謹製の制服人気も相まって、都内全域の学生の六割が在籍している。


「おはよう、ハルちゃん! クマひどいけど、寝不足?」

「まぁ、色々あって。ユウはどう? あの時の怪我、大丈夫?」

「もう全然平気! 結局、あの不審者って捕まったのかな……?」


 校門をくぐる直前の長い坂。春には桜の名所として語られるその坂を、二人の少女が自転車を押しながら語り合っていた。

 ハルは欠伸をし、思わずふらつく。連日の戦闘もあり、眠れない日々が続いていた。学生の身分で授業中に寝るわけにもいかず、彼女は自らの願いを後悔し始めていた。


「大丈夫!? やっぱり寝れてないの……? ねぇ、何かあったらすぐ言ってよ。私たち親友じゃん!」

「ありがと。でも、今のところは平気だよ」


 ユウがハルの瞳をしげしげと覗き込むので、ハルは思わず目を逸らした。会話時の距離感が近いこと以外、彼女は親友に不満を持っていなかった。

 ナイフのショックで気を失い、ユウは怪物の存在を漠然としか把握していない。その記憶も時が経てば風化し、ナイフを持った変質者の姿に書き変わっていくだろう。だとすれば、ディーク絡みの話をして彼女を巻き込む訳にはいかない。ハルはそう思っていた。ユウがやけに自分と腕を組んで歩きたがることも、話す時に無意識に腕の包帯を隠したがることも、時が経てば癒えていく傷が目立つだけだ。


    *    *    *


『あれっ、カシューナッツ切れてる? ハルが帰ったら買ってきてもらわないと……!』


 ミューズは溜め息を吐いた。部屋の片隅に置かれたゴミ箱に入ったナッツの空き容器の数は、暇を持て余すコウモリの怠惰を雄弁に物語る。


『あー……ダメだ。暇すぎる。留守番って、こんな暇なんだな。なんか面白いこと起きねぇかな……。なるべく深刻じゃないやつ』


 瞬間、リビングにチャイムの音が響く。ミューズは思わず振り返り、苦笑しながら玄関をちらりと確認する。

『ハル!? いや、帰るにはまだ早いよな。という事は来客!? おいおいおいおい、どうする? 居留守使う? いや、それも……』


 チャイムは依然鳴り続けている。ミューズは冷や汗をかき、対応を思案する。

『これ出なきゃマズいやつだよな!? どうする? もし素質持ちじゃなかったら、姿見えないし間違いなく都市伝説案件じゃん!? 通報されるってこれ!』


 コウモリの決定を促すように、三度目のチャイムが無情に鳴る。

『出るか……』

 ミューズはそう呟き、ゆっくりとドアスコープを覗いた。その限られた視界に、男の姿を捉える。


『新聞なら間に合ってんだよ!!』

 ミューズ、渾身のシャウト。瞬間、彼は勢い余ってドアを開けてしまう。


 玄関前に立つ男は、仏頂面を崩すことなく手帳を広げた。


「アルカトピア警察・特殊犯罪対策課の者だ……。ここにディークが居るという情報を得た……」

『あっ、これ深刻な方の事態だ』


    *    *    *


『へぇ、それがアンタの願い……?』

「うん! ハルちゃんに嫌われたくないの……!」

 夜の公園。小さなサメのディークは土から顔を出し、少女に契約の最終確認を行う。少女は腕の包帯を頻りに気にしながら、高らかに宣言した。

「だから、同じ景色を見せて。親友と同じ、怪物の世界を!」

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