第13話同盟と誘惑

「埋葬の準備が整ったら、家族に知らせてやれ。あんな死体、家族には見せられんからな」

 書斎のデスクで珈琲を飲んでいたウィランド男爵は、執事に命じた。

 生首が持ち出されるという血生臭い会見から二時間あまり。生首は既に運び出され、今頃は葬儀屋が胴体と合わせて、平安な死を迎えたもののように装わせて棺に納めようと、あれこれ手をつくしているはずだ。

「どのように説明したらよいでしょうか。ペドロ氏の家族も、いきなり一家の主の死を知らされ、来てみたら既に埋葬するばかりとなっていたとなれば、大いに不審がるでしょうし」

 困惑顔の執事に、ウィランド男爵は舌打ちして立ち上がった。

「グルザム一味の存在を匂わすなどして、脅し半分でうまくなだめろ。ただしベイロードの名は出すなよ。亭主の死に軍が絡んでいたなどと、あちこちで騒ぎ立てられたら厄介だからな。まったくベイロードの奴、他にもやりようのあったものを」

 今しがた飲んでいたブラック珈琲よりも、苦そうに顔をしかめる。

 ペドロ氏の生首が持ち込まれた大広間は、使用人たちに徹底的に掃除させていたが、当分使う気にはなれぬ。友人たちを招いて、パーティーを開くのを楽しみにしているウィランド男爵には、なんともやりきれぬことであった。

 帽子掛けから帽子を取り、

「出かけてくる」

「どちらへ」

「ルルの店だ。あんなものを見せられた後だ、女を相手に酒でも飲んで、心についた血生臭さを洗い落とさねばな」

 ルルの店というのは、ルルという三十路女がママをしている、男爵行きつけのクラブだ。クラブといってもこんな田舎町のこと、ちょっと気取った居酒屋程度の店だ。

「まだ早いのでは」

 確かにまだ日も高く、水商売の店が開く時間ではない。

「なに、私が行けば、いつだって相手をしてくれるのさ」

 実は男爵は、ルルのパトロンであった。ベイロードらとともに、ウィズメタルの密貿易の片棒かついで得た金をつぎ込んだのは、なにも屋敷や美術品だけではないということだ。

「葬儀はいかがなされます」

「どうせ訃報を伝えにゆくのだから、そのまま君が私の代わりに仕切ってくれ。私が顔を出すと、いろいろ聞かれそうだからな」

「かしこまりました」

 応えたものの厄介ごとを押し付けてくる男爵に、いささか憮然の執事だった。

 男爵はそんなのお構いなしに帽子を手に、気もそぞろドアを開けて部屋を出た直後、首筋にゾクリとした感触のあって、凍ったように動きを止める。

 目の前に若い黒人女性の顔があり、ヒヤリとした首筋は、肌に触れるか触れないかで止まった、切れ味良さげなショートソードだった。

「やあ、さっ、サブリナくんだったかな」

 喉元の剣に顔をひきつらせながらも、男爵は笑みを作った。

「あら、名前覚えていてくれてたの」

「そりゃあ、美人の名前は忘れないさ」

 冷や汗にじませながらの男爵の愛想にも、サブリナはニコリともしない。

「その美人がわざわざ迎えに来たのよ、しけた店で厚化粧のオバさん相手に飲むこともないでしょう。つきあってもらおうかしら」

「どこへだね」

「まさか墓場に連れていきゃしないわよ。クリオ砦、ライゼン隊長がお呼びよ」

「一二時間前に会ったばかりだが」

「あなたと会う用件が出来たのよ」

「どんな、だね」

「行けばわかるわよ」

「しかし、私は一応ベイロード側の人間でね、下手にライゼン隊長と会ったりしたら、妙な疑いをかけられて、それこそペドロ氏の二の舞ということになりかねん」

「私が来たのは、説得などの手間を省くための人選ってこと、理解してもらえないかしら」

 若く、美人という言葉がお世辞でもないサブリナだが、既に歴戦の傭兵であり、凶暴な言葉も、脅しで済まないかもと思わせる凄味がある。

「剣にものを言わせる気かね」

 次の瞬間、サブリナのショートソードがキラリと翻り、帽子掛けから取って、まだ手に持ったままの男爵の帽子が、スパッと裁断されていた。

「似合わないわよ」

「どうやら、従うよりなさそうだね」

 ウィランド男爵は、二つになって布切れ同然の帽子を執事に手渡した。

「馬車を待たせてあるわ」

 サブリナにうながされ。歩き出した男爵だが、.ふと足を止めた。

「見張りを立たせていたはずだが」

「ああ、眠っているわ」

「・・・・」

「もちろん、永遠にじゃなくてよ」

「お心遣い、いたみいる」

ウィランド男爵は肩をすくめ、歩き出した。

 クリオ砦に到着して、気がつくと一緒に馬車に乗っていたサブリナが、いつの間にかいなくなっていた。馬車の中では一言も言葉を交わさなかったが、それは面識のない女性とたまたま近づきになったときに感じる、言葉をかけるのも迷うような、照れくささや遠慮ではなく、狼と一つ檻に居合わせたような居心地の悪さで、姿が見えなくなってほっとしたというのが、正直なところだ。

 兵士に案内されて砦の中を歩きながら、男爵はライゼン隊長の用向きを考えた。先の会見でベイロードが言ったように、この戦いでライゼン隊長の勝ち目はない。州政府の上層部の金脈を断つようなことが、できるわけないのだ。それはライゼン隊長にも分かっているはずだ。となればなにか条件面でベイロードとの交渉を仲立ちしてほしい。そんな依頼なのかもしれない。なんといっても、夫人は助けたいはずだし・・・そんなことを考えていると、

「こちらです」

 案内の兵士がドアを開く。

 入るとそこは遊戯室で、ビリヤード台やカードゲームのテーブルがあった。ライゼン隊長をはじめクリオ砦の主だった面々、それに傭兵たちも顔を揃え、あのサブリナの姿もあった。

「これは、ゲーム大会のご招待でしたか。いや、ずいぶんとご丁寧な迎えをよこされたので、何事かと思いました」

 ウィランド男爵は、皮肉な目でサブリナを見やって作り笑いを浮かべたが、もちろん、ゲーム大会など始まりそうにない雰囲気なのは、入った瞬間に分かった。ライゼン隊長はニコリともしないし、レイウォルをはじめとする将校たちの表情も硬く、傭兵たちは狩場に集められた猟犬のたたずまいだ。

「急に呼び立ててすまぬ」

 カードゲームのテーブルに腰かけていたライゼン隊長が口を開いた。

「いえいえ、暇をしていました、どうぞお気になさらずに」

「この期に及んでは、策を練るより賽を振るべきときと思い、このような場所にしたのだ」

 隊長は所在無げにトランプを切り、一枚めくったカードをみて顔をしかめ、テーブルに投げた。ジョーカーだった。

「会わせたい人がいる」

 トランプを置いて、テーブルから腰をあげた隊長がそちらに顔を向けると、一人の男が進み出て来た。年の頃は三十代か、商人風体のその男は、男爵の初めて見る顔だった。

「初めまして、ソネ・クガンと申します」

「ウィランド男爵です」

「クガン殿はムラサメ国からやってこられた」

「ムラサメ国ですと!」

 ライゼン隊長の言葉に、男爵は驚きの声をあげる。ムラサメ国はアルスター帝国の反対陣営、ヴァルムヘルの神に帰依する、ヴァルカン五国の一つである。

「では、あなたはヴァルカンか」

「はい」

 ソネ・クガンはブレイヴ体になった。身体から陽炎のような波動の沸き立つと同時に、顔に紋様が表れた。邪紋と呼ばれるヴァルカンの特徴である。

 クガンはすぐにブレイヴを消し、顔の邪紋も消えた。

「なるほどね。しかし、これはどういうことです。あれほどヴァルカンを敵視していたあなたが、ヴァルカンを客人として迎えるとは」

 ウィランド男爵は、、ライゼン隊長に問い質した。

「私はグルザム一味を敵視していたのであり、ヴァルカン全てを敵視していたのではないよ」

「どこの国ものであれ、ヴァルカンは国法に反する存在でしょう」

 アルスター帝国の法律は、国内におけるヴァルカンの存在を許していない。

「おぬしが言えた義理か」

 日頃温厚のライゼン隊長が怒鳴り、ウィランド男爵はたじろいだ。

「ベイロードらとともに、グルザム一味の密貿易を手伝って財を成していながら、白々しいことをほざくでない」

「そう言われたら、返す言葉もありませんがね。で、私にムラサメの人を引き合わせた理由はなんです」

「ウィズメタルの仕入れ先を、グルザム一味からクガン殿に替えるのだ」

「いや、それは・・・」

 予想もしないことで、ウィランド男爵は言葉に詰まった。

「グルザム一味を潰しても、ウィズメタルの流れが途絶えなければ、お歴々も文句あるまい」

「いや、そんなこと、簡単にはいきませんよ」

 男爵は、顔に冷や汗にじませた。冗談じゃない。他のヴァルカン陣営が割り込んできての、交易争いなんかに巻き込まれたら、それこそ消されかねないのだ。

「急に仕入れ先の変更だなんて、根回しも手回しも要ることですし、第一、流通が納得しませんよ」

「心配いらない。これはさる御方の指示を受けてのことだ。そのへんのことは、その御方が手を打ってくださる」

「さる御方とは?」

「どなたかは言えぬが、州政府内で高い地位にあり、大きな権力を持っておられる方だ」

「ですが、意味があるのですか。グルザム一味を潰しても、後に来るのが別のヴァルカンなら、虎を追い出して、オオカミを後釜に据えるってことでしょうが」

「我らはグルザム一味のような、非道の振る舞いはせぬ」

 クガンは強い口調で、ウィランド男爵の懸念をを振り払う。

「ヴァルカンを皆、血に飢えた獣の如きものと考えるのはやめていただきたい。グルザム一味とか申す連中は、恐らくフェルムト国の者どもです。彼の国には残虐を歓ぶ気風がある。しかし、我がムラサメ国は正義と秩序を重んじる。悪逆非道は断じて働かぬのだ」

「そう言われてもな」

 不信感もあらわなウィランド男爵に、

「そもそもあなた方が、連中に遠慮しすぎたのが間違いなのだ」

 クガンは厳しい口調で言い返した。

「対等な交易の相手として強く出ていたら、奴らの残虐な所業も抑えられたはずだ。おそらくウィズメタル欲しさのあまり、下手に出て連中をつけあがらせて、コントロールし損ねたのだ」

「そんなことは、ベイロードに言ってくれ。私を責めるのはお門違いだ」

 ウィランド男爵は不快げな顔しかめた。

「それに、この者は本当にウィズメタルを用意できるのですか。それもグルザム一味と同等の質の物を、同等の量安定的に。そう、このビジネスでは安定供給ということがなにより重要なのです」

「アレを出してください」

 クガンの言葉にライゼン隊長はうなずき、部下たちに例の物を運んでくるようにと命じた。兵士が二人がかりで運んできた大きめの木箱が、三つ積まれた。

「これは?」

 怪訝なウィランド男爵に、

「開けてください」

 クガンの言葉で、釘抜きを使って木箱が開けられた。おが屑を詰めた中にあった物を一つ取り出してウィランド男爵に渡す。

「これは!」

 ウィランド男爵は目を輝かせた。それは手帳ぐらいの大きさの長方形の板で、厚さは一センチぐらいあった。材質はクリスタルか、透き通った中に紫や緑の光彩が閉じ込められて、宝石のようにも見える。

「いかがです」

「ウィズメタル、上級品だ」

 ウィランド男爵の評価に、クガンは満足そうな顔をすると、更に箱の中からウィズメタルを取り出して、ライゼン隊長や志摩にも、見るようにと手渡した。

ウィズメタルはなんとも不思議な物質だった。ダイヤモンドや水晶のような鉱石か、またはガラスのようにもみえるのだが、どこかしら金属の質感があり、内部には紫や緑の光彩がオーロラのようにかかっている。志摩は一通り見てバルドスに渡した。傭兵たちもウィズメタルを見るのは初めてではないが、このようにじっくり触る機会はそうあるものではない。バルドスは珍しそうに眺めながらも、さして興味もなさそうにサブリナに渡した。サブリナは仔細げに見てダオに渡す。

「こういう物はカムランの爺さんが詳しいが、こんな時に居ないときてやがる」

 横からダオの手のウィズメタルを見ながら、ファズがいった。

 魔道師のカムランは、クリオ砦で待機しているはずだったが、戻ってきたら姿がなかった。

「勝手にどこかに行くなんてことなかったのに」

 フェアリーのウィルは、ウィズメタルなんかより、よっぽどそちらが気になる様子だった。

「マユラのやつも居やしない」

「アイツはグレッグと一緒に、なんとか神殿に行ったんじゃないのか」

 ダオは話しながら、ウィズメタルをファズに渡した。

「それじゃあ爺さんも、二人と一緒に神殿に行ったのかな」

 ファズは手渡されたウィズメタルを、ファルコやレオンと見ながら言った。

「なにしに」

 サブリナが問う。

「あの司祭の呪術とやらに興味があったのかも」

「この状況で、興味本位に勝手な行動をとるとは思えないけど」

 ファズは、カムランのことはそれぐらいにして、ウィズメタルに注意を向けた。

「なんか刻印打ってあるぜ」

「ムラサメ国専売局の精錬品位と重量の表示です。品位はA+、上級品です。重量は三百グラム」

「それぐらいの重さはあるな。けどこんなの、ガラス細工で作れるんじゃないのか」

 ファズの問いに、クガンは笑みを浮かべた。

「曲げてみてください」

「曲げろだと」

「はい、へし折ったってかまいませんから、どうぞ、力を込めてお持ちのウィズメタルを曲げてください」

 クガンの言葉に、、ファズはウィズメタルを両手で持ち、ぐいと力を込めて折り曲げようとした。

「あっ」

 ファズは驚きの声をあげた。

 硬い板バネを曲げるような弾力があり、ググっと曲がったウィズメタルは、力を緩めると元の形に戻った。

「ガラスだったら折れてますよ」

「確かに」

「偽物を見分けるには、他にも火で炙るという方法もあります。ウィズメタルは熱を加えると七色の、独特な輝きを放つのです。ただしこれは、やり過ぎると危険ですがね」

「そんなことをしなくても、私は触っただけで真贋の判別は出来るがね」

 ウィランド男爵は自慢そうに言った。

「それで、一箱にいくら入っているのかね」

「百です」

「三百グラムの上質ウィズメタル三百枚。運ぶのに神経を使う荷だな」

「実は今日、グルザム一味と思われる者どもに襲われたのです。危ういところをこちらの志摩殿と、お仲間の方たちに助けられました」

 志摩がベイロードとの会見の場にいなかった理由はそれかと、男爵は思った。

「もちろん私も、これほどの荷と共に動くような不用心はしません。この荷は雑貨などに紛れ込ませて近くの宿場に送っていたのを、ライゼン隊長の配下の部隊に運んで来てもらったのです。新規参入しようとするからには、現物がないと話になりませんからね」

「これをいくらで売るつもりかね。相場は一箱八万三千あたりだが」

「これだけで、ざっと二十五万のお宝ってことかよ」

 ファズは目を丸くして、手に持ったウィズメタルをまじまじと見た。

「それでこれ一つが八百三十とは、恐れ入ったね」

「ちゃんと返しなさいよ」

 サブリナに言われて、

「わかっているよ」

 うるさそうに言い返して、ウィズメタルをクガンに返した。

 クガンは戻ってきたウィズメタルを男爵に差し出した。

「どうぞ、名刺代わりに差し上げます」

「サンプルとしてもらっておこう。で、他はいくらで売るつもりだね」

「ははははっ、一枚二枚の、そんなケチな手土産は持ってきませんよ。ここにあるウィズメタル、全部差し上げます。どうぞ上の方々にはよしなにお伝えください」

「これはまた、大した気前の良さだな」

「この先の長いお付き合いを考えれば、この程度はなにほどのことでもありません。この品質で、月に十五箱はご用意出来ますが」

「質、量ともに申し分ない」

「価格も、グルザム一味よりはお安くさせていただきます」

「ほお」

「また、我がムラサメ国のウィズメタル精錬技術はヴァルカン五国随一です。つまりは大陸随一ということです」

 残念ながらウィズメタルの精錬製造に関しては、アルスター帝国よりもヴァルカン五国のほうが、技術的に優れている。

「今回の品物は優良品ですが、ご要望があれば、よそでは手に入らない極上品もお取り寄せ出来ます」

「品質量ともに申し分なく、価格も安い。おまけに徒党を組んでの非道の振る舞いもせぬとは、いいことずくめだが」

「そうだ、いいことずくめだ」

 ライゼン隊長が強い口調で推した。

「その上こんな手土産つきだ。幸運が転がり込んできたというやつではないか」

「かもな。だが、グルザム一味は切れん」

 ウィランド男爵は、クガンにウィズメタルを突き返した。

「なぜだ」

「私だって命が惜しい。目先の欲に釣られて命を失くしてはペドロ氏を笑えぬ」

 ウィランド男爵はライゼン隊長に答えた。

「我らが負けると思っているのか。このクリオ砦の将兵に、志摩殿たち傭兵チームという頼もしき助っ人も加わって、戦力は十分だ。山賊風情にむざと負けるものではない」

「ベイロードもジェリコ砦の兵を動かせる。それにグルザム一味にはヴァルムもいる。たしかにそちらのサムライはジカルを倒したが、ヴァルムはまだ他にもいる。どんな化物がいるかもわからないのだ。侮れぬ勢力だ。あんたたちと組んで、あんたたちが負けたら確実に私は殺される。そんな危ないばくちに命を賭けられない」

 まくし立てるウィランド男爵に、言葉に詰まるライゼン隊長だったが、

「命を賭けるときでしょう」

 すかさず志摩が言った。

「ベイロードにとって、あなたは首を斬られたという金融屋と同じ、いつでも切れる捨て札に過ぎない。どれだけ誠意を尽くして働いても、そんなことは身の安全のなんの保証にもならない。部下をもヴァルムの餌食にするというところから見ても、あの男の人間性は分かろうというものだ。ベイロードと、ライゼン隊長のどちらを信用なさる。いつ切れてもおかしくない綱に終いまでしがみついているか、悪縁を離れて、頼れる綱に掴み替えるか、チャンスは今しかないのです」

 志摩に迫られて、

「そう言われても・・・」

 男爵は決めかねるように言葉をにごす。

「我らは命を賭けるのだ。あなたも、ウィズメタルに関わって財を成した、いわば渦中の人間である以上、我らにつくか、ベイロードにつくか、いずれの選択をしても命を賭けることになる、それは仕方のないことだ」

「得たからには、ツケはいずれ払わねばならぬか。わかったよ。確かにベイロードとは百年つきあっても心を許せそうにはなれない。ライゼン隊長の人柄と、あなたたちの勇気に賭ける」

「では、グルザム一味のアジトを教えてもらおうか」

「ジェリコ砦だ」

 男爵はあっさり白状した。

「なんと、砦に賊どもをかくまっているというのか」

 ライゼン隊長は、ベイロードがグルザム一味と通じていたとは知っていても、まさか軍の砦に、賊徒をかくまうほどに癒着が進んでいるとは思ってもいなかった。

「かくまっていたというよりは、アジトとして提供しているのだ」

「おのれベイロードめ、皇帝陛下よりお預かりした神聖な砦を、なんと心得ている」

 憤慨しきりのライゼン隊長であった。

「いくら捜しても、グルザム一味のアジトが見つからなかったわけね」

 腑に落ちた顔のサブリナであった。

「やるなら早くしたほうがいいぞ。クガン殿を助けたのが志摩殿たちだと知ったら、ベイロードは奥さんを生かしておくまい」

 ウィランド男爵もすっかり腹を固めたようだ。

「すぐに動きましょう」

 ウィランド男爵の言葉に、レイウォルが表情を改める。

「うむ、やるしかない」

 ライゼン隊長は腹を決めて志摩を見る。

「やりましょう」

 志摩は明瞭な声で答えた。

「よっしゃ、一気にけりをつけてやるぜ」

 バルドスが気炎をあげる。

 クリオ砦の将兵たちは決意の表情となり、傭兵たちは時を得た者の顔となる。

「グルザムも、ジェリコ砦にいるのか」

 志摩の問いに、男爵は首を振った。

「わからない。まえにもいったと思うが、グルザム一味の首領については、グルザムというその名の他には、なにも知らないのだ。ただ、ベイロードと話したとき、奴の言葉の端々から、どうやら近くにいるように感じたのだが」

「リーダーは、必ず倒さねばなりませんよ」

 クガンは、念のこもった声音であった。

「リーダーを残しておくと、そやつの元に人や物を送り込んで、組織を立て直しにかかります」

「ヒドラの如く、頭を潰さねばいくらでも再生するというわけけか」

 ライゼン隊長が難しそうな顔でつぶやく。

「ジェリコ砦に踏み込めば、一網打尽にできるかもしれぬし、いずれベイロードに吐かせれば、その正体も知れましょう。とにかく、奥さんを救うためにも、一刻も早く動かねばなりません」

「うむ、おのおの方、よろしく頼む」

 ライゼン隊長は一同を見渡して、頭をさげた。

「我らは任務を果たすためにここにいるのです、まさにこのような任務を」

 生真面目なレイウォルに、

「我らもこれが仕事だ」

 鷹揚な志摩。

「そのうえクソどもの掃除が好きな性分ときたら、ここは気張らにゃなるまいぜ」

 相好を崩すバルドス。

 かくてクリオ砦は戦支度とあいなった。

 

 窓を厚いカーテンで覆った室内には燭台もなく、くらがりはどことなく湿り気を帯びて、木のうろの中にでもいるかのような雰囲気だった。そこに嗚咽交じりの声と、それとは対照的な明るい笑い声が響き合っていた。

「ううううううっ・・・俺は…俺という奴は…」

 嗚咽交じりの言葉が苦し気に途切れると、グレッグはボトルをつかんでゴボゴボとグラスに注ぎ、溢れた酒がテーブルを濡らしても反応は鈍く、ようやくボトルを戻して、酒を満たしたグラスを一息に干したが、半分ほどはこぼれていた。テーブルや床に空のボトルが転がり、グレッグは酔い痴れていたが、その顔は酩酊の心地良さではなく、心の奥底の苦悩を吐出し、こみあげてくる慚愧に苦しむもののようであった。

「はははははっ、そうでしたか」

 グレッグとは対照的に明るく笑うのは、ローラン司祭であった。司祭も酔っ払うほどではないが、多少きこしめしていた。

「そんなにおかしいか、そうだろうとも。俺ほどに嘲笑し甲斐のある男も、そうはいないというものだ」

 グレッグは自嘲し、また酒を飲む。

「そうではありません。気分を害されたのなら許されよ。私は貴方が心中の苦悩を打ち明けてくださったのが嬉しかったのです。私の目に狂いはなかった、貴方こそ、真に勇者と呼ぶにふさわしき方です」

「ざれ言をほざくな。俺は、仲間を見殺しにして、自分だけ逃げ延びた卑怯者だぞ」

 グレッグは感情的になり、テーブルを叩いた。

「相手が悪かったのです」

「たとえ、どんなに最悪最強の怪物だったとしても、命を賭して助けにゆくべきではないのか。チームを組んだ仲間たちをだったのだ。あの時まで、強い絆で結ばれていると信じていた仲間たちを、俺は見殺しにしたのだ」

「見捨てなければ、貴方も殺されていたでしょう」

「殺されていたほうがマシだ。こんな思いをするのなら」

 グレッグはまた一杯あおり、酩酊に澱む目は焦点もなく、虚ろな顔は、やがていたたまれぬものとなる。そして、最も苦い塊を吐き出すかのように顔を歪める。

「レオナ・・・俺は・・・彼女をも救えなかった。結婚を誓った仲だったのに、彼女がアイツに食われるのを・・・あの美しかったレオナが、あんなにむごたらしく、おぞましく、アイツに食われるのを・・・見ていただけだった」

 まざまざとその光景を脳裏に甦らせて、恐怖に顔を凍てつかせるようなグレッグだったが、その瞳の奥に、表情のささやかな襞に、奇妙に蠱惑される者の惑いがあったのを司祭は認め、微かにほくそ笑んだ。

「あんなところに、行かなければよかったのだ。愚かだった・・・ソグの塔などに・・・」

「運命だったのですよ」

 ローラン司祭はなぐさめるようなことを言いながらも、低く笑みを含む声音は冷淡であった。

「運命だと。それでは、レオナは、仲間たちは、あそこで、アイツに食われる運命だったというのか」

「はい。そして、貴方が真実の道にたどり着くための、必要な生贄だったのです」

「俺のための・・・」

「なぜ、貴方お一人だけ生き延びられたと思われます。偶然、いや、違います。貴方は選ばれたのです。いや、見いだされたといったほうがよいでしょう、御身に備わる優れた資質を。よって、生かされたのです」

「俺に、なにが備わるというのだ。こんな憶病者に」

「あなたが酒におぼれたのは、はたして、仲間を見殺しにした罪の意識からでしょうか」

「なっ、そうに決まっているだろう。他になにがあるというのだ」

「本当に、そうですかな」

 司祭の爛々と光る眼が、グレッグの心底までも、見透かすもののように見つめる。その容貌は不気味に変容して、もはや人の顔とも認められぬ様であった。

「ご自分の心を、正直に見つめなおせばお分かりになるはずです。貴方は仲間が殺され、むさぼられるのを見たとき、恐怖と悔しさにおののきながらも、心の奥底に疼く共感を禁じえなかったのではありませんか。弱者をむごたらしく殺す様に、あなたの心は共鳴し、恋人がむごたらしく捕食される様にも、悲しみよりも、興奮にゾクゾクしたのではないのですか」

「なぜそんなことがお前にわかるのだ。あの場にいもしなかったお前に」

 グレッグは酔って正常な感覚が失われているのか、司祭の顔の奇怪な変貌を遂げるにも驚かず、どれほどの嫌悪も覚えぬもののようだった。

「クリオ砦の宴席での、酔いどれたあなたの声を聞いたとき、ヴァルムヘルの力に共鳴した心の響きを耳にしたのです。そしていまお話をうかがい、それぐらいの察しはつくというものです。蛇の道は蛇といいますからな」

 司祭の口からしゅるると、二つに割れた赤い舌が伸びた。

「それに、貴方が生きていることがなによりの証です。ソグの塔のアレは、殺せるものを意味もなく逃してやるほど、ぬるくはありません。貴方の心が共鳴しているのを感じて生かしたのです。いずれ、こちら側の人間になるだろうと見込んでね。資質とはつまり、共鳴すること。お仕着せの倫理や理性を振り切って、力の真実に共感する、生来の感受性の鋭さをいうのです。しかし旧来の倫理観に縛られていた貴方は、思わぬ自分の心の反応に愕然とした。自分が人でなしになったかのように思えて怖くなった。酒に溺れたのは、その恐れから逃れるため。仲間に対する罪の意識や後ろめたさからではない。違いますか」

「俺は・・・」

 グレッグは、恥じ入るような表情で言葉に詰まる。

「しかし、恐れたりする必要はなかったのです。貴方の共感は正当であり、上っ面の軽薄な理性や正義を振り払い、ヴァルムヘルの力に共鳴し、これを受け入れることこそが、人類の真なる進化への唯一の入り口だからです。そう、あなたは正しい道に立った。そして、私のもとに来られたのは、必然というべきものなのです」

「だが俺は、人でなしではないのか」

「人が、なにほどのものでしょうか。人も人でなしも、さして変わりはありません」

 平然と言ってのける司祭に、グレッグは呆れるどころか、忸怩とした心の晴れやかになるがごとく、おおらかに笑った。

「人も人でなしも変わらぬとは、神をも恐れぬ大暴言、いや名言というべきか。おぬしのいうことにはよくわからないところもあるが、それは酒のせいで、頭の働きが鈍っているからだろう。しちめんどうくさい理屈はどうでもいい。正直言って、この酒浸りの有様には、自分でもうんざりなのだ。おぬしの、そのバケモノ面がこけおどしでなく、本当に俺の、この状況をどうにか出来るのか、肝心なのはそれだ」

酔い痴れた顔の奇妙に醒めた表情となり、グレッグは、踏み越えてはならない領域に、敢えて踏み出る覚悟を固めたもののようであった。

「よくぞ申された。やはり私の目に狂いはなかった。更にご覚悟の程を問う。あなたに残された道は二つ。今まで通り、酒浸りの日々を送り、酔いどれとして朽ちたような人生を送るか、いま一度力を取り戻し、真の勇者として歩くか、さあいずれを選ばれる」

「俺は力が欲しい」

 グレッグは叫んだ。

「強くなりたいのだ」

「後戻りはできませんぞ」

「かまわぬ。いままでの人生になどなんの未練もない。強くなれるなら、鬼にだろうが悪魔にだろうがなってやる」

「立派なご覚悟です。ならば私もその御決意にお応えしましょう。道は、願う者に開かれるのですから。それにしても、ふふふふふつ」

「・・・・」

 可笑しそうに笑う司祭に、グレッグは怪訝な目を向ける。

「いや、失礼しました。あなたとソグの塔の彼のものとの間に、そのようないきさつがあったと知り、奇縁と申すか、えにしの不思議に、つい可笑しくなったのです」

「おぬし、アイツを知っているのか」

「師の使いで、訪ねたことがあります」

「よく無事に戻れたな」

「ははははははっ」

 他愛もなしとローラン司祭は笑った。

「いかに、ソグの塔の彼のものでも、我が師よりの使者を手にかけるほどに、無敵でもなければ、命知らずでもありません」

「おぬしの師とは」

「いずれお話しします。酒が切れましたな。すぐに持ってこさせましょう」

「いや、もう酒は」

「遠慮なさるな。まさかこれしきで、飲み足りたというわけでもありますまい。料理も持ってこさせましょう。今日は貴方が生まれ変わられる記念すべき日、盛大に祝いましょう」

「それだが」

 グレッグは念を押すように、司祭に確かめる。

「本当に俺は、生まれ変われるのだろうな」

「ご心配なく。すでに材料は用意してあり、いま、舞台を整えているところです。あと数時間後には、貴方は体内に満ちる大いなる力を実感し、かってない歓喜のただなかにあるはずです」

 司祭は、蛇のそれのような、先の割れた赤い舌をひらひらさせて請け合った。この奇怪な人物の言うところの、生まれ変わりが、なにを意味するか、グレッグには薄々察しはついていたが、その昏き淵に身を投じる覚悟を、今はすっかり固めていた。

 赤土の固く乾いた不毛の土地に、草のまばらに見えてきて、進むにつれて緑は濃くなり、やがては万緑横溢たるナタール平原本来の様相となる。

 緑のただなかを闊歩するマユラは、意気揚々といった風情であった。行きは無腰だったが、今は腰に一本の大刀を差していて、その重みがなんとも心地よい。人が見たら笑っちゃうぐらいにボロい外装だし、中身も錆だらけだが構うものか。これは紛れもない英雄遺愛の名刀であり、大岩を木端微塵にするほどの霊力を秘めているのだ。

「なんか、腹減ってきたね」

 気持ちは凱旋ヒーローのようであっても、胃袋には見栄も遠慮もない。昼飯はクリオ砦で作ってもらった弁当を食べたのだが、あわや洞窟に閉じ込められそうになるなどして、不安になったり緊張したり、最後は喜んだりと、精神的にもいろいろあったせいか、まだ午後三時ぐらいだが、マユラは空腹となった。

「それならウチに寄ってってよ。たいしたものは出せないけど、軽い食事ぐらいごちそうするわ」

 エレナのの申し出に、

「いいの?」

「いいわよ。昨日、怪物から助けてもらったお礼をするはずだったのに、ロイとの一件があって結局やめになったでしょ。それに今回も私のせいで危険な目に遭ったのだし、ささやかなお詫びのしるしよ」

「それも、こうして無事に地上に出られて、おまけにこんな凄い刀も手に入ったのだから、こっちが感謝したいぐらいさ」

「それに、お昼はお昼はマユラが持って来てくれたお弁当をごちそうになったから、そのお返しがしたいの」

 クリオ砦の厨房の人に頼んで、弁当はエレナの分も作ってもらったのだ。

「それじゃキミんちでごちそうになるよ。けど、おうちの人に迷惑じゃない」

「みんな歓迎してくれるわよ。だって、マユラは私の命の恩人だもの。だけど、剣の祠に行ったことは内緒ね。家族に心配させたくないの。怪物に襲われたときだって、お母さんは私の身の回りにずいぶんと気を配ってくれたわ。なのに私が、また無茶をして危ない目に遭ったと知ったら、がっかりすると思うの」

「わかった、今日のことは誰にも話さないよ」

「二人だけの秘密よ」

「うん」

 秘密を分かち合うことで、エレナとの親密の度合いが、少し増した感じがして、ちょっと嬉しいマユラだった。

 エレナの家は木造の平屋で、母屋の脇に家畜小屋があった。マユラの家と同じ農家だが、エレナの家のほうがずっと大きい。マユラの家は父が開拓団に加わり、マユラが生まれる数年前に建てたのだが、エレナの家はもう何代も続いてきて、そりゃあ農民の家だからそんなに立派ではないけど、年月を経た趣きはある。

「ちょっと待ってて」

 マユラを玄関に待たせて、

「ただいま」

 エレナは家の中へ入っていった。

 マユラは、玄関先で所在無げにあたりを見る。前庭には小さな畑があって、ほっこり耕した土から、何かの作物の小さな芽が出ていた。藁の匂いがして牛の鳴き声が聞こえる。マユラの生まれ育った開拓団の町は、広大な農地を抱えながらも、居住域に家が建て込むんで町を形成していたが、エレナの家は一軒ぽつんとあって、隣までは百メートル以上ありそうだ。景色は違うが、同じ農家だから、生活の匂いや風情には同じものがあり、失われた故郷の、唐突にを思い出されて胸が締め付けられる。歯を食いしばり、復讐を果たすことを誓う。強くなって、ヴァルムやヴァルカンどもをやっつけてやる。そして、あのヴィシュヌめを討ち取るのだ。

「入って」

 エレナが戻ってきた。マユラは不意に高まった復讐心をはにかむ表情で隠して、

「おじゃまします」

 エレナのあとについて家に入った。

「みんな出掛けているわ」

 中は広いが単純な間取りで、あちこち傷のある床や、古色の滲む壁紙、黒くいぶされたような天井の梁などに、長い歳月の生活感の沁みているようだ。

「掛けてて、何か作るから」

 エレナは食堂の、家族のテーブルの椅子をすすめた。

 マユラは椅子を引いて腰掛けながら、

「留守中に上がり込んだりして、家の人が帰って来たら叱られない」

「お父さんは、そんなことで怒ったりしないわよ」

 エレナ気にも留めず台所で立ち働き、マユラも安心して、改めて家の中を見回す。質素だがボロくはなく、がっしりと柱や梁を組み壁を張った、昔ながらの簡素にして頑丈そうな家だ。

「おまたせ」

 エレナはチーズをはさんだ熱々のパンにミルクを添えて、それに煮豆の皿もつけてくれた。

「ごちそうじゃん。いただきます」

 マユラは早速パンにとびついた。

「うまい。やっぱりパンにはチーズだね。砦で出されるのは、バターを薄くぬっただけさ。うん、お豆もいい味出ている」

 マユラはパンを食べてミルクを飲み、煮豆を匙ですくって口に入れる。

「うふふ、あわてて食べなくていいわよ」

 エレナは、そんなマユラの様子をおかしそうに見ながら、パンを一かじりして、煮豆を一匙食べた。

「それにしても、どこへ行ったのかしら」

 エレナが小首をかしげた。

「どうしたの」

「家のみんなよ。この時間家を空けることなんてないのに。お父さんにお母さん、弟までいないもの」

「弟さんていくつ」

「三つ下よ」

「どこかに、遊びにいってるんじゃないの」

「近くにいじめっ子がいるの。だけどいままではロイが、彼、私のいいなずけを気取ってたでしょ。それでか弟のこともかばってくれてたの。だけど、昨日のあなたとロイの一戦というか一件のことを話したら、もうロイの後ろ盾がなくなったとか思って、今日は学校が終わったら、家にいるって言ってたの」

「学校って、近く」

「正式の学校じゃないの。村はずれのお屋敷の奥さんが上の学校を出た人で、村の子供たちに読み書きや計算を教えてくれるの。私は教わることがなくなったから卒業したけど」

「それじゃあ、弟さんに悪いことしたね」

「気にしなくてもいいわよ。いつまでも人の威勢を借りててもしょうがないもの。それに、ロイは正直うっとおしかったし」

 ロイの奴は真剣なんか抜いてきて、今思い出しても頭にくるけど、アイツはアイツなりにエレナには本気で惚れてたはずだ。女の子って気のない相手には、向こうがどんなに本気だしても冷淡なものだなと、マユラは認識した次第であった。

「‼」

 不意にエレナが窓を見た。

「どうしたの」

「いま、誰かが覗いていたような・・・」

 窓に人の姿はない。マユラは窓辺へと歩いて外を見たが、虫か草の実か、地面になにかをついばむスズメの二三羽あるだけで、不審な影などどこにもなかった。

「だれもいないよ」

「そう、気のせいだったみたいね」

 エレナは食事に戻りながらも、なおもしばし不審の表情だった。

「もしかしたら」

 なにか思い当たったようなエレナに、パンを食べ終え、煮豆を口に運んでいたマユラも、匙を止めた。

「覗いてた奴わかったの。やっぱロイ?」

「違うわよ」

「だよな、アイツだったら黙ってないもん」

「そのことじゃなくて、家のみんな、神殿へいったのかもしれないわ」

「神殿って」

「ケルト神殿、エウレカ神を祭る神殿よ」

「ああ、砦に来ていた、なんとかって司祭の爺さんの神殿だね」

「ローラン司祭様。この辺りではとても慕われている方よ」

「そういえば、ボクも神殿に行けって言われてたっけ」

「どうして」

「両親が亡くなってから、まだ一度も神殿に行ってないから、志摩先生が、神殿にお参りして両親の御魂にお祈りを捧げ、きちんとお別れしろって。本当はグレッグさんといっしょに行くはずだったけど」

「それなら、ちゃんとお参りしないとダメよ。一緒に行きましょう。私も、家族が行ってるかもしれないから」

 二人は神殿へ行くことにして、食べ終わると腰をあげた。

 エレナの家を出て、うららかな日差しのもと、野と田畑の織りなす景色の道を歩いてゆく。

「神殿までどれぐらいあるの」

「そんなに遠くじゃないわ。五六キロってところかしら」

「お父さんとお母さんは、よく神殿にゆくの」

「ええ、二人とも信心深くて、お祈りをあげるだけじゃなく、司祭様や修道士さんたちの手伝いもするの。私も、以前はいっしょに行ってたんだけどね」

「最近は行ってない」

「ええ」

「どうして」

「なんとなく、前と変わった感じがするの。父さんも母さんもそんなことないっていうけど、私にはどうしても、何かが変わってしまった感じがするの。どこがどう変わったかって聞かれると困るけど、なんとなく、あそこには居たくなくなったの。前は御神像を眺めたり、司祭様のお話を聞いたりして、日が暮れるまで居ても飽きなかったのに」

「・・・・」

「もっとも、こんなの不信心の言い訳に過ぎないのでしょうけどね」

「僕なんてもっと不信心さ。神殿に行ってお祈りしたって、死んだ両親になにかしてあげられるって気になれないもの。死んだ人にしてあげられるのは、恨みを晴らしてやるぐらいさ。だから強くなりたいのさ。強くなって、ヴァルムやヴァルカンをやっつけて、両親の恨みを晴らすのさ」

「復讐心にとらわれる生き方はよくないわ」

 エレナは強い口調でたしなめる。

「やられたらやり返すとか、そんなことを人生の目標にしてはいけないと、エウレカの神は仰っておられるの」

「でも、エウレカの神様は、ヴァルムやヴァルカンを認めておられないのだろう」

「それは人倫にもとる存在だからよ」

「その、ジンリンとかにもとる連中が悪事を働いていたら、やっつけるのは当然だろう」

「そういうことは、正義のもとになされるべきで、私情をもってするべきことではないわ」

「親の仇を討つのは正義だろ」

「そうかもしれないけど、私はあなたに、復讐心に凝り固まった人間に、なってほしくないの」

「僕のことを気遣ってくれるのはありがたいけど、君にそんなことが言えるのは、家族を殺されたことがないからさ。僕だって、あんな事が起こる前に、誰かにいまみたいなこと言われたら、そうだろうと同意したかもしれない。けど、今となってはそんな建て前にはうなずけないのさ。暴力はモノだけじゃなくて心も壊す。僕の心は両親が殺されたあの日、石を投げ込まれた窓ガラスみたいに、パリンと割れたのさ。もう行儀よく窓枠には収まれない。尖って敵を刺すだけさ」

「心はガラスじゃないわ。壊れても、傷ついても治せるのよ。エウレカの神が人に許すことを求められるのは、それが心の傷を癒す薬だからよ」

「僕には、もっと痛快な薬があるように思えるけどね」

 マユラは言い返し、お互いにしばし押し黙ったままだった。

 レンガ造りの大きな建物が見えてきた。扉のない、左右に柱を立てただけの門があって、そこから石畳の参道が延びた先に、構えも重々しげにあるのがケルト神殿の正殿であった。

「ここが正殿よ、神様の像をお祀りしてあるの」

「ふーん」

 エレナの説明に、マユラは興味のない生返事をして、あたりを見まわした。

「誰もいないね」

 広い神域には、二人の他に人影はない。

「祭礼の日には人も多いけど、普段は、あまりお参りする人がいないの」

 そういうものかなとマユラは思った。しかし、正殿をはじめとしていくつかの建物はあるが、人の姿は全くなく、あたりを浸すかのような静寂は、厳かさというよりは、墓場のごとき不気味さの漂うようであった。

「グレッグさん、どこにいるのかな。こんなに広いと捜すのもひと苦労だぜ」

 エウレカ教は何と言っても国教であり、田舎のこんなにさびれた神殿であっても、それなりの規模を備えている。

「司祭様か修道士さんたちが、おられるはずだけど」

「どこにっ・・・!」

 マユラは反射的に振り返った。人っ子ひとり見なかったはずの石畳の参道に、ぽつんと立つ影のあった。エウレカ神に仕える者のまとう茶色いローブに身を包んだその男は、フードの中の笑顔も親し気に話しかけてきた。

「マユラくんだね」

「はい」

「司祭様から聞いているよ。そしてエレナ、久しぶりだね」

「ご無沙汰しています」

 会釈するエレナだったが、フードの中の青白い顔に話しかけられたとき、ゾクッと、背筋に悪寒の走ったのである。

「神殿には、めっきり足が遠のいたね」

「申し訳ありません」

「いいさ。そうして、そちらから来てくれれば、信仰心は、まだ失われていないということだろう。結構なことだ」

「グレッグさん、来てます」

「ああ、いらしているよ。エレナ、キミの家族もね」

 エレナは笑顔でうなずいたが、どこか晴れやかならぬ表情だった。

「グレッグさん、来ていてくれてよかったよ。いっしょに行くようにって言われてたから、すっぽかされでもしたら、こっちまで大目玉だもんね」

 どこか浮かなげなエレナに比べ、マユラは単純にほっとした様子だった。

「ついてきなさい」

 修道士の言葉に、素直に応じて歩き出すマユラの横で、エレナの表情はやっぱり晴れぬものであった。

 静寂に浸された石敷きの参道を、二人は修道士に導かれるままに歩いてゆく。水の満ちるような静寂だが、エレナは、以前に感じた清涼の気配がないように思った。なにか、静けさの中に不気味な濁りの漂うかのようで、言い知れぬ不安に、少女は傍らの少年を見る。マユラは、何の懸念もなさそうな顔で歩いてゆく。実際マユラの頭の中にあったのは、お茶菓子にでもありつけるかもとか、まあ、そんなところだったのだが、エレナは、マユラがなにを考えているか分からなくても、彼の勇気がなにがあろうとくじけぬものであることを知っている。それだけで十分だった。

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