1-9 優越者

 「何匹放流する?」

 「第一小隊は全て放流。第二小隊は14人中13名放流予定」

 「これだけやっと一人か」

 彼らの目の前にはかつて神保町に攻撃を続けていた自衛隊の一軍が大きな椅子に座り込んでいる。厚さ数ミリの高機能防弾ガラスで隔てられた『アウトサイダー』研究者と自衛隊の優位差は明白で、頑強な肉体を持った自衛隊員52名は両手足首を白くなめらかな手錠で拘束椅子に縛り付けられている。大多数はすでに動かない。もはや自我が破壊され、人間としての知能が大幅に失われている。

 「あの被験体342は耐えましたね。もしかしてもうこっち側の人間だったとか?」

 「いや、自衛隊の入隊資格は主にフィジカルな面はもちろん、同時にAuto-syncの感情シンク機能により全小隊が完璧な意思疎通を図ることも重視している。おそらくまぐれだろう」

 「どうします?」

 長身の研究者が小さなカード型のレーザー銃を取り出した。護身用の代物ではあるが、気絶させるには十分な光波長の強さを備えている。

 「試してみよう。君はこっち」

 才原にオートマの銃が手渡された。こちらは弾倉を装備するタイプの伝統的なものだ。速度はレーザーよりはるかに劣るが、殺傷能力はこちらの方が上だった。とはいえ初心者用のガイド付き銃であるため、威力は戦闘用の十分の一だった。

 二人の研究者は被験者のもとに降りていった。安全ドアを開けると薬品臭い空気が二人の白衣を翻らせた。室内は20度に設定されており、冷風だけが被験体342と彼らの間に流れる。

 「私からだ」

 被験体342は未だ意識がはっきりしており、呂律は回らないものの研究者たちを見据えて悪態をついた。ただで済むと思うな、国が許さない、法律が許さないぞ…人殺し……

 被験体342の目に一筋の閃光が走った。そしてそれきり、永遠に電気を落としたように暗闇が訪れた。「やはり光の速度は視認できないか」

 「当たり前ですよ。万が一できたとしたらタイムマシンを作れます」

 「可能なことの限界を知るには、不可能に少し足を突っ込んでみる必要があると教わらなかったか?」

 被験体342は目が使えなくなったことに絶望を隠せないでいる。そして鋭敏になった聴覚で、自身に旧式の銃口が向けられたことを悟る。

 「待ってくれ!最後に教えてくれ……何が目的なんだ?」

 「目的?」

 二人の科学者の嘲笑ともため息とも取れるささやきが交わされた。

 「人類の幸福のため……とでも言っておこうか」

 被験体342は目の前の暗闇がぼんやりと晴れてきたことに気づいた。瞳をしきりに瞬きし、手の甲で必死に拭い去ろうと試みる。

 「かど教授、まさか被験体の目が見え出したんじゃ」

 「本当かい?試しに撃ってみなさい」

 才原は小型のオートマ銃を構え、被験体に撃鉄を引いた。

 「……もう一度撃ちなさい。殺すつもりで」

 再び銃身に軽い反動が生じる。

 被験体342の首筋から鮮血がほとばしる。彼の視界は今度こそ搔き消え、世界が閉じられた。

 「……死亡しました」

 「才原君、君は今心臓を狙っていた」

 「はい。扱いが簡単な銃ですから、絶対に外す事はありえません」

 「しかし、彼の心臓ではなく、首筋に当たった……」

 元自衛隊員の遺骸の体液が床を汚してゆく。

 「避けた……」

 「二回もな。その上失明も回避した。ただ……彼は心臓を避けることしか頭が回らなかったようだ。少しばかり思考能力が低下していたようだな。失敗ではあるものの大きな可能性は見えた」

 「本当に、人工的な『獣』を作り出す事は可能なのでしょうか」

 「可能か不可能かと言われたら、可能と言うしかない」

 「多因子遺伝子疾患、出生児の脳死による自我の欠落…… 蘇生臨界点ポイント・オブ・ノーリターンを克服したヒトの超越的な能力…… これらは自然発生的に新生児に現れるためわざわざ人工的に作り出す必要は無いとも思うのですが……」

 「ヒトとしては超越的だというだけの話だ。俊敏な身のこなしや物体をスローモーで捉える能力というのは多くの生物が持っている。人間はそれらの能力を捨て、自身の機能及び感覚を拡張する事を選んだ。それは『道具』という名前で呼ばれている。そしてまた人間は身体機能を取り戻す……獲得した知能を使ってね。

 自制心——超自我を、知能を保った状態で他の動物のような能力を発揮することができたなら…… 率直に、素晴らしいだろう?

 人工的にそれらの『獣』——優越者ユージェニク——を作り出すというのは、人間の枷を一つ外す事になるんだよ……これが進化というものだ」

 「つまり、人間が無慈悲に目の前の人間を殺すことができるようになるということですね……」

 「それもまた素晴らしい能力だ。今までそういった能力を備えた人間はシリアルキラーだの殺人鬼だのと目の敵にされてきたからね」

 「静かな戦争が始まるのでしょうか」

 「もう始まっているよ。そうそう、君にいい話があってね……」

 廉は才原と傍観室に戻った。

 「国の防衛局で働く気は無いか?我々に技術提供の申請が来ている」

 才原は絶句する。

 「教授、まさかその話に乗るつもりですか?」

 「当然だろ」

 「そんな……」

 廉はカード型レーザー銃と才原の簡易オートマ銃を回収した。両方にプロテクトを嵌め、白衣に引っ掛けた。

 「君の言いたい事はわかっている。『共同体』に迎合するのか、という事だろう?」

 「当たり前です。私が彼らの提唱する完全なるユートピアに溶け込む気など全く無いということなどご存知でしょう。それに大企業と癒着する国に就職などしたら、教授も『感情シンク』によってこの兵士と同じく、洗脳されますよ」

 「そんなもの我々には関係ないよ。私らには正常な思考力が求められるのだから、洗脳などもってのほかだ。まあ、将来の夫や子供が共同体によってにこにこ笑っている人間であるという未来は大いに考えうるが」

 「そういう問題じゃありません。私はずっとこんな世界の流れを変えたいと思って研究をして来たのです。他人によって強制的に幸せにされる社会など、どう考えたっておかしい。そんなの植物と同じじゃないですか。何も考えず子孫を増やしていれば、それが幸せですか?洗脳によって幸せと感じることが正しいですか?不快な感情を全て排除し自分の感情も放棄して毎日を過ごすことが幸せですか?私には耐えられません」

 「人間には幸福になる権利があるんだがね。それに、これは遺伝子の引き紐に引き戻されただけなんだよ。人間は遺伝子改良により自らの遺伝子を超越したとみんな思い込んでいたが、やはり逆らえないのだ。これこそが正しい流れなんだよ。まあ、こんなことも研究者側である我々には関係のない話だ。ビルの上から、働いてくれる幸せな人間たちを見下ろしていればいいんだよ」

 「そんなの……」

 才原の顔がかっと熱くなった。横隔膜の奥底が脈打ち、感情の昂りを制御できなくなる前兆を感じ取る。

 「……失望しました」

 これ以上訳のわからないことをわめく前に、彼女は部屋を立ち去ることにした。最後に、背中越しに最も尊敬していた教授の声が聞こえた。

 「君はまだ若い。後悔しない道を選びなさい……」

 

 神保町内に6階建ての堅牢なビルを借りる生命操作機構を背に、彼女は偽装Auto-syncに指を押し当て、メッセージを遡った。以前技術提供についてオファーを受けた機関に連絡を返すことを決めたのだった。

 才原は現在学生の身であったが、廉教授の手伝いでこの神保町の廃れた一角にあるビルに通っていたのだった。最新鋭の技術——すなわちこれもまた洗脳の一種だった——戦闘用に知能を持った人間の身体能力を超越する人間、優越者ユージェニクを人工的に作り出すという実験に参加していた。人間の優れた知能と、人間以外の動物のような身体能力を伏せ持つ『優れた人間』は戦闘に非常に有利であり、道具を駆使するだけのただの人間と違い大きなアドバンテージを持つのだ。

 彼女は今の『共同体』思想に染まった社会に一矢を報いるためにこの研究に没頭していた。そのうち彼女には各方面からこの技術を買おうと頻繁に連絡が来るようになった。

 (絶対に、こんなユートピアなんか違うって証明してやる!)

彼女は国内の有力なテロ組織《Exit》に連絡を返すことに決めた。


 高校からエスカレート式に上がった大学をわずか半年で辞め、テロ組織に入社し、数々のプロジェクトに関わるうち——才原は絶望を感じるようになった。

 殺しても殺しても終わらない。

 いくら公共の場で爆破しても、いくら重要人物を殺しても、社会の『共同体』になりたいという流れはとどまることを知らないようだった。皆一方向に向かって、大きなうねりが優しく、強く、一つの場所に押し流してゆく……それは幸せなユートピアと呼ばれる理想の世界だった。

 私がいくら大声をあげたって届かないんだ。

 だって私は、ただの人間だから……

 もはやだから……

 彼女の優越者ユージェニクに関する研究はますます熱を帯び、とうとう組織内から警告が通達されるまでになった。無駄だった。ただの無力な人間である彼女にはどうしても世界を変えるが必要だった。優越者ユージェニクとはその可能性が感じられる、今のところ唯一の存在だった。

 大学を辞めたことも少し後悔していた。ほとんど出席しなかったが、学ぶのは嫌いではなかったし、それに大学生活の青春というものに少し憧れる気持ちを持っていたのだった。高校は大学附属の生物工学の専門校であったため、実験や数式には親しんだものの、気づけば同い年の高校生のようにキラキラした青春とは無縁だったのだ。

 才原はテロ組織が捕らえた捕虜を洗脳していくうち、永続的に優越者ユージェニクになることは難しいにせよ、彼女はその前段階である「洗脳」プロセスの一部を一時的に対象者に適用することにより対象者の精神を乗っ取ることに成功した。

 要するにこれ自体は催眠術のようなものだったが、違うのは洗脳を使用する側が対象者の中に入り込むことが可能ということだった。短い時間ではあるが、完全に適用者の精神に入り込み、当人に成り代わることができるのだ。思わぬ副産物だった——しかし、彼女のかつての師であった廉はとっくにこれを発見していたのだった。


 熱意ある生物工学研究者であった才原がなぜ自爆という道を選んだのかは結局はっきりしない。ただ一つ言えるのは彼女の研究は知識不足ゆえにだんだん行き詰まっていったということだった。高校は生物工学を学ぶことに特化した学校だったため、通常の企業の研究チームであれば十分通用しただろうが、優越者ユージェニクとは未だ未知の分野であったがゆえ彼女には明らかに力不足であった。

 意地を張らずに、廉と国の防衛局で研究すればよかったのだろうか?

 そう思うたび、才原は身を切られるような想いだった——だけど、このまま『ユートピア』に向かうなんて絶対にいやだ……

 才原はずっとこの社会を変えたいと真剣に思っていたし、それなりに足掻いていた。変えられるのは自分しかいないと思っていた。この世界を救う、ヒーローになりたかった。私の実験が絶対にこの世界を変えるんだと思っていた。

 でも——結局無理だった。

 一人の人間に社会の思想を変える力などなかった。

 才原は20歳の小娘だった。

 並以下の人間。

 何をやってもだめ。

 何も完成させられない。

 『君はまだ若い。後悔しない道を選びなさい……』



 

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