第5話:初仕事と泥棒カラスと孤独な狩人

『ハル! 初仕事だ!』

「眠いんだけど……!!」

『慣れろッ!』


 午前五時。未だ日は昇らず、目抜き通りには酔客が行き来していた。ハルは欠伸を噛み殺し、眠い眼を擦る。初仕事には向かないテンションである。


『走れ走れ! ディークノアは待ってくれないぞー!』

「夜行性の生き物は平気かもしれないけど……。一般的なJKにとって、この時間はかなり辛いんだよ」

『おーっと、ハルちゃんからほどよい殺意が満ち溢れてるぞー!』

「補導とかされる前に、終わらせないとな……」


 ハルが住む住宅地は、アルカトピアの西エリアにある。ミューズが感知したディークの気配は、西エリアの交通拠点であるターミナル駅周辺に存在した。周辺の施設の中で最大級の売り場面積を誇る、百貨店である。

 エントランスに繋がる自動ドアは叩き割られ、防犯システムに繋がるセンサーは基板ごと破壊されている。その痕跡は、怪物の仕業のようでも、手慣れた窃盗犯の犯行跡のようでもあった。


「これ、警察に相談すべきやつじゃない?」

『まだ公に存在を認められてない異生物だぞ? 国家権力が真面目に捜査してくれるわけないだろ。俺らがやるべきなんだよ、これは」


 ハルたちは照明が落とされた百貨店内に侵入し、非常誘導灯の緑色を頼りに階段を登っていく。広がる闇は、彼女の眠気を恐怖に変えはじめるのだ。


 3階、宝石売り場。そこに鎮座するのは、異形の怪物である。

 ハルより若干小さな体躯は漆黒の羽毛に覆われ、顔には陶器のように白いペストマスクを装着している。そして、手足には鋭利な刃物めいた鉤爪がギラギラと輝いているのだ。

 ショーウィンドウは無残に割られ、宝石を鉤爪にぶら下げる怪物の姿は、何を願った代償に自我を奪われたのかを浮き彫りにしていた。


クロウのディークノアか。それにしても、願いを叶える手段が宝石泥棒って! 世も末だよなァ……』

「……あのさ。銃出す時の掛け声みたいなのって、いる?」

『大事だよ!!! なるべく格好良く、キメていこうぜ?』

「わかった、やるよ。あの衣装の時点で恥ずかしいんだから、プラスしたところで特に問題はないし!」


 敵を発見するが早いか、クロウ・ディークノアは自らの翼を硬化させ、勢いをつけて飛ばす。風を切る音とともに、漆黒の刃がハルの頬を掠めた。

 彼女は流れた血を指で拭い、もたつきながら弾丸に変える。


「行くよ。緋銃グリム……ッ!」


 練習通りに古びたショットガンを召喚し、弾丸の装填リロードを完了させる。既に彼女の衣服は、例の戦闘服に変わっていた。

 先日の虎の怪物と戦闘した記憶は、身体に染み付いていた。銃を撃つことに、既に覚悟はできている!

 引き金トリガーを引く瞬間、ハルの華奢な肩にずっしりとした衝撃が伝わった。体を駆け巡る震えは、おそらく武者震いだ。


「これが、銃を撃つ感覚……?」

 先刻までの恐怖など過去に置き去りにしてきたように、少女は獲物を初めて追う猟犬ハウンドめいて瞳を爛々らんらんと輝かせる。


『あの、躊躇とかなさらないんですか?』

「スポーツハンティングとかって、こういう感覚なのかな? 結構楽しいかも……」

『……銃持たせちゃダメなタイプだった?』


 弾丸は吸い寄せられるようにカラスの脳天に、とはいかず、機敏な動きでかわされる! 怪物の頭蓋を掠め、行き先を失った弾丸は、壁にぶつかり血飛沫に還る。


「速い……ッ!」

『うん、速さが足りてるな……』


『CWAAAAA……!!』

 煽るようにくカラスを睨みつけると、ハルは偏差撃ちを試そうとした。だが、それさえも徒労に終わる。先程銃を持ったばかりの女子高生にとって、それは高度なテクニックだったのだ。

 彼女は、無心で引き金を引き続けた。

『ばっ、馬鹿ッ! そんなに撃ったら……』


 ハルはミューズの忠告を意に返さず、散弾の雨を浴びせ続ける。辺りに迸る鮮血は、売り場の壁をまだらな真紅に染めていくのだ。


 シリンダーが空になるまで撃ち尽くした結果、怪物には一発も弾丸を叩き込むことは出来なかった。ハルの額に汗が滲む。

 それを見たカラスは勝ち誇ったような鳴き声を上げ、今度は外さない、とでも言いたげな表情で再び翼を飛ばす体勢に移る。


 再び何かが空を切る音。しかし、飛んでいるのは漆黒の刃ではない! 四方からディークに向けて伸びる、真紅の鎖だ。

 刹那の出来事にカラスは戸惑いを隠しきれない様子だった。笑みを浮かべたハルは、赤い鎖が垂直に伸びた壁に身を委ねる。


『なるほど、外れて血痕になった弾丸を鎖に変えたか……! 初めてにしては、応用編までできたって感じだな!』

「初めてにしては、よくできた方じゃない?」


 カラスは、絡まった鎖を解こうと藻掻もがき続ける。しかし、その動作が徐々に単調なものになり、やがて気力を失ったかのように動かなくなった。ハルの初仕事は、金星に終わる。


 太陽は、既に眠らない街の空に昇りはじめている。ディークノアを討伐する仕事には、仕上げが必要だ。

 ハルはミューズに言われるまま、縛られた怪物に手を伸ばすと、その顔を覆う仮面を剥がす。

 カラスの表情を構成する仮面の奥には、霧にまみれた男の顔があった。

『よし、この霧は俺に任せろ!』

 ミューズは翼を男の顔の上で重ねると、怪物の身体は生身の人間のものへと変わっていく。


「あのさ、これ大丈夫だよね? 死んでないよね?」

『気絶してるだけだから、大丈夫だって。あとは、血まみれの売り場と宝石泥棒を従業員が見つけるだけだな!』

「今度から掃除の人見たらちゃんとお礼言わなきゃ……」


    *    *    *


 仕事を終えたハルたちが帰路に着いた後、物陰に隠れていた二つの影が戦場跡に立ち寄っていた。

 緑髪の少年は苛立った様子で、従者のディークを睨む。カラスのディークノアは、この少年がターゲットとしていた存在であるからだ。それを先取りされただけでなく、ハルたちの戦闘中に乱入しようとした彼を相棒のディークがひたすら止めたことも不満の一因にある。


『コウモリのディークノア、しかも〈素質持ち〉……。ラン様、どうなさいます?』

「興味ない。こうやって狩り場を荒らされるなら乱入するかもしれないけど、結局狩りなんて早い者勝ちだし。あと、ソルグ。その呼び方、そろそろやめない?」

『そう言われましても、ラン様はラン様ですし……』

「……昔の姓は捨てたんだよ。今はフィリップ、いや、〈サイレント・ノーブル〉。ただの孤独な狩人だ……」

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