第10話秘刀2

「槍使いか」

 ベイロードは白々とした目でバルドスを見やる。

「うちのチームは、志摩の他には人がいないと思ったら大間違いだぞ。志摩と並んで二枚看板のバトルランサー、ソルジャークラス槍術特級のバルドスさまよ。戦場鍛えのこの槍先、腐れ役人に受けられるかな」

「野良犬めがいい気になりおって、素っ首刎ねてくれるわ」

 殺気のこもった怒声を返すベイロードだったが、その時、バルドスの槍を喰らって倒れていたトロールが、、むくりと身体を起こした。

「殺す」

 大作りの貪欲そうな顔が憎悪に黒ずんだ。バルドスの槍はトロールの分厚い胴体を貫通するに至らぬまでも、かなり深い刺創を与えていて、これはタフなヴァルムにあっても、相当なダメージである。

 トロールはギロリと下敷きになっていた兵士を見た、彼は、足をトロールの巨体に潰されて動けなくなっていた。仲間たちに助けを求めていたが、頭上から覗きこむトロールのただならぬ視線に身を震わせた。

「なっ、たんだよ。俺は味方だぞ」

 そんなこと、まるで頓着せぬように、トロールは男のアーマーを外しにかかる。

「よせ、やめろー」

 兵士は大声をあげて抵抗したが、トロールにしてみればミカンの皮を剥く程度のことだ。

「隊長殿、どうかこいつを止めてください」

 兵士はベイロードに助けを求めたが、ベイロードは表情も変えずに見ているだけだった。

 力まかせにアーマーを外すと、トロールは兵士の胸に指を食いこませた。

「うぎゃー」

 兵士が悲鳴を上げたが、構わず肉を割り肋骨を開く。血が噴き出す。

「うげぇぇぇぇっ」

 断末のあえぎを漏らし、身体を痙攣させる兵士の口からも血がどぼどぼと流れた。トロールは割った胸から心臓を取り出し、赤い果肉のようなそれをに口に入れると、グミを噛むみたいにぐちゃぐちゃと咀嚼した。

「部下をヴァルム野郎のエサにするとは、ひどい上官もあったもんだぜ」

 バルドスのなじる視線に、ベイロードは涼しい顔であった。

「おまえの心臓も、はらわたも喰らってやる」

トロールは鉄棒を掴むと立ちあがり、猛り狂った形相となる。

「戦鬼だ、戦鬼になりやがった」

 グルザム一味から、警告の叫びがあがった。

「戦鬼モードか」

 戦鬼スキルを備えたヴァルムは、大ダメージを受けた直後に人間の血肉を喰らうと、戦鬼モードと呼ばれる状態に入る。戦鬼モードに入るとダメージの急速回復、一時的な能力の増大が得られる。ただし精神は狂乱状態となり、敵味方見境なしに攻撃する。戦鬼モードとなったヴァルムには味方も近寄れないのだ。

 トロールが鉄棒を振るとベイロートたちはあわてて離れた。トロールは鉄棒を振り回し、かなりの重量物の鉄棒が空に融けいるばかりに旋回して、風切る音も恐ろしく、この一撃を喰らえば人間の身体など原型をとどめぬであろう。

 いまにも攻撃をしかけそうに迫りつつあったグルザム一味も、敵味方見境なしのトロールの鉄棒をくらってはたまらないと、一旦退避した。

「あいつは俺にまかせろ」

 バルドスは戦鬼モードとなったトロールを見据える。

「おまえたちは、奥方を無事にクリオ砦へ送り届けるのだ」

「そんなのは兵士たちの仕事だ」

「馬鹿野郎、兵士も傭兵もあるか。この部隊を任されているのは俺なんだ。奥方になにかあれば俺の責任だ」

「けど、トロールの戦鬼モードはキツイぜ」

「みくびるな。あの程度のヴァルムにひけをとるか。それになんとかとハサミは使いようと言うしな。まあ、みてろ」

 バルドスは自信の笑みを残し、トロールの突進を迎え撃つべく飛び出す。ただでさえ怪力のトロールが、半狂乱となって振り回す鉄棒は、普通体の人間ならば、屈強の大男が盾を構えて受けたとしても、ボールのように飛ばされるかタマゴみたいに潰されるかで、とても受け止めきれるものではない。バン!! 金属のぶつかる大音響がして、しなるがごとく、風を裂いて叩きつけてくる鉄棒にバルドスの槍が当り、そのままがっしと受け止める。ブレイヴの抗力がこれを可能にするのだ。ブレイヴは機動力だけでない。腕力や体力の人間を大きく上回るヴァルムに打ち負けない抗力も形成するのだ。これは、ブレイヴの能力者を怪力にするのではなく、衝撃を緩和するとともに、衝撃に反応したブレイヴが五体を支えるのだ。ゆえに受け止めることはできるのだが、受けたままでいると、やがてヴァルムの怪力に押し込まれることになる。しかしバルドスはそんなのろまではない。トロールの一撃を止めた一瞬後にはエアを蹴って跳び、俊槍を浴びせる。頑強な巨人の肉体に刺創深く血の花を咲かせ、トロールは苦痛の声をあげると、狂ったようにバルドスめがけ鉄棒を叩きつけてくる。バルドスはこれを払ったりかわしたりしながら槍で突き刺す。しかしとどめは刺さない。戦鬼モードとなってもともと半狂乱の状態だったトロールは、槍で突かれる苦痛に完全に正気を失った。ただもうバルドスめがけてやみくもに鉄棒を振り回すだけである。バルドスはこれを誘って、周囲に展開していた敵陣へと向かった。

なっ!

 グルザム一味の者どもはバルドスを討ち取ろうとしたが、なにしろトロールとの距離か近すぎて迂闊iに手が出せない。下手に斬りかかろうものなら、トロールの鉄棒を喰らいかねないのだ。それにしもバルドスは、トロールの鉄棒の届く範囲にあって、ビュンビュン振り回す鉄棒をよけたり払ったりしてしのいでいるが、並みの者ならば一分とてもちこたえられないだろう。バルドスは巧みな動きでトロールをグルザムの陣営に誘い、ぎりぎりまでひきつけておいて、横っ跳びにその視界から消えた。正気を失ったトロールには、もうバルドスだか味方のグルザム一味だか見分けがつかない。ただ、憤怒の激情は目の前の者を叩き潰さずにはいられない。

 ひっ!

トロールの振り上げる鉄棒を仰いで、グルザム一味の男は身をすくませた。バンッ、鉄棒が打ちおろされ五体が卵のように飛び散った。血を浴びたトロールはさらに興奮して、目につくもの片っ端から鉄棒を浴びせてゆく。横薙ぎの一撃を食らったヴァルカンは上半身をちぎられた。体をくの字に折られ、血ヘドを吐きながら吹っ飛ぶ者。兜が胸までめり込んだ者。トロールの振り回す鉄棒は黒い旋風となり、かすっただけで手首が吹っとぶ。血臭ぷんぷんたる狂乱の暴風に、

「味方だ、味方だ」

 などといいながらグルザム一味の者は逃げまどい、その陣形は大きく乱れた。

「いまだ、行け」

 バルドスは隊長夫人を乗せた馬車を、兵士たちに守らせて発進させた。

「逃がすか」

 グルザム一味の者どもが襲いかかるが、トロールに暴れられて陣形は乱れていて、その数は多くない。バルドスが二三人突き伏せ、ファルコもマケドニア流撃剣術の冴えを見せる。マケドニア流撃剣術は天翔一刀流というサムライ剣術の剣士バージョンで、オーソドックスなスプリントタイプの両手剣術である。斬りかかって来たヴァルカンの籠手を打った剣は天翔一刀流でいうところの切り落とし。ミスリル編みのグローブをはめていたので切断するにはいたらなかったが、グローブの上からも骨肉割り、かなりの斬撃力を示していた。マケドニア流撃剣術は、獅波新影流やトラキア流に比べると、守りに比重を置いた剣術で、堅実な守りで受けて、鋭い返し技で撃つ戦い方である。

 ダオの武器はアックスだ。柄の先端に重量のある刃の付いた戦斧は一撃の威力は大きいが、振り切ったあとの隙も大きく、クセの強い、扱いが難しい武器である。しかしダオは巧みなアックスさばきで敵の剣を寄せ付けず、一撃見舞えば、安物アーマーなど蟹の殻みたいに割ってしまう。

数の優位で攻め潰すつもりだったグルザム一味は、敵味方の区別もつかずに暴れまわるトロールに追いまくられて、大きく崩れていた。しかし、ジェリコ砦の部隊は健在で、馬車が安全圏に逃げるまで、その追撃をふせぐためにもバルドスたちは踏みとどまっていなければならなかった。

 俊影がトロールに襲いかかった。振り回す鉄棒を避け、跳躍とともに大剣一閃、トロールの首を落とした。大きな首が岩のように転がり落ちると、旺盛な生命力を誇るヴァルムといえどもさすがにこれは致命傷である。頭部を失った巨体は地響きとともに倒れ、死を振りまいてきた鉄棒は一本の鋼材と化す。

トロールの首を一剣にて刎ねる技の冴えを見せたのはベイロードだった。同じ将校でもクリオ砦のライゼン隊長はさほど使いそうにないが、ベイロードは志摩も見るなり一目置いたように、かなりの使い手であった。

「なにをしている、さっさと攻めよ。もたもたしていると、このウドの大木同様叩き斬るぞ」

 ベイロードの剣幕に、グルザム一味も慌てて攻めよせる。なんとか馬車の前を塞ぎ襲いかかるが、トロールに大きく掻き乱された態勢も俄かに整わず、その襲撃は密度を欠いていて、クリオ砦の兵士たちは、なんとかこれを押し破ろうとする。そこを急襲すべく矢のように駆けるベイロード、あとにジェリコ砦の兵士たちも続き、

「させるか」

バルドスが迎え撃ち、ファルコとダオも続いた。

 二つの弾頭の衝突するように、バルドスとベイロードがぶつかる。劈頭、ベイロードは秒間に五六回もの片手突きを繰り出す電光の連撃を浴びせ、バルドスはこれを迅速な槍さばきで弾く。エアを効かせたステップは巧みで、目まぐるしい動きからの切り上げ袈裟掛け、高く跳んでの頭上からの拝み打ち、それが次には低い姿勢からの臑切りにくる。多彩な動きから繰り出す迅速的確な剣術は、中級程度の腕なら数合ともたずに切り伏せられているだろう。しかしバルドスもソルジャークラスの槍術特級、バトルソードは伊達ではない。槍さばきも巧みに、雨あられと来るベイロードの剣を寄せ付けぬ。しかし防戦いっぽうで、ベイロートの剣をしのぐばかりのバルドスに、

「どうした、その程度か。ウドの大木のトロールを手玉にとっていい気になっていたが、我が剣の前には身を縮めるのみか」

 あと一息で仕留めんと、ベイロードは嵩にかかって切りたてる。

「その程度とは、てめえのことだぜ」

「なにっ」

 バルドスの槍の突如として顔に迫り、とっさに剣で防いだベイロードだったが、鋭鋒頬をかすめ、一筋赤い線を引く。

「てめえの剣は見切らせてもらったぜ。もはやおのれの刃が俺の体に届くとは、夢にも思うなよ」

 バトルランサー全開。受ければ鉄壁、攻めれば矛先の炎を噴くがごとくに激しいバルドスの槍に、さっきまで攻勢一辺倒に切りたてていたベイロードの剣勢はたじたじとなった。

「てめえを仕留めれば、このゴタゴタの大半にかたがつく。取らせてもらうぜ」

 獲物を襲う野獣の如く、槍をかざして跳びかかるバルドス。慄然たるベイロード。刹那、野獣は空中を走りくる波動を感じて大きく跳び退いた。直後、熱風が顔を焙る。一瞬前バルドスのいたあたりを炎の尾が流れ、地面のわっと燃え盛り、しかしその火炎はほどなく消えた。

――魔道師がいる――

 バルドスは空中を流れ来る術効果の波動を感じとり、とっさに避けたのだ。術波動の飛来した方角に目をやり、魔道師の姿を捜すと、グルザム陣営の一角に、もやもやと揺らぐ黒い影の見えた。

――あれは――

目をこらそうとしたとき術波動がきた。避けると術効果の炎が地面を舐め、ごうっと燃えあがって消えた。魔道の炎は油などの燃料を使うのではなく、術として組み上げられたエナジーが発動したものであるが、実際は現象化した段階では、まだ半分幻の不確かなものであり、それが現実世界の炎として強く定着するには、人間や動物などの生命体の反応が必要となる。術効果として発動した範囲に人間や動物のいなかった場合には、紙や藁などの燃えやすいものがない限り、派手に燃えあがった炎があっさり消えてしまうもなのである。

火炎魔道をかわしたバルドスであったが、ごおっと炎の燃えあがる音と人々の叫びにそちらを見ると、馬車を守っていた兵士たちが炎に包まれていた。固まっていたので範囲攻撃が避けられなかったのだ。魔道の火炎は生命体のないところでは、一面に広がった火の海が、シーツを焦がした程度でかき消えたりする。しかしこれがいったん人間を巻き込むなりして現象として定着すると、その火力は油などの炎と比べてもそん色ない。

 馬車は火炎にやられてなく馬も無事だったが、馬は炎に怯えてすくみ、馬車は止まってしまった。御者は、無理に走らせて暴れ馬になっては困るが、とにかく、この危険な場所から離れるべく、手綱を操り声をかけ、馬を落ち着かせてから馬車を出そうとしていた。と、御者台の後ろにエアで跳ねた男が飛び乗り、背後から御者の喉を短剣で掻き切った。パックリ割れた喉仏からゴボゴボ血を流す御者の死体を蹴り落として手綱を執ると、馬を抑えつけるようにグイと引き据えその場に止める。無頼の者どもの五六人馬車に駆けより、力任せにドアを開けると、ライゼン夫人を引きずり出した。

 外に引っ張りだされた夫人は、御者の死体を見ると、あっ!、悲痛の声をあげた。

「彼はなんの関係もない町の馬車屋なのに、なんてひどいことを」

「うるせえ、ババア」

 グルザム一味の男が声を荒らげて平手打ちした。

「こっちだって、仲間がずいぶんとやられているんだ。町人の一人や二人知ったことか」

 男はライゼン夫人の喉元に、これ見よがしに短剣を突きつける。

「やいハゲ、おとなしくしやがれ。さもないとバアさんの首をかっさばいてしまうぜ」

「おのれが」

 バルドスは憤怒の形相だったが、さすがにここは自制する。

「傭兵ども、武器を捨てよ」

ベイロードは余裕の声音だった。

「ここで暴れればライゼンの妻がどうなるか、野良犬のごときおまえらでも、それぐらいの分別はつくはずだ」

「やってみやがれ」

 バルドスが怒鳴り返した。

「なっ、なんだと」

「ライゼンの奥方様」

 バルドスは捕らわれの隊長夫人に向けて大声を発した。

「お気の毒だが、武器を捨てて投稿するなんてことは、俺たち傭兵の流儀にはない」

「私のことなど気にせずに、どうぞ存分にお働きください」

夫人は叫び返す。

「あっぱれなお覚悟です。なれどご安心を、やるからにはたとえ刺し違えても、ベイロードめの胸板を突き抜かずにはおきません」

「頼もしき言葉。さすが、主人が見込んだ方々です」

「ババア黙りやがれ。これ以上つまらないおしゃべりすると、舌切り落とすぞ」

 夫人の顔に短剣を近づけ、恫喝するそいつに、

「おうっ、てめぇ」

 バルドスは一声投げる。

「刃物の扱いには気をつけるんだぜ」

「なんだと」

「たとえうっかりでも、奥方の身になにかあったら、てめえのそのクソの詰まってそうな頭にこの槍をお見舞いして、中に入っているのがクソかミソか、確かめることになるんだぜ」

 夫人には強がっていた男だが、バルドスに睨まれると縮みあがった。

「全滅寸前の有り様で、強がるのも大概にせい」

 ベイロードが怒鳴った。

 ジェリコ砦の兵士たちと戦っていたダオとファルコも、奮戦したものの数に押されて、バルドスのかたわらに肩を寄せる。いまはバルドスを中心に十人ほどが固まっていて、あとは斃されるか、負傷して動けぬ状態だ。敵はまだずいぶんいる。

「武器を捨てて、おとなしく投降すれば、命を助けてやらぬでもないぞ」

「無抵抗の者をおもしろ半分になぶり殺しにしても、敵に情けをかけるような、てめえらがそんな玉かよ」

「ならばここで、皆殺しになるのだな」

「もとよりそのつもりだ。しかし捨て身でかかる俺の槍、おぬしらが如き根性悪の外道の六七十、突きまくったぐらいで止まるものかな」

「たわけが、こちらには魔道師がいる。いま一度、魔道の業火をお見舞いしてやろうか」

「やってみろよ、かわしてやるぜ。おう、ダオ、ファルコ、そしてクリオ砦の勇士たち。ここで命を捨ててもらうことになるが、異存はないな」

「異存もなにもあるものか、戦って死ぬは傭兵の本懐だ」

 ダオが答え、

「斬り死にするほど斬りまくるには、敵の数が心もとないようですが」

 ファルコもいってのける。

「奥様が覚悟を決めておられるのに、我らが死を恐れていられるか」

 クリオ砦の兵士も答えた。

「聞いての通りだ。こっちは全員肚くくってるぜ。てめぇらも覚悟はいいか」

 バトル馬鹿が肚を据えたら狂犬になる。もう魔王をもってしても、バルドスを怯ませることはできない。

「おのれ、傭兵風情が粋がりおって」

バルドスに挑発されて、攻撃の指示を出そうとしたベイロードだったが、不意に動きを止めた。

――およしなされ――

 他の者にはわからなかったが、彼の脳裏に直接語りかける、声ならぬ声があった。魔道の術による念話、テレパシーとでもいうべきものである。

――窮鼠猫を噛むというが、狂犬を追い詰めれば、大ケガをしかねぬ――

 ベイロードは不服げな表情となる。念話は、術者は語りかけることができても、術者でないものは返答することができないので、一方的な会話となる。

――ここは、ライゼンの妻の身柄を押さえただけで十分でしょう――

 そう言われてもベイロードとしては、バルドスあたりをこのままにしておくのは不安があった。

――ここは一旦退いても、なぁに、連中に一泡吹かせるおもしろい手があるのだ――

・・・・・・・・・・

――それに、見張りに立てている部下からの念話による報告で、志摩とかいうサムライの率いる部隊が近づいているそうだ。この上そんな連中に乗りこまれては、目も当てられぬだろう――

 !!

念話が話せるものなら、それを速く言えと返したであろうベイロードであった。

「今日のところは、おぬしらの勇戦に免じてこのまま退いてやろう。おとなしくしておれば、こちらも何事もなく撤収するというわけだ」

「・・・・・・・」

 さっきまで殲滅せずにはおかぬといいたげなベイロードの打って変わった態度に、バルドスは怪しんだ。

「それとも、、どうあっても更に事を構えて、ライゼンの妻をここで死なせるという料簡か」

 怪しみはしたが、ライゼン夫人を人質にとられている以上、悔しいが主導権は向うにある。

「私としても、親の仇というわけではなし、どうでも彼と命のやり取りせねばならぬということはない。できれば話し合いによって、互いの不信や懸念を払拭して、対立を解消したいと思っているのだ。彼の夫人の身柄を預かるのは、話し合いの場を持つための手立てであり、丁重に遇しケガのひとつもさせるものではないさ。もちろん、用がすめば返すつもりだ」

「不信をぬぐおうというのなら、ここで奥方を返してくれたら、大いにその役にたつと思うが」

「そうはゆかぬさ」

 ベイロードは友好を取りつくろう顔に、本音の毒気を覗かせた。

「私と彼との対立点は、際どくのっぴきならぬものだ。それゆえ、本日かかる仕儀となったのだ。ライゼンには妻のことは心配するなと伝えよ。大切な客人として迎え、傷一つつけるものではない」

「傷一つつけるものではないって、さっき、そっちのクロデナシがぶったじゃないか」

「つい、手があがったのだろう。きつく注意しておく。では、ここでいつまでもおぬしたちと睨み合いをしているほど暇ではない。我らは撤収するが、ライゼンの妻の身の安全を第一に思うなら、後をつけようとしたりするなよ」

 悠然たる態度で撤収の下知をくだすベイロードだったが、内心、近づいているという志摩たちに、いましもなだれ込まれるかとヒヤヒヤだった。

「きっとお救い致す」

 バルドスは決意を込めた大音声を、送った。

「私は大丈夫です。主人にも心配しないようにと伝えてください」

 撤退する敵の手にあって、連れ去られてゆかれながら、夫人は気丈に答えた。

「奥様」

「奥様、必ずお助けします」

 クリオ砦の兵士たちは声をあげ、泣いている者もいた。

 バルドスは仲間たちに負傷者の手当をさせながら、自身はあたりにまだ敵が潜んでないか、撤退とみせかけてのだまし討ちを警戒して、周辺の気配を窺い、エアをとばしてあたりを探るなどしていたが、完全にベイロードたちが撤退したと確認すると、仲間たちのもとに戻って来た。

「どうだ」

「死者五名、手負いが六人、そのうち三人が重傷です」

「村の者に手助けを頼もう」

「みんな、閉じこもってますが、グルザム一味が去ったと知ったら、手を貸してくれるはずです」

 話していると馬蹄の響きが聞こえてきた。すわ敵かと身構えると、道の向うより駆けてくる一団。

「あれは・・・・・」

 アーマーに身を鎧う騎馬の部隊を率いるのは、自身はシャツの上から肩当てや胸当てなどのプロテクターを装備した、軽捷なる戦闘装備の偉丈夫。

「おお、志摩だ。味方だぞ」

志摩のひきいる部隊と知って、一同ようやくに胸をなでおろす。

「なにがあった」

 志摩たちは惨状に驚き、クリオ砦の兵士たちは、同僚たちのもとに駆けよった。

「ベイロード直々のおでましだ。しかもグルザム一味を伴ってな。で、面目ないが奥方をさらわれた」

 いつもの強面が、申し訳なさそうなバルドスだった。

「兄貴は良く戦ったぜ。兄貴がいなかったら俺たちは全滅さ」

ダオが、バルドスをかばうように言った。

「それはそうだろう。なにせバルドスだからな」

 志摩はさも当然と答えた。

「おまえたちも、ケガ一つないみたいだな」

 ダオとファルコのまわりを銀色の羽を羽ばたかせて飛翔する小さな体は、フェアリーのウィルであった。

「あたりまえだ、田舎の山賊相手に、そう簡単に手傷を負うダオ様じゃないぜ」

「けっこうキツかったけど、なんとか持ちこたえました」

 ファルコは正直だ。

「だが、どうしてここに。リーダーたちの巡察ルートからは、ずいぶん外れているだろう」

「いつも同じルートを歩いていても、悪者どもに読まれているかもしれんからと、リーダーが途中でルートを変えたのだ」

 説明したのは魔道師のカムランだった。かなりの年配に見えるが、馬に乗っても徒歩でも、普通に行軍をこなす。

「そうしたら、道筋で出会った猟師から、グルザム一味らしいのが、山中の道をこちらに進んでゆくのを見たと聞いたので、こちらに駒を向けてきた次第だ」

「そうだったのか。さてはリーダーたちが来ると知って、ベイロードの奴慌てて腰をあげやがったな。くそ、俺がもう少し粘ってたら、奥方を取り戻せたかもしれんものを」

「焦るな。隊長夫人は必ず取り戻す。とにかく、お主たちが無事でなによりだ」

「味方の兵士たちに、死者はでてますがね」

 ダオの言葉に、

「その借りもきっちり返す。まずは砦に戻ろう」

「隊長には、あわせる顔をもないがな」

 巌のようなからだの、いささか縮むげなバルドスであった。


 涼風の吹きぬける草原に、針を刺したかのごとく、小さいながらにも揺らがぬ影があった。まだ少年の、しかもいくぶん小さめの体に溌剌とした気合の満ちて、無心に木刀を振るのはマユラだった。クリオ砦近くの草原で、一人剣術の稽古に励んでいる。師匠の志摩をはじめとするチームの仲間たちは、砦の兵士たちと巡察に出て、残っているのはマユラの他にはグレッグだけで、マユラはあの酒飲みが苦手だった。一人戦力外の立場に甘んじて、四六時中呑むことだけを考えている。そんな人と話すことないし、向うはむこうで、年少の者にふがいなく見られるのは忸怩たるものもあるのだろう、マユラに話しかけてくることもなかった。

「こんにちは」

 清涼なる声に振り向くと、エレナだった。

「いつ来たの。全然気づかなかったよ」

「無心に稽古してたもの。邪魔して悪かったかしら」

「キミならどんなときだって、悪いなんてことはないよ」

 マユラは木刀を地面に突き立てるようにして、しばし休憩の態だ。

「新しくなったわね」

 エレナは、自分を助けるために折れてしまったマユラの木刀が、新しいものとなっているのに目を止めた。

「兵士の訓練用のを、一本もらったんだ」

「そう。命を助けてもらったのに、まだちゃんとお礼をいっていなかったわね」

 怪物から逃れたあの後、二人から話を聞いたクリオ砦では、兵士たちを動員して大がかりな捜索をするなど、けっこうな騒ぎとなた。エレナは兵士たちに家まで送られ、どこかのお嬢様みたいに、兵士の護衛つきで帰って来た娘に、家族はたいそう驚いた。そして怪物の一件を聞くと今度はひどく心配して、数日は、畑仕事を手伝う他は、気ままな外出もさせてもらえなかった。よってあの一件以来、二人が顔を会わせるのはこれが最初だった。

「礼なんていいさ」

「それじゃあ私の気がすまないの。お茶にご招待するわ。紅茶とクッキーしか出ないけど、母さんの焼くクッキーはとてもおいしいのよ」

「キミんちに、いっていいの」

「もちろんよ。マユラは私のヒーローですもの。でも、剣術の稽古はいいのかしら」

「いいさ、志摩先生もいないし、あとで今日の分やっとけば、問題ないよ」

「それって、ウチの弟がよく失敗するパターン」

「失敗を恐れてたら、ヒーローになんて成れないよ」

マユラは澄まし顔でいってのける。

 エレナと連れだって歩きながら、マユラはヒーローにでもなったかのような高揚感で、肩に木刀を担ぐ様も、大剣を携えるがごとく誇らしげであった。

「エレナ、なんでそんな奴と歩いてるんだよ」

 そんな奴! カチンときて見れば、マユラと年頃も同じような少年が三人ほどいた。その中でも一番身体の大きな、ニキビ顔の少年が、さも憎々しげにマユラを睨んでいた。

「ロイ、そんな言い方やめて、マユラは私のヒーローなのよ」

「キミがなんだかわからんバケモノに襲われたとき、たまたま近くにそいがいたってだけのことだろう。俺がその場にいたら、そんなバケモノバラバラに切り刻んで、ブタのエサにしてやってたぜ」

 その言い草に、マユラはフフンと鼻で笑った。

「だれ」

「郷士のハルソさんところのろのロイよ」

「やい野良犬野郎、エレナは俺の許婚だ。気やすく近づくんじゃねえ」

 ロイは、二人が言葉を交わしているのを見るのも腹立たしげに怒鳴った。

「イイナズケってなに?」

「結婚の約束をした人のことよ」

「アイツと結婚するの」

「向うが勝手に言ってるだけよ。お父さんだって承知してないもの」

「だよな」

 鼻先で笑うかのマユラに、ロイは気色ばんで前に出た。

「やいチビ助、エレナから離れろ」

 マユラの逆鱗に触れる一言だった。

「もう一度言ってみやがれ、ゴリラ野郎」

「何度でも言ってやるぜ、エレナよりも背が低いくせに彼氏ぶりやがって、ちゃんちゃらおかしいってんだ」

 マユラの、脳内で無意識に現実を変換したところの、虚構の認識を突き崩す一言だった。

――やっぱりオレ、エレナより低かったのか。そうだよな。エレナって女子では高い方だし、考えてみりゃオレより低いわけないけど、つい頭の中で、ストリームで浮いた分かさ上げしてたってことか――

 なにか、重大な事実に直面したるが如きマユラに、

「チビ助、なに深刻に悩んでんだよ」

 ロイはたたみかける。

 マユラはキッと向きなおって

「何度も言うな」

「もう一度言ってみろって、言ったじゃないか」

「それは、もう一度言ったらただじゃおかないって意味さ」

「どう、ただじゃおかないんだ。その棒切れで、目にもの見せるつもりか」

 ロイたちはげらげら笑った。ロイは在野の武家である郷士の家の子とエレナはいったが、他の少年たちもそうらしく、三人とも腰に剣を差していた。

「二人ともやめてよ」

 エレナが止めに入る。

「キミの目を覚まさせてやるよ。キミがヒーローだと思っているコイツが、ただの負け犬だってことをわからせてやる」

 闘志むき出しのロイに、

「離れててよ。どうやらゴリラに礼儀を教えるには、言葉だけじゃ足りなさそうだから」

 マユラも退く気はない。

「やい、ヒーロー気取るんだったら、せめて剣ぐらい持ってろや。俺たちみたいにな」

 ロイは剣を抜いた。銀色に光るミスリルの真剣だった。

「なに考えているの。そんなものしまってよ」

 咎めるエレナ、

「いいさ、剣の一つも抜いてくれなきゃ、面白くもないってもんさ」

 マユラは真剣にも気おくれしない。

「強がりもそれぐらいにしておけ。ケカしたくなかったらとっとと失せやがれ。そして、二度とエレナに近づくな」

「なんでオレが、おまえなんかに尻尾を巻いて逃げなきゃならないんだよ」

「ただの脅しだと思ったら、大間違いだぞ」

「やってみろよ」

 マユラはブレイヴ体になった。陽炎のようなブレイヴの波動を全身より沸き立たせ、ストリームを凪いだ体は二三十センチ浮く。

「いっとくけどな、この棒切れでだってゴブリンのドタマぐらいカチ割れるんだぜ。てめぇにゃ手加減してやるけど、打ちどころが悪かったら九九も覚えられなくなるかもな」

「そんなのとっくに覚えてら」

「ええっ!、そうなの」

 まだ七の段が怪しいマユラは、ちょっと見なおした表情となる。

「そんなことより、ストリームに乗れるぐらいでいい気になるな。俺だって、これぐらいできるんだぜ」

 ロイもブレイヴ体になった。スプリントタイプで、全身にブレイヴの波動の揺らめくがマユラのように浮上せず、エアというブレイヴ製の駿足シューズを履いている。

「俺たちは退役軍人のアルザック先生のもとで、マーシャルソード(軍人剣術)を習っているんだ。俺は、仲間内じゃ一番の使い手だぜ」

 どうだと胸を張るロイ。

「ふーん」

「いや、ふーんじゃなくてさ、おまえ、恐れ入るところ間違ってるぞ。ここで、ええっ! だろうが」

「そんなの恐れ入るものか。いっとくけどオイラの剣術は、あのジカルってザウルス野郎の片腕取った、志摩先生直伝の獅波新影流だぜ。マーシャルソードなんて目じゃないぜ」

「いったな。それじゃあ、どっちの剣術が強いか、はっきりさせようぜ」

「望むところだ」

 売り言葉に買い言葉、

「やめてよ、なに馬鹿なこといってるの」

 エレナが止めようとするが、二人とも聞くものではない。

「あぶないからあっちへいっててよ」

マユラはエレナを遠ざけ、

「一対一の勝負だ、手を出すなよ」

 木刀を正眼に構えるマユラに対し、ロイは真っ直ぐ立てた剣を顔の横に引きつける、八双の構えをとる。直立した剣は陽光をギラリと返し、いかにも物切れしそうな風情は、木刀とは、また一段違った物騒さである。

「向うみずも大概にしないと、手足がスパッと体から離れることになるぜ。まあ手足なら、近くに腕のいい接ぎ師がいるけど、首が離れたらそうはいかんぜ」

「大根やニンジンじゃあるまいし、だんびら振り回しゃ切れるってもんじゃないぜ」

「心配して、言ってやっているのに、そんなに痛い目にあいたいのかよ」

「そっちこそ、せっかく覚えた九九も忘れることになるぜ」

「しゃらくせぇ」

 ロイが跳び、マユラもストリームを流す。一当たりして離れ、またぶつかる。ロイはストリームタイプへの対応の仕方も心得ていた。ストリームタイプの巻き込む動きをかわして、鋭いステップで裏に切りこもうとするが、マユラもこれを撥ね返す。二人がブレイヴ体での戦いを始めたら、ブレイヴの能力を持ち合わせていないエレナには見ているよりほかにない。めまぐるしく動きながら、木刀と剣が交わるのをハラハラしながら見ていた。

 両者譲らず打ち合っているが、ロイの剣をうける毎にマユラの木刀はザクザク切りこまれる。真剣に木刀では分が悪いのは分かり切ったことだが、しかし普通体での戦いでは木刀でもその場しのぎの武器にはなり、それなりに戦えるのだ。木材の芯から取った堅い木質の木刀なら、上級者でなければ真剣でも簡単に両断できない。しかし、ブレイヴ体の戦闘となると事情は違ってくる。ブレイヴ波動は装備した武器や防具の性能を強化させるのである。ミスリルは殊にブレイヴ波動に対する反応が良く、それが武器や防具の素材として重宝される理由だ。対して木製の物は、ブレイヴで強化されることはほとんど無い。ゆえに、木刀でフレイヴ体の真剣を受けると、それがロイ程度の腕でも、立木に斧が入るようにザクザク切りこまれるのだ。このままではいつ折れてもおかしくないが、だからといって、あっさり負けを認めるマユラではない。往生際の悪さとクソ度胸はもって生まれた性分だ。

 地上二十センチに浮上した足元より気流を噴いて翔ぶマユラと、エアを履いた駿足で駆けるロイ。ブレイヴ体ならではの、超人的な機動力を駆使した戦いが展開されたが、木刀と真剣の差が出てマユラが押され、そしてついて、ロイの剣を受けたマユラの木刀が折れて、片割れが宙を舞った。

「勝負あったな」

 ロイは動きを止め、勝者の余裕を見せる。

「まだだ」

「まだだと。剣が折れて、どうやって戦うつもりだ」

「剣ならあるさ、両手にな」

 マユラは折れた木刀の片割れを拾っていて、サブリナの双剣よろしく、二つになった木刀を左右の手に持つ。

「それで戦うつもりか」

 ロイには四五十センチの木の棒など武器とも思えなかった。

「そこまで言うなら、もうどうなっても知らないぞ。死んでも恨むなよ」

 ロイが剣を振りかぶって走り出し、マユラは凪いだまま迎える。その脳裏に浮かんだのはエルゼンの町でのサブリナの戦いぶりだった。大剣の敵を沈めた、彼女の鮮やかな戦いぶりを思い描き、跳躍しざまに振り下ろすロイの剣を、両手の木刀を頭上でX字に交差させて受ける。なんとか受け止めることはできたが、剣勢に体がとばされ、サブリナのように鮮やかな身のこなしで敵を翻弄する、というようなわけにはゆかない。おそらくサブリナが受け止めた大剣の打ち込みは、いましがたロイが叩きつけてきた剣の、十倍以上の衝撃だったはずだ。

 ロイの剣勢に耐えきれず、突き飛ばされたように後ろに跳ねたマユラは、ストリームを踏みちがえてよろめいた。すかさず襲い来る次の剣。鋭い刃のマユラの体を裂きそうに見えて、エレナは思わず目を閉じた。その一瞬、マユラの頭にひらめくものがあった。よろめく体を無理に立て直そうとせず、そのまま地面に投げだす。大地に倒れ込む寸前、体はストリーに支えられて地面を低く流れる。マユラはとさの思いつきでやったが、これはスイムというストリームタイプ特有の動きだ。ストリームに体を預け、魚が泳ぐように低い位置を滑空するのだ。長い距離は出来ない。ほんの五六メートルだが、いきなりやられるとスプリントタイプは意表を突かれる。ロイも一瞬マユラを見失った。魚の泳ぐように、するりと低く滑って剣の下をくぐりざま、マユラは踏み込んできたロイの足に痛烈の一打を浴びせた。

「ぎゃ!」

 骨が折れたかひびがはいったかと思えるぐらいの痛みだった。ロイはたまらずその場に止まる。まるでバネ仕掛けのように、ストリームを巻いて瞬時に立ちあがったマユラは、さらにバシッと剣を持つロイの手を打つ。ロイは悲鳴をあげ、剣を落とした。

「ロイ、大丈夫か」

 二人の仲間が駆けてきて、マユラはストリームを流してロイから離れた。ロイはブレイヴを消して普通体となっていて、立っているのがやっとの様子で、マユラに打たれた手はミミズ腫れになっていた。

「きさま、よくも」

「立て続けに手まで打つことないだろうが」

「こっちはこんな棒切れなんだぜ。真剣を持つ手をそのままにはしておけないぜ」

マユラとしては当然の処置だったが、ロイの仲間たちは怒りを募らせた。

「こいつ、しれっとしやがって」

 仲間の一人が剣に手をやった。

「手出ししないのじゃなかったのかよ」

「おまえとロイとの勝負には手を出さなかったぜ。そして今度は、俺との勝負だ」

「そういうこと」

 マユラはちょっと白けた表情で、それなら両手のバチみたいになった木刀でボコボコにしてやるだけと、ストリームを噴く直前だった。

「そこでなにをしている」

 遠くから質すような声を放ち、駆けつけてきた一騎はレイウォルだった。

レイウォルは近くまで来ると手綱を引き、馬上から、一同の様子にいささか不審の目を向ける。

「ロイ、ケガをしたのか」

彼もこのあたりの郷士の出で、ロイたちとは顔見知りなのだ。

「なんでもありません」

 マユラに打たれた手は、とても物を持ったりできる状態ではなかったので、もう片方の手で剣を拾い、どうにか鞘に納める。

「剣を抜いていたのか」

 見咎めたレイウォルの語気は厳しさを帯びる。剣は、みだりに抜いてはならぬことになっていた。

「それは・・・・・」

 ロイは口ごもる。

「剣術の稽古をしていただけです」

 マユラが答えた。

「キミは・・・」

 レイウォルは、マユラとはエルゼンの町での修羅場を共に体験したこともありり、多少の親しみは覚えていた。

「真剣との打ち合いがどんな感じのものか、ロイ君に教えてもらってたんです」

「私にはそんな和やかな雰囲気には見えなかったがね。もし喧嘩だったら、木刀の者に真剣を使うなど許されることではない」

「もうしわけありません」

 ロイたちはしおらしげに頭を下げる。同じ地元の先輩で、砦の副官にまでなったレイウォルには彼らも頭があがらない。

「それにキミもだ」

 レイウォルは次にマユラに非難の矛先をを向けた。

「キミの仲間たちは砦の兵士たちとともにパトロールに出ているというのに、キミが地元のものたちと喧嘩して、もめ事をつくっている場合だと思うか。少しは状況というか立場を自覚したまえ」

「すみません」

 マユラも、ここは素直に頭を下げる。売られた喧嘩ではあったが、確かにそれを


買っている場合ではないのだ。どうせ志摩の耳に入るであろうし、ゲンコツをいただくのは覚悟しなければならない。

「マユラは悪くありません」


「キミは・・・」

 レイウォルは野に咲く一輪の薔薇を見るような面持ちでエレナに目をとめた。

「ロイたちが喧嘩を仕掛けてきたんです」

「そういうことか」

 おおよその事情を察したレイウォルだった。

「しかし、たとえ売られたものであれ、喧嘩は双方非のある・・・」

 説教口調のレイウォルだったが、駆けてくる来る一騎に話しを中断した。

「レイウォル殿」

「ヨハスじゃないか、そんなに急いでなにごとかねね」

 駆けてきたのはよはすという名のクリオ砦の兵士だった。

「すぐに、砦にお戻りを」

「なにかあったのか」

「実は」

 ヨハスは馬を寄せレイウォルに耳打ちした。

「奥様が!」

 レイウォルは小さく叫ぶと、チラッとマユラたちに目をやり、

「今日のところは見逃してやる。親にも師匠にも黙っておいてやる。ただし私がいなくなったあとで、さらに問題を起こそうものなら、そのときはキミたちの親や師匠に報告して、処罰を求めることになるだろう」

 そう言い残し、ヨハスとともに慌ただしげに馬を走らせていった。

「なにかあったのかな」

 マユラは遠ざかる二騎を見送りながら、漠然と呟いた。

「冷たいじゃないか、幼馴染の俺たちじゃなしに、そんなよそ者の肩を持つなんてよ」

 うらみがましげな目を向けるロイに、

「事実だからしかたないわ」

 エレナはすげなく言い返す。

「続きをやるっていうのなら、受けて立つぜ」

 エレナへの言いがかりにすかさず応じるマユラに、

「やめておくぜ。せっかく見逃してもらったのに、またなにかやらかして、親の折檻を受けるのはご免だ」

 ロイは痛む足を引きずりかげんに、仲間たちと去っていった。

「新しい木刀をもらったばかりなのにこのざまだ。やっぱり木刀じゃ剣にはかなわないね」

 マユラは二つになった木刀を捨てた。

「剣、欲しい」

「そりゃあ欲しいけど、簡単には手に入らないよ」

「手に入るかもしれないわよ」

「キミんちにあるの」

「ウチにはないわよ。でも、有るところを知っているの。喧嘩に使わないと約束するのなら、案内してあげてもいいわ」

「約束するよ。絶対に喧嘩には使わない。やっつけるのは化け物や悪者だけさ」

 エレナはそれでも思案げな表情だったが、思いを決めた。

「いいわ、今みたいにマユラが剣もなしに危ないめにあうのは嫌だもの。それに、いつまたあのときの怪物が現れないとも限らないし、備えは必要だわ」

「やった」

 小躍りしそうなマユラに、エレナは急に自信なさそうな表情になった。

「でも、あんまり期待しないでね。ただそこに剣があると聞いているだけで、私も実際に見たわけじゃないの。どんな剣かもわからないし、もしかしたら無いかもしれない。喜ばせておいてこんなこと言うの悪いけど」

「べつにいいよ。剣が手に入るかもと思っただけで十分楽しいし、無かったら無かったまでのことさ。当たりハズレがあるから宝さがしっておもしろいじゃない。で、どこにあるの」

「祠よ」

 エレナは答えた。



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