1-12 敵はどいつだ
「7時に池袋に来いって。彼の計画を話すらしい」
「あのさあ、その怪しげなGoogleの職員ってどんなやつなの?」
真宮は部室に大量の本を持ち込んでいた。哲学科の学生は大学内の危険思想にアクセスする権限を持っていたため、堂々と永劫回帰についてレポートを書くことができた。
「先月ドイツから日本に来たばかりらしい。なんでも、最新の銃のCADデータが欲しいんだと。ドイツは国内にいる俺たちと同じ反共同体思想を持ったやつらに向けて、軍拡を進めている。その職員、ヘルマンさんって言うんだけど、彼は共同体に属しているけど、実際は共同体の壊滅を望んでいるらしい。つまり反乱因子だな。彼はスパイのようにWPOなどの動向を探ったり、感情統制プログラムを盗み出して反共同体に提供しているらしい。そして、そろそろドイツ国内で二つの派閥の内乱が起きると彼は踏んでいるようなんだ。そのために一刻も早く最新の銃器のデータを入手して解析することが必要、って言ってたよ」
「話聞いた限りそいつ相当できるやつじゃん。ええと、データを盗み出すって言ってたけど、それってどこ?てか僕ら必要なの?」
「確か青山とかその辺にGoogleが技術を開発する部署……今はWPOに権限が移ったって言ってたけど……その青山支社にCADデータが保管されているらしい。逆に言えばそこに行かないと入手できないってことだ。人手がいるって言ってた」
「WPOって東京駅にでっかいビル建ててる団体だよな?」
「共同体のトップだね」
内乱……戦争か……わくわくしてきた。ヨーロッパはいつでも進んでいるねと真宮は言った。ヨーロッパの国々が戦争を始めれば、世界中もそれにならうだろう。
「慧理ちゃんに今日のこと言ったか?」
青樹は胃に重いものを感じた。
「……言ってない」
「え、なんで」
「ええと……」
喧嘩しちゃいました、などとは口が裂けても言えなかった。
「あいつも病み上がりだし……今回はいいかなと」
真宮が一瞬、怪訝な目で青樹を見つめた。彼は感情をシンクすることはしていなかったが、人の気持ちを察することが得意だった。つまりわざわざ機械に頼らなくてもよかったのかもしれない。
「あー確かにいきなりは辛いかもね。じゃあ二人で行こう」
真宮がすんなり納得したことに青樹は内心ホッとした。本当のことがバレたらこいつはなんて言うだろう?青樹を責める彼の姿が目に浮かぶようだ。お前そんなこと慧理ちゃんに言ったのかよ。さすがに大人気なさすぎだろ。そりゃお前が悪いわ。てかハーレクイン小説はギャグじゃないっての。昔の女性はこれを読んで理想の恋愛に想いを馳せてたんだよ、貴重な当時の風俗を知る資料なんだよ。それに描写もなかなかエロいだろ。十分に男性向け官能小説としても機能すると俺は思う。この描写に女性が興奮するということが興奮するというか、ええと、バカ抜いてねえよ一回しか、あれ、なんの話だっけ?
「なにボーッとしてんだよ」
真宮が青樹の座っている椅子の足を蹴った。
「いや別に……じゃあぼちぼち行くか」
とにかく、お前謝んないと。ずっと気まずいままじゃ嫌だろ。青樹は子供っぽいところあるからな、気持ちはわかんないでもないけどさ、だけどそこはちゃんと謝るべきだよ。平和的解決をするべきだね。
「僕の気持ちも知らずに……」
え?と真宮が振り返った。青樹は構わず部室を出た。
薄暗いバーの中で長身の人物が4人用のテーブルにソーセージの盛り合わせを大量に広げ、ひたすら貪っていた。店内は広くEDMでうるさかったから他人に会話が聞かれる心配もない。酒を出す店は東京から見放されている節があり、監視カメラや盗聴器等の設置が手薄だった。
二人がテーブルに近づくと、長身の人物が軽く手を振った。真宮も振り返した。そう言えば、僕外国語とか喋れないんだけど。青樹は翻訳プログラムをNeumann内に入れておくべきだったと後悔したが、もう遅かった。
「は……はろぉ……」
長身の人物は茶髪で、青い目をしていた。彼はにっこりと感じの良い笑みで青樹に握手を求めた。
「ごくろうさんです!」
「え」
真宮は知ったようなニヤニヤ笑いでどこか遠くを見ていた。
「旦那がプログラミングを生業にするお方でありますか!助かりましたよ〜俺そういったことにはとんと疎くて!どうしても必要だったんでね。いや〜よかったよかった、さあお座りになってくだせえ!ビールは飲みますか?いくらでも飲んでください。ほらほら!」
「この人がヘルマン・ヴィトゲンシュタインさんだよ」
「あ……日本語上手っすね……」
「高性能な翻訳プログラムをインストールしたのであります。この間ヤパニーズアプリ専門店で一番グロースな翻訳プログラッメをください!って言ったら、なんでも……軍人という方々が使用する言語体系をインストールしてくれたのであります。この口調は伝統的に使われてきたクールな口調だって言うから。確かに強くなった気がいたします!」
青樹は真宮を咎めるような目で睨んだ。こいつ、知ってたな……
「俺はGoogle職員なのでありますが、今は有給をとってこちらに馳せそんじている次第でございます。真宮どの、青樹の旦那は詳細をご存知ですか?」
「あなたが俺に話してくれたことはさっき伝えました。計画を話してもらえますか?」
「承知しやした。とりあえず青山にある『技術開発青山支社』の見取り図をご覧ください。ここには技術関係、主に軍事の技術開発のデータが集まっています。現在ここを管轄するのはWPO、まあ共同体を率いるトップが直接管理しているわけですので、それゆえ警備は厳重です。しかし俺の社員証があれば社内には簡単には入れます。問題はここから。銃器のCADデータはとりわけ厳しく保管されており、この部屋——ここに隠し通路を経て行き着かなければならないのであります」
確かに社内の見取り図の端っこに、ぽつんと小さな部屋が一つ隔離されていた。
「この隠し通路というのが、社内に入って見ないとわからないものでして……青山支社の管理システムにアクセスすればデータはあるはずなんですが、外部からのアクセスは徹底的にシャットダウンされるようになっているんです。それゆえ、青樹どの、あなたの出番です……旦那には青山支社内に同行していただき、この隠し通路の含まれた見取り図を社内の管理システムをハッキングして奪ってもらいたいのであります。それからこの隔離された部屋に侵入し、CADデータを丸ごとダウンロードしてもらいたい。俺は社員たちをなるべくこの部屋から遠ざけて時間稼ぎをします。本来なら俺がハッキングからダウンロードまでしなければならないはずなのですが……何しろ知識を持ち合わせていなくて」
青樹は高揚感が腹の底から湧き上がってくるのを感じていた。ついに時が来たのだ。ずっとこの時を待っていた!キーボード一つで、世界を一変させる機会を……
「ただ、奴らもバカじゃない。警備員は徹底的に押さえつける必要がございます。真宮どの、確か日本のテロ組織と面識があるとか?」
「はい。ついこの前インターンに行って来たんですよ。なかなか大変なことがあったんですが、まあそれはそれとして……彼らに協力を頼めないかと思っているんです」
「さすがグートアイデーですぞ旦那。まさかこちらも丸腰で行くわけにはゆくめえ」
「俺はまた書類の翻訳や交渉でもしようかなと思ってたんですが、正直翻訳は……あなたの翻訳プログラムが優秀すぎて若干焦っているんです。それいくらぐらいしたんですか?」
「確か20万ぐらいでありました。口調は無料で追加インストールできるらしいですし。会話内の微妙なニュアンスは無視されてるっぽいですが、まあ日常会話には十分でしょう」
高価だが、手に届く値段だ……。
「そうですか……。俺も別のできることを探さなくちゃって思わされますよ」
「そういや真宮どの、なんで大阪弁で話さないんです?」
真宮は一瞬言葉に詰まってヘルマンを見た。そうか、俺の個人情報に出身が載ってるもんな。
「こいつはたまにふざけて大阪弁で話しますよ。でも確かにいつも完璧な標準語だなお前」
「いやーだってさ、俺が大阪弁話すと売れない芸人みたいだって言われんだもん」
「Nein、そんなことないですぞ旦那。大阪弁は強いヤクザが使う言葉だというではないですか。交渉にはうってつけですぞ」
「そうなのか……?」
「ヘルマンさんヒトマルゴーゴーとか分かるの?」
「残念ながらジャパニーズ軍事用語はわからないのであります」
テーブルの上のソーセージがなくなりかけていたので、ヘルマンは追加でパンとチップスを注文した。この男は先ほどからひたすら3口ほどで巨大な肉を平らげていた。
青樹は内心複雑だった。真宮の言うテロ組織とはもちろんExitだが、崖内をあんな目に合わせたのはあいつらじゃないか……。
「せんぱーい!」
崖内の声が聞こえる。あいつらがちゃんと感覚マスキングをしていれば……。
え、崖内?
「先輩たち、やっと見つけた……!」
真宮が驚いて後ろを振り向く。そこには、なんと慧理が息を切らして立っているではないか。
「なんで、君……!」
「置いて行くなんてひどい!私、仲間はずれってこと……」
「いや……、だって…… なんでここが……」
慧理は真宮たちのいる方へつかつかと歩み寄って来た。
「部室に行ったら誰もいないから……もしかしたら先輩たちに何かあったのかと思って……青樹先輩のノートパソコンからテキストメッセージを見てここを見つけたの……」
「勝手に僕のパソコンを見たのか!って言うか、あれ指紋認証だぞ!」
「先輩の指紋を採取して型を取った……。それからテキストメッセージが暗号化されていたからGithubから暗号解析プログラムを落として解読したの……」
「なんなんだよ、その執念は……!」
「だって心配で……あと先輩、DMMからものすごい量の請求が来てました……!先輩、破産しちゃう……清純女子大学生緊縛24時間ファック……?とか……ノンストップ機械拷問調教?とか……変なタイトルがいっぱい並んでて怖かった……もしかしたら詐欺かもしれない、先輩……」
「だからっ!!僕の性癖を開示すな……!!」
青樹はそこにあったおしぼりを慧理に向かって思い切り投げつけた。
しかし、慧理は苦もなく右手で受け止めると、空いているテーブルの席に座った。
「こいつ……」
ヘルマンは慧理を感嘆の眼差しで見つめた。青樹は目を逸らした。慧理もまた、おしぼりをやや乱暴にテーブルに投げつけた。
「姐さん!卓越した空間認知能力をお持ちで!何かスポーツでもされてるんです?」
「え……えと……銃をちょっと使えます……」
「銃!こいつぁすげえや!」
見覚えのないドイツ人に話しかけられて困惑している慧理に、真宮が助けを出す。
「この人はヘルマン・ヴィトゲンシュタイナーさんと言ってGoogleの社員なんだけど、本当は反共同体側に属するスパイなんだ。ええと、青樹、お前本当に何も話してないんだな」
「話してねえよ」
真宮がため息をついた。どうやら青樹と慧理の間に不穏な空気を読み取ったようだった。
「慧理ちゃんには後で話すよ。もう体調は大丈夫なのか?」
「もう全然、なんともない……心配かけてごめんなさい……」
「謝んなよ。元気でよかった。あの、彼女も実は僕たちと一緒にテロ活動に参加しているんです。同胞です」
「素晴らしい!俺もしばしば銃撃戦に巻き込まれますので、銃の扱いにはちっと詳しいんです。実戦経験は?」
「いえ……射撃場で撃ったぐらいです……」
「勿体無い。この機会に経験を積むべきだと言いたいです。よろしければぜひ協力していただきたい」
「えっ……でも、危ないですよ、こんな女の子に」
3人が青樹を見た。青樹は思わず口を滑らせてしまったことに気づき、焦って付け加えた。
「……って、普通の大人なら言うかなと……」
「ごもっともです旦那。しかし、ドイツの技術力は世界一!最高の装備をご提供しますぜ。ドイツが目指すのは『絶対帰還』兵士の安全を第一に考えてるんであります!」
ヘルマンは得意げになって慧理にドイツの空気弾が入った銃のサンプルを見せた。
「姐さん、これが今俺が使ってる銃なんですが、ちいとあそこのダーツの中心を狙って撃ってくれやせんか?今入ってるのは空気だから何も心配ありません」
手のひらにグリップがすっぽりおさまる角ばった銃身だった。蛍光色の青いラインが銃口に向かって走り、淡く光っている。ずしりと重かったが、標準を定めるのにはちょうど良い重さだった。
慧理はまっすぐにダーツの的に銃身の先を構えた。前になんて言われたっけ……正直忘れかけていた。だけど、なぜか慣れ親しんだ気持ちを覚えた。
撃鉄を引いた。60点のところに穴が空いた。70、90、と順繰りに穴が開く。ヘルマンは何も言わず慧理の目線を追っていた。慧理がもう一度撃鉄を引くと、当然の結果のように、ビンゴを埋めるみたいにして100点を射抜いた。
「4回ですか」
彼はじっと規則正しく並んだ4つの穴を見つめる。
「あの……一発で当てられませんでした」
「いや、いや、姐さん、センスあります。やはり姐さんの空間認知能力は素晴らしい。最初とりあえず撃ってみて、そこから中心までの距離を肩にくる反動と銃口から的までの距離を計算して正確に中心を射抜いたんすね?」
「ええと、そんなには考えなかったんですけど……大体の目測で……」
「それがセンスってもんですよ。Wunderbar!ぜひあなたと仕事がしたい。いいですね、フラウ……ええと、姐さんの名前は?」
「崖内慧理です」
「エリ!フラウ・エリ、姐さん、テロ組織に乾杯!敵はドイツにあり、味方もドイツにあり。それはいずれ日本にも……。よい仕事をしましょう!」
「え、ああ、こちらこそ、ヘルマンさん……」
しかし慧理は全く何をするかわかっていなかった。助けを求めるように真宮を見ると、大丈夫だから、と言うように頷いた。
「お前そんなこと慧理ちゃんに言ったのかよ。さすがに大人気なさすぎだろ。そりゃお前が悪いわ。てかハーレクイン小説はギャグじゃないっての。昔の女性はこれを読んで理想の恋愛に想いを馳せてたんだよ、貴重な当時の風俗を知る資料なんだよ。それに描写もなかなかエロいだろ。十分に男性向け官能小説としても機能すると俺は思う。この描写に女性が興奮するということが興奮するというか、ええと、バカ抜いてねえよ一回しか、あれ、なんの話だっけ?」
次の日、青樹は真宮にラーメン屋でひたすら責められていた。何も言えなかった。と言うか、話したら何かボロが出そうで怖かったのだ。
「とにかく、お前謝んないと。ずっと気まずいままじゃ嫌だろ。青樹は子供っぽいところあるからな、気持ちはわかんないでもないけどさ、だけどそこはちゃんと謝るべきだよ。平和的解決をするべきだね」
返事の代わりに塩ラーメンをすすってごまかした。
「そんなことより、テロ組織Exitに話をつけなきゃ」
「會田さんに言ったらどうにかなんないかな」
「あー、多分いける。會ちゃんのキャリアアップに貢献してやろう」
結局国内のテロ組織に支援を要請する必要があった。ヘルマンの所属する組織はそこそこの規模があったものの日本のテロに一番精通しているのは国内のテロ組織(と国家組織)だ。
「俺何しようかなあ。武器の調達や日独双方の交渉に関われないかな」
「前線には出ないの?」
「興味無え。俺は裏方が好き」
「僕、本当に社内に入ってハッキングするのかな。それってもしかして……すごく危なくない」
「当たり前だろ。撃たれんなよ。あっち側はみんなお前を狙ってくるんだから」
「……」
冷静に考えればそうだった。彼が直に社内に侵入してセキュリティを突破することが社内の警備員側に知られたら、まず狙われるのは青樹だろう。
青樹は初めて自身の置かれた状況を把握した。そしてちらりと後悔を覚えた。仮に自分が計画を達成したとしても、その後の身の安否はどうでもいいことなのだ。「使い捨て」という言葉が脳裏に浮かんだ。彼は一番危険な役割を担ってしまったのだった。浮ついた高揚感が背筋を刺すような冷たさに変わった。
「やっぱやめる?」
真宮がそう言ってスープをすすった。さりげない口調だったが、慎重な提案だとわかった。
手が妙に油でぬるついていた。
首筋にじわりと汗が浮かんだのは、暑さのせいだろうか?
「いや……」
都会に蝉はいない。代わりに蜃気楼が見えない壁のようにラーメン屋の向かいのビル群を揺らしている。今年の平均気温は例年より2度高い34度で、たびたび狂ったような雨が降った。太陽は心なしか大きく見え、ひたすら熱気を地上に送り込んでいた。窓の外は、町並み自体が光り輝くようにでたらめに太陽光を照り返していた。まともな思考ができる環境ではない。とりわけ今年の夏は。
「やめるわけないだろ」
真宮は何も言わなかった。二人はただ食べることだけに専念した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます