1-4 神保国
テロ一週間前、フランドル美術愛好の会は国内屈指の実力を誇るテロ組織《Exit》とのミーティングを実現していた。
その日はテロを支援する反共同体思想の米大企業《HumantyAgain.co》も訪れる予定であり、彼らはいつにも増して気合が入っていた。ベンチャー企業向けらしいラフな服装ではあったが、真宮は新しいコンバースを手に入れたし、青樹はいつもの黒いヒールつきの靴に合わせた同色のスラックス、黒いTシャツで縦の視線移動を誘発していた(背が高く見えるかは別問題だが……)。慧理は白いシャツとスーツのような膝丈のスカートで新宿駅に到着した。
「大手町に着いたら連絡しろってさ。あと、慧理ちゃん、電車乗ったらAuto-syncの位置情報を偽装するから」
「いつから下の名前で呼ぶようになったんだ?」青樹が唇の片端をあげて彼特有の嘲り方をする。
「ん?何か問題でも、イアンくん」
「わ〜気持ち悪」
慧理は彼らがどのように電車の改札を通過するのか気になっていた。Auto-syncを持たないものは籍がある市町村に経済的に不可能であるという証明書類を提出し、定期切符を発行してもらう必要があったし、その手続はかなり煩雑である。しかし彼らはAuto-syncも定期切符も所持していない。
そんなことを思っているうちに青樹と真宮はいとも簡単に改札を通過してしまった。高機能改札は透明度の高いガラスのような板が等間隔に並んでおり、その間を通ることで利用者の情報を国のデータベースに照合、正当な市民だとわかると緑色の矢印マークが表示される。そうでなければ、赤いバツ印とともに国家権力が動く。テロ対策にとられた処置だった。
あっけにとられた慧理は急いで改札を通り、真宮の左手首を見る。
「どうやって……?」
「イアンくんがやってくれたんだよね」
「やめろってば。それに、ここではあまり話せない」
駅構内は爆発物を探知するセンサー、ナノカメラ、赤外線センサー、等々考えられる限りの警戒態勢で市民を守っている。そしてサウンドカメラと聞こえよく国が名付けた——いわば盗聴器が、高音質高感度の音声を日々記録し国の保安局に送信する。
利用者自体も一種のカメラとなって安全に貢献している。彼らの網膜情報はすべて記録され、いつでも取り出すことが可能だ。数百のカメラと録音装置が駅構内に動いているということになる。
そして慧理のAuto-syncの位置情報を大手町に着くまでに偽装しなければならなかった。これから向かうテロ組織の本社《Exit》は位置情報を撹乱する仕組みは備え付けられているものの、来訪者に対しては位置情報を偽装することを義務付けていた。
「5番目の車両、一番真ん中の席に座るよ。崖内、普段日曜は何やってる?」
「家から出ないよ」
「外出する日だってあるだろ。なるべく普段の行動パターンに偽装したいんだよ」
「うーん、コンビニ行って、図書館行って、近くのショッピングモール行って、帰ってくる、とか……」
「よし……」
音もなく電車が到着した。数十年前、共同体思想の大企業の働きかけにより国が行った調査から国民のストレスの第一位に輝いたのが電車であり、由々しき事態と捉えたアメリカはJRに大量の資金提供をした。その結果日本の電車は大きな変革を遂げた。最新式の広々としたシートが備え付けられ、やっとリニアモーターカーの理論が実装され、通勤ラッシュでさえほぼすべての人が座れる車両へと変化していた。そもそも在宅ワークの割合が増えていたことも電車を快適にする要因だった。
そして監視体制の大幅な強化がなされた。電車に入るときもまた個人情報を照合するため、二重に安全な仕組みとなっているのだ。
それらの真宮が慧理の右隣に座り、青樹はAuto-syncの埋め込まれた左手首側に座った。ビロードを模したシートの下に補填された低反発ジェルが三人をひかえめに包み込む。
真宮はパソコンからノートパソコンを取り出して、自然にNeumannの貼られた静脈側の手首を隠した。
ここ数年、同じ顔の人間が増えた――真宮ははっきりと感じていた。女性は鼻筋がはっきりして、目は小動物のように大きい。これはより進歩した整形技術のおかげかもしれない。しかし、もっと違うところ……同じ顔の子供があまりにも多い。
青樹も左手首に貼られたNeumannフィルムをそっと下に向けた。
NeumannはニセAuto-sync、昔のiphoneとAndroidのような関係だ。ただひとつの違いは、現代日本のみならず世界中において純正Auto-sync以外の手首装着型多機能デバイスは全て違法ということだった。Neumannもその一つであり、Googleの提供する通信規格とは別のもので通信が実現していた。かつてLTEと呼ばれた各企業の移動通信システムは統一され、Appleが買収していたが、他の組織も無線通信システムを開設していた――これもまた違法だった――Neumann使用者はGoogleの目をかいくぐって生活しているのだ。
「大手町、いいうどん屋たくさんあるよ。帰り寄ってかない?」
「僕は蕎麦のが好きだね」
「うどん屋には蕎麦もあるぞ」
ゆっくりと青樹が慧理の左手首を掴んだ。慧理が横目で彼の表情を盗み見ると、目の前の何かを必死に目で追っているようだった。青樹の目の前には慧理の今日の移動データが表示されていた。
「なんかお前いつも汗かいてるな……暑がりなの?」
「先輩はなんか手のひらがカサカサしてるね」
「キーボードに手の脂が奪われるんだよ。勉学に励むものは手がカサカサしてるもんなの。なあ真宮?」
「お前はキーボード拭きすぎでクロスに手の潤いが奪われてんじゃない?一時間に一度は指紋拭いてるじゃん。神経質め」
「バカいえキーボードはハッ……ゴホゴホ、パソコンを操る者の命だぞ。今のキーボードは全部ディスプレイに表示されてんだからちゃんと拭かないと誤認識を起こす。お前のパソコンは指紋だらけで触りたくない」
話の最中も青樹はひっきりなしに指を見えないディスプレイに沿って動かしている。頑なに指先だけ彼女のAuto-syncに押しつけて作業している。
慧理があたりを見回すと、乗客は寝ているか青樹と同じように仮想ディスプレイにむかって手を動かしている。彼女はバレやしないかと内心気が気でなかったのだが、実際青樹と同じ行動をしている人が何人もいるのだった。彼女はほっとして、心地よい静かな揺れに身を任せることにした。窓の外が暗くなり光の筋がスタッカートのように流れ出すと、慧理はいつのまにかうとうとと瞼の裏の世界に旅立ちそうになっていた。
しかし、真宮が慧理を尖った肘で小突き、目の前の視覚が一気に明瞭になった。
真宮を見ると、彼は小さく右側を指差した。緑の薄いスキャニングのラインが集まったような緑色の光が4両目からこちらに向かってきていた。
「なんじゃありゃ」青樹が低い声でつぶやいた。
「病人がいないかどうかチェックするシステムじゃないか」
「搭載は8月下旬とか言ってなかったか……」
「つまり、乗客の生体情報を読み取ってるってこと?」
これは……
「まずい」慧理は思わずつぶやいた。
それはこの場にいる3人が共通して考えていたことだった。
真宮が最大限声を落として二人に向き合った。
「青樹、何か案は?」
「僕達は捕まる訳にはいかない」
「ああ」
「しかし、僕はまだあのスキャンのラインの仕組みを知らない。おそらくAuto-syncの生体アプリケーションの中の病歴を参照し所有者の心拍数を計測しているのだろうが、今のNeumannの偽装アプリケーションで乗り切れるかどうか定かではない。そしてGoogle側がアプリを認識する方法もわからない」
「慧理ちゃんの位置偽装の進捗は」
「こちらは順調だ。8割がた完了している」
「だけどあのスキャンラインに捕捉されたら、位置情報がわかっちゃうよね?」
「その通り」
「つまり……」
緑色の光の束が真宮の右頬を照らす。
「逃げろ!」
三人は驚くべき優雅さで座席を立った。まるでお手洗いを探しに行くみたいにナチュラルな出発の仕方だった。
「Procedureを手打ちから口頭認識に切り替える。崖内はわかると思うが、僕のNeumannとお前のAuto-syncは繋がっていてなおかつNeumannを構成するC++++++++++24で偽装を施している。よって僕の言語は車内の音声認識には引っかからない。安心しろ」
そして青樹は口頭でC++++++++++24を慧理のAuto-sync内に記述し始めた。
青樹の英語――と呼べるのかは分からないが――は日本語訛りはあるものの十分流暢な部類に入ると慧理は思った。それに、口頭でコーディングする人間は初めて見た。
歩きながら真宮がこっそり慧理に耳打ちする。「なんでC++++++++++24だと車内の音声認識に引っかからないの?」
「C++++++++++24はもはや公的な場では使われていない、廃れた言語だからだよ。GoogleやAppleがC+++++++20の段階で見放してしまったことからもうメインストリームでは使われなくなった。だから車内の音声認識はC++++++++++24がそもそも理解できないんだ。こうしてアンダーグラウンドでは使われ続けている……」
『神隠町、神隠町、お忘れ物にご注意下さい』
真宮がはっと顔をあげた先に、電光掲示板に『神隠町』と表示されている。
「おい、降りるぞ」
真宮は二人を無理やり電車の外に押し出す。彼らの後ろをスキャンラインが通りすぎ、ドアが音もなく閉まった。
「何すんだよって言ってる……」
慧理が頭に流れ込んでくる青樹の思考を伝えた。
「このままじゃ危なかったろ。それに後ろから誰か来てる」
プラットフォームの1両目の位置から公的な制服を着た男が二人、こちらを見ていた。電車内の『不審』を表す感情が一定値を超えたのだろう。乗客の感情の起伏は常にモニターされ、ある感情が一定のラインを超えると自動的に近辺の駅員に伝わるようになっている。駅のホーム内はテロに最も頻繁に利用される場所であるため、警戒も厳しい。
「君達は『神保町』を知っているか?」
「『神保町』?」
慧理は青樹を見るが、聞いたことも無いようだった。
「かつて東京に存在した町だ。そして、本好きにとってのメッカでもある」
真宮の顔が心なしか輝く。
「御存知の通り、今の政府は読書を推奨していない。『危険思想』を持つきっかけになる可能性があるからだ。今ではごく限られた書籍を除いて、ほとんどが有害図書となっている。有害図書を閲覧する権利を持てる場所は、ごく一部の教育機関にしかない……俺らの通う蘭塾大もその一つだな。
数十年前まで、神保町はありとあらゆる古今東西の本が売り買いされる、非常に活気のある街だった。しかし、国民が危険思想に染まることを危惧した政府の介入によって、30年前の冬、全ての書店に有害図書を廃棄するよう通達がなされた。それに激しく抗議した神保町の商店街は政府に文字通り宣戦布告を申し込む。そこから今に至るまで、日本と神保国の国境では血で血を洗う凄惨な戦いが繰り広げられている……」
真宮が駅の改札に向かっておもむろに歩き出した。自分で語った神保町の歴史を口にしたことで快感を得たようだった。血と汗と銃と病原菌が交わる、今も昔も変わらない伝統的な戦争。技術の進歩はあれど結局行き着く先は体液で汚れた死体なのだ。あわてて慧理と口述でコーディングしている青樹が後を追う。
「今では神保町は地図に存在しない。東京都から町としての権利を剥奪されたんだ。その代わり、彼らは……『神保国』と名乗っている」
神隠駅の改札を出ると、眩しい日差しがアスファルトを容赦なく焦がしている。慧理がさりげなく後ろを振り返ると、公的な制服を着た二人の男がこちらに向かっていた。
「俺らはこれから神保国へ向かう」
「ええ!?どうして……危なすぎる」
「このまま大手町に着いたらマズいだろ。撒かないと」
「でも、どうやって」
「神保国の中は無法地帯だ。そして神保国は、地図上に存在しない。位置情報をGoogle側に提供していないんだ。国はGoogleから全ての位置情報を受け取っているから、入ってしまえば俺らの跡を追うことは困難になる。そこからはうまく逃げればいい」
「でも、私思うんだけど…… それって、敵側に自ら飛び込んでいくようなもの……じゃないのかな……?」
「まあ、そういう捉え方もできるね。国の兵士はうようよいるから。だけど大丈夫。任せて」
「もしかして、何か秘策が?」
真宮は持ち前の人を安心させる笑顔で、慧理に向き直った。
「ないよ」
真宮は神隠駅向かいにあるコンビニエンスストアに入った。
「いらっしゃいませ〜」
大量消費社会が具現化したようなごく普通のコンビニだった。心地の良い冷風が慧理の首筋を通り抜けた。青樹は慧理の左手首のAuto-syncに相変わらず指先をつけ、慧理の後に懸命についてきている。
真宮がレジに行き、電子通貨認識用のデバイスに左手首のNeumannをかざす。すると白い壁が自動ドアのように手前側に引っ込み、一つの空間がドアの向こうに広がる。店員はにこやかに礼をする。「ありがとうございました〜」
青樹も同じく左手首をかざす。しかし、慧理は調整中のAuto-syncの身であるため、かざせない。「あの……」慧理は青樹とAuto-syncを交互に見た。そして店員が慧理の瞳をじっと見ていることに気づく。慧理がおもわず店員の顔を見返すと、両者の視線は強く交わり、何か美しい瞬間が訪れたような気がした。
「ありがとうございました〜」
慧理が気づいた瞬間、店員は一度も笑みを絶やさず慧理に手を振っていた。
清潔なコンビニの隠された自動ドアに一歩踏み入ると、蛍光灯で照らされた質素なコンクリートの通路が右に曲がっていくのが見えた。
「あの、先輩……さっきのって何だったんだろう」
「店員?」
「うん……」
3人の足音が狭い通路に硬く響く。
「昔の人は感情を機械に頼って共有することはなかった。だからああやって、瞳を見ることで、その人が信頼できるか否か判断しようとしたんだ。まあ俺たちも感情シンク機能は使ってないから同じようなもんだけど」
「でも、瞳で判断するなんてリスキーすぎるね」
「コミュニケーションとは本来多大なリスクを伴うものなのさ」
通路にはときおり分かれ目があり、3人は一回左に曲がった。どうやらこの地下通路は複雑に分岐しているらしい。たまに忘れ去られたトイレを見かけた。黴の生えた大小様々な配管が有機的な植物のように天井と壁を這っていた。
でたらめに歩いた通路の行き止まりにははしごが打ち付けてあった。その上に円い出入り口がある。錠を外し、回転バーをひねると、苦もなく地上への戸が外れた。隠されているように見えて実は多くの共同体思想に反感を持つ者たちが、この扉を開けたことを暗示させた。
「ここから先は日本じゃないからな」
「おい、待て」
慧理が急に青樹の思念を口にした。「どのみち奴らは追ってきてんだろ。今何も考えずここから出たら蜂の巣かもしれないよ」
「俺たちに追跡装置が付着しているということか?」
「その可能性はある。僕らは後ろを見ていなかったしスプレーを吹き付けられたって気づかなかったろう。服の繊維に
「この通路は『見えない通路』だ。だから今のところは大丈夫だが……」
真宮は今まさに蓋をずらそうとしていた右手を下げ、また手のひらを蓋に押し当てた。
「じゃ、一回死のう。着いてきてくれ」
力強く彼の腕が戸を開き、すかさず紫外線が後頭部に突き刺さった。
「どういうことだよ……」
慧理の声で青樹が抗議する。慧理の内心を代弁してもいた。
真宮が先にバックパックを地上に載せた。特に銃撃等は認められなかったため、彼ら3人は申し訳なさそうに背中を丸めて穴から這い出た。その穴はかつてマンホールと呼ばれた下水管への道筋があるということを示す蓋だったが、もはや都内には存在しない。
「ここはもう神保国内だから、国境ほど危なくはないぞ」
10mほど離れた場所に有刺鉄線が張り巡らされた大きなバリケードが屹立している。粗末なものではあったが、住民らの不要とした家具や前時代のトタンが積み重なり複雑で頑強な壁を形成していた。
そして、遠くから時折銃声が柔らかく平和に響く。
神保国内にはコンクリートの建造物が目立った。隙間には木造の家屋がひっそりと雑草のように佇んでいる。最適化された還元型軽量ガラスで作られたゆるやかな曲線の都会の町並みとは全く違った。慧理はまるで異国に来たように目を見張った……そう、ここは間違いなく異国だった。
「中心部はあっち。なあ青樹、それってあとどれくらいかかるんだ」
青樹が右人差し指を立て、左手でマルを作る。
「10分しかかからないのか……」
3分ほど歩くとあっという間に賑わう一角へ出た。真宮が嬉しそうな顔をするのも理解できた――むせるほどの本、書籍、辞典、図鑑、漫画、小説、絵本、図版、紙の洪水。一つの通路に何件もの店が密集し、路上のワゴンには大量の文庫本が積まれ、格安で売られる。東京都時代は整備されていたと思われる道路も、今となってはひび割れ、おびただしい弾痕が戦いの痕跡を正確に記録していた。
「で、どうすんの?」
「その前に、ここで数分待機してて欲しい」
「は?」
「大丈夫!」
何が?と言う間もなく、真宮は一つの店にさっと消えていった。
「先輩は追跡装置をどうにかしてくれるんじゃないかな?」
(……)
行き交う人々は武装しているか、大量の本を抱えているかのどちらかだ――住民とごく普通のシャツを着た『観光客』の比率は恐らく半々程度だと思われた。彼らも私達のようにNeumann等の野良統一デバイスをかざしてここに来たのだろうか?
「あの……私達、今、地上に出ているよね?それってつまり、今まさに追跡装置をもとに自衛隊が私達のところに向かってきているんじゃ……」
(あいつは命より本が欲しいんだよ)
真宮が店から出てきた。「行こうか!」やはり分厚い本を下げている。
「……重そうだね」
「ははは!何のために鍛えてると思ってんだよ」
哲学科である真宮のガタイがなぜ良いのかわかったところで、彼らは真宮の言う『死に場所』へと歩き出した。
「で、それってどこなの?早く教えろ」
「あれ、青樹先輩普通に喋れてる……終わったの…?」
「それ開いて地図情報見てみ」
慧理がAuto-syncの位置情報アプリを開くと、なぜか彼女は新宿バルト9の近くの店『ラムタラ』にいることになっていた。
「位置情報を5kmずらしている。君が動くとそれも移動するようになってる。今日から2週間作動するようになってるから」
「すごい…先輩、本当にありがとう」
「こんなの簡単だよ。で、どこなの?」
「ここ」
真宮が立ち止まった場所は書店街のど真ん中だった。そしてそこには「銭湯」と筆文字で描かれた看板が頭上に鎮座していた。
「何……『ゼニユ』?お金のお湯って意味かな……?」
「やっぱ知らないか。これはセントウって読むんだよ。昔の人が使った公共の風呂」
「え!」
青樹も銭湯の存在を知らなかったが、妙に納得した様子だった。
「高温の湯で
「確かある程度の防水加工はしてあるが、熱には耐えられないんじゃなかったか。ここだったらかなり熱い湯が出るだろうし」
「あの……服はどうするんですか……?」
「瞬間乾燥装置ぐらい設置されてるだろ。ちゃんと洗ってから乾かしてな」
「あの……もしかして……」
慧理が言いよどむ。真宮は思わず吹き出してしまう。この子にもこういう感情があったとは!
「大丈夫だよそんなベタな展開はないから。男女別だよ。さすがに
「じゃあさっさと洗って出るぞ」
彼らは別々に二人と一人に別れた。
幸いAuto-syncを介して電子通貨が使えたため、慧理は問題なく女風呂内に入場することができた。(これも青樹が細工したのだろうか?)
異様な光景だ……彼女は他人の裸というものを見たことが無かったし、それに時折、派手な傷跡の女性を見かけた。これは戦争の合間にできた傷なのだろうか。
服を洗うことが許可されているのかは分からなかったが、個別のシャワールームがあったため慧理はそこで服一式を洗浄することにした。シャワーはかなり熱く、最大温度にすると肌に触れられないほど温度が上がった。恐らく東京都の温度管理システムは引かれていないのだろう。シャワールームに据え付けられたメーターもディスプレイではなく、触れる《タンジブル》ボタンだった。そしてメーターを右に回してゆくと、際限なく水の温度が上がる。備え付けの丸くて深いボウルのようなもの(『盥』という名前がついているのだと後に真宮に教わった)にタンクトップとジーンズ諸々を入れ、熱くて手が入れられないためシャワーヘッドの先で服を揺すって洗った。
ここで私たちは『死んだ』ことになるのか……
最後に水で温度を中和し服を絞った。ついでに身体も洗っていくことにした。
「ここから大手町って近いんだな」
「むしろ神保町の近くに本社を建てたかったんじゃないのか」
「奴ら《Google》から見れば『神保国』もテロ集団と同じだもんな」
神保国内にはどうやら隠された地下通路が張り巡らされているらしく、その一つが大手町内のコンビニに繋がっているようだった。彼らは大体の勘で大手町方面の地下通路を通ってまた日本へ入国した。
「あ、あっちに読売新聞のビルがある。あの反対側が《Exit》に指定された場所だ」
大手町は東京らしく、統制され、規格内のオフィスビルが立ち並んでいた。徒歩10分とかからない場所に神保国があるというのは不思議だった。
「真宮です。今大手町に着きました。全員の位置情報は偽装済みです。一名Auto-syncを所持している人間が居ますが、青樹により処理が完了しています。問題ありません。はい。はい、そうです。じゃあ私にマーカーをつけとくのでその位置でお願いします。はい、失礼します」
数秒後、駅の裏から一陣の風のように黒塗りのタクシーが真宮の前に停まった。もちろん《Exit》所有の覆面タクシーであり、黒い塗装が流線型のボディに美しい。後部座席のドアが開き、3人はゆったりと座った。無人タクシーであり、前の座席――ベゼルのほぼ無いフロントガラスと、行き先を示すマップ――とを隔てる壁がフェードアウトし、室内は外の風景から完全に遮断された。
「道順、俺らには教えてくれないか、さすがに」
「誰も知らないんじゃないの。漏洩したら一大事だからな」
後部座席に備え付けられたダウンライトが暖色に車内を照らす。質の良い革張りの座席(おそらく、禁止されている本物の革を使っているのだろう)と道を曲がるたびに遠心力で感じるかすかな浮遊感。遮音効果も優れているようで、何も聞こえない。
「他社のインターンとは扱いが違うな」
青樹は以前に別の大企業のインターンを1ヶ月経験していたが、今回のように実際のテロに関わるのはほぼ初めてだった。それまでは主に運営側のプログラマーを経験していたのだった。真宮とテロ組織を結成しネットに流して、今日が記念すべきテロ活動への足がかりとなるだろう。
やがてタクシーが地上に接地した。再びドアがしなやかに開いた。
彼らの目の前には、白く清潔なフロント、バックライトで照らされた社名《Exit》、一つのエレベーター。
それと、地下60階まであるディスプレイ《インタンジブル》に表示されたボタン。
「普通の会社みたいだ……」
彼らはエレベーターに乗り込んだ。
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