1-5 インターンという扱い

 共同体主義は個人主義の新しい思想として世界中に広がった。

 「いろんな人がいてもいい、みんな認めあって生きていこう」

 地球の何処かの国が平和から逸脱しようとした時、さかんに共同体思想が叫ばれるようになった。これは当たり前の話であり、平和に対する先人たちの思いを受け継いでいくために人々は必死になった。

 そして技術は指数関数的に進化する。この技術は人間の尊厳を守るために使われるべきなのだ。争うことがなく、幸せに過ごすことを追求すべきだ。そのために人間には知能が授けられたのだから……


 利己的な遺伝子はもはや存在しない――人間は複雑に絡み合う自然の鎖をまたひとつ解き放った。人間にとってしかるべきDNAを元のDNAに挿入することによって、彼らはまず美しい容姿を手に入れた。ご想像のどおり低価格化が進み、今ではデザインなら一般家庭でも手が届く値段になっていた(二重にしたり、唇を厚く/薄くしたり、鼻をやや高くしたり、等々)残念ながら身長のDNA操作はまだおまじないの領域だった。

 しかし、一番変わったのは環境的要因だろう。共同体的思想は世界に瞬く間に広がった。真宮はよく「スペイン風邪のように」という表現を用いるが…… 今ではある程度なら人間の感情を把握して取り扱うことができた。そのため、脳内の化学物質と挙動、ボディランゲージ等から人間の置かれている状況を割り出し、深刻であれば助けを差し伸べるようにした。コンピューターが助けるのではない。人間が助けるのだ。悲しみが規定レベルより大きく跳ね上がった人間を認識すると、半径30メートル以内に同質の感情が伝播する。(それこそ風邪みたいに)悲しみの波に濡れた通行人は、すかさず悲しそうな顔をしている彼・彼女に近寄って肩を抱く。これは美しい助け合いのモデルだ。何も言わずとも、辛くてたまらない時、駆け寄ってくれる人がいたら、どんなに嬉しいだろう?


 エレベーターは指定されたフロアの34階に向かって、三人を乗せて静かに下降しはじめた。慧理はアルミの手すりに身体をもたせかけ、自らのAuto-syncに人差し指を触れた。20×20センチ四方の正方形にワイヤーフレームとセンシティブデザイン——人間の感覚に則り『感覚をデザインする』という思想のもと制作されたUI——をベースにした画面が現れたが、位置情報システムを扱うアプリケーションは灰色に表示されていた。

 青樹はエレベーター内のナノカメラを目だけで追っていた。実際は目視できないはずだが、Neumannの空気清浄探知システムを利用して塵とともに把握できるようになっていた。

 真宮がつぶやいた。「緊張する」

 「腹が痛い?」

 「よくわかったな」

 「このエレベーター、少しエタノールくさいね」

 「漏らしたんじゃないの。誰か」

 青樹は真宮に呆れられた目で見られても意に介さない。

 「汚えよ。それに実際消毒されてるんだろうな。外から別のナノカメラがくっついてたら困るし」

 慧理が腕に鼻を近づけ、消毒された匂いに顔をしかめたところでエレベーターのドアが開いた。

 

 ここが本当にテロ組織の『アジト』?慧理は真宮の後ろについて辺りをうかがった。静かなピアノの旋律と新しい壁の匂い、艶消しのリノリウム。

 エレベーターホールを一歩出ると高い天井から白い光が三人を感知して点いた。基本的に黒で統一され、壁下10センチは白いライトが足元を照らす。

 真宮は指定された会議室を確認し、左に曲がった。二人はそのあとを権利を獲得した社員みたいについてゆく。つるつるの黒い大理石の壁に、振り向いた慧理の顔が驚いたように見返している。

 一つのドアの前で、真宮が突然立ち止まった。「ここか?」青樹が確認する。

 「ああ…… 準備OK?」

 「さっさと開けろ。お前以外準備OKなんだよ」

 「今日はよく喋るな。位置偽装で疲れた?」

 「いいから!」

 真宮が息を吐いた。慧理に微かに真宮の緊張が伝わってきた。真宮の顔が赤くなっている。あがり症らしかった。

 二回ノック。すかさずドアが開き、社員証を下げたラフな格好の男性が出てきた。

 「こんにちは!真宮さん、青樹さん、崖内さんだよね。お待ちしておりました!」

 「失礼します」

 会議室の中央に長机がふたつ用意されていた。「どうぞ」男性は一つの机に三人を誘導した。もう片方の机には女性が一人、空に見えないディスプレイを見て指を動かしていた。三人が机の前に立つと、女性はアプリケーションを終了し、彼らに微笑んだ。

 「こんにちは。千代田区二番町自爆テロ執行役員相田と申します」

 彼女はパリで安いスーパーをうろついているようなラフな姿……サンダルにジーンズという格好であった。しかし、胸のきらりとLEDを反射するダイヤは間違いなく本物だった。

 「皆、名刺は持ってるのかしら?」相田はジャケットの裏から紙の名刺を取り出す。

 全員持っていなかった。名刺は明らかに資源の無駄であり、嗅ぎたばこや蒸気機関のように今では完全に廃れてしまっていた。現在紙は高級品だった。

 「割高だけど持っとくと便利よ。私はいつも、『共同体』思想の人間たちと自己紹介しあうときに名刺を配るの。一発で私がヤバいやつだって覚えてもらえる」

 三人が曖昧に笑うと相田は着席を促した。

 「あなたたち三人のことは會田くんから聞いています。青樹くんのお知り合いだとか」

 どうやら會田という人間が青樹に自爆テロの情報を提供したらしい。

 「はい。彼が僕に教えてくれました」

 「あなたたちはどこで知り合ったの?同じ大学ではないみたいだけど」

 「匿名掲示板です。今はもう無いですが、名前を変えて存続しています」

 「なるほどね。青樹くんはプログラマーの経験もあるし、今回は政府の危険物探知を撹乱する班の補佐に入ってもらいたいたいの。どう?」

 「喜んで」

 開始数分で青樹の役職が決まってしまった。次に相田は真宮へ質問する。

 「真宮くん、あなたはどうしてここへ?」

 「僕は諜報員の仕事を知りたかったので。昔ながらの足を使って情報収集する仕事も、インターネットで非合法の手段を使う方法もあるでしょうが、どちらにせよ情報を収集し翻訳する職に興味があります。僕は多言語を習得しているので、きっと現場で活かせると思います」

 「真宮くんは哲学を専攻しているんですよね。哲学科でテロに関わる人って意外と多いのよ。今の良くも悪くも「考えない」風潮に違和感を持つのかしら」

 「あまり友人と地上でそういう話はできないので……ほぼ全員純正のAuto-syncを装着していますから」

 「確かにそれは危険ね。じゃああなたには当日まで米と日の会話を入手したものの翻訳をお願いするわ」

 「わかりました」

 「最近は機械翻訳に頼り切って言語を習得する人が減ってるから助かるわ。微妙なニュアンスは、機械には伝わらないし、そもそもわかるはずがないのよね」

 コンピュータは離散的――青樹は相田の言わんとしていることが分かった。

 「最後に、崖内さん。あなたのやりたいことを聞かせてもらえるかしら?」

 「私は……」

 実際のところ、何も考えていなかった。彼女は現実からの脱出を試みようとしてこの場へ来ただけだった。しかし、今答えられなければ、また共同体の中へ逆戻り……普段、彼女の頬はあまり動かない。喋って笑うことも泣くことも教科書の中の出来事か、もしくは有害図書の中の登場人物のやることだと慧理は思っていた。大学でも感情を表す機会はなかったし、家ではパソコンを見ているか、勉強をしているか、あと……あとは……よく思い出せない。とにかく表情に乏しかったのだ。

 「マネジメントをしたいと前々から思っていました。現代のテロ組織は人手不足が深刻化していますし、今こそ人材の確保や教育を見直すべきだと思います。その点《Exit》は巨大な規模を保っているし、学ぶべきところがたくさんあると思ったんです」

 「そうねえ、今は人口そのものは横ばいだけど、テロ組織に入ろうなんて人間は年々減ってきてる……うちも結構厳しいのよ。だけど、そうね、学べる点は絶対にあると思う。じゃあ執行部を見学してもらおうかな。まだ崖内さんは2年生だし、見学して現場を知ってから仕事に加わっても遅くないわ」

 相田は隣りにいる男性に何かを指示して、書き取らせた。

 「お疲れ様。この後《HumanityAgain.co》が到着して……え、もう着いたって?早いな。あなたたち、この後我が社との提携宣言とちょっとした説明会があるんだけど、来る?」

 「はい」三人は口々に同意した。これを待っていたのだ。

 「わかった。では最後に誓約書にサインして」

 隣りに座っていた男性――秘書なのだろう――が小さなチップを三人の目の前に置く。人差し指をチップに乗せると契約フォームが開き、サインをするよう命じられる。三人が名前を書いてOKボタンを押すとそれらはすぐに受理された。

 「受け取りました。最後に、もう一度誓約書の内容を口頭で説明します」

 「簡単に、ね。まず、社内で得た情報を外部に漏洩することを禁じます。次に、このテロで命を落としても一切責任は負いません。最後に、あなたたちの家族、兄弟等親族がテロに巻き込まれても一切責任を負いません」

 相田はよどみ無く続ける。

 「あなたたちが誓約内容を遵守しなかった場合、それなりの対応をさせていただきます。またテロを意図的に妨害した場合も同様です。わかった?」

 三人は神妙に頷く。

 「そんなに固くならなくていいわ。今どき、恐怖政治は流行らないから。ISISの前例があるでしょ。規律でがんじがらめにして、仲間に過酷な制裁を強いても結局組織は長く存続しないの。うちはクリーンな組織を目指してるから、だからこそ大きな規模に成長できた。だけど、度が過ぎるとすこし過酷な仕事を回される。身体を張って忠誠を示す必要が出てくるの。そうなると」

 相田はにこやかに立ち上がった。

 「こうなるのよ」

 相田が右足の付け根に手のひらを這わせ、血管が浮き出るほど強く外側に何かを外した。くぐもった音が響き、地面に何か足のようなものが落ちた。

 相田はジーンズの裾を持って上に持ち上げた。

 相田の右足があるはずの空間もめくれた。


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