カニバリズム・カニバリズム

 志乃原翔子にしたメールの内容は、非常に簡潔なものだった。


     *


 件名:仁文堂書店の宮澤です。


 夜分遅くに申し訳ありません。

 本日「生きている本」についてお問い合わせをいただいた宮澤と申します。

 いくつか質問がございます。「生きている本」とはどのようなものなのか詳しく教えていただけませんでしょうか。よろしくお願いします。

 また、私に何冊か心当たりがございます。それは志乃原さんの思う「生きている本」とは異なるかもしれませんが、一考していただければ幸いです。

 取り急ぎ、ご報告まで。


 宮澤悠


     *


 そんな形式ばったメールには、おそらくバイトなりの責任感のようなものがあったと思う。しかし僕は、このような文章を書くことに不思議と気持ち悪さは感じていなかった。就職活動を放棄した自分が、こんなビジネスマナー丸出しのメールを書きたくなるなんて、予想もしなかった。

 それはきっと先輩の話ができたからだと思う。自分が憧れていた先輩の小説の話。自分が好きなモノを他人に話すというのは、誰にとっても心地よいものだ。うまかった店の話。きれいだった女の子の話。カッコいい彼氏の話。好きなタバコの話。好きな本の話……。

 けれども、僕は決して自己満足の自分語りがしたいがために彼女にメールを送ったわけではない。実のところ僕が先輩の小説を「生きている」と感じたのには、ちゃんとした理由があるのだ。


     †


 三年生への進級を控えた三月、僕は教授に頭を下げて、なんとか単位を獲得した。これで留年は回避し、ようやく心の平穏が得られたという時期だった。そんなとき、僕は先輩に呼び出された。に付き合ってほしいと言われたのだ。

 まだ肌寒かった。大学は試験が一段落して、春休みというころだった。授業もなくて、キャンパス内は死んだように静かだった。

 そんな死んだような校舎の裏で、先輩はいつものように本を焼いていた。試験期間中に読んだ学術書から、小説、雑誌、ペーパーバックからハードカバーまで。それらを螺旋を描くようにして高く積み上げると、中心にオイルを注ぎ込み、最後に吸い殻を一本添えて。炎は瞬く間に燃え広がり、螺旋に沿って渦を描くように立ち上った。僕らにとっては軽いキャンプファイヤーだった。

 先輩はその光景をぼんやり見ながら、ハイライト・メンソールを一本くわえ、マッチを擦った。このとき葉の先端に火をつけるまで、しばらく時間がかかっていた。

「ねえ、宮澤くん。どうして私が読んだ本をわざわざ燃やしているか分かる?」

 ようやく火の点いたハイライト。先輩はひと吸いすると、僕に問うた。

「葬儀、じゃないんですか」

「そうね。でも、まだ本として機能を果たしている――つまり生きている本たちを、そのまま焼いているのよ。これ人間に置き換えるなら、生きたまま斎場に押し込むようなものなのよ」

「じゃあ、なんなんです。本を殺しているんですか?」

「本を焼く国は、いずれ人も焼く……でしたっけ。そうね、これは人殺しなの」

 先輩はそう言って、小悪魔的な笑みを漏らした。でもすぐにその笑みはどこかへ消えてしまった。

「嘘よ。でも、半分本当。私は彼らを殺している。でも、悼む心を持っていないわけじゃないわ。……だって、彼らは死んだわけじゃないから。彼らの中にあった文字や、その中に濃縮されたモノは、私に食べられて、消化されて、出力されているの。私は彼らの命をいただいているの。殺して、食べて、そして葬儀をしている。畏敬の念を持ってね。確かにここにある本たちは、殺されたわ。私が殺したの。でも、そのおかげで私はいろんなモノが書けた。それはある種、再生とか輪廻とか、そういうものなの。だから、これは葬儀」

 先輩がそう言っていると、火焔の渦に煽られて上昇気流が発生した。気流は燃えた紙たちを巻き上げ、上へ上へと運び続けていく。空へ、もっと高くへ。やがて黒ずんだ紙たちは空の彼方に消えて見えなくなった。

「宮澤くん、ありがとうね。いつも付き合ってもらって」

「いいですよ。好きで付き合ってるんですから」

「そう? ありがとう。でも、私って変な女だよね。ほら、こうして本を燃やすなんて。いつか人を殺すよ」

 先輩は短くなったタバコを携帯灰皿にねじ伏せた。そのときの彼女の横顔は、どこか物憂げだった。病的なまでに、物憂げだった。

「でも、それも今日で終わりにしようと思うの。もう本は焼かないことにしたの」

「どうしてですか?」

「本を食べないことにしたから」

 それが就職活動前に先輩が僕に残した最期の言葉だった。


     †

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