第12話 霊験邪験

「ここ?」

 マユラは洞窟の入り口のような、小さな岩山に穿たれた穴を指さした。

「そうよ」

 エレナは答え、

「ふーん」

 エレナが祠というところの、洞窟の入り口を眺め、いささか期待外れ感のにじむにじむ表情となった。

 祠というからには、マユラはてっきり古めかしい神殿風の建物を予想していたのだが、ここはどうみてもただの洞窟。クマやイノシシが巣穴に使っていたとしても、英雄の宝剣が収められているような、そんな厳かな感じはまるでしないのだ。

「中はどうなっているの」

「五十メートルぐらい降りるかしら、その先は広い空間となっているの。天然の洞窟を利用した祠よ」

「つーか、ただの洞窟だろ」

「祠というのは、神様や神聖な宝物を祀ってある場所をいうのよ。洞窟だってあばら家だって、神様や神聖な宝物がお祀りしてあれば祠なのよ」

 エレナの言葉に、マユラもなるほどと思った。確かに、肝心なのは神聖な宝物、この場合には大昔に英雄が鬼を斬ったという名剣であり、それが置かれている場所などどうでもよいのだ。

「けど、ずいぶんと辺鄙な場所にあるんだね」

 クリオ砦から二時間以上歩いた。平原を超えて、赤土のごつごつ隆起する入り組んだ地形に入り、そのうちの一つの小さな岩山に、エレナは案内したのであった。

「宝剣を守るためよ。誰にでもわかるところにあったら、宝剣を盗ろうとする人が出てくるでしょ。この場所は我が家にだけ伝わる秘密なの。どんないきさつでそうなったのか、大昔のことはわからないけど、うちの家は代々剣の祠を守ってきたの。だけどお父さんは全然興味がなくて、お祖父さんの話を聞こうともしなかったの。それでお祖父さんは、私に剣の祠の場所を教えたの。だからこの場所のことを知っているのは、私たち二人だけよ」

「でも、そんな神聖な宝剣を持ってって大丈夫。あとで罰とか当たらない」

「いつかヒーローが現れた時に、宝剣を役立ててもらうためにお祀りしていると、お祖父さんは言ってたわ。マユラは私のヒーローだもの、きっと、今がその時なのよ」

 天真爛漫に言うエレナであったが、マユラの読んできたラノベでは、こういう場面はドラゴンバスターとかルーンナイトとか、大陸に勇名轟く英雄の出番である。正直気おくれがないでもなかったが、エレナの好意を無下にできないし、ここまで来て尻込みするのも男がすたると、マユラは腹を決めた。

「よし、入ってみよう」

「入口は狭くて背をかがめないと頭を打つわよ。それと、急な下り坂ではないけど、石段とか無いから、足元には気をつけてね。下りた先にはとても広い空間が広がっていて天井も高いわ。奥に行くにしたがって、天然の障壁があったり、穴がいくつもあって地形は複雑になってゆくの。そうした洞窟の一つに宝剣を安置して、お祖父さんはそこを剣の間と呼んでいたわ。宝剣様にご挨拶して来るとかいって、剣の間に入っていったけど、私は入れてもらえなかったの。だから、宝剣を見たことがないの。お祖父さんが噓をつくはずないけど、でも、もし宝剣が無かったら、あなたをガッカリさせることになるわ」

「ちょっとはガッカリするかもしれないけど、そのことでキミを悪く思ったりしないよ。けど、なんで剣の間に入れてもらえなかったの」

「女が剣に近づくとよくないことが起きるとお祖父さんはいってたわ。たとえ一人で来ることがあっても、剣の間には入らないように言われてたの。だから、お祖父さんが亡くなってからは、一度もここには来なかったわ」

「そんなの迷信だよ。とにかく入ってみようぜ。どうせ剣はボクの物になるんだし、キミも、一族代々守ってきたものをその目で見るんだ。大丈夫、剣はきっとある。そんな気がするんだ」

 エレナはランプを持ってきていた。毎回剣の祠に来るときには用意してきたもので、マッチで燈心に火をつける。ランプを手に下げた彼女が先に立って、いよいよ洞窟に踏み入ってゆく。ガラスのほやの中の小さな明かりは、陽光のもとではなきがごときものだったが、洞窟を降りてゆくと、たっぷりした闇を黄色い光の押しのけ、さながら小さな月のようであった。マユラはごつごつした天井の岩に頭をぶつけないように背をかがめながらエレナの後をついて行く。背の低い分、かがめる度合いも小さくて済み、こういう時は楽なのだが、本人はもちろん、そんな屈辱的なことは考えない。

 ゆっくり、エレナの提げるランプの灯りをたよりに闇の中を降りてゆく。マユラには、この暗闇を下降する時間はやけに長く感じられ、このまま、地の底にあるという冥王の宮殿にまで続いているのではとも思えたが、前方の、ランプの明かりが淡く広がり、開けた場所に出た感覚とともに、足元が平らになった。

「着いたわよ、もう、伸びをしても大丈夫よ」

「やっと到着か」

 マユラは、さも窮屈なところから出てきたというように大きく伸びをした。口さがないサブリナなんかがいたら、オマエはそんなに窮屈だったかと、嫌味の一つも言ったかもしれないが、エレナはそんな意地悪な性格ではない。

 エレナはランプを高くかかげ、小さな明かりに浮かび上がったのは、自然の手により途方もない年月をかけて穿ち抜かれた奇景だった。天井を岩盤が覆い、ごつごつした岩肌のぽつりぽつりと、所々水滴をしたたらす。奇岩のあちこちに見えたが、地面の意外に歩きやすいのは、エレナのご先祖たちが手を加えてきたのだろう。

「地下にこんな世界があるなんて、驚きだね」

 マユラは、生まれて初めて見た、地下の奇観に驚嘆した。空気はひんやりと涼しく、わずかに風も感じられる。

「風が吹いているね」

「どこかで外と通じているみたいだけど、隅々調べたわけじゃないからわからないわ」

「なんかワクワクするね。ひょっとしたら剣以外にも、宝物が隠されているかもしれないぜ」

「私はゾッとしないわ」

 エレナは、この場所に、あまり好感を持っていないようだ。

「どうして?」

「ここにくると、時々誰かに見られているような感じがするの。

「誰かいるの」

「いないわよ。獣一匹いないはずよ。でも、視線を感じることがあるの」

「そりゃあこんな地下の洞窟だもん、女の子が怖がるのも分かるよ。だったらサッサと剣をいただいて、こんなところおさらばしようぜ」

「ついてきて」

 歩き出すエレナに、マユラも後をついてゆく。やがて彼女は、洞窟の奥の岩壁に開いた穴の前に来た。マユラたちの背丈以上あって、背をかがめなくても通れそうな大きさだった。

「ここが剣の間よ。この奥に宝剣はあるはずよ」

「はいろうぜ」

「・・・・」

 エレナは、ずっと入るのを禁止されていたので、まだためらう様子だった。

「へっちゃらさ、行こうぜ」

 マユラにうながされて小さくうなずき、二人は、巨大な地下空間の奥に口を開ける洞窟を入っていった。

 2人が並んで歩けるぐらいの穴は、Ł字に曲がっていて、曲がった先に部屋ほどの空間があった。エレナがランプで照らすと、そこも人の手が加わっていない自然の岩屋で、奥の岩棚の上にそれはあった。宝剣として安置されているという割には、箱に収められているのでもなく、台の上に掛けてあるのでもない。岩棚に直に置いてあって、まるでだれかが無造作になげて、立ち去った後のようだ。

「コレ?」

 マユラは拍子抜けの顔でエレナに問う。

「じゃないかしら、他に剣なんてないもの」

 彼女もここには初めて来たわけであり、もう一度ランプであたりを照らしてみたが、他には大小の岩の転がっているばかりだ。

 マユラは、改めてそれを見る。

岩棚の上に身を横たえる一振りの剣。いや、それは剣ではなく、師匠の志摩が腰に差しているのと同じ、刀であるようだった。反りのついた姿と、丸い鐔のついた外装の様式が志摩の大刀と同じようだった。地下に長い時間あったからであろう、黒っぽい鞘はところどころ変色していた。柄は黒い革紐が巻き締めてあり、鐔は装飾の透かし彫りが入っていたが、なんの図柄かは分からない。かなり長い間、この地下の空間に放置されていたみたいで、ずいぶんと色あせてみえる。

 マユラはしばらく眺めていて、刀に手を伸ばした。

「それを抜いた人はいないわ」

 不意にエレナが叫んだ。

「どうしたの」

「うちの先祖は一人として、宝剣を抜いたことはないと、お祖父さんはいってたわ。抜くと不幸になるって」

「でも、キミの家は、いつかヒーローに渡すために、代々剣を守ってきたっていってたじゃない。そして、ボクをヒーローと認めて剣をくれるんだろ。もしかして、ボクに剣をくれるのが惜しくなったの。もっとヒーローらしい人間を待つべきだとでも思ったわけ」

「そうじゃないわ、マユラはわたしのヒーローだもの。きっと、伝説の聖剣、エクスカリバーだって、身に帯びるにふさわしいはずよ」

「いや、それは、なんぼなんでも言い過ぎだろ」

 聖剣エクスカリバーは皇帝家に伝わる天下の重宝であり、そこまで持ち上げられると、かえってマユラのほうが恐縮してしまう。

「だけどこの剣は、ご先祖たちが守り伝えてきた英雄の剣だけど、私には、そんな英霊の名残りの宿るようなおごそかなものには見えないわ。むしろ禍々しくさえ感じる。岩の上に、雑に置きっ放しにされていながら、近寄り難い。それも神聖さとかではなく、なにか、放し飼いの猛犬を見るような感じよ。ここまで連れてきて、いまさらこんなことを言うのもひどいかと思うけど、こんな、禍々しい剣は忘れたほうがいいわ。いつかきっと、もつとマユラにふさわしい剣が見つかるはずよ」

「大げさだなあ」

 マユラは、エレナの懸念を一笑に付した。

「こんなの、どこにでもありそうな代物だぜ。これなんかより、志摩先生のミスリル一文字のほうがよっぽどかおっかないぜ」

 ズズーン、轟音とともに、師響きの足元に伝わってきた。

「いまの、なにかしら」

 不安そうなエレナに、

「さあね」

 マユラは気にも留めず、大刀に手を伸ばす。

「マユラ!」

「こいつをいただきに来たんだろ」

 エレナに構わず、マユラは刀を掴んで取り上げる。やっぱり刀だった。菱形を連ねるように見せて革紐を巻き締め、丸い鐔を嵌めた柄の作りや、反りのある鞘の形など、志摩のミスリル一文字と同じだった。ランプの弱い明かりでは、何色とも判別できかねたが、鞘などはまだらに変色していたし、何百年地下にあったので当然だが、全体的に相当に古色を帯びている。しかし、その割にはがっしりと頑丈そうで、どこにも朽ちた箇所はない。

「マユラ」

「こいつは剣ではない、刀っていうんだぜ」

「カタナ・・・」

「たとえよくないことが起きるとしても、それがもっと良くない事を克服する手段ということもある。しょせんこの世は、お花畑の中ばかりを歩いてゆくってわけにはゆかないのだから」

 普段は明るくて単純で、年齢よりもちょっと子供っぽく見えることもあるマユラだったが、時に、少年とは思えぬほど強靭な一面を見せる。あの怪物と戦った時や、真剣を抜くロイと試合をした時、そして今、鋼のような芯を露わにする。それは家族を奪われるという悲惨な過去や、傭兵たちとの旅で厳しい現実を目の当たりにすることで、鍛え上げられたものかもしれないとエレナは思った。そして、自分には想像も出来ない苛酷な体験によって、鋼のような胆力を鍛え上げながらも、少年の純真さを失わない、そんなマユラと一緒なら、何があっても怖くないと思うエレナだった。

「行こう、さっきの岩が崩れたような音は、なんか、嫌な予感がする」

 ランプを持ったエレナを先にして、闇の満ちる洞窟を歩きながらも、腰に差した大刀の重みも心強いマユラであった。

「ああ!」

 エレナが悲鳴をあげた。地上へと続く洞窟の入り口が、落石によって完全に埋まっていた。坑道のような地上から降りてきた通路は、崩れ落ちた大小の岩に塞がれた、地上の光が針ほども漏れる隙間もない。マユラは手で岩を掻き出そうと試みたが、ぎっしり詰まった岩はびくともしない。

「ツルハシでもなけりゃ無理だな。ここに来ることを家族の誰かに話した」

「いいえ」

「この場所は、キミしか知らないのだったね」

 エレナは無言でうなずいた。

——なんてこった——

 マユラは嘆きそうになるのをなんとかこらえた。しかし、チームの仲間たちやエレナの家族が二人を探しても、こんな場所見つけられっこない。

「ごめんなさい、私がこんなところに連れて来たばかりに・・・」

「キミが悪いんじゃないよ。これも運命さ」

 マユラは、内心の不安はおくびにも出さず、平然と言ってのける。

「さあ、俺たちの運命を試そうぜ」

「えっ」

「ここには風が吹いていて、どこか外に通じている場所があるかもしれないって言ってただろ。そこを捜そうぜ」

「そうね」

 エレナも呆然としていた心境から気を取り直して、マユラとともに歩き出した。

 洞窟の中には確かに風が吹いていた。それもエレナにはいつもより強く感じられる。エレナは祖父に連れられて剣の間の近くまで来ていただけで、洞窟をくまなく歩いたわけではない。この大洞窟がどれだけの広がりをもっているのかも分からなかった。

 風の流れてくる方へと黙々と歩く。周囲を満たす闇に対して、エレナの提げるランプの明かりはいかにも心細く、二人はときに迷いながらも、風の吹きこんでくる場所を目指して歩いた。黙っていると不安に胸が潰れそうになるが、かといって、何か話す気分にもなれない、そんなじりじりした心境で、細い糸をたぐっていくゆくように、風の流れをさかのぼってゆく。まことにか細い望みだが、それが二人にとっては唯一の希望なのである。

 ついに風の吹き込む場所にたどり着いた二人の前には、大きな岩が立ち塞がっていた。風は岩の隙間から吹き込んでいて、岩の向こう側は地上に通じているらしかったが、岩は巨大なトロールの如くにも二人の行く手を塞いでいる。マユラは、岩を押してみたが、無論びくともするものではない。

 腕組みをして岩を見上げるマユラ。その横でエレナが、

「もう、ランプの油があまりないわ」

「・・・・」

「ランプが消えたら、わたしたちは真っ暗な中に閉じ込められてしまうのよ」

 声を震わせるエレナに、かける言葉も見つからず、マユラは岩を見上げ、腰の刀に手をやった。

「岩を切るつもりなの、無理よ。岩なんて、剣で切れるわけないじゃない」

 エレナの声はいつになくヒステリックで、なじる響きがあった。


 常識ではそうかもしれないが、マユラは以前、木刀で立木を吹き飛ばしたことがあった。あの時よりはレベルアップしていると思うし、英雄の刀にも特別な力が備わっているかもしれない。そりゃあ、立木と目の前にある大岩とでは全然違う。ネズミを打ち取った力を頼りに、クマに挑むようなものである。しかし今は奇跡を信じて、この刀に全ブレイヴを込めて、乾坤一擲の一刀を放つしかない。

 マユラは大岩を一睨みして刀を抜きにかかるが、鞘走りは固く、ざりざりと鞘の中で錆を噛む感触に勇気も萎えそうになる。こんな地下で何百年も放置されてたら錆びるのも当然か。とにかく腕に力を込めて、なんとか刀を抜き放った。

「あっさり折れてくれるなよ」

 マユラは刀に語りかけ、ブレイヴ体になった。陽炎のようなブレイヴの波動の全身より沸き立った。エレナには、ランプの薄明かりではそれは分からなかったが、足元にストリームの形成されてマユラの身体が数十センチ浮上すると、いつもながら不思議そうな表情となる。

 マユラは大上段に刀を振りかぶり、ストリームを噴かせて突進するや、大岩めがけ渾身の一刀を叩きつけた。

 !

 刀身の岩を噛む手応えがして、轟音とともに凄まじい衝撃が起こり、次の瞬間、マユラは吹き戻しの風に煽られてひっくり返った。

「いててててっ」

 背中を打ち付けた痛みに顔をしかめながら見上げると、巨岩は木端微塵となっていて、上へと続く穴の先に青空が覗いていた。

 マユラは半身を起こした姿勢のまま、しばし呆けた面持ちで、岩の砕け散ったあとを見ていた。確かに、奇跡を願っての一撃だったけど、これはあり得ないほどの奇跡だった。だからこそ奇跡なのかもしれないが、だがしかし、あれだけの大きな岩をこうも粉々に破砕するとは、にわかには自分のしたこととは信じられなかった。

「マユラ、なんて凄い人なの」

 エレナに抱き着かれ、頬にキスの洗礼を受けた。母を除けば、もちろん生まれて

初めてのことで、マユラは、頬を赤く染めながらも頭の中は真っ白になった。

「とにかく、こんなところ早く出ようぜ」

 やおら立ち上がり、エレナも離れた。

「私のこと、軽蔑している?」

「なんで」

「だって、あんなに取り乱して」

「誰だって、こんなところに一生閉じ込められるかもって思ったら、そりゃあおかしくなるさ。エレナは冷静だったほうさ」

「あなたはずっと落ち着いていたわ」

「一つ、試してやろうと思っていたことがあったから、それで気が紛れていただけさ。さあ、日の当たる場所に出ようぜ」

 二人は、巨岩の粉砕されたあとに開いた、地上へと至る坑道のような道を登っていった。

「お日様を浴びるのが、こんなにありがたいことだとは思わなかったわ」

「そうだね」

 二人はすがすがし気に空を仰いだ。

「わたし、なんと言われようと、もう二度と洞窟になんか入らないわ」

「ぼくも、ゴメンさ」

 顔を見合わせ笑顔となる。

「だけど、あんなに大きな岩を吹っ飛ばせるなんて思ってもみなかったよ。やけくそでもやってみるもんだね」

「マユラはヒーローなのよ。だから奇跡は起きたのだわ」

「僕の力なんて知れたものさ。英雄の刀さ。きっとこいつは凄い名刀なんだ」

 マユラは、鞘に納めていた刀を抜いてみた。

「うーん、やっぱりか」

 最初に抜いた時に感じた、錆を噛む感触に偽りはなく、陽の光の中で見るそれは、見事に錆びついて全体赤黒く、白刃の冴えの一点とてなかった。

「まあ、地下に何百年も置いてあったら、どんな名刀だって錆びるさ」

 マユラは、一族が代々守ってきた物ががこのありさまで、エレナにが落胆しているのではないかと思ったが、エレナは、なにか危ないものをみるように、眉宇をひそめている。

 きっと剣を見慣れていないから、こんな錆刀でも、危なっかしげな顔になるのだとマユラは思った。

「まあ、こんなに錆だらけだけど、きっとこの刀に宿っていた鬼退治の英雄の力、霊験ってやつが、僕たちを救ってくれたんだと思うぜ」

 マユラは錆だらけの刀を、称賛の表情で眺めた。

 ふいにエレナが振り返り、

「どうしたの」

 マユラは刀を鞘に納めながら聞いた。

「だれかの声が聞こえたような気がしたの」

 あたりを見回したが、人影一つ見当たらない。

「誰もいないぜ」

 マユラの言葉にうなずきつつも、エレナは風のそよぎの中に、笑い声を聞いた気を打ち消せずにいた。

 ふと彼女は、自分たちが出てきた穴を振り返った。

「あそこから出てきたのは、私たちだけだったのかしら」

「他に誰がいたっていうのさ。洞窟にはコウモリ一匹いなかったんだぜ」

「そうよね」

 エレナは納得してみせるも、風のそよぎに紛れて聞こえたあの声は、悪意したたる嘲笑のようにも感じられて、胸騒ぎを覚えるのであった。


 ケルト神殿は、長らくこの地域のエウレカ教の中心であっただけに、古びてはいたが大きな神殿だった。エウレカ像を祀る正殿に、修道士たちの修行の場である修養場、舞を奉ずる祭殿やその他の建物が、広い敷地の中に分散して建っていた。

 不承不承やってきたグレッグは、がらんとしたたたずまいに目をしばたいた。参詣する人の一人とてなく、それはまあ、こんな田舎の神殿なのだから、お参りする信者の一人もない日も珍しくないのだろうが、なにか、廃墟に足を踏み入れたような感じがしたのだ。

「ようこそ、お越し下された」

 おとないの声をあげるまでもなく、ローラン司祭が二人の修道士を従えて迎え出ていた。

「俺を指名だそうだな。こんな酔いどれだが、コソ泥の二三人叩きのめすぐらいは造作もないことだ。ただし、おまえさんの妙な術とやらはお断りだ。呪術やまじないのたぐいは信じないことにしているのだ」

 高飛車に言うグレッグに、

「そうですか、とにかく神殿にご案内します。ついてきてください」

 ローラン司祭は気を悪くした様子もなく、神殿へと案内していった。二人の修道士が大きな扉を左右に開き、司祭と二人入ってゆくと、そこは大きながらんどうだった。窓はみな厚い生地のカーテンが引かれていたが、開け放った大扉から陽光がなだれ込み、ほの白く浮かび上がるそこは拝殿となっていた。奥にエウレカ神の像が安置されていて、信者たちが祈りを捧げたり、様々な儀式が神の御前で執り行われるf場所である。司祭はエウレカ神の像の前を横切り、脇に延びる廊下をすたすた歩いてゆく。

 グレッグは司祭の後ろを歩きながら、ふと違和感を覚えた。しかしそれが何によるものなのかは分からずにいた。長い廊下を歩いた先の一室に招き入れられた。神殿の裏庭に面した部屋だが、ここも窓はカーテンで閉ざされて薄暗かった。

「どうぞ、おかけください」

 円卓があり、グレッグは椅子を引いて腰かけると、なんとなく室内を見回した。妙に殺風景な部屋だった。目に付くものが何もなく、大きな書架があったが中はからっぽだった。

「ここはあなたの部屋か」

「そうですが」

「ずいぶん、さっぱりしているな」

「くだらない物がいろいろあったので、処分したのです。ゴミは要りませんからね」

「それはそうだが・・・」

 司祭の書架となれば、教典など宗教関係の書籍の、金箔押しの背表紙がズラリと並んでいるものだ。中にはそのうちの半分も読まずに、見栄で書架を満たしている者もいると聞く。そのような者に比べれば正直かもしれぬが、一冊もないというのも妙であった。

「マユラという少年はどうしました。一緒に来るはずではなかったのですか」

 いきなり司祭に聞かれ、グレッグは首をかしげた。

「マユラ、出かけるときには見なかったが、おおかたどこかで遊びほうけているのだろう。アイツがどうかしたか」

「なに、おいたをした子は懲らしめねばならぬ、そうでしょう」

 円卓の椅子に着き、グレッグと向かい合う司祭は、外で会ったときとは打って変わったものに見えた。あの腰の低い温厚さが消えて、冷たく横柄そうだ。しかし、そんなのは珍しいことではない。というか、皆、外では世渡りに都合のいい仮面を付けているだけで、家に帰ってそいつを外せば、温厚篤実な司祭も因業金貸とさして変わらぬ、人間とはそういうものなのだとグレッグは思った。

「マユラがアンタになにかしたのか」

「たいしたことではありません」

 司祭は無意識にか胸に手をやった。

「いたずら小僧には、いずれケジメをつけるとして、そんなことより大事なのは貴方のことだ」

 グレッグを見つめる司祭の目には、尋常ならぬ光の宿るかであった。

「一目で、貴方が並の人間ではないと分かりましたよ。あのチームの中でも貴方は別格だ」

「よしてくれ、俺は、チームじゃお荷物扱いなんだぜ」

「悔しくはないのですか、貴方ほどの方があのような者たちに軽んじられて」

「仕方ないさ、俺は役立たずなのだからな」

 グレッグは自嘲して横を向いた。

「今は、その身に備わった能力を十分に発揮出来ない状態にある。それだけのことです。元に戻れば・・・」

「元に戻るわけないだろ!」

 グレッグは円卓を烈しく叩いた。

「立ち直るために、俺がどれだけ駆けずり回ったかわかるか。名医と定評のある医者の門を叩き、優れた効験を示したと噂される呪い師のもとを訪ね歩き、霊験あらたかと言い伝えのある各地の神殿を回った。ずいぶんと歩き回って、しかし、結局は無駄足だったのだ」

「それは当然でしょうな」

 グレッグの怒気に対して、冷笑するような司祭であった。

「なにが当然なのだ。きさま、俺を笑いものにするつもりか」

「貴方を笑うつもりはありません。ただ、何かを求めようとするのなら、それが有るところに行くべきで、無いところをいくら尋ね回っても、手に入らないのは道理。山でクジラを捕ろうとするが如く、海で虎を狩ろうとするが如くです」

「だから俺は、医者や、呪い師や神殿や、いかにもそれがありそうなところを、尋ね回ったといったではないか」

「程度の低い知識や技術しか持ち合わせぬ医者や、子供だましの呪い師、頼むに甲斐なき神の神殿など、百万回巡ってもなにも得られません。そもそもこれらは、敢えて得るべきほどのものを、なにも持ち合わせていないのです」

「おいおい、あんたは司祭だろうが。頼むに甲斐なきとは、神様を冒涜するようなことを言っていいのかよ」

 グレッグに信仰心を疑われても気にもとめない。

「しかしこの世には、あなたを治せる力が存在するのです」

「おぬしのまじないか」

「いいえ、まじないなどという子供だましではなく、きちんと確立された技術です。科学といってもよい。運に頼ることなく、確実にあなたをお救い出来る。以前の力を取り戻し、さらにもっと強き者になることも可能です」

「いい加減なことをいうな。そんな力、あるわけないだろう」

 怒鳴りつけるグレッグにも、司祭は鉄面皮のごとき無表情で、

「ありますよ、そしてそれは、貴方もご存知のものです」

 きっぱりと言ってのける。

「馬鹿な、そんなもの知っていたら、とっくにとびついているはずだろうが」

「猿に黄金を与えても、猿は黄金のなんたるかを理解しません」

「・・・・」

「同じように、古臭い倫理観に縛られ、臆病な未開人の洞窟に引きこもるが如く、旧来の世界観から一歩も出ることの出来ない、無知蒙昧の輩には、目の前に人類の真なる進化の道が延びて、黄金の未来へと至る門が開かれていたとしても、無意味に怯え、警戒するばかりで、これを正しく理解して、栄光への一歩を踏み出すことはできぬのです」

「なにが言いたい。無知蒙昧とは俺のことか」

 グレッグは司祭の言いように、戸惑いつつも声を荒げる。

「貴方のことを言ったのではありません。この、アルスター帝国の社会全体について述べたのです。それに貴方は今日、旧来の世界観より踏み出て、真なる進化への道を歩まれるのですからね」

「なんだと、それはどういうことだ」

「ともかく、今日は貴方が人生を取り戻し、真に歩むべき道に立たれる記念すべき日。大いに祝おうではありませんか」

 司祭は手を叩いた。部屋の外に控えていたらしい修道士が入ってきた。運んできた盆からグラスを二人の前に置き、ボトルを傾けて琥珀色の液体を注いだ。そして、ボトルをテーブルの上に置くと、入った時と同じく、無言のまま出ていった。

「これはなんのまねだ」

 グレッグには口をつけずとも、グラスに注がれた液体がなんであるか分かった。「今日、貴方は生まれ変わられる。人生をふたたびその手に取り戻し、栄光への道を歩まれる。その輝かしき門出に、祝杯をあげるのです」

「あんたの言っていることは、よく分からん」

 既にグレッグの目は、グラスに釘付けとなっていた。

「いずれわかりますよ。まずは一献」

「馬鹿を言うな。俺がコレを飲んだら・・・」

 グレッグは自制心をふりしぼったが、目をグラスから離すことが出来ない。

「どうなるというのです。ただの酒です、毒など入っていませんぞ」

 司祭はグラスを持ち上げ、グレッグに献杯した。

「ソードマスターグレッグ殿の再誕と、その輝かしい未来に」

 司祭はグラスを傾ける。

「うむ、上撰です」

 グレッグはたまらず、グラスにつかみかかった。一息にグラスをあおれば、酒は砂漠にこぼれた一椀の水のごとく、瞬く間に喉に沁み入ってむせもしない。

「いい飲みっぶりです。ヒーローはこうでなくてはいけない。ささ、どうぞ」

 司祭が注いでやり、グレッグは重ねてグラスを空ける。一二杯飲んだ程度では、酒への飢渇を意識しただけで、到底満足といえる心地にはなれぬ。たちまちにボトルを一本空にする。司祭が修道士に新しいボトルをもってこさせて、このときになってグレッグは、不意に、神殿に入った時に感じた違和感の正体に気づいた。この司祭はエウレカ神の像に一礼することなく、その前を横切ったのだ。エウレカ神に仕える者ならば跪拝すべき神の前を、まるで目に入らぬが如く歩き過ぎたのだ。こやつには、エウレカ神への信仰など一ミリもない。

「アンタは何者なのだ・・・」

「酒を酌み交わしながら、おいおいにお話ししましょう。私も貴方のことをもっと知りたい」

「俺のことをだと」

「さよう。過日のクリオ砦での宴の席で、酔った貴方は、胸中に巣食う恐れを口の端にのせようとなされた。私はね、あのとき、貴方の心の中の恐怖の叫びを聞き取った、ゆえに、貴方に注目したのです」

「あっ、あれは・・・」

 グラスを持つ手が震え、酒気にとろけるようだった目が、恐怖に凍てつく。

「さあさあ、一つ空けて落ち着きなさい」

 司祭はグレッグのグラスに注いでやり、グレッグは、恐怖を忘れる薬ででもあるかのように飲み干したが、瞳は暗く凍てついたままだった。

「きっと、あなたが酒浸りになったのはその恐怖から逃れるためだったのではありませんか」

「・・・・」

 酔っぱらって、断片的に口走ったことはあったかもしれんが、決して詳細を話したことはなかった。聞き出そうとする者はケンカ腰で突っぱねて、ときにはケンカになることもあった。とにかく胸に秘めて誰にも語ったことはなかったその秘密を、今、聞き出そうとする司祭に対して、グレッグは、反発することが出来なかった。勧められるままに酒を飲み、酔いに混濁した頭に、司祭の目が赤く見えた。血のような赤に染まった目は、瞳孔の縦に開いて人間のものではなかった。しかしそれも、酒のもたらす幻覚と自覚しているかの如く、グレッグは驚きもしなかった。司祭の口が開き、しゅるっと先端の二つに割れた青黒い舌が伸びた。そして彼のまとったローブの下には、なにかうねうねとうごめくもののあるかのようで、人ならざるものの様相をあらわにした司祭に対し、グレッグは酔い心地の表情で、すっかり魅入られてしまっていた。 

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