第9話 秘刀1

 「北ナタール郡誌」は、北ナタール郡の民話や伝承を集めた書物で、編纂はユーシア歴千百二十年とまことに古い。所載の民話は、土地にまつわる伝説や、正直者が得をして、悪者が天罰を受けたという訓戒話に滑稽話、怪談などで、どれもたわいない内容のものだが、そのなかに「イカルガ退治」という題の武芸譚があり、「北ナタール郡誌」の中でも、とりわけ読者の興味を引くものとなっている。

 時は八代ユリウス帝の御代とあるから、およそ二百年も前のことである。北ナタール郡にイカルガと名乗るオウガが現れた。オウガは鬼人系ヴァルムの上位種。鬼人系は下位の小鬼ゴブリンがランクアップすると、オウガというものに変成する。頭に角を生やし、身の丈は二メートルを軽く超え、三メートルに届く者もおり、いかにも金剛力を宿していそうな筋骨たくましい体躯。これが一般に知られたオウガの姿だが、イカルガは、背丈も人並みな一メートル七八十。体つきもに華奢な細身で、滴るような艶のある白銀の髪を腰まで流している。その細面の顔立ちは端正にして優美。見た者は誰もがこれを女、それも大層な美人だと思い、オウガなどとは夢にも疑わぬ。キモノという、一部の黄色系民族に起源のある、バスロープのような一重の服を羽織り、赤い布切れを鉢巻のように巻いた額の左右に、小さなコブのような突起があり、これが角だったのだが、よく見れば気づく程度で、到底角とは思えぬものであった。キモノの腰を細紐で締め、そこに刀を落とし差しにして、足にはゲタという木製のサンダルを履いていた。イカルガを最初に見たとき、人々は狂女かと思った。美しいが、なにか尋常ならざるものを宿しているように見えたのだ。だが、やがてイカルガが巻き起こす凄惨の嵐は、とてもそんな言葉で済むものではなかった。

 イカルガは一つの村を全滅させた。老若男女、男や女、老人や子供の区別なく斬りまくり、心臓を喰らい血を呑み、子供の手を、鶏のモモ肉のように食べながら歩いていたという。その村を後で訪れた者によると、村全体が屠殺場のような生臭さだったそうである。イカルガの被害はその村だけにとどまらず、他にもの町や村が襲われ、街道を行く旅人も犠牲となった。すぐさまこの地域の治安を管轄する砦から討伐の部隊が差し向けられた。イカルガは隠れるでもなく、ナタールの野に平然と姿を現した。部隊は三四十名のブレイヴ能力を備えるつわものたちで構成され、数体のオウガにも対応できる能力があった。今回は一体、それも屈強巨体のオウガではなく、女のようになよなよした相手であればなおさらである。部隊はイカルガを発見すると一斉に襲いかかった。野を散策するようにそぞろ歩きしていたイカルガは、まるで水商売の女のような、艶なる笑顔で迎えたという。そして部隊は壊滅した。わずかに生き残った一二名の者の証言によると、まるで嵐のような太刀風で、手ごわいことは、いままで戦ったオウガの数倍ともいうのだ。すぐさま第二派の討伐隊が差し向けられた。今度は百数十名の大部隊で、これに噂を聞きつけた在野の腕自慢も加わり、総勢二百名に近く、いくらなんでも一人の敵に、大げさすぎる陣容とも思われた。イカルガは前回同様、北ナタールの野を平然と、我が物顔のふてぶてしさで歩いていた。これでいよいよ極悪非道の鬼人も年貢の納め時、そのきれいな首を獄門台に晒す時とだれもが思った。しかし、大討伐部隊は壊滅した。押し包む剣の壁を、イカルガの太刀風が暴風のごとく吹き払ったのだ。たった一人の敵に、二百の軍勢が斬りまくられて壊滅したのだ。そのあまりの強さに、イカルガはオウガではなくてグンジーではと噂された。グンジーはオウガがさらにランクアップした鬼人系最上位種。ただし、オウガとグンジーをどこで区別するのか、その差異などについてはよく分かっていない。それというのも、ゴブリンからオウガにランクアップするのは十体に一体といわれるが、オウガからグンジーにランクアップするものは千体に一体といわれ、グンジーは存在自体が珍しく、出現もまれで、まだその実態がよく分かっていないのだ。額に、第三の目が開くともいわれているのだが。

あれだけ大がかりな討伐隊が壊滅させられたのを見て、イカルガに挑もうとする命知らずも現れなくなった。北ナタールの治安を管轄する砦もこれ以上の人的損害は避けたく、当分なおざりとすることとなった。以前は腕自慢を吹聴していた剣士たちも、いまは身を縮め、あの突然現れた鬼人が、突然いなくなってくれるのを、ひたすら祈るばかりというていたらくである。しかしイカルガも、討伐隊を壊滅させた日から狼藉を控えるようになった。かの日はずいぶんと心臓を喰らったそうだから、食い飽きたかもしれない。人と出会っても襲わなくなり、それどころか、ある日町に現れると料理屋に入り、牛鍋を注文した。牛鍋を美味そうに食べ、ステーキも注文して、これもペロリと平らげた。大酒を飲み、ベッドを用意させ爆睡する。牛鍋がよほど美味かったのか、以来その店に居つき、放蕩息子のような暮らしぶりをするようになった。もちろん金など払うはずもなく、店としては大損害であるがどうすることもできない。いかにイカルガが大いびきで寝ていようと、その寝首を掻いてやろうという度胸のある者の、一人として出てこないのである。

 そんなある日、いずこよりか一人の旅人が町に流れ来たった。マントも服も旅塵にまみれた、みすぼらしげななりの人物だった。頭は白髪まじり、日焼けした顔は頬のあたりの肉も落ち、乾いた肉の骨に張り付いた感じで、目は落ちくぼみ鷲鼻高く、壮年期はとっくに過ぎた六七十の年恰好、盛りの過ぎた傭兵の、あてどもなく漂泊しているかの様子である。

 旅人は飯屋に入り、席に着くとチャーハンにビールを注文して、なにやら鼻じわんだ。

「ただならぬ気配がする。なにか、人ならざるもののいるようだが」

 ウエイトレスに聞くと、

「イカルガ様がおられるのよ」

 女は窓の外、通りを隔てた五六軒先の料理屋を指差し、声をひそめていった。

「イカルガとは何者だ」

しっ、女は指を立てた。

「五キロ先の話声だって聞こえるっていんだよ」

「ヴァルムか、ヴァルムがメシを食っているのか」

「そうさ、オウガだかグンジーだかしらないけど、まあ、人間じゃないわね。食べて飲んで、もちろん金なんて払わないけど、人を食われるよりマシでしょ。人間はずいぶん食べたらしいから、食べ飽きちまったかもね」

「なぜ退治しない」

 離れたテーブルでは四人ほどが酒を酌み交わしていたが、郷士か傭兵か素性はわからぬながら、全員が剣を携え、武人であることは間違いない。

「イカルガ様を退治しようなんて命知らずは、このあたりにはもういないよ。前にはいたけど、全員が墓の下で、自分の料簡違いに地団太踏んでいるわよ」

 そして女は、イカルガのこれまでの所業、その強さを旅の男に話した。

「それでおまえさんたちはヴァルムに屈し、諸侯のごとくもてなしてやっているというわけか。いやはや」

 旅の男は呆れかえり、

「ならばそのイカルガというヴァルム、わしが退治してやろう」

「じいさん、あんた正気かい」

 女は笑い、店の主のもとへ歩き、二言三言告げた。主の男は腕まくりしてやってくるや、旅の男をどやしつけた。

「やいジジイ、てめえ大ボラ吹いてタダメシせしめようって魂胆だろうが、そうはいかんぞ」

 旅の男は、銀貨を一枚テーブルに置いた。

「おぬしから、施しを受けようとは思わぬよ」

 店の主は意外そうな顔で銀貨を取ると、掌を返したように愛想笑いを浮かべた。

「こいつはどうも、すぐにお食事をおもちします。ですが、冗談もほどほどにしないと、これから食うメシが今生の食い納め、ってことになりかねませんぜ」

「おそらく、そういうことになるだろうな」

 旅の男は、にこりともせずにいった。

やがて食事がきて、旅の男は鶏肉や卵、玉ねぎやグリンピースを混ぜ込んだチャーハンを食べ、ビールを飲んだ。食事を終え、薄汚れたハンカチで口をぬぐうと、席を立って店の奥へと歩いた。懐から封書を出して、厨房との仕切りのカウンターの上に置き、それに金貨を一枚添えた。

「これはなんです」

主とウエイトレスは、いきなり出された金貨に目を丸くした。

「私が死んだら、その封筒の中の紙に書かれた住所に知らせてほしい。だが、もちろんおぬしが直接足を運ぶ必要はない。事のあらましを記した手紙を送ればよい。金貨は配達の料金と、残りはおぬしの手間賃だ」

「まさか本気で、イカルガ様とやりあうつもりですかい」

「冗談はいわぬ」

「私としては送料五六ユーロたらずの手紙の料金に、百ユーロもいただけるのだから、黙っているのが得ですが、しかしこいつばかりは止めないわけにはゆきません。百に一つもあなたが生きる道はない。まだ死ぬような歳でもなし、慌てていくことはありませんぜ」

「長く生きればよいというものではない。為すべきことを為し、且つ、長寿得たならそれは最高゛あろうが、そう都合よくゆかぬのが世の常。いずれかを選ばねばならぬのなら、為すべきことを為すを採るのが武人というものであろう」

「やいジジイ、それは我らへのあてつけか」

 テーブルで酒を酌み交わしていた男たちが、席を立った。

「どうせ案山子ほどにも戦えぬくせに、悟ったようなことをほざきおって」

「おそらくは生き場のないおいぼれが、最後に華々しく散ってやろうとでも考えたのであろう。だが、せっかくこのところ血をみずに済んでいるのに、おぬしに身勝手な料簡でしゃしゃり出られて、奴が起源を損ね、また暴れだしたらこっちが迷惑だ。どうしてもやるというのなら、我らが相手になるぞ」

息巻く男たちだったが、

「おぬしらが、相手になると」

 旅の男は笑みさえ浮かべた。

「いっこうに構わぬよ。いつでも好きなときに来るがよい」

「なにっ」

 剣に手をやる男たちだったが、旅の男の眼光を受けて、不意に氷塊を抱いたような寒気を覚えた。タバコの火が水をかぶってジュッと鳴ったように、急に戦意を消してうなだれた。

「では、よろしく頼む」

 旅の男は、店の主に封書を託し出ていこうとする。

「お待ちください」

 ウエイトレスが呼びとめた。

「この土地に関わりのある方ですか」

「いや、始めて来た、なんの関わりもない土地だ」

「ではどうして、そんな関係のない土地の者のために、命を捨てようとなさるのです」

「わたしはな」

 旅の男は告白するかに答えた。

「イカルガとかいうヴァルムよりも、よほどにか業の深い、罪深い人間なのだ。ゆえにどのように使い捨てようと、さして惜しくもないこの命なのだ」

 そして男は店を出た。

 通りを、イカルガがいるという料理屋に向かって歩くと、半分も進まないうちに、かの料理屋の二階の窓を破って朱色の人影が地上に降り立った。腰まで下りる長い髪は銀よりも輝き強く、滴るような艶のあるプラチナ。額には赤い布切れを締め、結んだ片方が顔の横にだらりと肩まで垂れている。額の左右にコブのような突起があり、これがオウガの角であろう。人とかわらぬ背丈の細身に朱のキモノを羽織り、ゲタ履きで、左手に大刀を持っていた。細面の顔は線の優しい女顔でみめ麗しく、赤い唇のなまめかしく、瞳は恋人を迎えるような喜びに燃えている。

「おまえのようなものが来るのを待っていた。やはりシメは、それなりのものを食わねばな」

「うぬがイカルガか。外面如菩薩内面如夜叉、そのしおらしげな女子面の下には、さぞや恐ろしい悪鬼の顔が隠れているのだろう」

「なにも隠れておらぬ。俺の顔はこれ一つよ。そして俺にいわせれば、人間とはすこぶる修羅なる生き物なのだ。弱いだけで、本性羅刹と変わりはせぬ。その人間の中でも女、とりわけ美しい女ほど性質酷薄である。ゆえに俺のこの顔は、相手を欺く韜晦の仮面などではなく、まさしく、我が本性を顕したものなのだ」

 イカルガは皮肉でもなく、艶然たる顔に青年のような率直さを示す。

「ほざきよるのう」

 旅の男は吐き捨て、次の瞬間、その姿はいましがたイカルガが立っていたあたりに、瞬間移動したかのようにあった。全身から陽炎のようなブレイヴを沸き立たせた身体は、地面から数十センチ浮上した足元に波動をたゆたせ、凪の状態で静止している。そう、彼はストリームタイプだった。恐るべき瞬発力、そしていつ抜いたのか白銀の太刀の残心の構えで止まり、その刃は地面に触れぬままに、大地に一条の線を刻んでいた。

「いきなりとはせっかちだね。危うく死ぬところだったじゃないか」

 イカルガの額にはもう一つの目が開いていた。グンジーだった。

「この目でみなけりゃ危なかったよ」

「グンジーか」

「アンタほどの相手は初めてだ。大いに楽しめそうだ」

「今生最後の愉楽だ、命の限り楽しむがいい」

「俺は斑鳩童子だ」

 グンジーは正式に名乗った。

「尊公の名をうかがおう」

「ヴァルムに名乗る名などない」

「ならば当ててやろう。かのハスターの大乱のおり、ブロッケンで勇名を馳せた御仁ではないのかな」

「・・・・・・・・」

「図星かね。あてずっぽうだったが、今のは獅波新影流の虎切であろう。そしておぬしの身にまとわりついた、おびただしき怨念の醸しだす気配だ。実のところ、町に入ったあたりから感じていたのだ。まあ、そんなあたりからの推測だったがね」

「それで気が済んだか」

「?・・・・・」

「うぬがこの世で吐く戯言の、それが吐き納めとなるが」

 斑鳩の言葉が逆鱗に触れたらしく、旅の男は憤怒の形相となっていた。

「よかろう、言葉のやり取りの時は終わった。お楽しみを始めようじゃないか」

 斑鳩は鯉口を切り、するりと抜くと鞘を捨てた。反り深く、棟地に血流しの溝を掻いた太刀だった。ミスリル精鍛の堂々の業物だったが、あまたの人血吸った刀身は、銀色の艶もぬるりと生々しげであった。

 旅の男はストリームを噴かし、斑鳩は走る。二十メートルの間合いを置いていた両者が刀を交えるのに、一秒の半分もかからなかった。ほとんど瞬き一つのうちに、打ち合う刀の火花を散らす。

 とにかく斑鳩の刀勢は凄まじい。堂々の太刀が、一条の光芒としか目に映らぬ。しかもその一閃が、鉄をも断ち切る斬撃力を蔵しているのだ。これをヴァルムの、人の域を大きく超えた躍動のうちに放ってくる。これまでの者たちはこれに対処できず、俊烈の光に骨肉割られ、血を撒くのみであった。しかし旅の男は、見事に太刀を合わせて打ち返す。まるで龍に乗るごとくにストリームを駆り、電光と走る太刀は岩をも断つ威力を蔵し、一刀必殺一颯必断の太刀を斑鳩に浴びせる。斑鳩もこれを巧みにしのぐ。決してヴァルムの能力まかせではない、剣士としての技量も一流のものを備えていた。両者百分の一秒のミス、優劣が、身体の両断を招くぎりぎりの剣舞を渡りあう。

 風を駆る剣士と駿足に跳ぶ鬼人。斑鳩は朱色のキモノの裾も乱れ袖の大きく翻り、さながら炎の躍るが如き。斑鳩からブロッケンでの勇名うんぬんといわれた旅の男は、秋水掲げる一陣の寒風。風と炎はせめぎ合いも凄まじく、小さな町など飛び出して原野に駆け、また町へと戻って来る。人々は凄まじい斬り合いに、息を呑み目を瞠り、興奮隠しきれぬ様子で眺めていたが、遠くにあった闘争の火の玉の、猛スピードで戻ってくるのを見ると、巻き添えを食っては大変と、クモの子を散らすように避難したのである。

炎と烈風の存在を賭けた熾烈なせめぎ合いの、ピタッと膠着した。町はずれの原野、両者間合いを取って向かい合い、斑鳩は大刀を上段に構え、旅の男はストリームを凪いで二三十センチ空中に静止して、その構えは斜め正眼。両者固まったかに見えて、旅の男は、宙に凪いだ身体の微風に押されるかのようにじりっじりっと流れる。膠着のうちにも相手に威圧を与える、ストリームの無息の仕掛けである。戦いのステージは上がり、遠巻きに見守る者さえ息苦しさを覚えるばかりの緊張のなか、斑鳩の構えたる刀の影が、するすると伸びる。蛇が蛙に忍び寄るごとく、刀の影のみが数メートル、十メートル、十数メートルと伸びて旅の男に触れた瞬間、空を割って斑鳩の姿がそこにあった。玄妙にして必殺なる天翔一刀流の奥儀月影。が、旅の男は刀気燦然たる獅波新影流奥儀天道にてこれを払う。旅の男は斑鳩が奥儀を習得しているのにいささか驚いた。彼の剣が天翔一刀流であることは、構えを見ただけでわかった。その技のレベルも師範格に達していることは、一剣を交えて悟った。しかし奥儀はまた別である。奥儀は通常の技を練磨して到達できるものではない。先達が血のにじむ:研鑽の中で、偶然とも天意ともつかぬ特別な契機を得て開いた、別天の境地に成る、超絶剣理の技である。よって奥儀を得るには、奥儀を修めた皆伝者の導きが必要となる。これは一問の当主、もしくはそれに準ずる席次の、ごく一部の者に限られ、高弟であっても奥儀は授けられないのである。獅波新影流では奥儀皆伝を授けられるのは獅波の血統の者に限られ、天翔一刀流でも、宗家天狼一族の者しか奥儀は許されていないと聞く。他流のこととはいえ、先達の血と汗の結晶である流派の精髄が、人ならぬ魔人に伝わるとはなんとも嘆かわしく旅の男には思えた。そして、その流れをここで断ち切るべしと決めたのである。

 斑鳩は旅の男の身体が、突如伝説の巨人ダイダロスのごとく巨大化したかのようなとてつもない圧迫を覚えた。

――これは――

「獅波新影流奥儀、抜山蓋世」

 まさに圧倒的な覇気は世を蓋うがごとくであり、それが次には男の剣に収斂して、一剣山をも抜くが如き威力をたたえる。いかなる者も討ち果さずにはおかぬ超絶の剣境、斑鳩は、しばし眉間にしわを寄せる。彼がそんな表情をしたことはついぞなかった。旅の男の剣には、金城鉄壁をも断ち割る恐るべき威力のこもり、その太刀筋も読めない。斑鳩はそこに死を予感したが、しかし、またと得がたきこの剣境にあって、逃げるなど考えられぬ。たとえ人外の魔人ヴァルムであっても、彼もまた、奥儀を得るまでの境地に至った傑出の剣者なのだ。

「ならば我も、天翔一刀流奥儀月光剣、披露すべし」

 斑鳩は剣人一体となって、月光の差し込むが如き薄明の気配を示す。太陽のような燦然とした力強さではなく、月光の、朧にして冥境に誘う玄妙必殺の剣理である。

 二つの流派の奥儀のぶつかり合いは、見物の人々の目には、奇妙な幻影のごときものとしか映らなかった。あれほど空を翔け、宙を跳び、剣光白熱、丁々発止と渡り合い、見る者の手に汗握らせていた戦いが、ここにきて妙に落ち着いたものになったかのように、人々には見えた。しかし人々に武芸の精髄を見る眼が具わっていなかっただけで、いまここにくりひろげられているのは、大陸でも屈指の名勝負なのであった。

 月光の鋭利と、泰山をも凌駕する怒涛の気合のぶつかりあい、そこにどのような駆け引きがあり、いかなる技の応酬があったか、常人の目には百分の一も看取し得ぬ刹那の攻防。そして、:決着の時は訪れた。鋭光炎を撃ち、刀を持った斑鳩の右腕が肘より断たれる。さらに間髪入れず、旅の男の一刀は、赤いキモノをまとった斑鳩の身体を両断した。切り裂かれた斑鳩の身体は、瞬時に赤い霧のようなものと化し、髪の毛一本残すことなく霧散して消えたのであった。

「やったー」

 人々は歓呼して、男のもとに駆けよってきた。

「斑鳩、あの鬼めはどこにいる」

 男はブレイヴ体のままであった。

「なにいってんだい。さっきアンタが斃したじゃないか」

「そうか」

男は刀を納めブレイヴを消した。

「それにしても、こんな名人だとは思いませんでした。いやはや、おみそれしました」

 メシ屋の主が頭をさげた。

「まったく、かような達人であったとは、まことに失礼つかまつった」

 メシ屋の中で睨み合った武人たちも、恐縮の態であった。

「見ていてシビレたぜ。伝説七剣士だって恐れ入るような剣術名人だ」

「きっと名のあるお方でしょう。なにとぞ、ご尊名を」

 周りでほめそやす言葉も耳に届かかのように、しばし呆然としていた男は、不意にその場に崩れる。人々は慌てて身体を支え、どこかに斑鳩の刃を受けていたかと見てみたが、身体のどこにも傷はない。ただ、さっきの戦いに精魂尽したかのように、消耗しきった様子であった。

 人々は町の診療所に運び、手厚く看護したが、男は二度と起き上がることなく、半月後にその名も不明のまま息を引き取った。メシ屋の主人が、預かった封筒の中の紙に記されていたはずの連絡先に、依頼通り男の最期を知らせたかも定かでない。英雄にふさわしく丁重に葬られたはずだが、いまでは墓の場所も不明となっている。名も知れぬヒーローの鬼退治の話は、長い年月のうちに、すっかり作り話と思われるようになった。また、男が斑鳩を切った刀を、祠を作って祀ったとの記述もあるが、その場所を知る者もいないのである。

 

 庭先に馬車が止まり、中年の女性が降りてくると、さして大きくもない家から七八人の子供たちが出迎えた。

「砦の奥様だ」

「ライゼンの奥様、こんにちは」

 かわいらしい声であいさつする。

「こんにちは、みんないい子にしてたかしら」

 ライゼン夫人は笑顔であいさつを返した。麦わら帽にストライプのシャツ、ジーンズにスニーカーといった気取らぬ服装で、気さくな笑顔に人柄が表れている。あとから出てきた供の女性は大きな籠を持っていた。

「いい子には、ご褒美があるわよ」

「わたし、いい子にしてたわ」

「ボクも」

「おいらも、お手伝いしました」

 子供たちから元気な声があがる。

「そう、だったらみんなにご褒美あげなくてはね」

可愛らしい歓声があがった。

「クリオ砦の奥様、ようこそいらっしゃいました」

 子供たちのあとから出てきた中年の男性が、丁重な物腰で挨拶して、傍らの連れ合いらしい女性も頭をさげた。

「みなさん元気そうでなによりだわ。今朝焼いたパンに、ハムや手製のジャムなんかも瓶詰にしてもってきたわ。それとこれを、少ないけど」

 夫人はいくばくかの金子を包んだ小さな紙包みを差しだした。

「これは、いつもありがとうございます」

男は頭を下げて包みを受け取った。

「いつも、ささやかなことしかできなくて」

「とんでもない。奥様の御支援には心より感謝しております。さあどうぞ中へ、むさくるしいところですが、すぐにお茶の用意をいたしますので」

「せっかくだけどそうもしていられないの」

 供の女性が男の連れの女の人に大きな籠を手渡した。

「ご褒美は」

 男の子の問いに、

「籠の中にお菓子も入っているわ」

 夫人が答えると、また明るい声の沸いた。

「残念ですが、ご用事とあらば致し方ありません」

「そうでもないのよ」

 夫人は、通りを隔て、離れて待機している護衛たちを目で示した。

「今日はずいぶんと、御供の方々の多いようですな」

 いつもは二三騎付いているだけだが、今日は二十騎以上いて、大勢の武装した者たちを従えて来て子供たちを驚かせないように、離れて待機させていた。

「夫は心配性なのか、私にはくわしいことは分からないけれど、なにか気がかりな状況らしいの。こちらは、グルザム一味とか、大丈夫なのかしら」

「近くの郷士たちが気にかけて、時々見回ってくれています。いまのところ変わったことはないようですが」

「なにかあったらいつでも言って。あの頼もしい兵士たちが駆けつけて、きっと守ってくれるわ」

 ライゼン夫人は生真面目なまでの気遣いをみせた。

「あの家はなんなんだ、ずいぶんと子沢山のようだが」

 子供たちに囲まれた和やかな雰囲気の中で、ライゼン夫人と夫婦者らしい男女の会話する様子を眺め 護衛の中のダオが、かたわらの兵士に聞いた。

「グルザム一味に親を殺されるなどして、孤児となった者たちを引き取り、面倒をみている施設ですよ。隊長夫人は、以前からその活動を支援しておられるのです」

「優しそうな奥さんですからね」

 ファルコも、ライゼン夫人の分け隔てない優しさに、日ごろから好感を抱いていたのだ。

 クリオ砦の巡察地域の中にある村で、広い前庭の農家が点在していて、夫人が訪れた施設も、そうした農家の一軒だった。

「ところで、マユラの話、どう思う」

 ダオはファルコに問いかけた。

 マユラが怪物に襲われたといって、女の子の手を引いて砦に駆け戻ってきたのは三日前のことだった。砦ではすぐに人を繰り出して、マユラの話しにあった林を中心に捜してみたが、怪物の姿はおろか、足跡一つみけられなかった。いままで砦の周辺でヴァルムが出たという話もなく、兵士たちの中には子供の作り話と思っている者もいた。

「嘘をつくような奴じゃないと思うけど。それに、地元の女の子もいっしょだったんだぜ」

「だが、子供の想像力というやつは、ときに手に負えんからな」

「エレナはしっかりした子ですがね」

 兵士がいった。

「だが、砦の近くで化け物が出たなんて、聞いたことが無い。行方不明者の噂は、たまに聞きますが」

「行方不明?」

「たまに、人がいなくなることがあるんです。男も女も、大人から子供までいろいろですが、子供は、もしかしたら人さらいにかどわかされたかもしれないし、大人は、駆け落ちとか夜逃げとかかもしれません」

「人がいなくなるなんて、珍しいことじゃないぜ」

 ダオは言ったが、この世界のきわどいところを渡り歩くような職業柄の傭兵には、そんな実感なのだろう。

「あれは」

 ファルコはなにげに道に目をやって、騎馬の部隊のこちらにやってくるのを認めた。

 待機していた護衛たちの動き出す。隊長夫人の乗って来た馬車の前に押し出して、こちらに来る部隊と向かいう。ジェリコ砦の部隊で、率いていたのはベイロード隊長だった。

「止まれ」

 クリオ砦の兵士長が制止の声をあげる。

 ベイロードは、五十メートルの距離を置いて部隊を止めた。話し合うには適当な距離だ。互いにブレイヴの機動力があるので、これが三十メートルともなると、かなり切迫した状況となる。

「ジェリコ砦の隊長殿が部下を引き連れ何用ですかな。ここはクリオ砦の管轄のはずだが」

「そのクリオ砦のライゼン隊長に不正の疑いがもちあがった。ついては夫人に事情を聞くべく、同道を願おうとまかり越した次第だ」

ベイロードは馬上にあって、言葉とは裏腹の不遜げな態度だった。

「我らが隊長に不正の疑いだと。いかなる不正だ」

「おまえのような下っ端に、詳しいことはいえぬわ。さっさと夫人を引き渡せ」

「断る。我らライゼン隊長の命を受けて奥様をお守りしている。隊長のお許しもなしに、奥様を引き渡すことなど出来ぬ。それに不正というなら、大いに疑わしいのはそちらであろう」

「私に剣を抜かせるつもりか」

 ベイロードは一命を取るなどなにほどもないと言いたげな目で、兵士を一瞥する。

「抜いてみろや」

 荒々しい声で応じたのはダオだった。ダオとファルコの二人は既に馬を降りていて、最前列に進み出た。

「傭兵ふぜいが大した鼻息ではないか。」

 ベイロードは馬上から見下ろす。

「身の程知らずの蛮勇で我が前に立ち、己が血の海に沈むことになった愚か者が、これまでに何人いたことか、数えたこともないがな」

「ヘタレ野郎を何人斬ってきたか知らないが、どうしてもやるっていうのなら、今度血の海に沈むのはてめえの番だぜ」

 ダオは猛然の気を吐き、その横でファルコが、静かに抜刀の構えをとる。

「おやめなさい」

 ライゼン夫人が騎馬の間を通り、前に出てきた。

「私を引き渡せというのなら、そのようになさい。こちらはやましいところはなにもないのです。調べればわかること、ここで血を流すことはありません」

「これはものわかりがよい。ご主人にも見習ってほしいものですな。手荒なことはいたしません、どうぞこちらに」

 ベイロードの言葉に顔をしかめ、進み出ようとする夫人の前を、ダオの太い腕が遮った。

「身を呈しても争いを避けようとなさる、お優しき心には感心しますがね、これはあなたをおとりにして隊長殿をおびき寄せ、亡きものにしようとする悪だくみ、断じてのってはなりませんぜ」

「傭兵ごときが、帝国軍人を侮辱する気か」

 馬上から威嚇するベイロードに、

「おちょくっているのはそっちだろうが。妙な取り巻き連れてきやがって、帝国軍人が聞いてあきれるぜ」

 ダオが、語気も荒くかみつく。

「妙な取り巻きとは?」

 クリオ砦の兵士たちも、小さな村に、いつの間にかただならぬ気配が満ちている。しかもそれらはジェリコ砦の兵士たちではない。装備もまちまちの無頼の者どもが要所を固め、いまや完全に包囲されていた。その数も、こちらの四五倍はいよう。

「グルザム一味だ。囲まれているぞ」

 クリオ砦の兵士たちに動揺が走る。

「クリオ砦の部隊は山賊の襲撃を受けて全滅。我らが駆けつけたときは、全てが終わったあとだったと、上へはそのように報告するようになっている」

 ベイロードは平然といってのける。

「やはり、グルザム一味結託しているという噂は事実だったのですか。なんと恥知らずな」

 ライゼン夫人は日ごろの優しさもかなぐりすてて、舌鋒厳しくベイロードを非難した。

「おとなしくこちらに来れば、無駄なケガをせずにすむが」

「斬られるほうがマシよ。気遣いされたと思うだけで身の毛がよだつわ」

「いい歳をして小娘のように意地を張るとは、ならば好きにするがよい。周りの有象無象ともども死ぬのだな」

 ベイロード以下、ジェリコ砦の部隊は動きをみせぬが、周囲に展開していたグルザム一味がじわりと動き出した。クリオ砦の兵士たちは円形に展開して攻撃に備えるが、数倍の敵、しかも正面にはベイロード率いる部隊のある、圧倒的に不利な状況だった。

「奥様は家の中に」

 ダオは、さっき夫人の訪れた家を指差した。こういう場合は、周囲にある建物を利用するべきである。

「それはできません」

 ライゼン夫人は頑なな表情で、ダオの言葉を退けた。

「そんなことをすれば、子供たちを巻き込むことになります。私のために、子供たちを危険な目にあわせるわけにはゆきません」

「しかし・・・・」

「ここから逃げるのです。血路を開いてください」

 夫人の強い口調に、

「やってみるか」

 ダオはアックスを手に、迫る敵どもに一睨みくれる。

「クリオの番犬どもなど、これて一薙ぎすれば木端微塵よ」

 三メートルを超える巨人がのそりと出てきた。トロールと呼ばれる巨人系のヴァルムである。長さが物干しざおぐらいある鉄棒を持っていて、それを竹の棒みたいに軽々扱っていたが、人間ならば、運ぶのにも二三人がかりの重量物だ。

「おぬしらは、わしが叩きのめしたあとで、とどめを刺して歩け」

「先陣を引き受けてくれるか」

「ただし、事が済んだら二三人、子供を食わせてもらうぜ」

 トロールは小石のような歯を剥いて、貪婪に笑う。

「あのバケモノを倒しなさい。絶対に子供たちを、バケモノの餌食にしてはなりません」

 ライゼン夫人が叫んだ。

「わかってますよ」

 ダオは振り返りもせずに答えた。

「でかいだけのウスノロが、来てみやがれって。俺様のバトルアックスで頭カチ割ってやるぜ」

 ダオはバトルアックスを片手に構える。ヴァルムは大きくなるにつれて堅くなる傾向にある。身体だけ大きくて、ゴブリンクラスと同程度の防御力なら、たんなる的の大きなザコ。ウドの大木の典型というものだ。この大きさのトロールクラスになると、ゴブリンを斃す程度の斬撃では、刃が皮膚で止まる。堅くて、しかもタフ、そして怪力。まさに戦車のような存在だ。こういう敵には、一撃の威力の大きいアックス系の武器は有効だが、リーチの短いのが難点だ。トロールは物干し竿みたいな鉄棒に腕の長さを加えたら、四メートル余のリーチとなる。

「きさまは例のサムライの仲間か。ジカルが世話になった礼はさせてもらうぜ。この鉄棒で、骨肉ぶっ潰してゲロみたいにしてやる」

「ほざけ。てめえの頭こそ甕みたいにカチ割って、脳みそぶちまけてやるぜ。まあ、ぶちまけるほどの脳みそがあればのはなしだがな」

 ダオは、鉄棒を振り上げる巨人を見上げる。アックスで、あの長尺の打ち物を止めるのは難儀だが・・・・

「アイツは、俺が斃します」

 横でファルコが剣を鞘走らせる。見込みのある奴だが、トロールの鉄棒の重量は六七十キロはあろう。それを怪力にまかせて風鳴りするほどに振り回す。その一撃の破壊力は、百キロの鉄の球を二メートルの高さから落としたのに匹敵する。ブレイヴの抗力で受けるにしても、ファルコのレベルで受け切れるかだ。

 トロールがどどっと地響きたてて走り出す。

 来る!

 ダオとファルコが動き出すより速く、砲弾のように飛び出した影がトロールにぶち当る。ぐわんと豪風巻いて打ちかかる鉄棒をあっさり払い、強烈な刺突が巨人の身体をふっとばし、いきなり後ろ向きにとんできた巨体に、ベイロードの部下が一人、よけきれずに下敷きになった。とっさにかわして難を逃れたベイロードは、あおむけにひっくり返っている巨人を見下ろした。胴体に数ヵ所の刺創があり、さながら大口径のライフル弾(もっともこの世界に銃はないのだが)を受けた巨獣のごときか。トロールは息絶えてはいないが、かなりのダメージだ。前方に目をやり、その技の主をみる。一メートル八十ぐらい。屈強の壮士でスキンヘッド、手にはミスリル製精密咒鍛造の堂々たる可変槍を持つ。

「兄貴、どこへいってたんだよ。正直焦ったぜ」

 声に安堵の響きの隠せぬダオ。

「クソしてたのさ。便所から出たら、けっこうなお祭り騒ぎじゃないか。おまえたちに先を越されちゃならないと、勇んで駆けつけてきた次第よ」

 バルドスは、数に勝って迫るグルザム一味や、ベイロード率いるジェリコ砦の兵士どもなどものの数でもないように、槍を片手にうそぶいた。

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