第11話 首
淡い緑の煙をくゆらせ、執務室のデスクのライゼン隊長は、詰めかけた部下や傭兵たちと向かい合っていた。妻が拉致されたと聞いても泰然と構えているかに見えて、日頃愛好の葉巻を喫することなく、いたずらに灰皿に灰を落としている。
「今すぐ、全軍率いてジェリコ砦に押しかけて、奥様を取り返すべきです」
古参の兵士長が血気の声をあげる。
「そうだ、やるべし」
賛同する声が上がって、
「やるんだったら、一番槍は俺に任せてもらうぜ」
隊長夫人をさらわれた責任を感じていたバルドスも、これに加わる。
「それはならん」
ライゼン隊長は言下に退ける。
「ジェリコ砦もこのクリオ砦と同じく、帝国旗を掲げるアルスター帝国の砦だ。攻撃を仕掛ければ反逆罪に問われかねん」
「しかし、先に仕掛けてきたのは向こうです」
「だからといって、感情的に反応しては子供のケンカだ。こういうときこそ、沈着冷静な判断が必要であろう」
「悠長なことは言っていられません。奥様の身に万一のことがあったらどうなされます。一刻も早く動くべきです」
矢も楯もたまらぬレイウォルに、
「あれも武人の妻だ、いざというときの覚悟も出来ていよう」
ライゼン隊長は冷然と言い放ち、しかしその顔には、心苦しいさがほの見える。
「そんな・・・」
「とにかく、事を荒立ててはならん。ベイロードも、なにか目的があって妻をさらったからには、いたずらに害しはしまい。いずれ向こうからなんらかの動きがあるはずだ。それを待とう」
ライゼン隊長は志摩を見た。
「人質を取られている以上、こちらから動くのはリスクがある。隊長殿の言われるように、相手の出方を見て対応するのがよかろう」
志摩は答え、これ以上ここにいても気詰まりなだけなので、仲間たちとともに、隊長の執務室を出た。
廊下を歩いて食堂に入る。三時を過ぎたあたりで、いつもは勤務をサボってお茶しているのが何人かいるが、今日はさすがにだらけている者もなく、がらんとしていた。傭兵たちはだれもいない食堂の、隅のテーブルを立ったまま囲んだ。
「しかし、このまま向こうの動きを待っているだけというのも、芸がなくはないか」
バルドスの言葉に、
「敵の本陣、ジェリコ砦を探ってみようか」
サブリナが応じた。彼女のジョブ、シノビは、アサシンやシーフと並んで潜入術に長けたジョブである。
「僕とサブリナで覗いてこよう」
フェアリーのウィルがサブリナの傍らに羽ばたく。
身体の小さなフェアリーは潜入にはもってこいだが、なにぶんか弱く、長い距離の単独行動は危険を伴う。そこで身軽く潜入術に長け、なおかつ高い戦闘力を備えたサブリナと組むのだ。この二人の相性は良く、サブリナが敵陣内にある程度まで侵入して、そこから先、ウィルが小さな身体を利して敵の懐深く潜入して、情報を取って来るという具合だ。
「俺も付き合うぜ」
バルドスがいった。
「アンタは潜入向きじゃないでしょう」
迷惑そうなサブリナに、
「足を引っ張るようなことはせんさ。なにかあったら一暴れして助けてやる。まったく、ベイロードの野郎にゃ、一泡吹かせんことには腹の虫がおさまらん」
「まあ、待てよ」
志摩が止める。
「おまえたちのことだから、うまくしてのけると思うが、万一へまをすれば、奥方の身に危険が及ぶかもしれぬのだ。やるからには、一気に奥方を救出したい。だが、ジェリコ砦に捕らえられているいるという確証もない。まずは、ウィランド男爵を締め上げてみるか。奴なら奥方がどこに囚われているか知っているかもしれぬ」
「確かにな。情報のないところで動き回っても率が悪い」
「それに、俺はもう一つ、どうにもグルザムという奴が気にかかるのだ」
「いまだ正体不明の、賊徒の頭目じゃな」
魔導師カムランに、志摩はうなずく。
「どうやらそいつが眼目、ベイロードを斬ったところでらちが明かぬ気がする」
「それについちゃ、気になることがあるんだ」
バルドスが思い当たった顔となる。
「ベイロードたちとの戦闘では、魔道の攻撃を受けた。敵に魔道師がいるとわかったので、どんな奴かと術波動の来た方向を見たら、黒い霧の塊みたいなのが、一瞬だが見えた。アイツがグルザムだって、そんな気がしたんだ」
「・・・・」
一同しばし黙考するかであった。
「賊の首領で、魔道使いで人食いの化け物か。いよいよもって一筋縄ではいかぬ相手のようじゃ」
魔導師カムランも白髪交じりの眉をひそめる。
「なに、化けの皮の剝がし甲斐があるというものだ」
志摩は快活に言い放った。
「こんな所で作戦会議」
マユラが仲間たちをみつけてやってきた。
「バルドスさん聞いたよ、すごい活躍だったってね」
マユラはバルドスの二の腕をぴしゃりと叩いた。大木を叩いたような感触で、マユラの手のひらのほうが痛くなった。
「奥方をさらわれて任務をしくじったのだ。活躍もなにもあるものか」
「でも兵士たちは、どでかいトロールを退け、ベイロードもたじたじのバルドスさんの槍は、天下一品だって話してたよ」
「俺たちのことはなんて言ってた」
ダオが聞いた。
「二人とも、それなり勇敢に戦ってたって」
「なんだ、その雑な扱いは。アイツらどこ見てやがった」
「仕方ないですよ。バルドスさんの活躍の前には、僕らの働きなどかすんでしまいます。もっと精進しないと」
自戒するかのファルコ。
「どう頑張っても、リーダーや兄貴の域には到達できそうにないが、脇を飾って一花咲かすさ」
「まあ、おまえはそのへんの位置に甘んじるしかないよな」
見下すようなファズに、
「おまえも同じようなもんだろうが」
ダオが言い返す。
「俺はいつか、リーダーや兄貴とも肩を並べる、マスタークラスのファイターになって見せるぜ」
「へっ、できもしないことを」
「なんだと」
いつもの言い争いを始めそうな二人を、
「そのへんにしておけ」
バルドスがたしなめた。
「おまえは、ちゃんと稽古してたか」
志摩に聞かれ、
「はい、先生の言いつけ通りに、一人で稽古してました」
本当は、マユラにもロイとの一戦の武勇談があるのだが、それがわかったらゲンコツ食らいかねないので、おくびにも出せない。
「あとで稽古をつけてやる」
「ありがとうございます」
しおらし気に頭を下げる。
厨房から数人繰り出してきて、泡の立つビールのグラスや、料理を盛った皿をテーブルに置いた。
「みなさん、どうぞ一杯やってください」
「これは?」
「何としても奥様をお救いいただきたく、わたしどもからの心づけです」
「それは、すまんなあ」
バルドスが早速グラスに手をのばす。
「奥様は下働きのものまで、分け隔てなく気にかけてくださって、私らもずいぶん良くしていただきました。あんな良い方はおられません。是非ともお助けしたいのですが、私どもにできるのはこれぐらいです」
「もとより我らもそのつもりよ」
バルドスはビールを飲むと、生ハムを挟んだサンドイッチを一つとって食べた。
志摩もビールを飲みながら、下の者たちからもこのように慕われている、ライゼン夫人の人柄を思うのであった。
マユラには、ちゃんとグレープジュースのカップが用意してあって、飲もうとするとウィルが飛んできて、カップの縁に手をかけて、首を突っ込むようにしてぐびぐび飲んだ。
「ビールじゃないのかよ」
「まだ酔っ払うには早いぜ」
ジュースを飲むと、マユラの手のサンドイッチから、生ハムを引っ張り出して食べた。
「あっ、もう」
マユラはほとんどパンだけになったのを食べ、新しいのに手をのばした。
「聞きましたぜ、槍の名人だそうじゃないですか」
「名人なんてもんじゃないさ。そこいらへんのよりちょっと上手いだけよ」
バルドスは、ライゼン夫人をさらわれたことが忸怩としてあるのか、らしくもなく謙遜する。
「それにしても、あのジカルをやっつけたサムライマスターに、家ほどもあるトロールもものともしない槍の達人も揃って。なんとも頼もしいチームですな」
「おいおい、リーダーと兄貴だけじゃないぜ。そりゃ二人の強さは別格だけど、他のメンバーだって、粒ぞろいのチームなんだ」
ファズが言うと、
「私も別格よ」
すかさずサブリナの一言。
「はあっ」
「アンタと同格じゃ不服よ」
「てめぇな、そりゃパトロールのときには下についてるけどよ」
「こんなところで角突き合わせるな、チームに和が無いように思われるだろう」
バルドスが、啞然とした料理長たちの顔を横に見て遮った。
「これが我らの和気あいあいというやつだ」
志摩は苦笑まじりにいった。
「何考えている」
サンドイッチを食べながらも、仲間たちの会話をよそにもの思いするかのマユラに、ウィルは声を掛けた。
「べつに、何も」
マユラは答えたが、彼の頭は最前からある一つのことに占められていた。剣の祠。エレナによると、そこには、大昔に英雄が鬼を斬ったという剣が納め祀られているという。彼女が剣のある所を知っているといったのは、剣の祠のことだったのだ。そんな所の剣を勝手に持っていっていいのかと聞くと、そこは地元の人々の間でもとうに忘れ去られているというのだ。エレナの家は代々剣の祠を祀る家柄で、彼女は二年前に亡くなった祖父から、生前に剣の祠の場所を教えてもらっていた。それは本来、彼女の父に受け継がれるべきであったが、父親はそうしたことにまったく興味がなく、剣の祠のことを伝えようとする祖父を、まともに取り合おうともしなかった。そこで祖父は、亡くなる前に一族の代々受け継いできた秘密を、孫娘に伝えたのだ。なので現在、剣の祠の存在を知っているのは彼女一人。弟にも教えていないのだ。他に知っている人がいないのだから、持って行っても誰に咎められることもない。そう聞いて俄然マユラは、剣の祠、いや、そこに眠る剣に興味が湧いた。すぐにでも剣の祠に向かいたいところだったが、少々距離があり、今から行くと帰りは夕暮れになるとのことだったのだ。エレナはこの前のこともあり、帰りが遅くなると家族が心配するだろうし、マユラも遅くまでほっつき歩いていたら、志摩からゲンコツをいただきかねない。なので明日の午前中に出かけ、午後の三時ぐらいには帰ってくることにした。
隊長の奥さんがさらわれて、砦はなんだか張り詰めた雰囲気で、どうせ明日も師匠は弟子に稽古をつけるところではなく、こっそり出かけるのに問題はない。厨房の人に頼んで、エレナの分も弁当作ってもらおうとマユラは思った。ただマユラも、ライゼン夫人には、その気さくな人柄に好感をもっていて、無事に戻ってくることを願わずにはいられなかった。
「勇者たちに神の祝福を」
朗々たる声に振り向くと、茶色のローブの簡素な僧服をまとった小柄な老人が、笑みを浮かべながらこちらに歩いてくる。
「あなたは・・・」
怪訝な顔の志摩だったが、
「これはローラン司祭様、ようこそおいで下さいました」
料理長がうやうやしく迎えた。
「唐突に押しかけました。お邪魔でなかったですかな」
「司祭様ならば、いつだって邪魔なんてことありません。お待ちを、すぐにお飲み物をお持ちします」
エウレカ神を主神とするエウレカ神教は、アルスター帝国においては国教として国家護持され、民間にも広く信仰されて、神殿の司祭ともなれば民衆から敬われる存在なのだ。
「どうぞ」
すぐにビールのグラスが持ってこられ、
「これはありがたい。歩いてきて、いささか汗をかいたところです」
司祭はグラスを受け取り、泡の立つ琥珀の液体を飲んだ。
「のどに沁みますな」
「どうぞ、料理も食べてください」
「そちらは、お気持ちだけいただいておきます」
「俺たちへの遠慮なら無用だぜ」
ファズの言葉に、ローラン司祭は首を振って、
「そうではなく、信者さんの家でピザをいただいてきたばかりなのです。ところで、また大層なお働きだったそうですな。兵士たちから聞きましたぞ」
司祭は志摩に笑顔を向けた。
「今回は私ではなく、このバルドスをリーダーとした班の、仲間たちの働きだ」
「なるほど、これはお強そうだ」
ローラン司祭はバルドルの、屈強そのものの肉体をしげしげと見やった。
「しかし、あなたのチームは多士済々ですな」
「多士済々かはともかく、全員がおのれの役目をしっかりこなす、頼れる者たちだ」
「一人だけそうでないのもいるけどな。おっと、マユラじゃないぜ。子供は最初から員数外だ」
ファズは皮肉気にいった。この場にグレッグの姿はなかった。
「それで司祭様は、我らになにかご用かな」
「実は、私どものケルト神殿の近辺に、このところ泥棒の出るようなのです。それで、人をよこしてほしいのです」
「ならば隊長殿にその旨言って、兵士を派遣してもらうべきでは」
「いえいえ、泥棒といっても、グルザム一味のやからのような、兇悪なのではありません。なにかの不幸で食い詰めた者が、出来心で悪い癖を覚えたような、かわいげのあるものなのです。私らでもどうにかなるかもしれませんが、神に仕える身、たとえ泥棒でも暴力をふるいたくはありません。そんなに荒っぽいことにもならず、多少武芸の心得がある程度の腕でよいのです。それで、どうやらこの場にお顔がみえぬようですのであけすけに申しますが、お仲間内に酒毒を病んでおられる方がおられましょう。その方をよこしてもらえませんか」
「グレッグを」
彼はアルコール依存症のような状態にあり、巷間これを酒の毒に侵される、酒毒を患うという。
「いつぞやの、宴の席でお見受けしましてな。実は、私は神教の修業のかたわら、若い頃より修験の業に興味をもち、解毒の咒法も学びまして、酒毒を患う者をも治療してまいりました」
「治せるのですか」
「治せることもありますが、まったく効果のない場合もあります。私の術がその人に合うかどうか、それはやってみなければわかりません。しかし、うまくいった場合には、どっぷり酒の毒に浸かって廃人同然だった者を、すっかり酒の毒の抜けきった、新品同様の人間に生まれ変わらせることが出来ます。つまり、完治というやつですな。これまでに五人、生まれ変わらせました」
「それは大したものじゃ」
魔導師カムランが、驚きとともに讃えた。
「率にすれば一割にもなりません。完治とはゆかないまでも、症状の改善した者もいますが、八割以上はまったく効果がみられませんでした。ただ、効果のなかった者でも、悪化したことはありませんので、そこはご安心を」
「それじゃあダメもとで、グレッグの奴も診てもらったほうがいいんじゃないか」
他人事ながら乗り気のファズに、
「俺も聞いたことがある。なんでも修験の療法というやつは、酒の毒や精神の病に有効なのだそうだが、術を人に合わせるのが難しくて、ほとんどの場合はまったく効果がないが、百に一つドンピシャくれば、奇跡なまでの治癒力を発揮するらしい」
ダオも思い出し顔でいった。
「司祭様がそのような術を修めておられるとは知りませんでした」
料理長も初耳の顔であった。
「神に仕える身にとっては、御教え以外の法を修めるなど自慢にもならず、世間に吹聴することでもないのだ」
「そういうものですか」
「ただ、この方たちがグルザム一味と戦っていると聞いて、人々を苦しめる賊と戦っている方々の助けになるのであれば、神の御心にもかなうであろうと思い、しゃしゃり出てきた次第じゃ」
「つまり、コソ泥対策とは方便で、目的は、グレッグに術を施すことですか」
志摩に問われて、
「まるっきり噓というわけではありません。道を踏み誤る者は、どこにでもいるものです」
司祭は仕方なさそうな顔をした。
「用心棒って名目があれば、グレッグのやつだっ行きやすかろうしな」
ファズも納得した顔でいった。
「いかがです。かの御人を当神殿によこしていただけますか」
「わかりました。明日、向かわせます」
「よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ、グレッグのことお頼みします」
「キミも、グレッグさんといっしょに来てはどうかね」
不意に司祭から声をかけられて、マユラは驚いてかぶりを振った。
「けっこうです、ボク、酒飲みませんから」
「神殿は酒飲みが来るところではないよ。神に祈りを捧げ、心の平安と世の太平を願うところだよ」
「だいたいマユラ、おまえ両親を亡くしたばかりじゃないか。まだちゃんと、神殿でお祈りを捧げていないのだろう」
「親御さんを亡くしたばかりとな。それなら神殿にお参りして、ご両親の御霊に、きちんと別れのあいさつをしなければいけないよ」
「明日、グレッグとしっしょにお参りにゆけ」
志摩の言葉に、ええっとマユラは顔をしかめた。
「明日はちょっと、用事があります」」
本音をいえば神殿なんて抹香臭いところには行きたくない。それもグレッグといっしょなんて、ずいぶん気づまりであるし、そしてなにより、明日は剣の祠に行かねばならないのだ。
「用事ってなんだよ。さては、あのエレナって子とデートするつもりだな。
ファズに図星をさされ、
「デートってわけじゃないけど」
あくまでも剣の祠に案内してもらうだけであり、デートという意識はなかったが、一緒に行動するのであり、テートといわれても仕方なく、マユラは口ごもる。「まだ半人前にもならないペエペエが、デートなんぞ十年早いってんだ」
ファズにが怒鳴ると、
「けどよ、俺にはマユラの気持ち、わからんでもないぜ」
いつになくダオが、物分かりの良いことをいう。
「俺もマユラみたいな年の頃にはよくデートしたもんさ。村の女の子とイチャイチャして、子供の前じゃ言えないような、あんなことやこんなこともしたっけ」
「与太とばすんじゃないぞ。てめぇがデートって面かよ」
「ところがこの面も、十代の頃には自分で言うのもなんだが、愛くるしい美少年というやつでよ、村の女の子にはモテモテだったんだぜ」
「へっ、てめぇの村じゃクマやイノシシのメスを女の子っていうのかい」
おもしろくもなさそうなファズにかみつかれても、
「まあ、少年時代から今に至るまで、周りのカップルを指をくわえてみているだけのお前が、やっかむ気持ちもわからんではないけどよ」
ダオは余裕の表情であった。
「てやんでぇ、俺だって!」
「そのへんにしとけ」
バルドスがうるさそうに遮った。
「くだらない言い合いはじめやがって、司祭様が呆れておられるぜ」
「いえいえ、ケンカが出来るのは仲の良い証拠。よろしいことです」
司祭は微笑まし気にいった。
兵士が入って来て、志摩のもとに足早にきた。
「志摩殿、隊長がお呼びです」
「何かあったのか」
「グルザム一味より、使いの者が来ました」
「グルザム一味だと、ジェリコ砦ではないのか」
いぶかし気なバルドスに、
「後々のことを考えて、あくまでもクリオ砦とグルザム一味の間のことという、体裁を作っておきたいのだろう」
志摩は答えた。
「ずる賢い野郎だぜ」
唾棄したいかのバルドスだった。
「いってくるぜ」
兵士とともに出てゆく志摩を、チームの面々は見送った。
「では私もこのへんで失礼します。グレッグ殿のことよろしく頼みます」
一同に頭をさげ、去り際、マユラに顔を向け、
「キミも、きっと来るのだよ」
念を押し、立ち去っていった。
司祭が去り、料理長たちも厨房に戻り、傭兵たちだけがさして飲み食いするでもなくその場に居残っていると、キラキラと雲母のような羽をはばたかせて、後ろの方に隠れていたフェアリーが姿を見せた。ウィルは皿の上のサラミソーセージを一枚取ると、空中に羽ばたいたまま器用に食べた。
「なんで隠れてたの。そんなに人見知りだった」
「さあな。僕たちフェアリーは、小さくてか弱い分いろんなことに敏感なんだ。内心フェアリーを嫌っている奴とか、近づいただけでわかることがある。単なる気のせいって場合もあるけど、とにかく些細なことで出たり隠れたりするのがフェアリーってもんさ」
「優しそうなおじいさんだったよ。とても、キミをどうこうしそうには見えなかったけど」
「ああ、きっと気のせい、臆病なフェアリーの心が、意味もなくざわめいただけさ。ただ・・・」
「ただ、どうしたのさ」
言いさしたまま、宙に羽ばたくフェアリーにマユラは聞いた。
「いや、なんでもない」
確かに、温厚そうな司祭であったし、仲間たちともいっしょなのだから隠れることもないはずなのだ。だが、ローラン司祭の存在を感じた瞬間、彼の防衛本能は烈しく刺激されたのだ。そのことが、今もって解しかねる心境のウィルであった。
翌日の朝食のとき、食堂に志摩の姿がなかった。クリオ砦に来てからの志摩は、チームのリーダーということもありなにかと忙しく、昼食や夕食には顔を合わせないこともしばしばだった。しかし朝食はいつもいっしょに食べていた。そこでお小言をもらうこともあるけど、マユラは志摩と食事をするのが好きだった。師弟という感じがして、いつかこの人のようになることを目指して精進していると思うと、自分にも誇りが持てる気がする。お説教も志摩の言葉ならば素直に耳を傾けられる。もっともそれで改まるかといえば、そうはならないのがマユラで、結果、何度も同じことで𠮟られて、閉口するということもままあるのだった。
志摩だけでなく、チームのメンバーがほとんど見当たらない。ウィルの姿もなく、唯一魔導師カムランが一人、長テーブルの端っこで食事しているのをみつけた。マユラは彼の向かい側に、朝食を載せたトレイを置いて席に着いた。
「おはようございます」
「おはよう」
カムランはほとんど食べ終え、おもむろに紅茶のカップを口に運ぶ。本当は珈琲が好きなのだが、珈琲は紅茶より値段が高く、砦の朝食には出ないのである。
「志摩先生やみんなは」
「さあ、どこかな」
知っているけどいわないという顔だ。きっとみんな仕事で動いているのだろう。「志摩さんもこのところ忙しく、キミも指導してもらえず物足りぬであろう」
「仕方ないですよ」
確かにいつもは一人で木刀振ってばかりで、師の不在をつまらなく思っていたが、今日ばかりは大歓迎だ。なんたって、エレナの案内で剣の祠に向かうのだ。大昔に英雄が鬼を斬ったという名剣が、手に入るかもしれないのだ。思うだにワクワクして、いつもは朝の楽しみの朝食だが、こうして食べている間さえじれったくあった。
「なにか楽しみなことでもあるのかね」
「えっ!」
トーストをもぐもぐ食べていたマユラは、咀嚼を止めて、カムラン老人の顔を窺う。
「なんだかウキウキしておるからな」
「そんなことないですよ」
マユラは、紅茶でトーストを流し込んだ。
「砦の中の雰囲気がちょっとざわついてて、それで気持ちが高ぶっているだけです」
「そうかね」
「そうです」
マユラはふたたびトーストをむしゃむしゃ食べながら、勘の鋭い爺さんだと思った。この年まで傭兵稼業をしているカムラン老人である。勘の鋭いところもあるかもしれぬが、この場合はカムラン老人が鋭いのではなく、単にマユラが分かりやすいだけなのであった。
「とにかく、今は志摩さんをはじめチームのみんなもおらぬ。こういう時は、なるべく砦の中にいるべきだが、とはいえ、キミは今日、この地域の神殿に行くことになっていたのではないかね」
「はい」
「グレッグと一緒に?」
「グレッグさんといっしょかどうか分かりません。ボクには先生に言いつけられた稽古がありますから」
それは、とっくにサボると決めているが、グレッグと一緒に神殿へ行かされるのを防ぐための予防線だ。
「もちろん師匠のいいつけなので、必ずお参りしますけど」
と、付け加えるののを忘れない。
「彼を頼りなくおもっているかもしれんが、グレッグだって、まだそう捨てたものではないぞ」
「そんなんじゃないです」
「ふむ、私がついて行ければいいが、今は待機中での」
「けっこうです。そんなに遠くないと聞いていますから、一人で行けます。それじゃ朝練があるので」
マユラは朝食を食べ終えぬうちに席を立ち、残ったトーストを口にくわえたままトレイを返しにゆく。あのままぐずぐずとカムラン老人に付き合って、誰か人を付けるとでも言われたらたまらない。足早に食堂を出てゆくマユラを、カムラン老人は、危ぶむもののようなまなざしで見送った。
まばらに雑草が生えているだけの黄色く乾いた地面は、道とも野面とも大きな街道から枝分かれした脇道をたどって出くわす、一面の荒地だった。照りつける日差しに地面は固く乾き、地面のひび割れから雑草がしなびた葉を伸ばしていた。耕作など夢にも思えぬ涸れた土地で、あたりに人家の一軒もなく、往来も絶えて久しげな土地を、今、一人の男が突っ切ろうとしていた。スーツを着てショルダーバッグを斜に掛け、マントを羽織った旅装の男であった。
道ずれもない荒涼たる大地を、先を急ぐかの足取りで行く男であったが、不意に足を止めた。殺風景な辺りに人の気配があった。しかしそちらから吹いてくるのは、人と人との親しみや温かさではなく、荒涼たる景色よりもなお殺伐とした殺気であった。
「俺たちの目を逃れるために、わざわざこんな荒れ地の道を選んだのだろうが裏目だったな。おかげでこっちは人目を気にせず、じっくりてめぇを始末出来るってもんだ」
待ち受けていたのは八人ばかり、どれもまともな生業でないことをうかがわせる、悪辣気な風貌であった。
「はるばるムラサメくんだりからやってきて、こんなところで命を落とすとは、おまえもついてない野郎だぜ」
待ち伏せしていた男たちは、剣、槍、アックス、野良犬の牙を剥くように、それぞれの武器のギラリと陽を返して迫る。ブレイヴ体になると、男たちの顔に異界の象形文字のような紋様が表れた。これぞ人食いの儀式を経て、異界ヴァルムヘルの邪神に帰依した者の証、邪紋である。男たちは全員がヴァルカンと呼ばれる邪教徒であった。
旅の男も剣を抜いて果敢に戦ったが、さほどの技量もなく、数に押されてたちまち窮地となる。襲い来る敵刃にその命も潰える、まさに寸前、風を駆って飛び込んできた颯爽の雄姿が刃を払った。
「なっ!」
「貴様は」
刺客どもは突如として現れた邪魔者に、いったん引いて、構えを固める。彼らの前にあるのはストリームを凪いで浮上する偉丈夫。抜きつけた大刀を八双に構えて、旅の男を背後にかばう。
「あなたは?」
男の声には、思わぬ助けに安堵しながらも、不審の響きがあった。
「クリオ砦のライゼン隊長の命により迎えに来た者だ。間に合ってよかった」
志摩は背中を向けたまま答えた。
「クリオ砦の・・・」
「けっ、さてはてめぇがクリオの雇われ犬か、そいつともども始末してやるぜ」
思わぬ邪魔者にいったん引いた刺客どもは、加勢を一人と見て、ふたたび攻撃の構えを取り直すが、
「こっちにもいるぜ」
声に振り向けば、片手剣シールド装備の剣士。さらに、
「オラオラ、ここにもだ、てめぇらどこに目をつけてやがる」
アックスを構えたソルジャー、そしてもう一人の片手剣シールド装備。こちらはまだ少年の面影の残る若さで、一言も発せず、抜剣シールドの構えも堅いが、表情には落ち着きがあり、それなりの経験は経ている者と見えた。
「やい、タコ助ども。大人しく退散するか、それとも、一つしかない命を落とすかだ」
威勢よくファズが言い放つ。駆けつけたのは、志摩をはじめとして、ファズ、ダオ、レオンのチームのメンバー四人だった。
「野良犬どもがつけあがるな。ジカルやその他、てめぇらにやられた仲間たちの仇、ついでに取らせてもらうぜ」
刺客どもはひるむことなく切りかかる。志摩というよりも彼の背後の目的の男を獲りにいって、その前に邪魔な志摩を片付けるつもりで、四人が突進する。複数で一人を討つ場合、一斉に切りかかると味方を傷つける恐れがある。といって、斬撃の間が開き過ぎては複数の利を活かせない。その点刺客どもは場数を踏んだものらしく、連携の取れた動きをみせる。多対一に特化した連携技は、個々のレベルは低くても、嵌まれば使い手でも仕留めるほどの威力を発揮し、志摩に対しても自信があったのであろう。しかも志摩は背後に人を守っているために、ストリームを噴かせて、スピードで対応することができない。このへんは、サムライが防衛向きのジョブではないといわれるゆえんだ。しかし、志摩は、太刀行き、見切り、読み、体術、戦闘能力のあらゆる面において、刺客どもの予想を上回っていた。
志摩は、凪ぎからそよ風に移るように、緩くストリームを流す。刺客たちは緩慢な動きを見せる志摩に殺到した。得意の連携技に完全に嵌まり、秒余の後には精悍なる五体を切り裂いていると確信した、次の瞬間、志摩の刀が一筋の閃光と化して走り、刺客たちの剣を持つ手に、肩まで沁みる衝撃を与えた。大刀一旋、刺客どもの想像をしのぐ強烈の一薙ぎにて、志摩は身に迫る剣を払い、しかし更に、エアを蹴ってくる駿足による斬撃が、秒余の間もなく襲い掛かる。刺客は仕留めたと思った。第一波はしのげても、矢のようなスピードで迫る剣、この間合い、二波は逃れようもないはずだったが、まるで志摩の身体が幻であるかの如く、叩きつける剣に手応えがない。志摩は斬りかかる剣を、衣服を擦るぐらいぎりぎりにかわす。それもスピードを利かせてサッとよけるのではなく、枯葉の風に舞うように、ひらりと身を翻すのである。電光峻烈なる太刀行きと、斬りかかる剣の、ぎりぎり一センチ以下まで即座に見切る瞳術に、敵の動きの読み取り予測する、霊的なまでの状況把握能力、偉丈夫が木葉か鴻毛のように軽やかに舞う卓抜した体術。背後の人物を守るために敵の刃をわが身に集中させ、これを全戦闘能力を駆使して破る力技である。そして次の瞬間、切り返す愛刀ミスリル一文字は、白銀の龍と化して走り、敵を討つ。鮮血の雨を撒いて四人の敵は倒れた。一刀浴びせれば骨髄までも割らずにおかぬ獅波新陰流の技の冴え。四人はいずれも絶命していた。
ほかの敵は、ファズ、ダオ、レオンの三人によって片づけられた。それなりに技量もあり場馴れした連中だったが、個々に当たれば、チームのメンバーには危なげのない相手だった。
「敵は全員倒した」
志摩は旅の男を振り返る。
「おかげで助かりました。あなた方は命の恩人です」
旅の男は丁重な物腰で礼を言った。四十前後、武張ったところのない、商人風体の男だった。
志摩は男を見て苦笑した。
「まさかヴァルカンを助けることになるとはな」
男はブレイヴ体になったままで、それは志摩たちも同じで、相手に対して警戒心を解いていない。そして男の顔には、刺客どもと同様に、象形文字のような紋様が表れていた。彼もまたヴァルカンだった。
「私も、エウレカの徒に命を救われるとは思いませんでした」
男は剣を納め普通体となった。ブレイヴが消えるとともに、彼の顔の邪紋も消えうせた。
「ムラサメ国より参りました、ソネ・クガンと申す者です」
「志摩ハワードだ。さっそくだが、ライゼン隊長が会いたがっておられる。クリオ砦まで同道願いたい」
「命の恩人でもありますし、それにこれだけの腕利きに頼まれては、とても拒めません。ご案内、よろしくお頼みします」
ソネ・クガンは朗らかに笑った。
いままで、ヴァルカンとは、切りあったことは何度もあるが、親し気に話したり、笑顔を向けられたことなどなく、志摩たちのほうが、戸惑い気味の表情であった。
趣味の良い内装の広間だった。床は大理石張りで、壁や天井は一点のくすみもないアイボリー。壁には田園風景を描いたものや、神話にモチーフを取った絵画や陶板画が飾られていた。中央に据えられた横長のテーブルも、マホガニーの立派なものだ。クリオ砦の指揮官ライゼン隊長は縦長のテーブルの一方の端につき、潤うほどに艶のある褐色の天板の長く延びる向こう側には、ジェリコ砦の指揮官ベイロードの姿があった。
ここはウィランド男爵の邸宅の大広間であった。パーティーのある夜には多くの客を招いて、賑やかな会食の舞台ともなるが、今は窓から見える庭園の景色も、朝の清新さを脱して、陽光のいよいよ盛んになってゆく風情で、朝の十時をまわったあたりであろう。大きなテーブルにもっとも距離を置いてにらみ合う二人。両者の中間に主のウィランド男爵が、中立の立場を示すかのように席についていた。
「酒でも酌み交わして旧交を温めるつもりだったが、無粋な取り巻きをつれてこられては、その気分にもなれぬ」
ベイロードは揶揄するように、ライゼン隊長に目を向けた。
一人椅子にかけるライゼン隊長には、レイウォルをはじめとする砦の兵士たちが護衛として付いていたが、その最前列にあって、椅子にかける隊長の左右を守っているのは、バルドス、サブリナ、そしてファルコ、傭兵チームの三人だった。魔道師のカムランは砦に待機させてきた。建物の中では魔道の使用は難しく、敵の魔道師がいたとしても、そうそう魔道は使えないはずである。こちらもカムランがいたとしても、距離の詰まった室内で乱戦ともなれば、術を掛けるのも難しくなるし、敵に標的とされかねない。万が一、敵の魔道師がなにか仕掛けてきたときの備えとして、後ろにウィルが隠れている。フェアリーは術波動に敏感なのだ。
「そちらも同じであろう」
ライゼン隊長が返す。ベイロードも、周りを部下たちで固めていた。
「こちらは皆、れっきとした帝国軍将兵である。そちらのような野良犬など、連れてきておらぬわ」
「れっきとした帝国軍将兵が聞いてあきれるぜ。グルザム一味のヴァルムどもともツーカーのくせによ」
バルドスが言い返す。
「志摩とかいう人斬りはどうした」
ベイロードは、志摩の姿がないのを問う。
「あいつまでいたら、首を取られるんじゃないかとアンタがビビッて、出て来ないんじゃないかと思って、今日のところは外しているのさ。だが実際、俺一人でも、それぐらいの芸当は出来るんだぜ」
凄むバルドスを、
「やりたければ、やるがいいさ」
ベイロードは涼しげな顔でいなす。
「私を殺してもすぐに替わりが来る。なにも変わらぬ。おぬしたちの破滅が早まるだけだ」
「わかっているさ。我らも、そのようなことをするつもりは毛頭ない」
ライゼン隊長は、人質に取られている妻の身を案じつつも、一つの砦の指揮を預かる者らしく、泰然とした落ち着きを見せる。
「それで、要件を聞こうか」
昨日来たグルザム一味よりの使者が、この会見を申し入れてきた。場所がウィランド男爵邸であるのは、ライゼン隊長たちの警戒を緩和するためだ。ウィランド男爵もダークネス交易に関わっており、いわばグルザム一味側の人間だが、ライゼン隊長も長年のつきあいがあり、その人となりを知っている。自分の屋敷で、だまし討ちを仕掛ける度胸はない。そして、グルザム一味との直接交渉かと思って来れば、待っていたのはベイロードとその配下、ジェリコ砦の面々だった。おおかたの、そんなところだろうとは思っていたが。
「見せたいものがある」
ベイロードが手で合図すると、部下が嵩のある包み物をテーブルの上に置き、とたんにウィランド男爵は不快な表情となった。
「それは?」
包みがほどかれるると、現れたのはアルミの皿の上載った、高さ三四十センチの黒塗りの円筒だった。
「それは!」
テーブルの上に置かれたのは首桶だった。打ち取った敵将の首や、賊の首領の首を運ぶための器だ。ライゼン自身は、まだ一度も使ったことはないのだが・・・
「まさか・・・」
さすがに妻の生首があるかと思うと、平静ではいられない。息を吞み、首桶を凝視する。
「見せてやれ」
ベイロードが命じると、兵士は筒状の蓋を取った。冷たく光るアルミの皿の上に、血と肉で作った奇怪なケーキのようにそれはあった。
「これは・・・」
ライゼン隊長は絶句して生首を見つめた。首は男のものであった。
「女房の首が出てくるとでも思ったか」
ベイロードはビックリ箱を仕掛けてはしゃぐ子供のように、いたずらっぽい顔をした。
「こちらとしてはそれでもよかったのだがね。あいや、心配するな。細君の首はまだつながっているはずだ、たぶんな」
「丁重に、客人として扱うとか、言ってなかったか」
バルドスが文句をつける。
「そのつもりだが、お互いに命を張ってにらみ合っているような状況では、何事も約束は出来ん」
ベイロードはしれっと言って、
「ところで、テーブルの上の御仁、誰だかわかるよな」
「金融業のペドロ氏だな」
ライゼン隊長は顔をしかめながらも、テーブルの上の生首に見覚えのある顔を認めた。それは志摩たちもクリオ砦の宴席で会ったことのある、この地域の有力者の一人、金融業者のペドロ氏の変わり果てた姿だった。
「そうだ、あの業突く張りの金貸野郎だ。こいつも生きてるときには、似合いもしないカシミヤのスーツに、金時計などぶら下げたりして、金満家気取りも噴飯ものだったが、こうして余分なものが取っ払われて、かえって今の方が男振りは上がったかもしれんな」
「なぜ殺した。君たちの仲間ではなかったのか」
「自業自得だ。自らの強欲により、身の破滅を招いたのだ」
「・・・・」
「こやつめ、管理を任されていた、ウィズメタル交易の金をくすねおったのだ」
「それで殺したのか」
ライゼン隊長も顔なじみのその男は、生きていた時は法外な高利の貸し付けで庶民を泣かせ、善良な市民とは言い難い人物だったかもしれぬが、白目をむいた生首と成り果てた様は、いかにも哀れであった。
「命令なのだ、致し方あるまい。まったく愚かな男よ。お歴々の金に手をつけることは、ギャングの金を盗むよりも危険だということが分からなかったのだからな」
ベイロードのいうお歴々とは、州政府の上層部や有力貴族、グルザム一味とのウィズメタルの密貿易を裏で取り仕切る、政権の実力者たちだ。ベイロードは、彼らの手駒として動いているに過ぎない。
「それで、私も殺せと命令されているのか」
「まだだ。政治的な判断というやつだろう。どうやら君にも贔屓筋のあるようだからね」
「それで、わざわざペドロ氏に会わせたのは、脅しかね」
「いや、理解してもらいたくてな。君が正義を振りかざして壊そうとしているものが、どれほどのものかということをね」
「・・・・」
「このケチな金貸しが、わずか数年のあいだに、どれだけの額をくすねたかわかるかね」
ベイロードは、、ライゼン隊長やその周りに控える面々を見渡し、
「八十万ユーロだよ」
その額を口にした。
一同の顔に驚きが表れ、バルドスは口笛を一つ鳴らし、サブリナは獲物の匂いを嗅いだ雌豹のように、剣吞なまでの光をその眼に瞬かせる。
帝都の役人の一般職は年間五千ユーロ程度の俸給である。民間は、富裕層は別として、市民のおおかたのところはそれよりも少し下、貧民窟のものなどは、年間千程度でしのいでいる。八十万ユーロは、かなり贅沢な暮らしをしても五六十年では尽きぬ額。一般庶民からすれば夢のまた夢の大金である。
「それでもこいつの欲は満たされず、百万貯まったら高飛びするつもりだったとぬかしおった。まったく、強欲が身を滅ぼすの見本のようなものだ。しかし、こんなケチな男でも、それだけのことを思いつけるほどに太い金脈が、このしなびた地域を通っているのだ、グルザム一味を介してな。はっきりいって、八十万が百万でもちょろちょろ水さ。グルザム一味によってもたらされるウィズメタルは、それほどの富を生む。その金脈は州政府のお偉方に止まらず、帝都の雲上人の懐まで潤しているかもしれんのだ」
「そんな金のなる木の連中が、なんで盗賊働きなどするのだ」
バルドスが問うと、
「知らん」
ベイロードはどうでもいいことのように、鼻先であしらった。
「私はヴァルカンでないから、ヴァルカンやヴァルムの考えていることなどわからぬ。まあ、人食いの連中だから、金品を奪うだけでなく、残虐行為を働くことそのものに意味があるのかもしれんな。厄介な連中ではあるが、彼らがもたらすウィズメタルの利益を考えたら、排除するのはもったいないではないか」
「我々は商人ではない。利益よりも、地域の人々の安全を考えるべきであろう」
ライゼン隊長の反論を、ベイロードは笑った。
「それがおぬしの正義か。だが、正義で金は切れぬぞ。一個人の懐に収まる程度の悪銭ならともかく、都市の、国家の、民衆の経済活動に大きく貢献するものを、剣で切れはしない。つまり、おぬしらに勝ち目はないということだ」
「地域の人々を犠牲にして、都市の繫栄をあがなうのが正義と」
「命令に従うことこそが軍人の正義である。そして、グルザム一味を潰してはならぬというのが、上の意向である」
「私に命を下された方のお考えは、それとは違う」
「そういう石頭もいるかもしれんが、少数派だ。いずれ消える」
「私になにをしろと。させたいことがあるから、こんなもてなしを用意して呼んだのであろう」
「クリオ砦の指揮官を辞任しろ。後任には、私の右腕のラモンが就く」
ベイロードの後ろで、長身の将校が挨拶した。この男がラモンであろう。
「砦の指揮官の人事など、我らに決められることではないぞ」
「なに、上はどうにでもなる。言うとおりにすればすぐに女房を返してやる。どこか世間の片隅で、老夫婦二人、細々と恩給暮らしをすることだ。なんなら、餞別をくれてやってもよいぞ。五万ぐらいなら造作もないが」
「大した羽振りだな」
「それぐらいは、ちょろちょろ水の一二滴だ」
「おぬしらがクリオ砦を手中にすれば、この一帯はグルザム一味の狩場となって、地域の人々には大きな災いとなろう」
「私とて奴らの悪事を喜ぶものではないが、奴らの意向を尊重せよというのが上からの命令である以上、致し方無いところだ。だが、そのうち手なずけて、そちらの害も小さくするつもりだ。いかが致すか」
「砦に帰って、部下たちとも話し合わねばならぬ。ここでは決められぬ」
「あまり時間はやれぬが」
「一日二日だ」
「よかろう」
「だが、どのような決断をするにせよ、餞別は無用だ」
「やせ我慢するな。恩給など雀の涙だぞ」
「うちの女房は、大陸屈指のやりくり上手なのだ」
「好きにしろ。ところでそこの槍使い」
ベイロードは、バルドスに声をかけた。
「これまでのことは水に流して、使ってやってもよいぞ。私の下につけば、金に不自由はせぬが」
「遠慮しとくぜ。うまい話につられて、のこのこ死神と寄り添うほどお人よしじゃない」
「私が信用できぬと」
「アンタは、血は流しても水に流せぬタイプとみた」
「人の好意を勘繰りおって。いずれ、後悔することになるぞ」
「こんな因果な稼業だぜ。後悔なんぞは山ほどしてきた。そのタネが一つ二つ増えたところで、今更気にしやしないぜ」
「減らず口は槍より達者だな」
ベイロードは毒づき、バルドスは苦笑いした。
「では、このへんで失礼しよう」
ライゼン隊長は席を立ち、ペドロ氏の生首に目をやった。
「手厚く葬ってあげてくれ」
「そうしますよそうしますよ」
ウィランド男爵も立ち上がった。
「ただ、この様は家族には見せられませんから、柩を花で埋めて釘で打ち固め、窓から顔だけ覗けるようにして、遺族に引き渡すこととしましょう。しかし、この顔を安らかな死に顔に変えるには、葬儀屋も苦労することでしょう」
葬儀屋の苦労を思いやる男爵だが、手を下した当人のベイロードは気にもとめず、
「賢明な判断をすることを願っているよ。君のためにな」
ライゼン隊長に言葉をかけて席を立った。
「一つ頼みがあるのだがな」
「なんだね」
「グルザムという御仁に、会わせてもらいたい」
「・・・・」
「君だけでなく、あちら側の責任者にも直接会って話し合えば、お互いに納得のゆく妥協点も得られると思うのだが」
もっともらしげな言葉で、かまをかけてみたライゼン隊長だったが、
「あいにくだが、私も会ったことがないのだ」
見え透いた噓で返された。
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