1-6 テロはビジネス

 「我々は皆たったひとつの、自分だけの感情を持っている。人間の尊厳を貶める『共同体』主義に、我々は堂々と否定の意思を示そう。

 本物の笑顔があふれる世界にしよう。誰にも左右されない精神を持とう。

 人類が意思を持たない生き物になってしまう前に、なんとしても阻止しよう」

 会場に200人ほどの拍手が響き渡る。ここにいるのはやはりTシャツやジーンズの組員たちで、皆知識人特有の紳士的な笑みを浮かべて《HumanityAgain.co》のスピーチに聞き入っていた。

 慧理は《Exit》本部社内に入ってから、驚きの連続だった。なにしろ社会にはびこっているステレオイメージとは違い、血の匂いも、罵詈雑言も、何一つ存在しないように見えたからだった。代わりに支配しているのは静寂――洗練された建築、明かり、インテリア――まっとうな企業のような明るさ。随分とテロ組織にも改革の手が分け入ったものだ。先程相田から「クリーンな組織」という言葉が飛び出したときにはびっくりした。まあ、未だに下手すると右足が無くなるというリスクは存在しているようだったが……

 慧理には未だにテロ組織の内部にいるという実感が沸かなかった。それは青樹も同様で、以前インターンした中小テロ組織との大きな差を感じていた。

 彼は基本的に社内でプログラマーとして1ヶ月過ごしていた。仕事をしている最中は組織のWebサイトを通常の検閲から回避させたり、組織の情報を調査する人物を特定して一人ずつアクセスを拒否する等地味な作業を行っていた。しかし、組織のPR動画はGoogleやAppleの傘下企業で働く物を処刑するという内容だったし、社の周りには常に監視するようにナノカメラとこれみよがしの手のひら大の監視カメラが備え付けられていた。たまに勇気ある者が組織のビルを突き止めテロ抗議活動を行うと、彼は恰好の見せしめの対象となり、旧世代の黒光りする銃でめちゃくちゃに身体に穴をあけられるのだった。さらに、もし彼が感情抑制や五感の制限を設けていた場合(五感は簡単にレベルを操作できる。触覚をゼロまで落とせば銃に撃たれようがへっちゃらだし、ダイエット中の人間は嗅覚を落とすことによって欲望を抑える。セックス中に触覚を最大まで上げればこれ以上ない快感を得ることができる)、彼自体を遠隔操作によってハックし、全ての感覚補正を解除した後、心拍数を強制的に増加させる。結果、抗議しようとした者は今までに味わったことのない恐怖を実感して死ぬことになる。

 一方《HumanityAgain.co》は反『共同体』思想を全面に押し出し、過激なテロ活動で有名な米の大企業だ。とはいえ、彼らは見せしめに動画などは作らない。理由なき殺戮を批判し、殺す際は「人類のために」利権で利益を得る共同体思想を支援する企業の幹部の殺害を行った――彼らは現Apple社CEOであるベンジャミン・クック氏の右腕とも噂されていたとある男性幹部を精神汚染の末粛清した――。それによって共同体思想にのっとる企業とは決定的な敵対関係が構築されていた。Google、Appleも例外ではなく、さかんにネガティブキャンペーンを行っていた。

 彼らは気にすることもなく、むしろ批判されればされるほど、彼らの存在感は増していった。いま先進国の大多数の国民が共通の感情や思想を持って仲良く暮らすということに何の疑問も持たなかったが、それでも国や企業に自分の情報を一切明け渡すということに嫌悪感を感じる人々も存在していた。《HumanityAgain.co》は『個人である権利』を主張し、過激な活動によって常に批判の的にさらされていたが、それと同時に一定の評価も得ていた。一部の怖いもの知らずな著名人も《HumanityAgain.co》を支持していた。(当然、国にマークされる危険人物となる)

 青樹と真宮は《HumanityAgain.co》の行動はしかるべきものだと思っていたし、正直、見ているとせいせいした気持ちになるのだ。給料もよく、テロ集団に就職を望む学生たちの間では《HumanityAgain.co》は憧れの組織でもあった。

 (以下英語。外部への情報漏洩を防ぐため機器による自動翻訳は使用されない。優秀な翻訳家が一人、全面の大型有機ディスプレイに字幕をつけている)

 「《HumanityAgain.co》取締役ヘイゼル・レッカーさんでした。レッカーさん、来日していただいたことを心より感謝いたします。長旅でお疲れでしょう」

 「こちらこそ。いえ、そんなことないですよ。5時間あったので、日本の映画を2本鑑賞することができました、なんてね」

 思わず観客に笑いが漏れる。ヘイゼル・レッカーは《HumanityAgain.co》を若くして大企業に成長させた人物のうちの一人である。彼女は22歳でこの組織に就職し、前線で銃を持って這いつくばる歩兵からわずか10年で取締役へと這い上がった野心家であった。8年前、組織内分裂や想像を絶する人権を無視した拷問に彼女は異を唱えた。『効果的な拷問を』と彼女は訴え続けた。大事なのは社会へのアピールであり、ただ苦しみを与えることではないはずだ。また、組織内でいがみあっていては、社会の信頼を得ることは不可能だと。

 彼女は新しい拷問モデル『共感苦痛』を考案した。原則は2つあり、一つ目に、彼がこんな苦しみを味わっているのは、共同体主義の押しつけによるものであることをアピールすること。二つ目に、国が提供する幸せとはまやかしであり、本当の幸せとは共有されるものではないということ。

 この原則に則って、まず彼女は公共の電波をハッキングさせ、インターネットを使っている市民の目の前に男が拷問されている中継映像を流した。彼の苦しみはデジタル化され、高い精度で数値化された。そしてAuto-syncに搭載されている感情共有の機能を使い、彼の苦しみを見ている者にダイレクトに味わわせたのだ。

 「画期的な視覚テロでした。まさに共有の恐怖を感じさせるテロでしたね。なぜあそこまで思い切ったことを考えついたのでしょうか?」

 「誰でも思いついたでしょう。しかし、誰もやらなかった。だから私が実行に移したのです。感情をシンクさせるということは危険な行為です。恋人同士ならまだしも、全世界の感情を共有して生きるなんて馬鹿げています」

 「あのテロによって、Googleを始めとする企業は市民から反発を受けることになりましたね。俺達の感情シンクをやめさせろと。Googleは迅速に対処し、一定期間感情共有は任意でオンオフできるようになりました。しかしほとぼりがさめたころ、Googleはまた全員の感情共有を復活させたのです」

 「許せない話です。市民をこけにしている。共同体思想の高まりで批判精神が薄れたのをいいことに、やりたい放題です。今では何かを批判するということ自体難しく、一歩間違えれば法に触れてしまう。彼らを批判して抑制力となりうるのは、現状、我々のようなテロ組織しかないと言うわけです」

 「全くです。我々もあなたがたを見習って、本当に効果のあるアピールを心がけてきました――今回の自爆テロもそのような意図からです。Google本社へテロ行為を仕掛けようとしても普通そう上手くはいきません。彼らのセキュリティは群を抜いていますし、社に近づいた途端なぜか心拍数が落ち、セロトニンが分泌される仕組みになっているのです。だからこそGoogleは幸せで充実した社内環境を保っているわけですが、そんなまやかしの幸せなどあってはならないものです。あれでは人間はただの動物に成り下がってしまう。コンピュータに操作されて人生を送ることは、果たして生きていると言えるのか、ということです。我々は共同体主義の実態を社会に知らしめたい。Google本社で自爆テロをしてもきっと、社員は何も感じないでしょう。なぜなら感情シンクによって既定値以上の感情に達することができなくなっているからです。そのいびつさをわからせなければならないのです」

 

 最後にヘイゼル・タッカーは求人について言及した。

 「わが組織はいつでも優秀な人材を受け付けています。Exitとはぜひ良好な関係を築いていきたいと願っています。お互いにスタイルは少し違いますが、だからこそ適任と思える人物がいればぜひ紹介していただきたい。きっと良い方向に事が進むはずです。もしこの場にインターン生がいらっしゃれば、喜んで我が組織にも見学を許可しましょう」


 帰り際、三人は鎖骨の下に軟膏のようなものを塗布された。

 「7月14日まで、これがあなたたちの社員証代わりになります。今度からゲートを通って社内に入ってもらうわ。申し訳ないんだけど少し発光するから、服で隠してね。崖内さんは当日まで位置偽装を維持していて。明後日から早速勤務してもらうわ。テロ一週間前から、準備は大詰めを迎えるから。ま、気楽に構えてて」

 「あの……一つ質問してもいいでしょうか?」

 「何?」真宮に相田が振り返る。

 「自爆する方は……感情抑制はされているんですか」

 真宮は一瞬ためらってから、付け加える。「すみません。機密ですかね」

 「いえ、そんなことないわ。当人が希望すればもちろんするわよ」

 「そうですか……」

 「今回は希望しなかったけどね。今回の自爆テロを実行する方は、強い思いを抱いているから、ぜひ共感苦痛を市民に味わわせたいとのことだったわ。彼女にもいろいろあったみたい」

 「……そうなんですね。ありがとうございます」

 三人は相田に見送られ、エレベーターに乗った。


 「彼女って言ってた」

 帰りのタクシーの中、慧理は呟いた。

 「彼女にとって、この世はありあまるほどの苦しみだったのか」

 慧理は外が見えない窓を覗きながら言った。慧理の顔の後ろに二人の横顔が反射していた。

 「あんまりそういうのは考えないほうが良いよ」

 真宮が答えた。「俺らはこれから何百人単位もの死を操ることになるんだから」

 「死ぬからってなんだ?」青樹も応戦した。「感情が見ず知らずの他人のものになった時点で、それはもう人間的な死を意味する。少なくとも先進国の大多数の人間は死んでいることになる」青樹は窓の中の慧理に微笑みかけた。「つまりこの世は天国ってこと」青樹が親しげに微笑みかけるときはいつでも、強烈な皮肉を言うときだと慧理は気づいた。

 「In Heaven Everything is fineってやつ」真宮が言った。

 「また、死んだメディアからの引用?」

 車内が静かに遠心力を感じる間、真宮の頭のなかでキャッチーなオルガンのフレーズが流れ始め、少しセンチメンタルな気分になる。

 「死ぬというのは、消えることだ。この体は確かに実在している。ここにいる。私が私であるという意識が消えること。身体が存在していても、意識が消えれば、死んだのと同じ。青樹の言うことは正しい」

 「だけど、生命活動は続いているのに、死んだというのはおかしいよ……」

 「それも正しい。だから、死の定義をはっきり決める必要がある。意識が消えたときなのか身体が消えたときなのか。だけど、この定義はものすごく長い時間議論されてきたんだよ」

 微かに聞こえる駆動音と街のざわめきが車内の静寂の中に紛れ込む。

「先輩は私が死んだら悲しいですか?」

「当たり前だろ」

「どうして」

「なんとなく」

 三人の議論はここで止まった。慧理はぼんやり考え続けていた。私は私であるという意識は、私には無いかもしれない。私はそこらへんに漂う塵とか、窓に反射する人工的な夕日色のダウンライトと、同じ存在であると思っていた。私とはただの身体である。今窓の中の青樹と目が合い、その後ろの真宮を視認し、それは瞳孔から硝子体で反対に像が結ばれ、網膜に転写され、視神経乳頭を通り脳に届く、ただの視覚情報を世界のすべてであると認識しているのだ。慧理の顔は左右非対称だった。犬歯が片方無かった。睫毛は長すぎ、眉は少々濃度が左右で違っていた。クラスメイトは……高校のときは少なくとも、皆左右対称の整った顔をしていた。彼らは左右対称が人間の顔だと認識しているので、慧理の顔の非対称部分を残酷なほど敏感に見分けた。

 差別はよくない。だけど、感情がシェアされてしまうのだから、クラスメイトは全員慧理の非対称さについての意見を共にしたのだった。「醜い」これが総意だった。

 慧理はここで、奇妙なことに気がついた。今同じ空間にいる二人の人間……どちらも顔と身体が厳密に左右対称ではなかった。

 青樹はそもそも身長が平均よりだいぶ下回っているし、泣きぼくろが右目の下にあった。経年の目の酷使により、消えない隈がさらに瞳の周りを暗い印象にしていた。

 真宮は哲学に関わるものとしては珍しく整った顔をしていた(サルトル、キルケゴールの例に倣わず)。整った顔というのは平均に近い顔であり、つまり真宮は幸運なことに生まれながらにして平均の顔を手に入れたということだったが、彼はDNA操作をしていないらしい。そして、よく見ると首に切れ目のような薄茶が2本走っていた。ぽつぽつと円い雷のような跡もあった……

 なぜDNA操作を受けていないのだろう?

 受けられない事情があったのだろうか?

 突然、ドアが開いた。大手町の夜の街道から、夏のアスファルトの熱気が舞い上がってきた。

 「おし、なんか食いいこう!」

 真宮がさっそうとお目当てのうどん屋に向かう。青樹が「食いすぎてこの間みたいに破産するなよ」と揶揄する。慧理がタクシーから降りたまま考えにふけっていると、二人が慧理を振り向く。「つっ立ってないで行くぞ」青樹が慧理に言った。慧理は怖かった。二人がもし……また……、皆と同じように私のことを

 「慧理ちゃん酒飲める人ー!?」真宮が叫ぶ。

 「もちろん!」

 慧理は二人の元へ歩きだした。もし、二人が私のことを……嫌いになったら……どうしよう。


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